「あのー」
「…」
「あれぇ、聞こえてないんだ、私の声」
「あっ、こっちに来る、気付いたのかな?」
ドンッ
「いてっ、この人、私が見えてない…!」
影が薄い、存在感がない人。
存在感があればあるで困ることもありますが、なければないで困ることもあります。
あんまりないもんで自分の存在すら疑う、なんてこともあるかもしれません。
私自身、存在感を消して生きていた時期が長いことあります。それが恒常化することで、「結構大きな声で言ってるつもりなんだけど、聞こえないんかな?」と不思議に思うに至っていました。
ですが、消す行為をやめた時、存在感がない原因がよーくわかりました。
そんな理解から洞察すると見える、影が薄い人の特徴と、存在感の正体からわかる考え方が、お役立ちできることを願います。
Contents
影が薄い人の特徴

影が薄い人の特徴12選
初めに特徴を順番に見ていき、存在感の正体を少しずつ明確にしていきたいと思います。
1、自分を露わにしたくない
自らを露呈することを止める何かを持っています。
何かとは、評価される、判断される、否定される、褒められる、観察される、見つめられるなど、あらゆる存在認知される行為に対する“拒否”。
自分を認めず、他者を認めない特徴で、言い方を変えると、「認める」という行為をあえてした経験が少ないです。
2、Noの使用頻度が高い
「いいえ、結構です」「要りません」「行きません」「お断りします」
断りや非賛同が多く、癖のようになっている人もいます。
すると、「いや、でも、しかし」が発言の冒頭に来る口癖にも。
3、自己表現、感情表現が得意ではない
自分の内側にあるものの認知が乏しく、表現が上手ではありません。
思考しても何を考えていたか流す、感情が湧き上がっても自覚する行程をスキップ、なんてことに。
表現するための材料が少ない特徴で、思い出した時に細部のディテールがなくなる傾向です。
4、情報発信意識が薄い
自ら何かを発しない特徴です。
それは経験値の少なさ。受動的で受け身の歴史が長く、他に影響を与え、創り出し、発する経験が少ないです。
5、自己認識を控えぎみ
無意識の場合が多いと思いますが、認識を深めて自分を知ろうとする意欲を自ら抑えることがあります。
言い方を変えると、自分を知らないことですが、これは自分を知りたくないこととも考えられます。
6、自分を愛していない
愛していないではなく、自分を好きではない人もおり、もはや嫌いという矛盾の中にいる人も。
これは記憶の中で生きている特徴で、今を生きず、過去の強い衝動や忘れられない記憶に留まっている可能性があります。
7、変化を求めずフラット好き
当たり障りなく、ツーっと一本線が横ばい、上限変動がなくフラットで真っ直ぐ。
衝動や突発、怒りに喜び、憎悪に癒しと、物事に変化が及ぶこと以上に、一定で変わらない日常を求めます。
8、他者認識がなく、共有概念がない
他者の立場から物事を考えたり、見たり、感じたり。そういった他者認識の目線がない特徴です。
自ら発信することも少なく、他者の理解意欲も少ないので、共有概念がなくなる人もいます。
9、他者に興味がない正直者
興味・関心への自らの意識に正直です。
私達人間は自分以外の他者に本当に興味がある人は超レア系ですが、常識や体裁、他者の目や評価や反応を重要視して、安泰や保身、不安や恐怖回避のために取り繕うことをします。
が、影が薄い人は他者との関わりには真っ直ぐと自己表現します。
「飲み会?めんどくせぇ、行くわけないっしょ」と正直。
10、守りは徹底している
自己防衛意識が高く、盾装備レベル高めです。
「そんなでかいの持ってんの?!」と言わざるを得ないほど、盾がでかくて頑丈、あっぱれ。
このことによって思考過多になりがちで、空想や妄想の世界に入りやすい特徴もあります。
11、攻撃性のない平和主義者
装備は常に盾のみ。ここには攻撃性のない人間性が表れます。
護ることが主体なので、攻撃をされると傷つきやすく、相手を滅ぼして対処しようとはせず、とにかく盾で防御します。
それが拒否、Noです。
嫌味や蔑みで、「きみって影薄いよね」と攻撃してくる輩に対しても盾で対処しますが、攻撃性のあるクズ、あ、失礼しました。カスが多いと、自己防衛は一時的な特殊部隊要請となり、盾でボコボコ殴ることもします。
ですが、これは攻撃意志ではなく、身を護るために相手を抑えるやむを得ない行為で、根が平和主義者です。
12、自己疑念が強い
最後の特徴です。
他者を疑う以上に自らをまず疑います。
「あのぉ」とお店や道端の人に声をかけても聞こえない。そんな時に、「この人耳悪いのかな」とは思わず、まず先に、「私の声って小さいのかな?透明な声とかあんの?」と自らを疑問視します。
自己疑念が強ければ強いほどに、影の濃さや存在感として影響があり、まるで身体が半透明かのように思うことも。
以上が影が薄い人の特徴でした。
影が薄い人の特徴 一覧
上述の特徴一覧です。
- 自分を露わにしたくない
- Noの使用頻度が高い
- 自己表現、感情表現が得意ではない
- 情報発信意識が薄い
- 自己認識を控えぎみ
- 自分を愛していない
- 変化を求めずフラット好き
- 他者認識がなく、共有概念がない
- 他者に興味がない正直者
- 守りは徹底している
- 攻撃性のない平和主義者
- 自己疑念が強い
存在感がない原因と改善
存在感の正体とは
影が薄いとは、その実体である自分の存在が薄いことですが、ここには“存在感”という言葉が大きく関わります。
存在を確証するかのように周囲に感受を与えることは、いわば存在による影響力と考えられます。
影響力がないと、存在感の認知を周囲の人々ができません。
存在感と影響力は関わり合っています。
影響力とは自らの作用や力に基づく他者への変化のもたらし。
これが存在感や影の濃さとなると、「私はここにいる」という存在の確証を周囲に与えることでの変化のもたらしです。
存在の確証とは、自己認知。
自らの存在を疑わずに認め、知るように認識を深めることで、自分で自分の存在を確証し、初めてこの世で存在するリアルを作ります。
戸籍や出生届など、紙にふにゃふにゃ書いた何かでは、パソコン内部へのデータ記録として、その媒体が壊れるまでの条件付きの存在証明になります。
ですが実生活でのリアルでは、そんな証明など要りません。
私達一人一人が孤独で生きていれば存在感は必要ないと思います。社会性があることでデータとしての存在証明があり、さらに他者と関わるリアルな日常があることで存在感の大切さが生まれます。
こんなことから一つの考え方として、存在感の正体が見出されます。
存在感とは他者との関わりにて自らの存在を広めようとする影響力。
自らを広めようとしなければ存在感がないのは当然とも言えます。
自らを広める行為とは、自分という存在の情報発信です。
存在感に気付くか否かは能力
「これが私だぜー」「ほらほら見てくれー」
存在の情報発信をする際には、自らが自らの情報を把握することが先決で、他者から認めてもらうために発信をしても、存在感には繋がらなかったりします。
それは影響力と関係があるためでして、存在を主張するだけでは存在感にはなりにくいです。
私達は本当に他者に興味がありません。
興味があるのは、影響力があったり、自らに喜びや利益をもたらしてくれる人=自分の興味を増やしてくれる人です。
または満たされた人。自己認識力が高く、他者認識に及び、他者に興味関心がある人という具合です。
このことから多くの場合、存在感は自ら出すもので、他者から進んで存在認知しようとは思いません。
ですが、どれだけ存在感がないとしても、認識力が高く、他者の立場で物事を考えたり見る目線を持っている人は気付きます。
その認識がなければないほど存在感には気付きません。
認識力が高い人であれば存在感がなくても気付いてくれますが、一般的には自ら存在を広めないと気付かれないという話です。
“存在感”は、自ら存在を広めるように発信することで作るものです。
※存在と深い関わりの影響力の話は、影響力がある人の特徴に絶対的なことが│信念との合わせ技一本 をご覧ください。
存在感とはエネルギーでありオーラ
存在感を多角的に見るために、若干スピリチュアルな理解も含めたいと思います。
存在の確証である自己認知とは、自ら発する波動認識とも言えます。
波動は誰しもが発する現在の状況や状態表現の振動エネルギー。
誰しもが常に自ら発し続けるものですが、自らの存在を認めないとオーラが小さく弱くなり、エネルギー発信も弱まります。
エネルギーが強まれば強まるほどオーラとしての表現も加速され、自然と存在感として周囲に伝播します。
この状態が情報発信となり、自ら存在を広める存在感、しいては影響力となります。
自意識が高いことから、自覚なく自らのエネルギーを発信しまくる気質の人もおり、スピリチュアル的には逆エンパスと言い、何もしなくても目立つ存在感ありありです。
※詳しくは、逆エンパスの幸せは明確な線引き|エネルギーの活用で気楽に生きる をどうぞ。
存在感有無は感情との関わり
エネルギーには自らの意志や信念が関わり、どれほど自分を知っているか=どれほど自分を認めて受け入れているかにて高まり、そこには“感情”が大きく関わります。
あらゆる状態表現としてエネルギー(波動)を発していますが、そのエネルギー密度が高まるのが感情を発した時です。
怒り爆発、歓喜、悲しみ泣き叫ぶ、お腹が曲がるほど大笑い…などなど。
- 感情を抑制しない人はエネルギー量が強く、自然と存在感が出て、目立つ
- 感情を抑制したり認めない(自覚しない)、または拒否して露にしない場合、存在感は薄くなる
感情以外にも思念や想念があり、健康状態となる肉体反応があり、マインドや心、魂としての状態から波動が発されてオーラを彩るため、肉体も脳も心も魂も認めて抑制しなければしないほど存在感となり、認めずに拒否すればするほど存在感がなくなります。
※存在感を消す話は、目立たない人になる存在感を消す方法│何もしないのに目立つ?もちろん訳がある をどうぞ。
存在感がない原因
自らをどれほど認識しているか、どれほど拒否していないか。
同様に、どれほど今この瞬間のリアルを生きているかによって自己認知度合が変わります。
これは自らの在り方に対する確証を自らが持つという意味です。
これを、自らではなく他者によって確証を持とうとすると、より複雑に存在感がなくなったりします。
それが承認欲求など、他者の目や反応や評価を主体にした認識です。
他者を利用してもしなくても、自分から発される情報発信がないことが存在感がない原因として考えられます。
この紐解きとなるポイントがこちら。
存在感がない原因は目と歩き方。
これは日本人特有の存在感のない原因かもしれません。
詳しく見ていきましょう。
存在感がない原因①:目
自らの存在認知を広める情報発信は無意識でしていることがほとんどです。
その最たる情報発信は目でしていたりします。
アイコンタクト。
アイコンタクトの少なさ、これは存在感がない原因です。
存在感がない人は目と目を合わせない傾向があります。
目と言葉はその人の状態表現が非常に盛んです。目を見ればどんな人間性で性格で、心理状態か、さらに言葉も含めることで感情や思念、企みや価値観までわかり、目を見るだけで何もかも見据えるような人も世の中にはいます。
自らを露わにしたくない人、詮索されたくない人は情報もれもれを拒み、目を合わせない傾向があり、他者との共有拒否の在り方が表れます。
合わせたとしても情報を出さない目をしている可能性があります。
「どんな目ー」という感じですが、目だけで嫌われる人もいれば好かれる人もおり、アイコンタクトの情報共有と表現・発信は非常に多彩で多様です。
身を護るための目、恐れた目、人を蔑む目、好意を求める目、伝える目、乗っ取る目、占有する企みの目、分かち合う目、敬う目…なんだかいろいろあります。
アイコンタクトの少なさは日本人に特に多いように思えます。
海外にてさまざまな人と関わってきましたが、存在感がない人は要所要所の重要な瞬間で目を背ける人が多いように思います。
一つの例として、お酒を飲んでカンパーイ!
この時、日本人はグラスの当たり所や当て具合、中身がこぼれないか、ちゃんと音なった?的に手元やグラスに目をやります。
乾杯は目の前の人との共有の瞬間ですので、海外で出会った人はみな、グラスが当たり合う時には目を見ます。
アメリカ大陸の人ほど、そういったポイントを見据えて、大事な所で目を合わせるな、と理解しています。
存在感がない原因②:歩き方
これは姿勢とも言い換えられます。
これまた日本人特有なのですが、海外にいると後ろ姿だけで、「あの人は日本人だ」とわかります。
それが歩き方です。
海外にいる時だからなのかもしれませんが、忍者みたいになります。さすが日本人と思いたい所ですが、それは不安や恐怖が先行しているが故の姿勢だったりします。
海外の人でも、「日本人だけは歩き方を見るとすぐわかる」と言う人が多く、歩き方が本当に特有です。
それは、すすり歩きで、足の裏と地面の接地面が非常に少ない特徴です。特にかかとをしっかり接地させて歩く人は少ない人です。
すると、浮いているような、常に前のめりになり、猫背でなくても猫背のようにも見えたりします。
歩き方や姿勢からわかるのは、不安感の多さ(または自信と自尊有無)による存在感の抑制です。
良いように言うと、情報発信の謙虚さ、忍者。
そのまんま言うと、発信意欲の衰退、不安過多、自信過少(または自分への興味のなさ)です。
情報発信意欲が強いと主張になり、存在感が騒ぎだす。
「もう、アメリカ人の存在感が凄すぎてうるせー」と一部には思わざるを得ない、なんてこともあるとかないとか。あるね。
存在感がない人の改善方法

改善は目と姿勢。
他者との共有意識と、不安解消です。
といっても、私がそうなのですが他者に興味がないのに、他者と共有しようというのはおそらく困難です。
そのため、不安を解消することが大切だと私は理解しています。
不安や恐怖、苦痛や危険は日常的に起きる雑多なことです。
不安が先行すると、恐怖や苦痛や危険から目を背けて拒否したり、誤魔化したり、なかったことにすることが起き得ます。
事実を認めないと自らを認めることが遠のき、自己認知による発信するための材料(情報)を自らの中で探すのが困難になります。
そのために、物事や他者を、そして自分自身をそのまま認めて自覚すること、または自らに興味を持つことが改善の一歩目となります。
同時に、目を見る、姿勢を正したり、堂々と歩く行動から変えることでも、不安解消となり、共有行為へと繋がる影響力になっていきます。
挨拶する時、人と話す時、告白する時と、あらゆる要所を捉えてアイコンタクトすると、自然と存在感を広げる影響力となります。
まずは乾杯の時、目を見てみましょう。目を合わせる人は少数ですので、そこで目が合う人を見つけて、共有してみましょう。
時間は一瞬ですが、そこには多種多様な無自覚の領域での伝播、表現、相互の行き交いが起きています。
少しずつ自分はどこを見て、何を思い、感じているのか、と認識が深まることが自己認知の高まりを体感させ、存在感の発信に繋がる行動となります。
※目立つ人の特徴と原因の話は、目立つ人の特徴は嫌でも浮く秘密の在り方|理由は心理とスピリチュアル をご覧ください。
存在感がない人 まとめ
存在感があってもなくても、どちらもメリットとデメリットがあると思います。
ないことにはないことの苦しみがあり、そこには自らを抑制して、そこで収まろうとする姿があるかもしれません。
私は存在感を消して忍者のように生きていましたが、忍者になることは自らを消す必要があり、もはや顔なんか削ってもいいくらいの心持ちがなければなれないと挫折。
「忍者ってスゴイですね」
「何の話ー?」という感じですが、忍者が教えてくれる存在感、影のコントラスト強度は、自己認知を基にした情報発信による影響力。
他者との関わりをどのように考えているかによって情報発信意欲が変わるため、まずは自分のために存在感を出すことが大事かと思います。
他者に興味なんてなくていいんです。誰しもないんですから。
自らに興味を持ち、少し余裕ができたら他者に向かい、存在に気付く力を付けていけたら良いかもしれませんね。
誰しもに気付く力があれば、存在感がない人はいなくなります。その際には存在感がないことが自己表現になっている真意を、リアルに体感してもらえる機会作りにもなる、とそう思います。
自らの気付きをもたらし、自己認知を深めることで、改善に繋がる一助となれば幸いです。
それでは忍者様、ありがとう。
違うかー。