『DNAシフトセラピスト養成講座』
・セラピストになりたい方・自己理解を本格的に始めたい方
・専門的に人を癒し、サポートしたい方
著名な心理セラピストとして知られる、西澤裕倖(にしざわひろゆき)先生プロデュース。
PR:株式会社Central&Mission
※本気で人生を変える方専用。
利用価値の高さか、献身性か、はたまた神様なのか。
執着されやすい人の人間としての価値はとても高いものがあります。
その隙を狙うのはハイエナ、もとい、執着する人です。
執着されないためにはどうすればいいのか?
断るべきか、はっきり言うか、それとも徹底的な無視か。
問題の着目点は、執着されるということは自らも執着心があるという、エネルギー同調作用の理解です。
すると対処したいのは相手ではなく、自分そのものだとわかります。
ここでは、根底にある執着される原因を明確にして、改善するべくスピリチュアルな理解をお伝えします。
- 執着される根本原因を知りたい
- 執着されないために何をするべきか考えたい
私自身の体験理解を洞察した内容となっております。
該当する際にはご参考になれば幸いです。
youtubeはこちらをご覧ください。
Contents
執着されやすい原因
執着されやすい原因
執着とは心が囚われること。
「対象そのものに執着しているのでは?」と思えますが、精神的に捉えると見方が変わります。
自分そのものに執着しています。
そのぬいぐるみではなく、職場のあの人ではなく、恋人のこの人でもなく、自分の心。
自分の心は人それぞれに傷、コンプレックス、願望(自己愛)、期待(エゴ)、記憶、忠誠、信念とさまざまにあります。
ストーカーするのは、自らの満たされない心を自己対処できず、満たしてもらえる対象を見つけた時。
「自分の心の不満を取り除きたい、満たしたい」と欲すればするほどターゲットに執着します。
執着する人は自己解決ではなく、他によって自らを満たそうと利用する人であり、精神的自立から遠くかけ離れた状態です。
そのため、自分の心に執着するほど、努力せずに解決してくれる“他”にすがり、しつこく、まとわりつき、離れなくなり、気づけば目を瞑って自分を凝視しています。
怖ろしい状況なので執着されれば怖くて気持ち悪くなり、嫌悪感に拒否感が強まるのが自然です。
このことから、執着されやすい原因がわかります。
「この人なら自分の満たされない心、自分でどうにかする気のない怠惰な心を満たせるかもしれない」と思われていること。
「利用できる」だけでなく、「自分を癒し、不納得をなくし、納得を得られるぞ」と期待されていることを意味します。
ここで少しひねくれを挟みます、ご容赦ください。
執着されやすい人は相手をかまいすぎる
「癒せるぞ、不納得を感じないでいられる、納得すら得られる、くー、やったぜー!」
こんなことができる人は普通ではありません。
女神様かなにかです。
完璧すぎる。
嫌なことでも我慢して、頑張って利益を与え、自己奉仕して献身的に働いているからこそ、これだけの価値になり利得を与えられます。
頑張って身を粉にしてでも執着する人の利得に貢献している。
これは相手をかまわなければできません。
いわゆる、相手の干渉にノル。
相手を接待するかのごとく気にかけ、気を使い、気を配り、嫌な気持ちを与えないように自分の労力と頭脳と精神を削ってでもかまう。
カラスの横をそーっと通るのではなく、「これ、つまらないものですが」ときなこ餅を置いていく。
「あのぉ、野良猫さん、イワシあげるからもう来ないでね」と与えたら、毎日来るようになり、仲間まで連れて来る。
「おい、お前が嫌いなんだよ、もう来んな、ペッ」なんて絶対しない。
相手に嫌な気持ちを与えないように、自分が嫌な気持ちにならないように、大事にせず、露わにせず、
自他共に難を逃れるためのケアがあり、相手のことまでケアしてあげる、その典型が我慢と自己抑圧。
対象が自立から遠く離れた人であればあるほど、かまうことは執着心をあおる行為になりかねず、より執着されてしまいます。
このことから、執着されやすい根本原因の紐解きとなるのが、自他共にかまう在り方です。
ここからスピリチュアルに入ります。
執着されやすいスピリチュアルな原因&仕組み
執着されやすい人のスピリチュアル①:無価値感
ここからは潜在意識にアクセスします。
“かまう”在り方の内情にはこのような気持ちがあります。
「放っておけない、無関心になれない、断れない、嫌な気持ちを与えたくない、自分が嫌なことをしている状態になりたくない」
「認められたい、拒否されたくない、求められたい、自分の価値を自ら認めたい、過去の自分になりたくない」
干渉に干渉で返す“かまう”行為の根底には、自分の価値に虚しくなった経験があると考えられます。
無価値感を味わった記憶、無力を痛感した記憶があればあるほど、私たちの意識は記憶を猛烈に拒否し、虚無化しようとします。
この記憶があるほど、意識は防衛を兼ねて自己愛を強め、自分の価値を見出せる機会があると潜在的に努力します。
これが気使い、気配り、自己犠牲、他者承認を得るための献身、我慢、努力、頑張り。
潜在的に我慢や頑張り、心配して、ケアして、周囲を気にして、自分を抑制して、全て無意識にやってしまい、執着されやすくなります。
執着されやすい根本原因は、無価値感を味わった無力の記憶。
人それぞれにあると思います。
本気で止めようとしたけど眼中になし、あまりに無力、大人二人が暴れる前では何もできず、恐れおののき、ガタガタと奮えて頭を押さえるしかできない虚しさ。
保育園児だった時、私だけ個別に呼び出して執拗に怒鳴り、ブチギレて自分のストレスを解消する保育士の先生を前に、感情を消して放心するしかできない小さな私。
これ以上の例は表現が激しくなるので割愛しますが、強烈な恐怖、本気の抗いが通用しない、一切作用しない、無視、無力、無効。
まるで自分はそこに存在しないかのごとく、言動の無作用を認めざるを得ない現実。
抗い、作用させようと一生懸命の行動は、本気であるほどに周囲の反応によって虚無と化します。
自分のことを無価値で、無力な存在だと思うかどうかではありません。
無価値で無力だと明確に認めた記憶があればあるほど、現実を拒否する空白の期間が魂にできます。
グレー色のモアモアしたのが魂の一部にある、そんなイメージです。
このモアモアをなんとかしようと自己対処する人ほど、自他共にかまう在り方が強まり、執着されやすくなります。
この情景を一言で表すとこうなります。
虚無化したくなる記憶への執着心が強い。
そしてもう一つの原因があります。
執着されやすい人のスピリチュアル②:同情
上述の無価値感の味わいを抗い、自力でなんとかしようと努力する人ほどあらゆる行動を増やし、学び、社会勉強し、向上しようと自らを育み、変化させます。
その時に強まるのが自己防衛意識と自己愛です。
これによって損害回避傾向が強まり、不安と恐怖をとにかく嫌がり避けようとする気持ちになります。
自分を愛さなければ絶望的であるため、対処のためにも自己愛を強め、とにかく自分を護り、大切にしようと働き、時に過剰化(過剰適応)して苦しみます。
自らを虚しい存在だと思うことは自己否定以上に辛いものがあるため、自己愛を強めて心を守り抜こうと頑張ります。
これによって“投影”が起こり、自分と同じ境遇だったり、辛い経験を共有できる人がいると、「可哀想だ」と思いやすくなります。
同情したい気持ちが強まり、同情することは自分を可愛がる効果もあるため、まるで過去の可哀想な自分を見るように対象を見ることも(無意識に)起きます。
同情の根底にあるのは愛。
愛がある人ほど、それが自己愛でもなんでも、その気持ちがある人ほど、弱くて哀れで不憫な人に同情し、執着されやすくなります。
例えば、仕事ができずに困っている人を助けたら、その後は相手から頼んでくるようになった。
いつもあの人のお昼はコンビニ食だからと、一度手作りのお弁当を作っていったら喜んでもらい、その後も作り続けて断れなくなった。
被害者だと泣く子をケアして食費を与えたら、毎月すがるようになり、その内に感謝もせず催促されるようになった。
同情はとっても大切な人間味ある行為ですが、手を出さないことに罪悪を感じてきます。
目の前に痛い思いをしている人がいると、まるで自分が痛いような気がしてきます。
人に無関心になることは、まるで自分が悪い人間のように思えてきます。
同情に自制がないと、自らを半ば強制的に相手と関わらせる縛りにもなりえます。
同情心は執着されやすい原因になります。
※執着されやすい特性は、【執着されやすい人の共通点と特徴と原因】陰性質に解消の兆し をご覧ください。
最大ポイント:執着する・される仕組み
執着されやすい原因が記憶への執着と同情だと知っていただきました。
虚無化したくなる記憶は魂に空白を作ります。
魂とは経験を保管する記憶庫。
空白=小さい気泡というイメージ。
魂の中に小さな気泡がポコポコあり、これがあるほど自分に虚しさを感じてしまい、依存や執着しやすくなります。
ここでお伝えしている執着されやすい人の場合は、ポコポコがたくさんありながら自力で虚しさを対処してきた人であり、だからこそ損害回避や自己愛が強くなり、我慢や頑張りや他のかまいがやめられなくなります。
執着する人とされる人は同じように魂にポコポコがあり、他力に甘んじたら執着し、自力で頑張ったら執着されます。
共に同じように魂に空白が多く、執着心が自然と増えます。
- 魂に空白が多く、他力、発信型(陽)
⇒自分の過去に執着+他人に執着 - 魂に空白が多く、自力、受容型(陰)
⇒自分の過去に執着
共に同じ状況や潜在意識でありながら、他力か自力、凹凸、陰陽の違いがあり、引き寄せ合う同調が生まれます。
魂の空白は無力感や無価値感を味わう要因となるため、潜在的に執着が起こる仕組みです。
この理解にて対処策が見出せます。
※執着しない人の内部事情は、執着しない人のタイプ別特徴12選【サイコパス,回避性依存&悟り】をご覧ください。
執着されない方法
執着されない方法:アプローチは自分の魂
魂の空白ポコポコをなくすことで、執着されなくなります。
魂の空白がなくなると…
- 自他へのかまいをコントロールできる
- 同情をコントロールできる
- 同調がなくなる
…執着されない自分になっている。
ポイントは一つ。
魂の空白をなくすこと。
このために無価値感や無力感を味わった自分そのものが絶対必須になります。
この“過去の自分”が最重要人物。
過去に行きましょう。
執着されないためのファーストステップ:過去の自分とコンタクト
意識というスピリチュアル、少し奇妙な話にお付き合いください。
この自分が魂に空白を作った張本人であり、簡単に言うと現実(という当時のシーン)に拒否感を留めている意識(エゴ)です。
コンタクトするというのは、そのエゴの自分を思い出し、向き合うことを意味します。
実際の行動としては、雑念のないリラックス状態で目を瞑り、過去を思い出し、今の自分から過去の自分にコンタクトします。
魂の空白を解消するためには、当時の自分を今現在の自分と別人物として関わる必要があります。
※意識には時空は存在せず、瞬間瞬間の連続性にて現象の成り立ちがあり、過去の自分と今の自分は事実一緒にはできません
過去の自分とコンタクトするには、客観性が必須です。
過去の自分は記憶を拒否したり、なかったものとしたり、しっかり記憶として認めていません。
※自分にのめり込んでしまうと改善できないので、俯瞰できない場合は俯瞰するための経験やマインドフルネスが先になります
客観視できる場合、次に進みます。
※依存の場合は、【依存されやすい訳と注意点】被依存に疲れてしんどい時の解消法 をご覧ください。
執着されないためのファイナルステップ:記憶の正し
空白の記憶は虚無化したくなる認めがたいものですが、着目は記憶を記憶とすることではありません。
起きたら起きた、現実は現実でしかないので記憶は既にあります。
問題は記憶を拒否する当時のエゴの自分です。
このエゴが執着の元であり、記憶のスタックを作っています。
一度起こったことをなかったようにはできないので、当時の無価値感や無力感を味わった自分を拒否せず、受容することで記憶は正され、執着の元がなくなります。
物事には必ず陰陽二つの捉え方があり、拒否する記憶は嫌で認めたくない部分のみに着目している特徴があります。
今の自分が過去の自分を認めてあげることで、二つの捉え方が複合し、陰陽合わさった現実(中庸とも言う)として魂の記憶に純化します。
今の自分が客観的に過去の自分を認め、労い、温かく迎え入れると、記憶が正しく魂を埋め、執着されなくなります。
「これまでよく頑張ったね、あとは今の私が気楽にやっていくからね」なんて具合です。
出来事一つ一つを今、過去に行って、正す。
魂の空白を正しく埋めれば埋めるほど執着しなくなり、されなくもなります。
記憶が正しく魂を埋めると我慢や頑張りを強要して自分の価値を求めたり、人間関係で見出そうとしなくなり、執着する人に自制なく同情やかまうことがなくなり、線引きをした関りができます。
自他が線引きされると相手側の立場になって関わる余裕ができ、必要に応じて尊重や共感ができます。
こうなると、余裕をもった対応や意識の違いが潜在的に認知され、執着されなくなります。
同調もしなくなるので関わりもなくなります。
(親など魂同士の同調がある人は別)
※執着してくる相手への嫌悪感が強い場合は、【執着される時の対処法】怖い、気持ち悪い関わりの一番重要なこと をご覧ください。
注意点:過去の自分を拒否したまま認めない
着目するのは記憶以上に、当時の自分です。
記憶以上に、無力感や無価値感を味わった自分そのものを見つけ出すことがポイント。
実行は脳内探求ではなく、意識そのものの見つめです。
拒否したり、認めていないエゴの自分に着目するので、このワークをする際にエゴに意識を支配されると拒否した記憶として認めたくなるのでご注意ください。
こうなると、思い出している現在の自分がエゴになり、当時の自分に飲み込まれ、対処も改善もできなくなってしまいます。
再三ですが、自分を客観視できない場合は俯瞰性を育む経験を増やしたり、マインドフルネスが先です。
拒否した記憶として認めると、記憶の一側面だけを見て記憶とする偏りが生まれ、現実そのものではなく自己都合の記憶になるため、執着が強まり、より執着されやすい結末を作りかねません。
さらに、拒否した記憶が増えると自己否定や、自己卑下する自己犠牲精神にも進展します。
過去の自分とコンタクトするのは、記憶を受容するため。
受容とは喜んで迎え入れることであり、今の自分が過去の自分を許し、温かく受け入れてあげる気持ちが重要です。
これが自己愛の見せ場ですので、思う存分に自分を愛してあげる気持ちが大切です。
※執着されなくなると起こる兆しは、【6つの楽しみ】執着を手放した瞬間『別人になる』をご覧ください。
最後に:執着されやすい人のスピリチュアル
スピリチュアルは意識にアプローチするため、着目は目先ではなく奥深くです。
私たちは記憶で構成されており、今という連続を脳が連続として連ねて認識する継続の中で生きています。
しかし、本質的には連続も何もなく、この瞬間に意識は時空の縛りのない中を行き来して、どこに着目するかで現実を見ています。
過去は過去ではなくなり、今からでも過去は変えられます。
その“変える”というのは事実を変えるのではなく、認識を正し、記憶を正すこと。
すなわち、一側面だけでなく陰陽両面から捉えた本質的現実に進化させる統合を意味します。
あらゆる記憶は事実記憶でしかありませんが、私たちは気持ち(というエネルギー)を都度作って生きている生態ですので、記憶には常に気持ちが含まれています。
気持ちには肯定や受容、拒否や抵抗など、現実を現実とする上でのパーセンテージを変える作用幅があります。
これは、今この瞬間でも気持ちを含めて過去の認識を正す方法になります。
未熟だった当時の私たちの記憶の多くは、事実を事実のままに、現実を現実のままにできておらず、その辺りの創作技術はとっても下手です。
だからこそ現在の自分が手を貸してあげられる。
そんな不思議な意識体である人間と、スピリチュアルな理解。
執着されないためのお役立ちとなれば幸いです。
最後までありがとうございました。
『心理とスピリチュアルの学び場』
誰しもに人生を変える機会と選択があると信じています。著名な心理セラピストとして知られる、西澤裕倖(にしざわひろゆき)先生プロデュース。
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※これは長期的に本気で変わりたい方専用です。
毎回楽しく読んでます。心が弱った時、律したい時にとても効きます。
執着されやすい気がして興味をもって読みました。確かに過去、「誰かに必要とされないと無価値だ」と思ったことがありました。そこでそのときの自分とコンタクトをとってみると、すでにそのときの自分を受容していました。
つまりもう執着されやすい人から脱却していたのです。
しかしそこで最近の自分を振り返ると、執着(?)されない、頼られないとちょっと気になってしまう自分がときどきいるのです。
基本自分で調べもしないですぐに聞いてくる人にはうんざりしているし、そういう態度を出してしまうのですが、聞かれなくなると態度に出しすぎたかなと思ってしまって、また聞かれるとちょっとほっとしたりするときもあるような…
この状態はいったい何が起こっているのでしょうか?