スピリチュアル

人を利用する人の末路に闇と光│利用される人との相互関係にカルマ有

利用、そこは一方通行です。

人と人が関わる際に一方通行だとどうなるのでしょうか?

一方的に自分の利益を求めます。
一方的に利益を搾り取られます。

それはミキサーか手でギューと押すやつか。

「まだ手のやつがいいな」とどうでもいい話は置いておいて、ここでは人を利用する人の正体と末路をお伝えします。

末路には利用される人との共通理解があります。

事実を知ることで対処法が見えやすくなるので、人を利用する人の詳細を紐解いて行きましょう。

末路を知るためにはスピリチュアルな概念がわかりやすくなるので、多角的にご覧ください。

人を利用する人とは

人を利用する人とは

利用する対象が[人]の場合、人を利用するとは利己的に使うことであり、自分のために役立たせることです。

何に役立たせるのでしょうか?

喜びです。

人を利用するとは、自分にとっての喜びを作るために人を利己的に使用すること。

私達は自分の利益のために生きています。ここにきれいごとや偽善は抜きにして、誰しもが自分の利益のために行為します。

“自分の利益のため”とは人それぞれに、“自分にとっての喜び”のことです。

喜びには満足や納得があり、さらに恐怖のない様や安泰があり。
自分の喜びだけでなく、他者が喜ぶことも自分の喜びだったりとさまざまです。

人を利用する人は着眼点が己のみなので、自分の喜びのためだけに関わる人を使用します。

これは嫌われちゃいます。

 

人を利用する人の心理

人を利用する人の捉え方を変えると、「自分が中心」かと思いきや少し違います。

「他者が中心」です。

喜びを自分のためだけに見出すので、利益をあげるために常に他者にフォーカスする必要があります。

そのため利用する方法の一つとして、他者から蜜を吸えるだけ吸い取れるように“優しい素振りをする”、そんな人もいます。

もちろん怒る人も、泣く人も、馬鹿にする人も、優越感を誇示する人もいてさまざまに手法を用います。

そして、蜜が溜まりきったところでどっさりかっさらって行きます。化けの皮が剝がれるというやつです。

バッと襲うように、ガツガツと食い漁るように、ガリガリと貪りしゃぶるように、ガルガル言いながら唾を垂らす。

ヤベーやつですね。

このようにタイプや方法は人それぞれですが、自分の利益のために他者を利用する人には共通の心理があります。

自己愛がないので、無理矢理に見出そうとすることです。

人を利用する人の心理 :

自己愛がないために自己愛を強引に強く持とうとする

利益にて喜ばそうとする自己愛が強そうに見えますが、実際には自己愛の欠如にて強引に見出そうとする結果、人を利用します。

 

人を利用する人は自分がいないけどいると思い込んでいる

自己愛性パーソナリティ障害という言葉があります。

自己愛性パーソナリティ障害(じこあいせいパーソナリティしょうがい、英:Narcissistic personality disorder ; NPD)は、ありのままの自分を愛することができず、自分は優れていて素晴らしく特別で偉大な存在でなければならないと思い込む一類型である。

※Wikipedia 引用

自分は人より優れていると信じ、自己の魅力を信じて疑わず、あらゆる賛美と称賛を期待して、過去の栄光にすがりさらに誇張し、優越感を掲げて権力を好みます。

己の価値を過大評価して、他者から本当にそのように思われていると信じ込みます。

そのため、他者から嫉妬されていると本気で思い込み、自分は特別な存在だと思い込みます。

人によっては、自分より劣っている人には急に傲慢で横柄になったりして、人を見て関わり方も極端に変えます。

先天的な気質にて自己愛を強めようとする人間性と、後天的な生育環境や生活環境にて起きるとも考えられています。

どちらにしろ自分を愛することができず、思い込みにて愛の欠如を補い、自己愛を強く保持しようとする生き方と考え方をします。

人を利用する人が自己愛性パーソナリティ障害かどうかは完全に人それぞれです。

ですが、人を利用する行為には自己愛のなさを補うために自己愛を強めようとする心理が考えられます。

 

人を利用して自己愛を補うことに利益がある

人を利用する人は愛が欠如しています。

愛とは自分への敬い、そして他への敬いの両方です。
自他を含めることで成長や向上を求め、変化を受け入れる許容が作られるのが愛です。

その“自他”とは、自分の意志や真意が自分の思考や認識に対する客観も含まり、自己の中でも“自他”は存在します。そのため、俯瞰性や柔軟性や寛容性ともなる愛です。

愛が欠如しているとは、他者や周囲からの愛がないことを認めずに拒否し続けることで自分自身が持っていた愛を忘れてしまったことです。

そのため、自分の中にある敬いの気持ちがなくなることを意味します。

言い方を変えると、自分を大切に敬えないために人を利用して自己への敬いを保持しているようにします。

自己愛がないので人を利用することで、「自分は優れているんだ」「利益を上げられるぞ」「存在価値があるに決まっている」「存在意義があるぞ」と確認します。

自己愛=肯定=人を使って認めさせる、褒められる結果を作る、価値を見出す、意義を見失わないと思い込み、利益を求めます。

 

サイコパスは人の利用方法が違う

人を利用する人の典型とも思える代表が“サイコパス”かもしれません。

冷酷に他者をコントロールして、手のひらで躍らすように利用して楽しみます。

サイコパスは喜びの概念が子供のように無邪気な特徴があります。

そして、そこに人だから動物だから物だからという差別や線引きがないために、目の前の落ち葉と人が同一価値だと認識します。

そんな認識で人を利用するので、人の不利益も自分にとっての喜び(遊びとして)となり、人が踊らされている様を純粋にゲラゲラと楽しみます。

もちろんサイコパスはとてもたくさんいるので、全員が全員そんなことはしませんが、傾向としては無邪気で物事の線引きがなく(社会的な常識やルールに則らない)、己の認識のみを信じます。

サイコパスは精神病質者、または反社会性パーソナリティ障害と言われるもので、自己愛を非常に強く認識して社会性よりも己の認識を全ての中心にしているので、これまでお伝えした“人を利用する人”の自己愛の見失いによる補いとは違います。

単純に自分の喜びとして遊びや楽しいことに物も人も同じように使うので、おもちゃも生身の人間も同じという、ちょっと怖いですがそういう認識で人を利用します。

  • サイコパスにて人を利用する・・・自己愛が強いために、純粋に遊びや楽しみとして物のように人を利用する
  • 自己愛喪失にて人を利用する・・・自己愛の見失いのために、人を利用して肯定や価値を見出し、承認や優越感を求める

己の認識にて人を利用して楽しむか、己の認識を見失い、思い込みできる材料集めのために人を利用して安堵するかの違いがあります。

※サイコパスの少し違った捉え方は、サイコパスの特徴とスピリチュアルな見方|赤ん坊のまま大人になった をご覧ください。

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人を利用する人の特徴

人を利用する人がわかりやすくなると思うので、特徴をいくつかご覧ください。

人を利用する人の特徴9選

1、愛の欠如による自己愛への思い込みが強い

自分は大切で価値のある存在だと思い込むために、人を利用して肯定を求めます。

認められる、褒められる、必要とされる、愛されることを求め、自己受容や自己肯定ではなく、常に他者を利用して見出そうとします。

 

2、他者が常に主観

他者によって、「自分を大切にしている、粗末にしていない、素晴らしい人間だ、ダメなやつじゃない」と思える利益を求めるので、常に他者が人生の主観です。

主人公が居ない状態で真意を知る本人はおらず、している行為を否として認めることはありません。

人を利用して最終的にかぶりつく際も他者によって存在できる自分の利益なので、他者がいなければ自分は存在しなくなります。

すると、他者に依存と執着します。しかし、依存と執着が自己価値を低くすると認識している場合には何としても執着していないと思い込みます。

常に他者が主観です。
※サイコパスは常に自分が主観です。

 

3、責任を持つ認識がない

人を利用する人は責任は負うものだと思い込みます。

責任とは本来認めるものであり一人一人が持つものです。それは自分の行動を認め、意志と目的を明確に認識して行動を理解することを意味します。

そのため、責任とは自分にしか持てず、負うも負わないも己のみが可能です。

しかしその概念がなく、責任とは嫌なものであり負わなければならないものだと思い込むことで、何があっても責任は負いません。

なぜならば責任を負う=失敗したと認める=価値がないと認めることになるので、思い込んで構築した自己愛を崩すようなことは何があってもしたくありません。

すると、他者に責任を負わし、さらに人を利用して自分だけ逃げます。

 

4、人を利用する関わり方しかできない

人を利用し続けることは、自己愛への思い込みをどんどん強めていくことを意味するので、利用すればするほどに自分を見失います。

すると、ただ話をするだけでも、「私はこうだけどね」「私だったらこうするけどね」「私なんてこうだよ」などと己を主張し、他者の反応を利用して価値を見出す、または他を否定・批判して優越感を作るような利益を上げる関わりしかできなくなります。

ただ人に嫌われ、その理由も人のせいにします。

 

5、コミュニケーションが取れない、知らない

常に利用概念が性根となるので人との関わりは一方通行です。

すると、相互交流であるコミュニケーションは成り立たず、人と“会話”することができません。

本人は会話だと思って自分のことを話しますが、人の話は聞かない、または聞いている振りだけしている、人が話していることを盗む、全く話さないで優越感を見出す観察をする、一人ぼっちじゃない見栄えを得るなどになり、他者を主観にした自己中心という矛盾を作り、迷惑をかけます。

口から音が出ていればそれが会話だと思い込み、「私は無口な人にも話してあげている」「普段話さない人が私にだけ話すのは信頼があるからだ」と他の悪口を聞かされている時にも思っています。

そのため、利用する人は利用されても気付いていなかったりします。

 

6、見たくない現実は一切拒否する

人を利用する人は極端に嫌なことをなかったことにします。

自分に嘘をつくということです。

起きている現実をなかったことにするほど思い込み、存在否定、価値が見出せない事実、承認を得られないことを全て相手のせいにするか、記憶を消します。

自身の中で記憶が消えることはありませんが、完全になかったことのようにするので責任を持つことはありません。事実ではないので、となります。

言い方を変えると、自分に不都合なことは一生逃げて対処するつもりです。

 

7、自己都合でのみ物事を解釈する思い込みのプロ

人を利用する人は思い込みのプロです。

自分に嘘をつくプロとも言えます。

嘘をついていないように嘘をつき、それも嘘であり、その嘘も嘘。終わることのないサイクルを作り、最後はバビューン、どこかへ放り投げて知らんぷり。

自分にとって都合が良い利益事は耳をでかくし、都合が悪い不利益は見えない術、セイッ。

「いや、真正面!見えてるやん」
「私は眼球の表面を見ているんだ、その先のことは見えていない、あぁちょっと目がくらんできた」と。

バカヤロー。

 

8、エネルギーを奪う

人からエネルギーを奪います。

それは生命エネルギーという命の吸い取り、チューチューストロー。

まるで、ストロベリーシェイクかのように吸いますが、これは冗談なことではありません。

人を利用する人といると疲弊します。疲れてだるくなり、「なんだか今日はもう帰りたい」と。

人の批判や否定、愚痴や文句は大好物。相手に同情させることで人の命を奪います。

目の前を見てください。活き活きと己の話をのたうち回っている人がいますよ。

 

9、思考的で闇が垣間見える

人を利用する際は真っ直ぐにドンッと利用する人もいますが、思考的に言葉巧みに利用する人もいます。

知的で騙すように利用しますので、利用されていることに気付かない、または気付いても随分先になります。

そのようなタイプは表面がとても優しそうです。しかし、内面は空虚で中身がないので、自分の意見に意志と核がありません。

ふとした時に闇部分をチラつかせる言動があり、それをあえて気付かせている人もいます。

あらゆることが社会性や人間心理に基づく思考であることに特徴があります。

以上が、人を利用する人のわかりやすい特徴でした。

※エネルギーを奪う人の詳細は、エネルギーを奪う人の特徴と真意。奪われる人にも目的がある密な関係 をご覧ください。

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人を利用する人の末路とスピリチュアル

人を利用する人の末路

人にはいろんな過去があり、歴史があります。

人を利用する人には自己愛を見失う過去があり、そこには思い込みや他者の愛を欲する動機があります。

幼少期など幼ければ幼いほどに、他者からの愛がなければ褒められることも認められることもなく、否定されることや批判されることが多ければ自己愛の育みは作られません。

子供は自分の愛と周囲からの愛によって自然と自己愛を育みます。

育みは自分だけではなく、常に自他によって作られます。

それがなければ思い込みにて強引に作り出します。すると何もかもが極端になり、自分だけでは何もできなくなって他者を利用するように手を伸ばします。

己の利益のために生きているのが私達ですが、自己愛がなくなることで起きるのは己の喪失のみならず、他者への敬い度外視、アウトオブ眼中です。

育むことで愛との関わりを自ずと調整できますが、育みがなければ0か100(その100はマイナス?!)と極端になります。

人を利用することで他者にも嫌われ、本音を言われなくなり、本人が気付く機会もなくなります。

すると、人を利用する人は他者との人間的関わりがなくなり、末路が決まります。

 

人を利用する人の末路は愛を知らずのまま闇の奥へ

一方通行しか人との関わりを知らないことで、他者から敬われる可能性は限りなく低くなります。

そして、人を利用し続けることを止めないことで、一刻一刻と闇の奥深くへ向かうように突き進みます。

闇へ向かえば向かうほど、歳を重ねれば重ねるほどに関わる人がいなくなります。そして、自己愛がなければ喪失感にて生きている意味を見失います。

その対処に人を利用して価値を見出し、エネルギーを奪ってと努力しているので、人との関わりがなくなれば己の所業に気付くか灰になるか。

どっち?

 

利用される人がいることで人を利用する人に改善の道なし

苦しまないように、嫌なことを見ないように、不都合なことを拒否するために、責任を一切持たずに負わせてきました。

それができるのは“利用される人”がいるためです。

人から利用される人は優しい人です。そして、気を遣い、人を見ていない人でもあります。

何が良いも悪いも本人の中にしかありませんが、人から利用される人がいなければ、人を利用する人がいなければ、どちらも困ることはありません。

人に利用される人は利用する人の獲物です。ターゲット、今日のご飯、チンジャオロースです。

簡単に食べられてしまったら次の日も来ます、また次の日も。相手は生きるためですから必死です。

すると、人を利用する人の末路はより暗い闇へ闇へ。気付くきっかけが老後に伸び、その頃には闇過ぎて何が何だかわからないと。

それは利用される人のお返しか逆襲か。利用する人の自業自得か。

これをカルマと言います。

 

人を利用する人の末路にスピリチュアルなカルマ

人を利用する人の行為は全てカルマになり、いつか返ってきます。

カルマとは、因果応報の材料となる“行為”のことです。

善行も悪行も自らの行為は自らに返ってくることが因果応報です。

※詳細は、因果応報とは何なのか?スピリチュアルな理解に現実的な真理が潜む をご覧ください。

善も悪も人それぞれの認識ですが、共通認識となるのは受け入れか拒否、愛かエゴです。

そのため、本人の真意が善か悪か自覚できずとも、潜在意識下では必ず認識しています。

人を利用する人は悪行として人を利用しています。他だけでなく自分も敬わない行為はエゴであり、己を拒否し続けるが故に欲する拒否の行為として利益を求めます。

人を利用した人には悪行のカルマとして、自分のしたことが返ってくる

※自分自身の拒否の認識にある行為の意志・気持ち・思考、さらに利用した相手が作らされた行為の意志・気持ち・思考を味わう経験がいつか返ってくる

因果応報は自業自得と言いますが、人を利用した人の末路はしたことを清算する人生。日本昔ばかしみたいな話です。

 

人に利用された人にもカルマがある

人を利用した人の末路がどうなろうと自業自得ですが、ここでお伝えして気付いてもらいたいのは、人に利用された人にもカルマがあるということです。

しかも悪行のカルマです。

「利用されて嫌な思いして疲れさせられて、さらに悪行が返ってくる?!クソくらえ」です。

被害者とは身を守られる安泰のことではありません。この国では保障や保険にて味方のようなものが付いていますが、スピリチュアルな認識では“行為”全てにカルマがあります。

そして、利用される人の行為とは、自らの意志にて利用されることで利用する人がより自分を見失う結果を作ります。

世の中とはそんなもんです。しかしこれは理不尽とは言いません、行為と結果に起きる事実です。

人に利用される人は悪い人ではなく、さらに優しく物腰が柔らかく、気を遣い、NOと言えない人が多いです。

NOと言えないのは言うことで相手に嫌な思いをさせたくないと同時に、自分が相手を見て嫌な思いをしたくないからです。どちらも自分の利益のための行為です。

自分の利益のために人に利用されることで嫌な思いをして、相手に見失いの空虚の利益を与え闇を深めさせるという捉え方、いやですけど事実。

嫌なことをされれば一度までです。二度もされる場合には、嫌なことをされる以上に自分が断らないことや指摘しないことに嫌な思いをしない利益があります。
※やむを得ない=断る行為が自らの意志にてできない状態では己のカルマはなく、あるのは作らされたカルマのみなので悪行にはなりません。

自らの意志にて妥協や許容して利用される場合、悪行のカルマを自ら作ってしまう。

人を利用する人の正体を知ることで、人から利用されない在り方を作る一助となれば幸いです。

利用する人には言葉巧みな人もいますので、自らの意志なく利用されることをなくすと、自分のためにも相手のためにもなります。

相手のためを考える必要はありませんが、認識を明確に意志と意見を持ち、主体性を持って人と関わることが大切になりますので、ぜひ身を守る一助とされてください。

※かわいそうと言って人を利用する話は、かわいそうと言う人の心理に闇臭プンプン│超自己中心主義には優しい見守りを をご覧ください。

かわいそうと言う人の心理に闇臭プンプン│超自己中心主義には優しい見守りを「かわいそう」という言葉に意味を込める場合、それは統一的に二つの概念になります。 そこには愛と闇の人間性が表れ、「かわいそう」を使...

 

人を利用する人の末路と対処 まとめ

人との関わりで気持ちや認識が作られる以上は、実は一方通行のやり取りとは有り得ないことでもあります。

そのため、人を利用する人がいれば、利用される人がいることで相互関係が完成します。

そこは一切の敬いなくエゴを増長する空間になるので、利用される人は意志を明確にしてその場を離れたり、ハッキリと断ることが大切です。

指摘してあげることも大切ですが、人を利用する人は否定や批判、自分の価値が見出せない不都合なことに聞く耳を持ちませんし、持っているように見える人は演技の嘘ですので、明確に意思表示して線引きや距離を取りましょう。

人を利用する人はいつか恐怖から逃げるのを止めて、現実を見ることが必要になります。さもなくばそのまま闇へ向かい続けます。

闇が蓄積されることでいつか気付く日がやってくるかもしれませんが、現実を受け止める許容がないほどに奥へ行ってしまうと生きる意味を喪失する末路がやってきます。

気付きの機会が与えられるためにも、周囲の意見を聞けるようにカウンセリングやセラピーを活用することも大切です。

利用する人は利用癖が付いているので、お金を払うことで嫌でも一方通行にならなくなります。お金の使い方とは色々です。

人を利用する人も利用される人もスピリチュアルなカルマがあるために、ご自身のためになる人間性と在り方を確認する機会となれば幸いです。

それでは、人を利用する人の末路と、そこにあるスピリチュアルな話を終了します。

最後までご覧いただきまして、ありがとうございました。

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