本当の自分

【心が弱い人は努力しない】メンタルが弱い人のずるい真意

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寂しき孤独を常に感じ、怒り、泣き、誤魔化し、逃避する心。

心の軟弱化はメンタルの弱さをもたらし、ストレス耐性や辛抱のなさ、精神基盤の崩れに感情コントロールの逸脱が露呈。

「大丈夫?ゆっくりしようね」と声をかける人もいれば、「甘えだ、ずるい、努力していない」と叱咤する人もいる社会。

実際のところ、心やメンタルの弱さには甘えが関わっているのか、知りたいものです。

そこで、どうして甘えてずるいと思われるかの理由と真意を見ていかれてください。

  • メンタルが弱い人はずるいの?
  • 実際のところ、努力しているの?
  • メンタルを弱める原因とは?

私自身のメンタルが弱い経験にてわかったのは、あるものの使い方が自らのメンタルを弱め、さらに他者からの印象を悪くすることでした。

生きる上での大きなポイントになることを願い、一つの考え方としてご参考になれば幸いです。

メンタル(心)が弱い人はずるい?

そもそも:メンタルが弱い人は甘える余裕がない

心の在り方であるメンタル。

「もう少し頑張って辛抱するんだ」
「これくらい克服できるでしょ?」

メンタルが弱いと辛抱できず、諦め、克服できず、恐怖から逃げます。

恐怖から逃げることも勇気です。

と言っても、メンタルが弱い人は勇気がありません。

選択は常に逃げる。ですが、ただ逃げるのではなく、対処として逃げるのが特徴です。

恐怖を克服する心の余裕がない。

実際には甘えている余裕などなく、常に恐怖心に追われている心の内情があり、自己対処に忙しいメンタル弱化状態。

この前提があるため、メンタルが弱い人と、それを周囲から見る人とでは、見ている世界が異なります。

 

メンタルが弱いと見ている世界が全く違う

世代や価値観、生きてきた歴史や経験値の違う私達人間の共存社会では、物事の捉え方(認識)がさまざまになります。

お葬式で笑ってしまう人の背景を鑑みる前に、「何考えてるの?非常識ねぇ」と思う人がいれば、高い所で急にうずくまって動かなくなる人を、「高所恐怖症だ、助けないと」と思う人もいます。

ほとんどの人は、自分の世界から物事を認識するのが常識です。

皇室生まれと、河川敷生まれでは違うように、メンタルの護る術を知ら由もなく育った人と、メンタルを護られて育った人と、メンタルの護り方を教えられながら育った人は、見ている世界が違います。

自らの見方に偏ると何が事実かわかりにくくなりますので、実際にメンタルが弱い人の内情に入ってみましょう。

参考材料は私自身です。

 

自分に偏りながら、他者の影響を取り込む認識

メンタルが弱いと周囲の反応に敏感になり、他者の言動に一喜一憂し、ちょっとしたことで傷つき、翻弄され、影響されます。

感じやすく、考え込みやすく、敏感になり、一つ一つの言動認知がミクロになり、人が怖くなり、恐怖症などの病気や、うつなどの神経症を患いやすくもなります。

克服した今だから言えますが、メンタルが弱い場合、味わってきた経験や恐怖の感情などを今起きている目の前の現実に投影する、そんな認識が当たり前になります。

例えば、アラスカの森の中で野生のムースと対面した私は、動物園のムースが同じ動物とは一切思えないほど違く見え、動物園に行った時に、「これはムースじゃないよね?」と思います。

しかし、今の現実は動物園でパクパクと枝みたいな草を食べている呑気なムースがムース。

知らぬ間に自分の世界にこもった見方をして、「これが現実なんだ」と思おうとするイメージです。

「昨日の飲み会はちょっとやり過ぎでしょ、はっちゃけてたね」と言われると、

「え、嫌なことしちゃったかな?恥ずかしい、やるべきではなかった、言い過ぎたんだ、うわぁどうしよう、もう行くのやめよう」となる。

相手の真意は、「(この人にはこんな一面があるんだ、面白いな)」ということは知らないし、知る由もなくなり、相手の認識を含めた世界を見ません

メンタルが弱いと自分のみが主体の認識に偏りながら、他者からの影響を引用した、自己都合の世界を無意識に作りやすくなります。

自己中心的でありながら、他者の言動や影響を気にして、気を使ったり、優しくしたり、嘘をついて、誤魔化し、我慢するさま。

自分が思う自らの言動と、他者が思う自らの言動に、大きなズレが生じながら気づかない状態です。

ここに、甘えやずるいと思われる理由が潜みます。

※メンタルが弱いと優しくなる詳細は、メンタルが弱い人の『優しさ』は短命。【優しくする際は要注意】をご覧ください。

 

頑張り方が違うと甘えに思われる

メンタルが弱いと恐怖やストレスなど、自分にとって嫌で認められず拒否したくなるもの(恐怖心)に心理的に追われます。

不安・緊張・恐怖・不利益・不納得・拒否にあらがうことに忙しく、「あなたはメンタルが弱いナルシシストだ」と言われれば、「嫌だ、そんなことはない、認めない、拒否する」と自己世界にこもるために忙しくなる状態です。

メンタルにもろに影響することの対処や排除に追われた自己世界に、他者を含めて捉える現実は少なく、余裕がなくなります。

余裕がある人の世界は、物事を自分だけでなく[自+他=現実]として捉えるので、両者が見ている世界は全く別物です。

余裕がない状態では心が崩れると自己を保持・維持できない、いわゆる自己喪失の怖れがあるので、メンタルが弱い人にとってディフェンス意識は必須です。

この怖さは、海で海底を見ながらフンフフンと泳いでいたら、疲れるほど沖の遠くに来てしまい、突然底がなくなって深く真っ暗な世界に包まれ、その暗闇を突き進むようなイメージです。

怖いことに直面できないので、ストレスや緊張や受け入れられない出来事が起きると笑う、現実を直視しないために自己世界に入る、怒りや涙を発散して感情のなすがままにするなど、心の防御を第一にした人それぞれの頑張りになります。

頑張ることの意味が、心のディフェンスによる恐怖心からの逃避や誤魔化し。

とても大切で欠かせない行為です。

しかし、心のディフェンスが第一優先ではない余裕がある状態では、「え、ただの自分のための行動だよね?」と思えます。

  • メンタルが弱い人にとって、自分の心を護ることが頑張りであり必要な対処
  • メンタルが弱くない人は、自分のためだけの利益作りに違和感や疑問を抱く

両者は見ている世界が違い、メンタルが弱い人にとっての頑張りは少し特徴的です。

追われていることを拭う対処によって心を護っており、追われているのは他者のせいである念を潜在的に持つ人もおり、頑張る意味に無意識の正当性を持っている可能性があります

この努力はずるく思われる理由があります。

 

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メンタル(心)が弱い人は努力しないでずるい

メンタルが弱い人は努力しない

特徴的な“頑張り”は、自らの抵抗や抑圧を拭うこと。

心のディフェンス心理が徹底的にあるため、「心を傷つけない」は無意識のモットー。

心を傷つけないように頑張り、逃げることは本人にとっての努力にもなります。

しかし、精神を削ってでも、心を痛めてでも、他者のためでも、嫌々でも努力する人は否が応でも思えます。

「それって努力じゃないよね?」

両者は見ている世界が全く違います。

日本の精神美徳による我慢や忍耐を求めているのではなく、嫌なことに立ち向かい、克服する姿勢や行動が努力として人々の目には写りやすいと思います。

この理解では、メンタルが弱い人は甘えではありませんが、努力はしていないと考えます。

恐怖心から逃げるための頑張りは、どれだけ頑張っても自己利益を見出し、不利益を一時的になくす対処にはなりますが、向上や改善や克服はありません。

「自分のことだけ考えて、自分だけ得してずるい」ではなく、「それって努力って言うの?」というシンプルな違和感。

これは努力しないのが悪いのではなく、努力できない理由があると考えられます。

 

心の余裕がないと努力するのが困難

私がそうだったのですが、恐怖心に追われている状態では甘える余裕がないのを初め、恐怖心に立ち向かい、克服する努力が困難です。

メンタルが弱ければ弱いほど、恐怖心と向き合うことができません

克服せずとも、嫌なことをもう少し辛抱し、直ぐに諦めずに努力したいものですが、心の余裕がないとディフェンス意識を外せない自己防衛がフル回転。

自己愛によって自らを保持する、もしくは自分を喪失させる絶望への道ですので、心があれば必ず自己保持の愛を選択します

自己愛が優位になると認識が偏る自己中心となり、ナルシシストな在り方が目立ち始めながら本人は気づかない(自覚の拒否)状態です。

できるのは嫌なことに立ち向かう努力ではなく、自らを愛して護る防壁作りになり、心を護る頑張りにフォーカス。

感情と欲求を主体に喜びを求めつつ嫌なことから逃げ、ポジティブ思考に偏ったり、悪の絆を深めたり、嫌なことを味わわないための頑張りが強くなります

恐怖に追われる心理の中では大きな頑張りであり、ポジティブ引用によって自らを変える工夫や、向上を目指すさまになります。

しかし、恐怖から逃げるための対処や工夫であり、努力ではありません

嫌なことに向き合えって本気で努力できる人は一部であり、ほとんどの人は心の余裕のなさはそのまま心の弱さとなり、努力したくても困難です。

※努力できない原因は、【甘えではない楽天的努力家】努力できない自分が嫌いな人に大切なこと をどうぞ。

 

エゴを多用する人はずるいと思われる

心を護るために愛を使う人もいますが、愛からも逃げる人がいます。

エゴです。
※エゴとは他によって自らを見出す意識

メンタルが弱くなり、自分にとっての頑張りをしなくなった時、諦めや妥協がさらに増え、逃避するだけでなく他者への執着、物への依存、他責で他力、攻撃的になって現実との向き合いを度外視します。

  • 誤魔化すことで笑って恐怖を逃避
  • 他責になって罪悪を感じないようにする
  • 他者と比較して自らを正当化
  • 事実を見ないように自己世界にこもる
  • 言い訳を作るために思考を多用
  • 認知を歪ませて自己都合の感情や欲求に従う
  • ‥‥

全ては恐怖対処であり、この社会で生きていくためには欠かせないエゴの使い方です。

例えば、目の前でいじめられている人がおり、止めようとしますが相手は三人。

心の余裕がないと努力できないので、理由も聞かずに怒りを発散して三人をボコボコにしたり、止めずに逃げる自分を泣いて誤魔化したり、見てみぬ振りをする自分に言い訳を作り、笑ってなかったことにします。

本人にとっては心を護りながら、エゴによって誤魔化す頑張り。

しかし、心に余裕があったり努力する人は、いじめを止めても止めなくても、「嫌なことである痛み」を受け止め、現実を認めて恐怖心と向き合います。
※メンタルが強いとは、他者に興味を持たないことで動じない心ではありません

メンタルが弱いと痛みを受け止めることができず、自分なりにできるエゴの頑張りによって自己防衛を図ります。

もし恐怖心と立ち向かえば他責の被害者意識を持ち、周囲には努力とは程遠い印象を与え、日本社会の保守的防衛価値観が追加され、「弱さを変えずに自分のためを貫く正当性」が出てきます。

「少しは頑張ってよ!」「もう少しだけでも努力してよ!」と言うこと自体が、まるで弱者を咎めている社会構図になり、まるで悪者になって罪悪感を感じます。

「ずるい」

こう思うのは自然です。

※めんどくさいと思う理由は、「なぜめんどくさい?」自己肯定感が低い人の解釈違いと最適化案 をご覧ください。

 

エゴが強くなればなるほど努力しないで甘える

エゴとは本当に欠かせない社会で生きるための術ですが、エゴが強くなると誤魔化すために“他”へのすがりが強くなります。

努力も頑張りもしないで甘える人は、現実をなかったことにして、思い返すこともせずに他の物や人への執着に一点集中する傾向があります。

快楽に向かって気を晴らし、執着と依存にて逃避し、感情を発散するために他者を使います。

怠惰欲への浸かりであり、一切頑張りや努力をしないだけでなく、自らの弱さに甘んじた結果、社会から疎外される可能性もあります。

この典型例が、すぐ怒鳴る人、プライドが高すぎる人です

 

メンタルを弱め、他者からの印象を悪くする原因

全ての元凶となる「あるもの」

「甘え、ずるい、努力しない」と思われ、実際に努力せず、メンタルを弱め、不変を貫き向上しないさま。

全てにはあるものが関わります。

あるものとは、自己愛の使い方

メンタルが弱い人は、自分の愛し方がわからないと考えられます。

私がそうだったのですが、自分をどう愛し、何をすれば大切にできるのかわかりませんでした。

この結果、自らを傷つけて快感なんてことも起き、人それぞれに抑圧の解放方法や、感情の扱いがわからず、人生だけでなく自分との向き合い方がわからなくなる可能性もあります

恐怖心を克服した時にわかりましたが、自分の愛し方を忘れているか、抑圧してなかったことにしています。

肌の関わりや会話など、繋がりを認知するスキンシップ(愛)がないと、赤ちゃんは死んでしまうという悲しい実験が800年程前にあり、今生きている私達は何かしら愛を教わり、愛を知る体験があったと考えられています。

しかし、記憶にあっても抑圧して閉じ込めてしまうと、自分の愛し方がわからなくなり、自己愛の使い方が逸脱します。

親である必要性はなく、育ててくれた人との記憶に思い出すべきものがあります。

思い出す必要もなく、無意識に脳内にある人は、メンタルの弱さで困ることは少ないかもしれません。

メンタルとは自分如何でどうこうなるものではなく、生まれた環境や、成育環境に左右される度合が強いと思います。

メンタル保持の基盤がその当時にあり、自分の愛し方をわかっているか否かで、今後のメンタル調整や補強や成長の橋渡し、そして意志の見出しが大きく変わります。

メンタルが弱い時の着目点は自分の愛し方であり、どれだけ自分を知っているか意味します。

※メンタルが弱い時の作用は、傷つきやすい人の優しさと攻撃的質【傷つきやすい人ほど人を傷つける刃がある】をどうぞ。

 

自己理解がなければないほどメンタルも心も弱くなる

どれほど自分を知っているでしょうか。

自分の愛し方の理解には、心の認知があり、記憶の受け入れ、抑圧の解放、自らに対して自らが客観的に接する思いやりがあります。

恐怖から逃避するのは大切ですが、逃げ続ける先に何があるか考えようとする姿勢が自己理解です。

自己理解がないとメンタルという心の在り方、心との向き合いが弱くなり、心そのものの認知がなくなると心が弱くなります。

すると、残る先はエゴか闇です。

どちらも感情を野放しにするコントロールの逸脱ロード。

メンタルが弱くなると誤魔化すための頑張りになり、一時凌ぎの快楽や逃避を好みます。

社会に飲み込まれるためには大切ですが、自分の考えがなくなり、創造性がなくなります。

自分なりの頑張りはできても努力ができなくなり、自分と他者の世界に大きなギャップが生まれ、甘えやずるさが表れます。

認知が歪み、何が正しくて、自分はなにをして、何がしたくて、何を求めているのかわからなくなります。

社会は手を差し伸べず、保障制度と制約を提示します。変わらない道であり、変わることを求められない沼にハマります。

自分とは何なのでしょうか?

メンタルであり心、そこには自己愛、感情、思考、感覚、記憶、意識があり、自分だけではない他があります。

「自分の愛し方とは何なのか?」を知っていく先に、メンタルを強める道が開きます。

 

メンタル(心)が弱い人は努力しないでずるいのか まとめ

この内容で見出されるのは、メンタルが弱いこと以上に、エゴに執着して心を護るために、恐怖からも愛からも逃げる心の弱さ。

そして、その不変を貫いても気にしない社会との関わり方です。

このことから、悪意がある場合は別ですが、メンタルや心が弱い人を甘えだ、ずるい、努力しないと言う人は非常に重要だと考えます。

私自身メンタルが弱く、変化させるのに苦労したことで強く理解しているのですが、メンタルが弱いのは大きな問題ではありません。

問題はメンタルが弱くても変えようと奮い立たないこと。

「どうして私はメンタルが弱いの?心がこんなに弱いの?」を考えないこと。

しっかり休息していても必要な行動へ向かわないこと。

恐怖心と向き合わない正当化です。

メンタルは成育環境次第で弱くも強くもなり、自分次第ではなんともできない部分があります。

幼い頃に自尊を穢されず、穢されても愛情を貰い、不信感の与えを多少なりとも調整してくれる幸運な環境で育てば、メンタルの護り方を理解し、少しずつ嫌でも恐怖心と向き合う努力ができます。

幸運でなければ護り方などわからず、現実逃避して誤魔化すか、他者を傷つけてなんとか心を維持させるエゴに執着するか、人生を終える選択に向かいやすくなります。

しかし、恐怖心と向き合えず、逃避が癖になっていても、自己理解は常に自分次第です。

変わらなければならないとわかっていながら変わらないのは甘えです。

わかっていない場合は甘えではなく無知です。

変えるために行動するのが努力であり、必要なのは自己理解です。

楽して得するのではなく、ずるくて困るのは後先の自分であり、「ずるい」と言う人は利益がないのに言ってくれます。

否定や批判は辛いものがありますが、言ってくれる人にも、言われる人にも思いがあり、両方を捉えた時、私達は現実を初めて垣間見れることと思います。

メンタルに潜む理解が、言うご自身や、言われるご自身を知る一助となれば幸いです。

最後までご覧いただきまして、ありがとうございました。

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POSTED COMMENT

  1. 通りすがり より:

    とても意義のある内容だと思いますが、例や言葉の使い方、助詞や副詞の使い方のせいで、大変読みづらい文章になっているのが残念です。
    こういった記事を読みにくる人は何かしら心に重いものを抱えている人が多いと思いますので、読みづらいと途中で読むのを止めてしまう可能性が高いと思います。
    ご自身以外の人が読んで、文章の内容が分かりやすいものになっているかどうかをポイントにして文章を何度か読み直し、添削してから載せられることをおすすめいたします。

    • 北斗 より:

      ご指摘、感謝。
      勉強と成長の励みとなります。
      ありがとうございます。

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