対処・解消法

【直感も理論も不要】波長が合わない人は直ぐわかる『大事な存在理由がある』

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【カタカムナ診断で自分を知る】

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波長が合わない人はどれだけ合わせようとしても合いません。

合わせようと自らをひん曲げることで苦しみが増し、より合わなくなります。

しかし、合わなくても関わらざるを得ない現実があり、関わりたい人とだけ関わっていればいい、という訳にもいかなそうです。

一体どうすればいいのか?

そんな時は、不合致を明確に見分け、ストレスのない関わり方にステップアップする大切さがあります。

ここでは、波長が合わない本質的な意味を深掘りし、『合わない』を活かす捉え方をお伝えします。

  • 合わない人の見分け方を知りたい
  • 合わない人とストレスなく関わる方法を知りたい

実はとっても大切な存在…!?

考え方にて見える世界は変わりますので、一つの考え方としてお役立ちできれば幸いです。

リアリティのディテールを探求していきましょう。

ちなみに、Youtubeもあります。

波長が合わない人は直ぐわかる

波長が合わない人の特徴

なんでも
なんでも
初めに、どんな人が合わないのか特徴をまとめてご覧ください。
波長が合わない人の特徴
  1. 肌感覚が合わない
  2. ノリ、リズム、テンポが違う
  3. タイミングが笑えるほど合わない
  4. 会話するほどにつまらないと感じる
  5. 一緒にいるとエネルギー衰退、ドッと疲れる
  6. 気を使うが、気を使いたくないので嫌悪感増し
  7. 見る、近くにいると体調悪化、同じ空間にいたくない
  8. 潜在的拒否感、生理的に苦手、イライラする
  9. 感情が露わになりやすく、自制が必要になる
  10. 反発したくなる、聞く耳を持ちたくない
  11. 理解できるが、共感したくない
  12. 関わると自分の性格が悪くなる
  13. 喜んで欲しくない、嬉しそうな顔を見たくない
  14. 真逆の価値観、理解しようとしてもできない
  15. 価値観が似ていても、動機や目的や意味が違い過ぎる
  16. 物事の理解度、解像度が違い、話しが嚙み合わない
  17. 欲を持つ目的、意味、欲の矛先が違う
  18. 合わせる気にならない

これらの特徴は、一つに集約できます。

物事を捉える角度、箇所、量、質、深さ、領域など、“認識”がとにかくかけ離れて違う。

※認識する…見る、考える、感じる、評価する、判断すること

認識のベクトル(または解像度、ステージ、段階)が違うことを意味します。

それは政治家と国民の違いのよう。

見ている世界が違うだけでなく、その世界のディテール、デザイン、プロデュース、見据える未来も求める道も、どうしてそれが必要かの見方も違う。

なにより、どういう世界を生きているか、生きたいかが違う。

波長が合わない人とは、自分と真逆の人です。

真反対に位置するほどかけ離れた人であり、その根本理由となるのが認識ベクトルの違いです。

この内容は、認識のベクトル=解像度・ステージ・段階も含めた意味としてお伝えします。

 

波長が合わない人は直ぐにわかる

なんでも
なんでも
認識のベクトルが違うと、表層は似ているとしても内面や本質が本当に何もかも違くなります。

自分と最も真逆に位置する人であるため、「うん、この人は合わない」と直ぐにわかります。

最も真逆に位置するとは、陰タイプであれば陽タイプ、凸型であれば凹型、発信タイプと受信タイプ、光と闇、安心と恐怖、愛とエゴ、現実を生きる人と疑似現実を生きる人。

個性があればその真逆、個性がないという個性であればその真逆。

肉食とヴィーガンではなく、性格や家庭環境や常識といった価値観の違い以上に、

自己そのものの在り方、構造、意識(精神)が真反対である人ほど、波長が合わない人。

どうしてこれによって直ぐわかるのか、理由はシンプルです

否定(拒否)したくなります。

どれだけ正しいことを言っても、賛同しないことを欲します。

理解できても共感したくない、そんな「否定したい」という欲が自然に出てきます。

波長が合わない人とは、「この人を否定(拒否)したい」と欲する自分になる対象です。

「合わないものは合わない」と大いに認められる対象です。

 

合わない人には『否定(拒否)したい欲』が出る

なんでも
なんでも
『否定や拒否したい欲』と似て非なるものが、拒否感です。

“拒否感”は恐怖心から生まれる感情。

精神的に捉えると、善悪で言う“悪”、光と闇で言う“闇”に属する気持ちです。

『否定したい欲』は悪でも闇でもなく、自己愛に基づく欲であるのが大きな特徴です。

ピンク色で棘ボーボーみたいな欲。

可愛い犬だと思ったら、顔が牛みたいなイメージです。

拒否感であれば反発や嫌悪を抱きながら、悪の心になることへの罪悪や後ろめたさを感じる人もおり、拒否を抱く自分を認めたくない気持ちになりやすいです。

しかし、欲であり、否定する自分を大いに肯定したくなるのが合わない状態

オオ拒否が起きます、その自分を褒め称えたいくらいに。

なぜか、理由がわからないとしても自然に否定したくなり、その状態の自分になることに大きな花丸が出る。

本当に直ぐわかります。

否定や拒否したい欲がエゴによる我欲のパターンがあり、これは別物です。
※我欲は他によって自らの利益を得ようとする邪

我欲は相手ではなく自分が合わないので、問題が自分にある状態です。

例:自分を正当化するために相手を否定、優越するために否定、劣等させるために否定、現実から目を背けるために拒否、認めなければいけないとわかっているけどできないので拒否して誤魔化すなど

 

波長が合わない人の見分け方&大事な存在理由

波長が合わない人は根本的に『自分』が違う

なんでも
なんでも
何が違うか、根本をより明確にすると見分けやすくなるので深掘りします。

波長が合わないのはそもそも認識のスタイルやパターンが違う、ということではありません。

認識の基である『自分』の認識が違う意味です。

少しわかりにくいので、例を出します。

例えば、牧場の牛を見ている二人。

1:「今日も牛はのんびり穏やかだね」

2:「美味そう…ゴックン」

片方は、牛そのものを見る自分の解釈を見ています。

もう片方は、牛そのものを見る自分の欲を見ています。

両者は同じように『自分』を持っており、価値観は合わないかもしれませんが波長が合わないかどうかはまだわかりません。

牛そのものを食べたいと思っていない人は、その後に牛のミルクで作ったアイスクリームを食べたいと思うかもしれないので本質的に同じ欲に基づき、むしろ合うかもしれません。

波長が合わない場合はこうです。

1:「今日も牛さんは穏やかに生きているね」

2:「うん、今日の晩御飯はサーロインステーキにしよう」

1:「む?あの牛はポメラニオン星出身で、実際には人間より遥かに知能に優れており、食べられるのは本来人間であるはずなんだ」と言い返す。

2:「ほ?今日はポメラニアン牛のサーロインステーキってことか、食べりゃ同じか」

肉食とヴィーガンは合わないと言う以上に、他を見て自を見ているか、自のみを見ているか。

場合によっては、「あぁ牛さんの意識がぱぴぷぺぽ」と他のみを見ている場合もあります。

物事や出来事をどのように捉え、解釈し、理解しているかによって『自分』の認識がわかります。

自分の認識例
  1. 他を見て自を見る自分
  2. 自のみを見る自分
  3. 他のみを見る自分
  4. 自を手放して全を見る
    (悟り人なので別枠)

『自分』の認識が違うと根本的に自己愛の在る意味が変わり、認識全てが変わります。

例えば、自分そのものを満たすために自己を認識する場合は自我が強くなり、自己愛を満たしやすく、自己中心的になりやすいなど傾向もできます。

他を見て自分を認識する場合、気使いが増え、見栄えや体裁を気にするなど、他者承認欲求が強くなりやすい。

他のみを見る場合、ChatGPTのようになり、一方で献身的で奉仕的な優しい人になりやすい。

『自分』の認識が違うことで、欲も価値観も観念も、意味も目的も矛先も違ってきます。

さらに精神的な陰陽、男性性女性性、光と闇、安心と恐怖など、対局度合いが増せば増すほど波長の合わないらしさがより構築されていきます。

生きている意味も存在する理由も違い、話は合うはずがないほど。

同じものでも見ている箇所も角度も広さも深さも全て違い、もし行動一つ一つを掘り下げたりしたら本当にめんどくさいことになります。

「私たちって本当にあの同じみかん見てた?」
「話聞いてる?聞くって意味わかる?耳ついてる?」
「同じ目?プラスチックじゃないよね?」

なんて本気で思えてくる。

気になるポイントが大量に出てきて処理が追いつきません。

相手のことを考えるほどに脳がパンク、疲れる、納得いかない、理解できない、意味がわからない、一生わかり得ない感覚。

自分を正当化するためではなく、「それ違うでしょ」と否定したくなり、それが社会的に正だとしても「はぃやぁ?」の気持ちでいっぱい。

波長が合わない人は全く違う世界で、それは本当の意味で違う世界で、違う角度、箇所を見つめています。

これによって物事の解釈、理解度、解像度の差異、人によってはレベルやステージの違いが顕著になります。

 

合わない人の見分け方

なんでも
なんでも
直感も理論も要りません、シンプルにこれを把握しておくとお役立ちになると思います。

見分けるのはとっても大切。

見分け方は、相手から嫌われると嬉しくなるかどうか

嫌われて嬉しくなる、そんな相手が波長が合わない人です。

一般的に、誰かに嫌われることを恐れる人は多いと思います。

自分の存在価値が低くなったような、寂しさや無価値観を感じ、不安や恐怖で認めたくない気持ちが溢れる。

しかし、波長が合わない人には『否定したい欲』が出るため、嫌われるのは有難いことでしかありません。

嫌ってもらえると自己愛が喜びます。

嬉しくて、笑顔が溢れ、ニヤニヤが止まらないかもしれません。

嬉しさでないとしても軽さ、気楽さ、心がスーっと爽快な気持ちになります。

もし嫌悪が露わになっていない仮面関係だとしても、「この人から嫌われたらどう感じる?」と自問して笑顔になったら、それが合わない人です。

控え目に感じる人もいますが、クリアなイメージ。

一人、山の中にいたら大いに喜んでいる、その日あった素敵な出来事の一つ。

波長が合わない人は嫌ってもらえると嬉しくなる対象、これが見分けになるという考え方です。

正確にお伝えすると、嫌われて嬉しいのは思考ではなく、『感じ』

「思うのではなく感じるかどうか」

頭ではなく心が温かい、軽くなる、そんなサインを目印にされてみてください。

 

大切な存在理由

なんでも
なんでも
両者にとって大切な存在になるのが、波長が合わない人です。

自分と最も真反対に位置する人間と出会える私たちは、幸運者だと思います。

合わないと感じ、否定したいと自然に欲することは、「否定するなんてダメだ、止めなければ」といった強制や強要を課さない限り、自動的に合わないことを認められます。

合わないと認められることは、その人とは全く違う自分が存在していると思いっきり認知している自分がいる意味です。

自己受容。

合わないと認めることで自己受容が自然に、意図せずに成される。

認めるほどに自己が確立する自然な作用です。

だからこそ、嫌ってもらえることは自分そのものを大事にしている証拠になります

受容し、「この私がいいんだ」とはっきり思える瞬間でもあり、嫌われたら感謝したくなる人もいると思います。

「この人、合わんなぁ」と思う度に、逆説的に自分の存在がクリアになっており、自己受容も成されている。

『自分』が確立していくほどに、関わっても動じにくく、影響を受けにくくなります。

素直に事実を認めると相手の言動に反応する必要がなくなり、意見を受け入れる必要もなくなります。

受け入れられないものは受け入れられない。

「なんせ合わないものは合わない」と明確な自己がそこにいます。

わざわざ、「それは納得いかない」なんて思う必要はなく、「はい、そうですか、それじゃあ全体の意見も含めてこうしましょう」と社交的に流すこともできます。

なんせ、合わないものは合わないんです。

 

注意点➀:波長ではない不合致

なんでも
なんでも
勘違いしやすい気をつけたい点が二つあるので最後にお伝えします。

『波長が合わない』を主旨にしてきたのには訳があります。

これまでお伝えしたのは、意識(精神)に基づく自分の根本認識が相手と著しくズレ散らかしている状態。

表層的な『合わない』とは別物になります

表層的な不合致は、相手の態度が悪い、今日の私は機嫌が悪いを初め、価値観や性格やメンタル要因による不納得や不満足で日常的に起きます。

いわゆる、相手を知らない、自分を知らないことで起きる不合致です。

波長という内面的、本質的な合わないさまは、相手を知る必要がない、かつ自分を知っているからこそ起きています。

表層的な合わないさまは、嫌われて嬉しくなりません。

見つめたいのは相手ではなく自分の可能性があります。

「合わないから関わらない」も大切な選択ですが、もし選択を間違えると認識を狭め、経験値を減らす損害回避、誤魔化し、自分からの逃避にもなりえます。

抵抗を感じても、何が合わないかを見極め、時と場合に応じて関わることも大事な選択肢の一つになります。

 

注意点➁:我慢は禁物(合わないものは合わない)

なんでも
なんでも
波長の合う・合わないは、波動のそれとは違います。

関わっている時点で波動は合っている状態を意味します。

振動数が合っているからこそ関わりが起きます。

しかし、波動の振動域や波のリズム、周期が合わないのが波長の合わない人です。

合わない人ほど振動域が末端と末端、リズムがパラパラとアフリカの黒魔術パーカッション、ポップミュージックと神様の降臨時に鳴り響く共振ほど違います。

そのため、合わせようと我慢するほどに物事はおかしくなります

努力は大切ですが、我慢は要りません。

特に波長が合わない人に対する我慢は本気で要りません。

もし合わせてしまったら、合わせることができてしまったら、自分という存在は抹消します。

精神がゴボウ化し、記憶をなくしたように別物の何かに成り果て、土にチョンとして動かなくなります。

相手に合わせようと頑張ると自我が壊れる可能性があり、『自分』そのものを歪める行為になります。

関わるのであれば、自分を我慢させるのは厳禁です。

成長のため、学びのためなど理由を持ったり、いなすように流し、適当に褒めて面倒を避けるなど、自分を持った上で上手に扱うことが大切です。

心から、本質から、根底から違い、合わせる必要のないことを“気持ち”が教えてくれていますので、「合わない」と認めるのは必須です。

その上で、関わる場合には関わる選択が大切です。

波長が合わない人と関わることは、この世で最もコミュニケーションスキルを高める学び場そのものであり、大学講義以上の価値があるとかないとかあるとか。

この地球で最も自分と相容れない存在であり、相容れることができない存在と上手にそつなく関われる人は、コミュニケーションのプロと名乗っていいと思います。

それくらい大切な存在、ですが、合わないものは合いませんので、お忘れなく。

 

最後に:波長が合わない人は直ぐわかる

嫌われて嬉しいなんて変な気持ちかもしれませんが、素直になってみてください。

嫌われることがこんなに嬉しいものなんて、新しい感覚を大いに解放していきましょう。

嫌われる、これは自分の存在証明です。

自己受容が促される自然な作用、人間が関わる意味の多様性をうたう陰陽の構造意義であり、人と人は常識やルールの介入しない幅広い存在である物語り。

重要なのは、自分に素直になることで開かれる気持ち。

それを一切拒否せず認めること。

その先に答えがあります。

素直な気持ちで合わない、これはもう合わない、これ以上も以下もありません。

しかし、合わなくてもなんだか関わった方がいいような、耳を傾けた方がいい、乗り越えた方がいい気が少しでもするならば、それは波長ではない何か別の合わない状態が考えられます。

嫌われる勇気も大切ですが、嫌われる気持ちを素直に見つめる自分は本当に本当に大切です。

「嫌われたっていいじゃない」と思える対象もいますが、「嫌われた!やったー!」と思える対象もいる。

とにもかくにも事実、現実を認めて初めてこの世の本質が見えてきます。

事実が見えることは自分に認められた自分が存在する世界にいるさま。

その世界では他者との線引きはもとい、自らの抑制、我慢を不要とし、それを無作為とします。

合わないものは合わない。

これを念頭に、本当に合わないかどうかを見分け、関わりの浅深を見つめ、存在の大切さを把握されてみてください。

そのための一つのご参考になれば幸いです。

ありがとうございました。

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