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【自分で考えられない人の改善策】思考を深くするための考えない理論

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ブーン。
「あ、今通った蜂、エロいこと妄想してた」

「何を言っているの?あなたが蜂の何を知っているって言うの?!」

物事を自分で考えるとは、答えのない空白を自分なりに埋めていく塗り絵のようなものです。

しかし、答えがあると思っている場合、自分で考えることに抵抗が増え、他者の意見や世間の常識を照らして、自らの答えを出す行為に障害が起きます。

答えとはあるのではなく作るもの。

どんな物事や環境でも、学歴肩書きがあってもなくても、世界中には自分で考える人と考えない人がいると、海外を旅して理解したことがあります。

ここでは、自分で考えられない時の改善策を見ていかれてください。

  • 自分で考えられないのはなぜ?
  • 自分で考える人と考えない人の違いとは?
  • 改善策とはいかに?

これらを紐解き、「考えるとは生と死なんだ」と知っていただく内容となっております。

思考を深めるためには気づきが欠かせませんので、私の理解が一つの考え方としてお役立ちできれば幸いです。

自分で考えられない、深く考えられない人

自分で考えられない人の特徴は一つ

考えるも考えないもどちらも大切な行為です。

考えるとは一体何なのかを考えてみると、今この瞬間を使用した脳内帰省。脳への穴倉ごもりです。

一瞬の思考でも脳内帰省すれば、夜空に光る流れ星をその一瞬分見逃します。

今にしか感じられない感覚感受を見逃し、代わりに思考を広げて物事を考える。

考えるも考えないも重要ですが、考えすぎ、考えなさすぎはバランスを崩します。

バランスを崩すと、自分で考えられない深く考えられない考えていると思い込んで実際には自分で考えていないことが起きます。

自分で考えられない人の特徴はさまざまにありますが、共通するキーワードとなるのは一つ。

「従順力が高すぎる」

 

従順性に依存すると自分で考えられなくなる

従うことは集団構成や社会帰属になくてはならないものです。

しかし、従うことでの利益や、従わないことへの不利益経験が増えると、従順性に依存にする可能性があります。

従うことが善となる観念が脳内にガシャン。

格子のように従順ネットワークができ、「作る、創る、造る」のクリエイティブを見出し育む隙間がなくなります。

「クリエイティビィティがなければ格子から出られないよ、ノーモアプリズンブレイク、ガシャン!」

「いいのだ、従っていれば困らないからね」

従順性への依存は、自らの才能や能力の抑圧や縛りにもなり、自分で考えられなくなります。

※頭を使わない人の詳細は、頭が悪い人のはっきりした特徴│本当は頭悪くない?そんな改善は一つ をどうぞ。

 

自分で考えられないことに学歴は関係ない

学歴があろうが、肩書きがあろうが、社会的な定義は関係なく、自分で考えられない人は従順性によってあらゆる抑圧や無意識の縛りがあると考えます。

意見を求められても何も言えず、自分で考えられない場合には、過去の他者からの影響によって起きた、思考の縛りや抑圧に反発しないさまがあります。

例えば幼い頃に、「はい、机の下で手掴みでご飯は食べないようにねぇ」と言われて、「は、なんで?うるせぇし」と反発しないで従う、または従いたくないけれども我慢し続ける。

喜んで従順すれば別ですが、従順性に依存すると主体性と思考を育む動機がなくなり、知識量と経験を増やす意欲や行動が社会や他者などの他次第になり、自分次第での思考活動がなくなります。

自分で考えられても深く考えられない場合には、答えを作る以上に他の答えに従い、他の意見に疑いを持たず、疑いを持つことを悪とする社会的なルールに従い、受動や消費活動に重きが偏ります。

不安や恐怖など嫌なことを誤魔化して逃避するための思考の使い方になりやすく、その場凌ぎの答えで満足して、「当たり障りなく、嫌なことがなければいい」が無意識のモットーになる可能性があります。

考えすぎる場合には、他の意見や情報を脳内にたくさんインプットして、従順性によって記憶力を高めたり、記憶の出し入れに脳の使い方が偏ります。

とても大切ですが、偏ることで記憶力としての脳機能に依存が起き、「正しい間違っている」という答えが既にある前提での脳内巡りになります。

自分で考えていると思える行為作りになり、本質的には他の情報を集めた記憶の中で善悪・正否を選別しながら、自分が納得できるかどうか、または正当化を欲する自己世界に陶酔する可能性があり、思い込みや決め付けが強まります。

自分がどうして理論的なのかを他の答えに当てはめて、「だから私は理論的です」と言うイメージです。

 

自分で考えられない原因は認識力

考えるとはとても意味深な行為です。

記憶力に偏ることで、脳内巡りや記憶の出し入れ速度は速まりますが、頭を使うことのほんの一部が記憶力。「自分で考える」とは幅広いものです。

シンプルにすると、考えるとは自分としての行動規範作りや調整です。

ご飯を食べる時、おかずと白米のバランスを図り、鯖の甘酢炒めの最後の一口と、白米の最後の一口を合わせて食べ終わる。

このように有意識だけでなく無意識に行動を調整する場合もあり、「どうすれば喜ぶか、納得するか、どうしたいか」など、あらゆる目的へ向かって行動する規範を作り、社会性や他者の意見を混ぜたり混ぜなかったり調整して、肉体や心を合わせます。

中にはおかずだけ先に食べたり、「白米の甘みを楽しみたいから、おかずと一緒には食べない」なんて考えの人もいます。

このことから、自分で考えるとは、どれだけ自分のことを理解しているかによって作れる行動規範と考えられます。

社会の一員でもあるので、社会性に沿わせる必要も状況によってあり、自分で考えるとは従うのではなく作りと調整を要します

「社会など生きている土台を含めた自分にとってはこれがいい、こうしたい、こうありたい」という思い、評価、判断、願望、欲求、目的、想い、意志。

全てを総称して、認識があります。

自分のことを自分で捉え、見て、感じ、考え、想う認識。

認識とは幅広い自分の理解。

どれだけ認識できているかのバロメーターに比例して、自分で考えられるか考えられないかがわかる、という考え方です。

※集中できず考えられない原因は、直ぐに別のことを考えてしまうのは自然。集中できない原因と改善 をどうぞ。

 

自分で考えない人と考える人の違い

自分で考えない人と考える人を知る体験談

学歴などの社会的定義以上に、生きる上での認識が重要だと思ったのは、私が海外を旅した時に理解したものです。

東南アジアを巡っている時、タイ、カンボディア、ベトナム、ラオス、ミャンマーはどこもかしこも屋台ばかりでした。

毎日が日本で言うお祭り、どの屋台でご飯を食べるか迷います。

国によってさまざまなものが販売されていますが、ある国や一部の街や町ではみんな同じようなものを売っています。

ラオスのとある屋台街は、たくさんの料理をズラーと並べて、一皿に乗せられるだけ乗せて頂く屋台が多く、「どこも料理は同じようなものだけど、何が違うのかな?」と屋台を変えながら食べる日々を過ごしました。

同じでした。

作る人によって味は微妙に違いますが雀の涙。どこもかしこも就職活動中のエビフライ、オペラを聴きに来たタケノコの煮物、スーツでも着ているのかと思う春巻きであり、もはや店員の顔まで同じに見えてきました。

その後、多くの同じようなシチュエーションを経験してわかったのが、思考の大前提有無でした。

感性があるかないか

感覚をどれほど自己理解して把握できているかの違いです。

※感性の詳細は、感性が豊かな人から学ぶ感性とは?│知性の有無が鍵となる特徴 をどうぞ。

 

自分で考えない人は感性がない

個人的にはさまざまな国々で見て来て、どこも同じだったので明確に理解していることです。

自分で考えない人は感覚に対する自己理解がなく、考えても他との区分けや比較など他の情報を主体に物事を考える一辺倒です。

自分の頭で考えたものではなく、他の情報や意見を基に他の仕組みとの違いを見出し、他のルールと照合して善悪・正否を見出す、脳内にインプットした情報巡りになりがちです。

六法全書を憶えて一早く事案に合う法律の記載ページを開く能力として、社会的価値はあると思いますが、その事務所を選ぶ理由がないという具合です。

屋台も同じです。

何を考えても自由だと思いますが、認識力が欠けていると感性の乏しさによるセンス欠乏感が顕著になり、一度食べて二度と行かないなんてことになりかねません。

しかし、自分で考えられる人のいる場所は違いました。

 

自分で考える人は感性がある

同じ料理がズラーッと並んでいても、私はある一つの店を目指します。

グアテマラで同じ野菜を路上で売っているおばちゃん達が並んでいると、あるおばちゃんを目指します。

メキシコで同じフルーツジュースを売っている屋台が並んでいると、あるおじちゃんを目指します。

みんな感性がある人でした。

感性がある人は認識力があり、物事を自分なりに把握する能力に長けています。

お店に私が行った際に、私と言う人間を自分なりに捉えようとします。

見て、感じて、自分なりに評価して、判断して、捉えます。

従うのではなく作るさまがあり、作るためにまずは自ら情報を集めて精査、自分なりに整理してドンッと表す。

このさまとして最も特徴的なのが、仕事(自分のしていること)を楽しんでいます

従うことでの思考、そして思考するための基盤である認識に抑圧や抵抗がない結果、楽しむさまがありました。

※自分の頭で考えない日本の特性は、【日本人は考える力がない?!】自分の頭で考えない環境に宝の持ち腐れ懸念 をどうぞ。

 

自分で考えられない改善策

改善ポイント:認識力の理解

自分で考える力が認識の賜物だとすると、思考が浅いか深いかの原因もわかりやすくなります。

  • 認識力がない人は思考が浅い
  • 認識力がある人は思考が深い

言い方を変えると、自分で自分を捉えて把握できている人は思考が深くなります

自分を捉えられていない場合、無意識の抵抗や反発が増え、深く考えにくくなります

認識力とは自分で自分を捉えることで収集・整理・理解する、情報の量や質や幅広さです。

認識力が高まると自分から他へ認識の範囲が広がり、洞察や考察や分析力が高まり、俯瞰性や客観視のメタ認知も高まり、リーダー特性が見出されます。

「深く確実に全体が見えている」という具合です。

頭を使うことはとても大切ですが、考えすぎると今この瞬間を使って脳内にこもる時間が長くなりますので、とんでもなく重要な感覚が瞼にプニプニ、眉間の間がプワー、ナメクジが一瞬硬化能力を発揮して、「黒いダイヤみたいになってた!」なんてことがスルー。

自分で深く考えるための一つである、肉体で感じたり心で想う認識を見逃す、すなわち認識力がなく思考が浅くなります。

思考も感覚も、意識も心も全て重要になるのが考える力であり、深く考えるための認識力です。

認識力がポイントになり、考えるとは頭を使うだけではなく、肉体も心も自分全体を使い、脳の一部ではなくより広範囲を機能させることが改善策です。

それでは、このポイントを主軸にした具体的策がありますので、順番に見ていきましょう。

 

改善策①:考えるも考えないも大切

認識力には、考えることも考えないことも欠かせません。

考えない時間は肉体や心の感受である、今この瞬間のみに生きているリアルを体感できます。

考えることは行動規範を作り、調整し、道筋を明確にして生きる目的のために邁進する力となります。

どちらもバランスが重要になり、考える時は考え、考えない時は感じることで認識力を高められるため、深く考えられない場合にはこのバランスがない、または崩れている可能性があります

自分で考えられない場合には、考えない時間を有効活用して、感性を養うことが改善策となります。

考えない=何もしない

考えない=肉体(感覚)や心(想いや意識)の感覚感受に使う

※考えない大切さは、【考えないに潜む適当さ】何も考えない方がうまくいく仕組みと秘密 をどうぞ。

 

改善策②:[従順→創造]にシフトチェンジ

考えない時間を有効活用しながら、本格的に改善へ入ります。

重要な核は、従う状態から創る状態を増やします。

「それではクリエイティブになってください」と言っても、これこそ自分の考えがない意見ですので、重要なのは如何に従う在り方を作る在り方へ変えていけるかです。

重要なのが、意欲や好奇心です。

私が旅先で理解した自分で考えられる人々は、共通して人に好かれて繁盛していました。

ここに大きく関わると考えられるのが、楽しい感覚の自己理解です。

 

行っていることを楽しめれば自分で考えられる

仕事、恋愛、人間関係、趣味、研究、娯楽など、今行っていることを楽しむ、または楽しめる事柄に変えます。

楽しむためには好きなことをします。

自分の好きなことをしていれば、自分で考えられるようになります。より楽しむためにも自然に考えたくなるので、一番簡単な改善方法です。

しかし、難しいのが好きなことの理解や楽しむことの歯止め。全て従順過剰による抑圧です。

私達人間は自己理解がないので、自分がやりたいと思っていても本心は違ったり、嫌々仕方なくしている人もいます。

例えば、私は本を読むのが好きですが、あまり頻繁には読みません。なぜならば、頻繁に読むと好きなことではなくなるからです。

好きでもないのに本を読むと、なんで読んでいるのかわからなくなり、そこに感性は皆無です。

感性があれば、「うわっ、つまんない、この屋台行かない!」と同じ感覚をしっかり理解して、考えが出せます。

嫌々だったり仕方なくする行為は、やるからには利益があるのだと思いますが、引き換えに感性の抑圧があり、本心や真意を誤魔化し続ける等価交換。別名ストレスや疲れがもたらされます。

生活のため、生きる利益のためなので変えるのが難しい場合、仕事はしながらも好きな趣味で楽しむ時間を設けるなど工夫します。

現状の変えにくい基盤はそのままでもOK。少しずつ感性を抑圧せずに感覚を解放的にしながら、しっかりその感覚を味わう時間を増やすと、自分で考えるための改善になります。

「やっていることが楽しくない=本当はやりたくない」というのが自分の考え。

こう思わない抑圧や縛りを解放しましょう。という考え方です。

※考えるのが嫌いな人と好きな人の心理は、深く考えるのが嫌いな人と好きな人の違いでわかる【考える力の発揮方法】をどうぞ。

 

改善策③:死生観の明確化

改善策の目玉となるのが、認識力の基盤となり、創造性を導く脳の使い方となる死生観です。

死生観は完全に唯一無二、重要な核です。

海外で多くの人々と出会って思った一つが、日本人には死生観を持っている人が少ないことでした。

死を嫌がるのはメンタル的に理解できますが、生を意識しないのはもったいないかもしれません。

日本は不安国家と言われ、先に期待ができない国かもしれませんが、私達は従って死ぬ生物ではありませんので、生きる意味や理由は自ら作ります。

例えば、スウェーデンには自立に対する強い意識が一人一人にあり、人生を楽しく生き抜く死生観があると言われます。

楽しく生きる目的があるので、楽しくなければどうすれば楽しくできるかを考え、自ら作るための行動や努力へ向かえます

死生観の生と死に対する認識は、生きる上での目的や、今生きていることの意味を深く考える基盤になります。

物事に正解も間違いもありません。それがあるのはエゴに染まった社会的なルールであり、私達は従うのではなく作り、合わせながら答えをみんなで作っていくことに人間らしい社会があります。

何のために生きているのか?

生きる基盤と目的を決めておくと、物事の認識が深まり、日々の生活が自分で考えるための時間になることと思います。

人生は選択の連続です。

 

自分で考えられない時の改善 まとめ

答えを自ら決めるのがこの世の常ならば、私は気楽で心地良く、ふざけて楽しむ。

どの道、私達はいつか死にます。

しかし、今は生きています。

死生観は自ら考えることで、より命を敬う気持ちを見出し、心の想いや意識を感じます。

死に繋がる経験がある人は、自分で考える認識力を強く持っています。

生に繋がる意欲や好奇心がある人は、自分で考える認識力を作っていきます。

人間は作らなければ何も起きません。

従うことも大切ですが、バランスの逸脱は何も起きていないことを起きたと思う誤魔化しを増やし、創造性の意味が他との比較や区分けによる既存の見出しになります。

物事は常に、本当に常に自分の動き出しの一歩で始まります。

そのために周囲ができることはサポートや援助であり、人の足を無理矢理掴んで一歩動かせる行為は、洗脳や強制や利用による自分の考えの冒涜です。

自分の考えは自ら作ります。

認識力は感覚による感性の育みから始まり、その後に思考による知性へ向かいます。

感性を大切にするためにも、生きている今、人生、自分を大切にされてください。

今、人生、自分とはしっかり理解できるものではありませんが、感覚は本人のみが確実に感じて理解できるもの。

物事の重点は常に身近にあったりします。

そんな理解が改善にお役立ちできることを願います。

それでは、自分で考えられない時の改善策を終了します。

最後までご覧いただきまして、ありがとうございました。

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