人生哲学

どん底を経験した人が得る二種類の強さ【選択は絶望のどん底散歩】

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人それぞれに苦難や苦労を経験し、成長や見失い、余裕に心狭さを得ます。

そんな中でも、どん底を経験した人は一線を越えた特徴的な人間性が表れます。

「どん底を経験した人は強い」

実際に経験した人と出会うと体感する明白な事実かと思います。

強さは二種類あります。

私が海外を旅して周っていた際、ある時を境に、出会う人がどん底を経験した人が多くなりました。全員海外の人です。

共通で明確な強さが一つ、選択によって分かれた人それぞれの強さが一つ、計二つを持っていました。

ここでは、強さの紐解きをお伝えし、苦労や困難の経験を役立てるための一助とすることを目的にします。

どん底にある死、失、空の意味。

ご自身の強さを明確にする機会となれば幸いです。

どん底を経験した人は強い

woman swimming underwater

どん底を経験した人とは?

どん底という表現には、一つの核があります。

底に共通概念はないことです。

本人にとっての底。それ以外の例外はおそらくありません。

この上で、どん底を経験した人には共通があります。

どん底を経験した人とは絶望を経験した人。

 

自分を消せる人がどん底に行く

末端へ辿り着くと、何の欲もなくなり望みがゼロ、完全に消えます。

絶望に辿り着く前は欲があり、「助かりたい」「笑いたい」「喜びたい」「嫌がりたい」「うまくいきたい」「なんとかしたい」と願望を抱くことができます。

これらをしたくてもできなくなると絶望。人それぞれのどん底です。

苦労や困難の種類は多岐に渡り、健康面、経済面、精神面、心理面、社会面にあり、全ては自分に喜びがない状態を表すと思います。

これがどん底へ近付いていくと、喜びを見出す自分がいなくなっていき、底に付くとパッ、自分が消えます。

底へ向かえば自分が消えるのでも、自分が消えていくから底へ向かうのでもありません。

最後は自分で自分を消せるかどうかにて、底に付くかどうかが決まります。

底に付く表現、自分が消えているのに付いたと思えるのか?疑問かもしれません。

底に付く時、完全なる自分の認知が起きます。

 

どん底とは、欲との戦いの終焉

どん底へ向かうとは、自分を見失う方向へ突き進みながら、自分を理解する方向へ同時に進んでいるという理解です。

どん底へ向かえば向かうほど、私達人間は心理的に欲求と願望を強めてあらがおうとします。

不安と恐怖が増すために、拒否して抵抗してあらがおうともします。

ここにいるのは紛れもない自分です。

「ああしたい」「こうしたい」「こうなればいい」「でもああなっても欲しい」という多数の自分がわんさかわんさか、ポンポン生み出されているように。

困難や苦痛が増えるに連れ、あらゆる自分が交錯して紛らわしくなり見失っていきますが、その状態を見ている一人の自分はジーッと状況を観察しています。

どん底に辿り着いた時、多数いた自分がシュン、一人になります。観察していた自分、欲も願望もない自分だけになります。

ここで起きているのは喪失だと思うかもしれませんが、実は完全なる自己認知。自分の理解です。

どん底へ向かう道中の欲との戦い、思い通りにしようという他を引き込んだ認識や、他の存在を利用した自らの行為を知らせ、戦う気力がなくなる絶望状態になることで自然と終焉を迎えます。

どん底、絶望を経験した人は、欲だらけと欲がない状態を知る機会を得ます。

どん底を経験した人とは、自分を知った人です。

 

どん底を経験した人の強さとは?

絶望がどうして強さになるのか?

苦労や困難が蓄積していくと起きるのは苦痛。不安や恐怖です。

苦痛、危険、拒否、これらも全て恐怖

恐怖に耐えたり、対処したりができなくなればなるほどに底へ向かい、苦しみが増えていきます。

困難とは恐怖との対峙を意味します。

恐怖は他者からの影響や自らのいる環境など、あらゆる“他”との関わりによって味わうことが多いと思いますが、嫌がるかどうかは、現実を認められるか否かの自分に全てかかっています。

恐怖とは受け入れない拒否、嫌がる拒否、あらがう拒否を意味し、拒否する自分を他の影響にて引き出されても、最終的に拒否するか否かは本人しか決められません。

困難な出来事と直面した時に起きているのは、自らの拒否を継続するか止めるかの行為となり、自らの恐怖と戦い続けるか否かになります。

他の影響にて勃発した自分の中での戦争状態。欲によって苦しみを解消しようと、苦しみを作る自分を打ちのめします。

 

どん底への道中はバトル続き

欲望 vs 欲望

苦しみを解消するためには恐怖を消そうとします。恐怖である自分の拒否と、恐怖を嫌がる自分の拒否が戦います。

自分 vs 自分

戦いが長引く(困難が多い)ほどに、恐怖との戦いによる経験値ゲット。恐怖に対する免疫力向上です。

恐怖とは誰しもが嫌がるものであり、拒否するシチュエーションで必ず現れる自分自身です。

逃げて見なかったことにしたり、誤魔化したり、偽ったりする自分と対峙する経験値にてメンタル的強さを得続けます。

これがどん底を経験した人の強さか?と言うと、違います。

 

どん底を経験した人の強さ一覧

どん底へ向かえば向かうほど逃げられなくなるため、恐怖との戦いが激化します。

戦いの末、どん底に辿り着くかどうかにて強さの大きな違いが表れます。

  • 底に辿り着かない強さ・・・恐怖に対する免疫力アップ
  • 底に辿り着いた強さ・・・恐怖の受け入れ

両者の強さは雲泥の差があります。

どん底を経験している人の場合、底に辿り着いた強さになります。

どん底へ向かう戦いの戦歴、経験、恐怖の受け入れによって得る強さがいくつかあります。

どん底を経験している人の強さ
  1. 自分を知る
  2. どん底を受け入れて光へ向かう
  3. どん底を受け入れて闇が味方になる

自分を知る過程で、自分との戦いの行く末が受け入れとなり、光へ向かうか闇と仲良くなるかが分かれ、人によって強さの種類が変わります。

※強い人の特徴は、本当に強い人の特徴はシンプル。肉体もメンタルも超越した地球の姿 をご覧ください。

 

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どん底を経験している人の強さ 種類

①どん底を経験した人の共通した強さ

一つ目の強さは、自分を知ることでの力です。

自己理解にある強さは、悩みや焦りがなくなり、冷静に判断して対処できます。

自らの意見を持ち、主体性や能動性、自律や自責を持ち、欲を見極めて自らのために欲求する動力となり生命力となります。

自然と醸し出されるのが自信であり自尊です。

私達人間は自らを知っていると思っていても、自分ではなく自己概念(思い込みや決め付けや自分ルール)で、家族や身近な人の方が客観的に見れるので理解度が高かったり、なんてこともあります。

自己内観力が高く、内側からの理解が育まれている人でも、外側からの見られ方など、外部からの自分については知り難かったりします。

自己認識力と共に他者認識力が大きく関わり、どれほど客観的に俯瞰的に、より詳細に自分を知っているかどうかが関わります。

欲がある、欲がない自分を知った経験は、内側からだけでなく、客観的に自らを理解する状態となり、別人目線で自らを認識する状態が起きます。

それが困難によるどん底の恩恵です。

認識力の高まりによる強さは、リーダーや全体を統括する人としての能力にもなり、どん底経験者は自律と自責にて自立を養うことも、行動にて可能になりやすくなります。

自分の確立度が上がり、自信と自尊を持って独自の認識を基に主体的に動く。これが強さの一つ目です。

 

番外編:恐怖に勝った強さ

どん底を受け入れた強さをお伝えする前に、わかりやすくなると思うので、受け入れずに勝った際の強さをご覧ください。

恐怖に勝つと疑いようのない自信と自尊が表れます。

堂々とした在り方となり、自らの抑制や我慢を撤廃して解放的に生き、臆病や控えめな様がなくなり、勇気とやる気を持って行動できます。

恐怖に勝たずとも困難の経験が多いことで培う強さでもあり、困難を乗り越えた勝者には大きな自負が、王冠というアイテムのようにもたらされます。

この強い様、剣を振りかざす力なり。

そこである鼻垂れ小僧が言いました。
「恐怖に勝ったって、じゃあ誰が負けたの?」

子供はよく核を突きます。心臓ズブリ。

自分に勝って、自分に負けました。

どういうことでしょうか?

自分自身で、「私は強い」とは思えないということです。

恐怖に勝った強さは、他者との比較でのみ強さを見出すことができます。必ず自分と他者の比較にて自負が起き、自信を自覚し、自尊を見出します。

優越、劣等が必須のルール上の強さです。

 

②どん底を受け入れた強さ:光編

それでは受け入れによる強さ、まずは光サイドの力です。

受け入れは、自分に勝ちも負けもしていません。

起きたのは恐怖という拒否、自分の拒否でありあらがい、怖いものを認めたくないという自分の受け入れ。

恐怖の正体を知ったことでの強さです。

どん底である絶望に一定時間以上浸かっているため、絶望の意味を知っている人が多いです。

何にも対処できない困難に見舞われて奈落に落ちるかの如く絶望感、欲を超えて、欲がない状態を認知します。

ボーッと喪失状態ですが、ここに身を浸からせることはそのまま自己認識を深めて、恐怖と絶望、そしてどん底を味わい探索する時間になります。

自分の中にある闇のどん底散歩です。

 

どん底散歩すると光を知る道が表れる

しっかりどん底に付いた人には、恐怖を受け入れるか死ぬか(意識としての生死)の選択が起きます。

生を選ぶ場合、人によって二つの道に分かれます。

  1. 恐怖の向こう側にある光(愛)を知る
  2. 恐怖に身を投じて闇(恐怖)と仲良くなる

光の場合には、これまでのあらがいの自分が闇であった認知と共に、成長した自分として飛び立とうと、先へ進む行動に入ります。

困難の痛みを学び、自己認識が高まると同時に他者認識力へ向かいます。

強さは優しさとなり、人を敬い想う愛を自分の中から認めます。

受け入れることで執着や依存を手放し、自らの力で物事を創り切り開く強さを得て、他者の立場や目線で物事を見る俯瞰的な認識力が加わり、視野がとても広くなります。

現実を受け入れて過ごすことは自然と成長と向上の日々になり、「苦労=苦労できる経験」として起きる事実を受け入れるために、苦労を苦労と思わなくなります。

「闇の裏側は光(恐怖の反対は愛)」という理解があり、どん底を歩いていたら光サイドに辿り着いたので、喜びを自ら作る羽ばたきになった、というまるで昔ばなしのような童話です。

闇の理解による痛みの学びがあり、光に入り自他共への優しさと敬いの愛がもたらされます。

※精神的に強い人の話は、精神的に強い人は自己中じゃないと│特徴からわかるメンタル強化の内道 をご覧ください。

 

③どん底を受け入れた強さ:闇編

もう一つの強さは、どん底散歩で向かう道が闇の奥深く。

自らの闇を受け入れて喜んで恐怖を味わうようになります。

一見、極悪人のようになりますが、根っからの極悪人になります。

恐怖に喜びを感じるようになり、強さの象徴となるのが恐怖を味方にする様です。

他者が苦労しようと当たり前だと思い、恐怖の理解促進を喜ぶ違った形の愛、ブラックラブが出ます。

恐怖サイドに身を投じることができるのは、恐れがなくなるようなものですので、明確な強さとなります。

光が良いか闇が良いかは本人にしかわかりませんが、闇は極端に恐怖になるため、恐怖を広げる存在となります。

恐怖が味方になることでどんな困難でも乗り越える力となり、苦労を苦労とも思わない様が表れます。

 

どん底散歩で闇の奥へ向かうと、なんと光が

恐怖を受け入れて仲良くなると、どん底は近所になっていきます。

すると絶望の理解が促進され、光の道を選ばずとも絶望は闇と光の共存世界だと知る日がやってきます。

歩き続けていると自然と光に辿り着いてしまう世界。困難が多ければ多いほど、恐怖を受け入れれば受け入れるほどに、最終的には光の存在になったりします。

闇と光、恐怖と愛は常に繋がっています。

どん底を経験した人の強さは、自分の中にある闇と光を両方認めることでの認識力です。

闇に向かうと少し遠回りになりますが、経験と力の育みとなり、陰陽共に理解するようにいつの日か自己理解が深まり、恐怖に対するより大きな強さを得る結果になります。

とんでもない極悪人がどん底を極めると天使になったという、まるで西洋の童話です。

 

どん底を経験した人は強い まとめ

経験した際には本人の真意である人間性が表れるかもしれません。

光が善、闇が悪、善が良いのか悪が悪いのか、この世での共通認識となるルールでしかありませんので、お金を価値あると思うか否かが時代によって変わることと同じで、儚くもろいものです。

光でも闇でも自分を知るという意味ある経験となり、人間として変わることのない自己理解を深める価値となるのではないかと思います。

どん底はそういった二極化を教える人間の深みの理解となり、辿り着く経験をするかしないかではなく、させてもらえるかどうかなのかもしれません。

どん底を味わうには自らの欲の大きさ、拒否の大きさ、共に欲望の多さが大きく関わりますが、他者の影響や存在が重要ですので、自らだけではなんとも起こせない絶望への道だったりします。

経験できることは一歩認識を変えれば死ですが、その選択にも本人にとっての意味があり、絶望の道を創作した周囲の人々にも意味があるのかもしれません。

強さとは自らだけでなく他者も含めた合わせ技として、自他共に作り育むかどうかの認識にて、現状の経験の活用方法が変わります。

どれほど自分を、どん底にしてくれた周囲を受け入れ認めるか。

経験している以上はいつでもどこでも強さに変わります。

どん底は良いとこか悪いとこか?

「どっちでもいいよね、結局自分のためになるんだから」

そんな話なのかもしれません。

闇サイドなのに闇を喜ぶことを善としない概念が、経験を強さにしない引っ掛かりになっている人もいますので、ご自身の強さを明確にするための内容であれば幸いです。

それでは、どん底を経験した人の強さについてのお話を終了します。

最後までご覧いただきまして、ありがとうございました。

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