やる気の印象を作るのは欲、目的、主体性が原材料になります。
やる気があってもないように見える人は外観だけでなく、感受にて認識できる「気」がない在り方を持ちます。
ここでは、やる気がないように見える人の共通点と仕組み、改善するための考え方をお伝えします。
- やる気がないように見える人の特徴とは?
- やる気がないと言われる原因とは?
- やる気がないと言われないための改善方法は?
やる気が実際にない訳ではなく、「あるにもかかわらず」というジレンマはご自身にも相手にも不利益になってしまうため、詳細を知っていただき、改善に繋がる一助となれば幸いです。
やる気がないように見える真相をご覧ください。
Contents
やる気がないように見える人

やる気がないように見える人の特徴
1,無表情
顔に力が入らない特徴です。
「あれ、頑張っていないのかな?」と思われる理由となります。
2,目と口が半開き
目と口に力が入っていない特徴です。
「あれ、集中していないのかな?」と思われる理由になります。
3,姿勢が悪い
身体の軸がなく、芯が通っていない特徴です。
「片肘付いて、疲れているのかな?」と思われる理由になります。
4,歩き方が重い
重力に反する肉体維持や管理意識がない特徴です。
「だるいのかな?」と思われる理由になります。
5,声が小さい
他者とコミュニケーションを積極的にとらない特徴です。
「人とあまり関わりたくないのかな?」と思われる理由になります。
6,自分から声をかけない
自ら積極的に挨拶や質問や提案をしない特徴です。
「みんなで目標達成する意欲がないのかな?」と思われる理由になります。
7,受動的
受け身で待ちスタンスが多い特徴です。
「自ら成果を上げ、価値を作らないのかな?」と思われる理由になります。
8,不安や恐怖が多い
主体的な自意識以上に、言われて嫌なことを防ぐ防衛意識を優先する特徴です。
自らの意思や責任や力以上に、他の意思や責任や力から受ける影響に頼っていると思われる理由になります。
以上が、やる気がないように見える人の特徴でした。
※本気になれない詳細は、本気になれる人となれない人の違い【生きている実感は誰しも平等】をご覧ください。
やる気がないように見える原因
やる気がないように見えるだけでやる気がない訳ではない。
わかる人はわかります。わからない人はわかりません。
私自身、やる気満々ですが顔や体にそのさまが全く表れないので、たまに「よっしゃ!」と言うと、爆発事件が起きたのかなくらいの顔をされます。
やる気がないように見える理由には上述の特徴がありますが、あれらは上っ面の外観でしかありません。
無表情でも姿勢が悪くても何でも、他者は本人の在り方の外側しか認識できません。
「自分」以外を知るためには経験と知覚情報にて中身を入れていき、予想・予測・想像します。
中身は本人にしかわからないため、他者が中身を入れるのは「きっとこうだろうな」というもので、本人が「そうだ」と言っても、その「そうだ」の中身は勝手にしか判断できません。
このように上っ面から中身を付け加えて、「やる気がなさそうだ」と判断する際の判断基盤となるのが「認識」です。
見るだけでなく感じて想い、やる気有無を判断する
見て、感じて、考えて、想って、知って、評価して、判断しての認識。
やる気があるかないかを見極める認識の主が、「見る」「感じる」「想う」です。
認識が見るだけの人もいますが、それだけではやる気有無の判断は希薄。見るだけでなく感じ、さらに想うことで認識の材料を増やして判断します。
- 見るだけの希薄な認識
- 見るに感じるも含めた中身を入れた認識
- 見るに感じるに想うを含めた認識
認識に感受(感じると想う)を含めると判断の正確性が高まります。
自ら情報発信するさまがないと、「気」が発されない
「やる気」の「気」は、自らが発するエネルギーであり波動とも言い、自らの在り方によって発する度合が変わり、強まったり弱まったりします。
誰しもが発しているものですが、「気」は自ら発するか否かにて、周囲に伝わる感受有無が極端に変わります。
- 気を発する人は自ら情報発信する
- 気を発しない人は情報発信を拒否する
情報発信の拒否は、自分を知られたくない、無用な情報を取得したくないと、情報漏洩を防ぐように壁を無意識に作ります。
壁を作る在り方は、相互交流(理解)する気を遮断します。
- エネルギーを発しない
- 情報発信の意思を発しない
- 相互交流の意思を発しない
気とは動力であり意思。自らを表現し主体性と能動性を表すエネルギーです。
気を発しないようにする在り方によってやる気がないように見られ、仕事や部活やコミュニティなどの集団で目的を持つ環境では、「やる気がない」と言われる原因になります。
気を発しない在り方は「想う」感受を拒否する
自ら情報発信を欲せず、他からの情報取得も欲しないと、目を合わせる時間が少なくなります。
自らの印象を与えたくない、勝手に判断されたくない気持ちが強ければ強いほど、アイコンタクトという情報交流を拒否し、能動的なさまがなくなります。
この在り方になると、「想う」認識を無自覚で拒否し、気づかぬ内に冷たい印象を与えている可能性もあります。
想うとは心の気持ちを意味します。
情報交流に抵抗があると心を開いた他者との関わりが減り、自己防衛優位で心に傷を付けられない意識が強まります。
心を開いて他者との関わりを敬うと、心の想いが気として発され、周囲はその在り方を感じ取ります。
何も考えていなくても、やる気が実際になくても、頑張っていなくても、周囲にネガティブな印象を持たれにくくなり、何もできないのに好かれる人の完成です。
そんな人になりたいかどうかは別として、心を開かない在り方があると周囲は心で何かを感じることがなくなり、「見る」「感じる」の二つが「やる気があるかないか」の判断材料になります。
やる気がないように見える仕組み
本人はやる気があるにもかかわらず周囲からやる気がないと見られる人には、「やる気」に対する特徴的な捉え方があります。
- 言われたことを一生懸命にする
- 普段の仕事をミスせずこなす
- 周囲に仕事上での迷惑をかけないようにする
- ノルマをきちんとこなす
- 自分の仕事に集中する
「自分がするべきことに対するやる気(自分のみが認識するもの)」という捉え方をします。
何にも悪いことはない個を見出すさまですが、集団の中で「自分の」という概念を作り、それのみにフォーカスすると周囲が見えずらくなります。
するべきことをこなしているのに気づくと「気」が発されておらず、周囲の「気」を認識しなくなる可能性があります。
本人にとっては大切なやる気、自らが納得と満足できるするべきことを対処する動力。
しかし、学校や会社やコミュニティなどの集団で構成されて一つの目標へ向かう環境では、自分のみが認識するやる気は周囲に認識されないやる気になってしまいます。
やる気があるのにないように見られる仕組みは、相互交流のなさによるやる気の隠居です。
ちょっと奥深くに行ってしまい、本人以外が見えないやる気です。
やる気の印象は欲・目的・主体性
やる気があるのにないように見られるさまは、集団の中で個を作ってしまうことが原因ではありません。
個は個として集団でもエースやリーダーや創作者など、個性を生かした大切な存在になります。
原因は自らが発信しない、気を発しないことです。
「私はこれだけ仕事ができる」「これだけやるぞ」「新しい仕事もやる」「評価されたい」「昇給するんだ」という人は、やる気にみなぎっている印象を持たれます。
これは情報発信が凄まじく、気を発しまくります。
気を発する状態は本人にとっての欲があり、目的を持って、主体的に発信する在り方です。
行動に欲がなく、発信ではなく受動の在り方の場合、やる気がないように見られます。
自らの行動に対する欲の有無、目的の有無、主体性の有無によって、やる気があるかないかの印象を作ります。
※やる気がない印象の原因は、壁があると言われるのは気づきの機会│壁を無自覚に作る心理と改善 をご覧ください。
やる気がないと言われる時の改善
やる気がないと言う人の大切さ
実際に言ってくる人には言ってくる人の欲と目的と主体性があります。
それらがなければ、言ってくることにやる気がないさまが表れます。
「やる気ないよね」とやる気のない人に言われても仕方がない(自らを変える機会にならない)ので、目の前の人が何を目的に言ったかの確認が改善に大切です。
やる気がないと直ぐにクビにする会社
私がオーストラリアの気温45℃の砂漠地に居た際、木の枝を剪定し、ノコギリで切る仕事をしていました。
炎天下の中でひたすら切り続ける仕事は体力的に辛く、貴重なオイルが取れる高価な木を扱うために仕事をミスする、やる気がないと判断された人は速攻クビ。初日でも有無を言わさずクビでした。
「どんな会社だよ?!」と思いながら働いていたのですが、ある日二人の男性従業員は、「はい、やる気ないから帰って」とクビにさせられていました。
私はその二人と一緒に仕事をしていたのですが、仕事はきっちりこなしていました。
このようにやる気がいくらあっても通用しない相手もおり、上っ面の外観だけを見て判断する人もいます。
しかし、クビになった人々は呼ばれても話しながら向かったり、自らボスに話しかけることはなく、わからないことがあっても聞かず、主体的に行動するさまはありませんでした。
相互交流がないと、「感じる」ことをせずとも「見る」だけの上っ面で判断して決め付けることが起きます。
やる気がないと言ってきた人に要確認
「やる気がない」と言ってくるからには言う目的が必ずあります。
自分のみが認識できるやる気は周囲に伝わらないので、言ってきた人の考え方の確認は重要な改善材料になり、相互交流の抵抗を撤廃できます。
やる気がないと判断した理由があり、どうして欲しいかの目的があります。会社の上司であれば言ったからには改善や変化の考え方があります。
「やる気はあるのに伝わらない、どうすればいいのか、どう変化させればいいのか?」と言ってくれた人の考え方を教えてもらうのが重要です。
お互いのためになり、両者が納得できる変化を作る機会になります。
もし尋ねて嫌な顔をされれば、「見て」言ってきただけの上っ面ですので関わる必要はないかもしれませんが、そんな人でもどうしたらいいか意見を伺うのは大切です。
やる気がないと改善意欲はありませんが、やる気がない訳ではないので、尋ねたり伺うことで改善意欲というやる気を発信できます。
※やる気のために大切な本気については、【本気になれないのは当たり前】心理にて安泰環境と自分を要確認 をどうぞ。
やる気がないと言われる時の対処
「やる気がないぞ」と言われる場合、明確に把握しておきたいことが一つあります。
相手は評価・判断するモードに入っていることです。
叱咤激励、指摘や助言にて奮い立たせるために人を想った発言であれば別ですが、ネガティブな意味として言ってくる場合には、「上下関係」を作ろうします。
言ってきたのが子供でもおじいちゃんでも同じ、「私が上、あなたが下」と認識している、またはしたい状態です。
これを理解した上での言われた時の自然な反応は、「うるせぇ」とこういうものですが、自らを卑下して下げる場合には、上下関係の下を作ろうとする自分がいます。
二つの反応によって対処が変わりますので、自分がどういう反応をするかの確認をしましょう。
言われて「うるせぇ」と反応する場合には欲と目的を明確にする
うるさいでございます、うるさいとは言わず思っている場合も含めて、主体性があります。
しかし、自らの行動に対する欲と目的が明確ではないと考えられ、明確にするとやる気がないと言われなくなります。
仕事であれば、「何のためにこの仕事をしているのか?」「この仕事を終えると一体何があるのか?」と行動の意味をはっきりさせます。
欲と目的は必ず「自分のため」です。
どういった意味で、何が、どこが、どうなって自分のためになるのか?
自分の何に、どこに、どのようにためになるのか?
「お金貰える」「勉強できる」「目標クリアでみんなが喜ぶのが嬉しい」「仕事を覚える経験値」「疲れてご飯をおいしくする」
行動の意味は何でもよく、自らの意思で自らのためだと認識することが重要です。
辛い、悲しい、ダメだと自分を下にする場合には主体性を持つ
言われて自らを卑下する場合、欲と目的と主体性を明確にします。
最も大切なことは主体性です。その後は上述のように続いていきます。
主体性は自らの意思が必要です。
自分で考えて、知り、判断して、評価して、決める。
言われたことをするのはサブだと思いましょう。メインではありません。
サブは先に片付け、「自分はこの環境で何ができるか?」の主体性の行動がメインです。
他者の手助けをしたり、掃除をしたり、みんなにお菓子を配ったり、自らできることをします。何でもいいんです、主体性が大切です。
周囲への気づきも大切ですが、初めは自らできること。挨拶を積極的にしたり、会話を試みたり、早くに来て整理整頓したり。徐々に自らの認識を増やし、他者への気づきへ向かうと、やる気を出さずとも周囲に喜ばれ、評価されるようになります。
※やる気が出ない時は、やる気が出ない時「自分」がいなくなる│消える意識のスピリチュアル をご覧ください。
やる気がないように見える人 まとめ
やる気がないように見える場合には、やる気がないように見せているという捉え方もできます。
自らが相手に印象を与えるつもりがなくても、見かけと感受があることで、知らぬ間に印象作りが進みます。
その原材料となるのが、欲と目的と主体性を持って行動しているか否かの在り方です。
欲はありますか?
目的はありますか?
主体性はありますか?
あればやる気があるように見えます。なければやる気がないように見えます。
言われるからには気づきの機会があり、変化の時となります。言ってくる人に聞きましょう、言いましょう。
「どうすればやる気があるように見えるのか?」の考え方を貰いましょう、考えましょう。
やる気がないように見える人はやる気がない訳ではない。わかる人はわかります。しかし、わからない人はわかりません。
他者との共存環境で生きているのが私達人間ですので、「他者にどう見られているか?どう思われているか?」の他者側の認識を知り、お互いの相互理解を深めると、言われることも、言いたくなることもなくなります。
人それぞれの性格や気質があるので、集団の中で集団に馴染もうとしたり、無理矢理関わる必要はありません。
ただ他者との関わりに壁を作らず、抵抗を作らず、情報遮断せず。相互交流せずとも、相互理解を遮断しない在り方は大切かもしれません。
言われるからには気づきと変化の機会にすることができ、それが社会性であり集団の中で個々に生きている私達ですので、言われたことを活用する考え方となれば幸いです。
自らを向上させ、より自分らしさを高めていきましょう。
それでは、やる気がないように見える人の改善のお話を終了します。
最後までご覧いただきまして、ありがとうございました。

















