『DNAシフトセラピスト養成講座』
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著名な心理セラピストとして知られる、西澤裕倖(にしざわひろゆき)先生プロデュース。
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※本気で人生を変える方専用。
「労働。これは我が国で生きていく上での絶対条件である」
そんな呪縛を一度スッキリパッキリぶん投げてみると、新しい発見があったりします。
働くことへの価値観は義務的であり、「働かないと生きていけない」と生死を振りかざす意見には、恐怖にて縛りを作って働かせる大きな目的があるかもしれません。
働くことが当たり前という常識を持つ素直さも大切ですが、働くことへの疑問や違和感を感じる自分の認識を持つ大切さもあります。
ここでは、「働かないと生きていけない」をおかしいと思う大切さを見ていかれてください。
- 働かないと生きていけないの?
- 働かないと生きていけない価値観がおかしいのはなぜ?
- 働かないで生きる大切さを知った体験談とは?
これらを紐解き、働かないと生きていけないことはなく、おかしいと思う大切さを知っていただく内容となっております。
インドでの体験にて学んだ「働き」への考え方が、一つの思想としてお役立ちできれば幸いです。
Contents
働かないと生きていけない呪縛はおかしい
「働かないと生きていけない」はルールか呪縛か
働くことにはみなさん一人一人に大切な目的があると思います。
目的はお金かもしれません。
人によっては経済を壊さないための維持、またはそうなったら不安で大変ですので、怖れを抱かない目的かもしれません。
働いて生きがいや生きている意味を作り、他者と同じ状態になることで安心し、自己喪失や虚無感を感じずに、楽しく欲を持って生きるためかもしれません。
私達ほとんどの人は社会の上で生存し、経済の仕組みの上で生活を図ります。
経済を利用する人がいれば、貢献する人もおり、飲まれて使用される人もいれば、活用する人もいます。
仕組みの上ではお金がないと生きていくのが困難になります。
お金がないとスーパーで買い物できない、何を食べればいいのか、自給自足しなければならないのか、病院はどこなの、怪我は治療してくれるの、誰が生活を保障してくれるの、誰が助けてくれるの?
お金がないと肉体的にも養われず、精神的にも拠り所がなくなります。
お金がないと、すなわち働かないと生きていけません。
これはおそらくルールであり、小さな頃から常識としてインプットされる当たり前の価値観です。
疑問を持つことが難しいほど当たり前。私は貧乏な家庭で育ちましたので、「お金が全てだ」と思って、頑張って働いて生きていくのが自然でした。
このルールを呪縛だと思うか思わないか、人それぞれに認識の違いがあります。
働くルールが呪縛だと思わない人は、「おかしい」とは思わない
資本主義経済の仕組みがあり、仕事があるから生活できると思えば、そこに生きがいを見つけ、役割を見出し、生きている目的や意味を見出せます。
「頑張って家族のために昇給するぞ!」と思うように、ルールは大切なレールとなり、ゴールへ向かうために重要です。
ルールにしっかり順応すれば、その上での考え方や生き方を作り、働かないと生きていけないことは、ルールとも認識しない当たり前になります。
私が会社員の時は働くことが当たり前であり、能力を高め、生きがいを作り、社会貢献し、経済の歯車の一つとしてあくせくする汗を、正義の聖水とすら思っていました。
当時、「働かないと生きていけないなんておかしい」と言う人がいれば、「なーに言ってんだ、怠惰欲に身をまかして甘えているな」と思う状態です。
生まれた瞬間から経済や社会という大きな基盤の上で生きているので、ルールを正として、当たり前を自然とします。
その上で、「働かないと生きていけないのはおかしい」と思えば、自らのしていること、してきたことを否定してしまうので、思いたくないと拒否感すら感じ、「まぁ、そういう考えもあるよね」と受け止めるのも困難になります。
社会のルールに則っている自分を肯定し、正当化したい人は、「おかしい」とは思いたくありません。
例えば、日本に生まれて自国愛があり、日本に貢献して、今の仕組みを継承して、維持・向上したい思いがあり、現状の仕組みによって構成された自分を変えたくなければ、「おかしい」とは思わないのが自然という考え方です。
働くルールが呪縛だと思う人は、「おかしい」と思う
まるで反社会的、社会のルールを呪縛だと思う状態。
「おかしい」と思うのは、現状の社会に納得や満足がない、または新しい価値観を作る人だと考えられます。
働かないと生きていけないルールに則り、真面目に働いていたにもかかわらず結果は不利益、苦しみ、辛さ。
自らの状態や環境に満足がなく、周囲や社会に則った人に縛られたことでの苦しみを被り、「許せない」という気持ちを抱いて反発する人もいます。
現状に不納得も不満足もないけれど、これまでの価値観で作られた社会を見て、「これは最高だね」とは到底思えないため、働かないと生きていけない価値観に違和感を感じ、時代に合わないので変えようと思う人もいます。
人それぞれに現状のルールや過去これまでの価値観維持に、疑問や違和感を感じたり、実害を被る経験があると、「働かないと生きていけない」というルールは呪縛や欠陥に思え、おかしいと考えます。
※生きるために働く真意は、「生きるために働くのはおかしい?」辛い原因は別にある日本のお話 をどうぞ。
働かないと生きていけないのはおかしい
「働かないと生きていけないのはおかしな話」というのが私の考えです。
これは、私が国籍を限定した自国愛を持っていないことと、現状の社会の継続ではなく、新しく価値観を変える大切さがあると認識しているためです。
「日本人が好きではなく、人が好き」
「これまでのルールって幸せになれるか疑問」というものです。
働くこと自体はとても大切だと思いますが、経済循環の歯車にならなくても生きる選択肢はたくさんありますので、「生きていけない」という表現には、「ん?」と違和感があります。
縛りや恐怖煽り、現状の社会維持の目論みや正当化・主張のエゴが潜むように感じます。
おかしいと思う大切さ
と言っても私は会社員として働きまくり、貧乏家庭上がりなのでお金第一主義として生きてきました。
働かないと生きていけないルールを正とする大切さがあり、自らの行動や思考を決める基準になり、安心感を得られる恩恵があると理解しています。
私達人間は自分が何者で、何をして、何ができて、何に所属して、何に貢献しているかという、役割を知って自分という存在を把握したい生き物です。
さらに集団に入り、大衆的になり、大きなものにまかれ、恥をかかず、目立たず、かつ喜びや肯定を得て、不利益ではなく利益、不安や恐怖ではなく安心感を感じていたいものです。
役割や安心感を得たい場合には、社会のルールは綺麗にレールになるので、フォローして歩いていけます。
しかし、そんな大切なルールをおかしいと思う。
役割や安心感ゲット以上に優先したいものがあると考えられます。
能動的に幸福になりたい欲求です。
働いて能力向上、学んで成長、生きがいを見つけ、役割を担って行動するさまは能動的そのものなのですが、レールの上という前提があると捉え方が変わります。
何もルールやレールがない上で自分なりの生き方をする状態と比べると、大きく「自分有無」が変わり、おかしいと思うことには自分を主体にして物事を考えて行動する能動性があります。
働かないという主体的行動は、積極的な能動があるとは思われにくいのですが、自分を社会性やルールなどの他、それが大きな他であっても自らを消さず、自らの意思を持ち、心の向くままに生きる在り方です。
「働くのが当たり前、働かないと生きていけない」というルールがない状態を選択することは、何もない新地で自らを縛らず、安心感を貰う幸せではなく、自ら安心感を作って幸せを作る形になります。
他に従うことでの現状維持とは違い、自らを消さずに自らの道で人生を生きる形です。
※主体性や能動性がないと、怠惰欲や恐怖逃避の個人主義という別物になる
※適当に働く詳細は、仕事は適当でいいけど難しい│適当にできない人が気楽にする方法 をどうぞ。
働かないで生きる意味を知る体験
働かないで生きる当たり前 inインド
実際に働かない人が増えていくと、経済は破綻してしまうかもしれません。
「仕組みがなくなればこの先どうすればいいんだ?!」と嘆く人が現れ、不安国家としての在り方が強調され、世の中はパニックになるかもしれません。これは防ぎたいものです。
「働かないと生きていけないなんておかしい」というのは、何も働かないでいいことを擁護する意味ではありません。
「働かないと生きていけないという呪縛は、幸せになる上で邪魔になってしまう」
こんなことを理解したのは、インドを旅していた時でした。
インドには働かないでもみんなで生きていく思想がある
私がインドを約3か月間旅していた時、パキスタンとの国境近くの街である施設を知りました。
縦40㎞×横40㎞四方の広大な土地。コンクリートの壁で覆われた巨大な施設であり、カーストの縛りなくあらゆる人々が生活しています。
中には宿泊施設、グルー・マスター(僧侶・師匠)の講演会場、瞑想施設、飲食施設、病院などがあり、インフラは日本と比べると欠陥だらけですが、現地では十分な環境が整っています。
全てタダ(無料)です。
何日滞在してもよく、食事も全て提供され、現地の人々は住んでいます。
私は現地の人に案内してもらい、何もかもが整っていることに驚きました。
全てボランティアと寄付金で成り立っています。
日本の便利さや快適度とは比べられませんが、住むには十分、何より清潔でゴミが一つもありません。私はインドであんなに綺麗な場所は見たことがありませんでした。
ここまで広大で何もかもが整っている施設は他に知りませんが、他にもあるかもしれません。インドにはボランティアで成り立つ施設や環境、食事の提供場が数えきれないほどたくさんあります。
ボランティアが生活に浸透しており、いくつもの場所で毎日三回の食事提供をしている街は多いです。
田舎街では私のような外国人は目立つので、何度声をかけられて、何食頂いたかわからないほど食べました。
さらに、無償で宿泊させていただく施設も多く、全てボランティアにてお返し、寄付にて自由に支払う形で成り立ち、使用だけして何も見返りがなくても誰も何も咎めたりはしません。
インドは大きな国ですので、場所によって非常に過酷な生活をしている環境もありますが、このように助け合う場所はとても多く、人々の共存の仕方には感銘を受けました。
インドには独自の宗教観や観念がたくさんあるので一概ではありませんが、このような働かないでも生きていける仕組みには縛りがない特徴があり、「働く」意味を各々が理解しているように感じました。
※働くのが嫌いな真意は、【労働が嫌いな人の特徴と教科書】現代社会の気楽な生き方が載っている をどうぞ。
働かないで生きる大切さ
本来、働くというのは自分がしたいからするものだと思います。
お金が欲しければ、何か購入したければ、働けばいい。
お金が欲しければ、必要な分だけ稼げばいい。
お金が要らなければ社会のルールは助けてくれないけれど、人にお願いしたり、恵んでもらったり、助けてもらったり、甘えたり、レールのない上で自ら安心感を作り、幸せを作るのも働きです。
しかし、いつしか経済を循環させるために、私達一人一人は歯車の一つにさせられ、国のためなのか、不安解消のためなのか、政治のためなのか、何のために働いているのかわからなくなることがあります。
「喜びのため、自分が幸せになるため、大切な人に幸せになってもらうため」と、自分にしかわからない目的がなくなると、働く意味がわからなくなります。
インドでは本当に幾度もボランティア施設にお世話になり、寄付金や清掃やお手伝いというお返しにて、食事を頂き、寝泊まりさせてもらいました。
そこでは、「お金」への執着を持つ人はおらず、お金は紙切れではなく、感謝や敬いという神聖な価値や心の表現となり、寄付金を心からお支払いしたい気持ちで一杯でした。
お返しに掃除する際、本当に綺麗にしようと想い、一生懸命キュッキュ働いている自分がいました。
広大で全てが無料の施設にゴミが一つもなかったのは、生活しているインド人が毎日何度も何度も掃除して働き、お返しをしているからでした。
働かないで生きることには、今一度お金と働くことの認識を見直す意味があると考えます。
お金は最大の執着物かもしれません。しかし、捉え方を変えると人を喜ばせる貴重な価値であり、愛そのものになります。
働くのが当たり前なのではなく、働かないと生きていけないのではなく、一体何のために働いているのかを見直すことに、働かないで生きる大切さがあります。
そこにいるのが自分という存在であり、レールのない上で主体的に能動的に幸福を求める姿です。
※働きたくないのは当たり前、「働きたくない」の当たり前とおかしさに向き合う。無理に働かない生き方 をご覧ください。
働かないと生きていけないのはおかしい まとめ
必要な時に必要なだけ。したい時にしたいだけ。
まるでライオンの狩りのように、自然界の摂理のように働くと、必ず際立つのが自分という主体です。
社会のルールで守られなければ、自らが思考して行動する他ありませんので、自然と能動的になります。
働きたいから働くと、余分なお金は他者のため、社会のため、経済のためという考えになっていき、与えられればお返しをしたくなり、人と人の繋がりが作られます。
それが本当の意味での経済循環かもしれません。
人と人が繋がって生きている環境は、思考による仕組みをルールにて縛って維持するものなのかどうか?
今一度考える機会になるのが、「働かないと生きていけない」をおかしいと思うことです。
「働きたくないから働かない」と思っても主体性と能動性がないと、怠惰欲や他を鑑みない個人主義主張になり、恐怖心を誤魔化して逃げ続ける退化になるので、注意も必要です。
おかしいと思う上で自らを主体にして能動的になると、自らの役割も安心感も作り、幸せを作れます。
能動的に幸福を求めるためにも、個々の認識を尊重し、よりお金の意味を知り、働く意味を理解し、人と人の繋がりにて世の中が巡る時なのかもしれません。
そんな考え方が、ご自身の働く意志、または働かないでどう行動するかの意志を明確にする一助となれば幸いです。
それでは、働かないと生きていけない呪縛とおかしさのお話を終了します。
最後までご覧いただきまして、ありがとうございました。
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