スピリチュアル

徳を積むとはスピリチュアルな『神のサポート&恩返し』│心理・仏教・神道にある徳の性質

「そういえば、豚だった時の私はコガネムシを食べないであげたんだよなぁ」

「あの徳、どうなってるかな?」なんて回想、よくあると思います。

過去世、輪廻転生、因果応報、恩徳精神など、『徳』をにおわせる言葉がありますが、徳を積むとは一体なんなのでしょうか。

豚が積んだ徳はいずこに?

徳について紐解くと、貯蓄であり、生き方であり、縁起のサポートであり、見えないながらも私達を支える生きる道だとわかります。

そこで、徳を積む意味をわかりやすくするために、スピリチュアルな理解をお伝えします。

  • 徳とは何なのか理解を深めたい
  • 徳を積むスピリチュアルな意味を知りたい

仏教や神道に馴染みのある日本人だからこそ理解を深めやすく、生き方の指標になる大切な思想。

生きる意味にもなる一つの考え方として、ご参考になれば幸いです。

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徳を積む意味:心理、仏教、神道

徳の種類&それぞれの例

徳は仏教や神道をはじめ、儒教や道教にあり、特に中国の哲学では重要視されています。

私達日本でも仏教と神道があることで、恩徳精神や神様崇拝が文化や美徳にもなり、思想や生き方にもなっていると思います。

そんな徳、少しわかりにくい言葉ですが捉え方が三つあると考えますので、初めに分解します。

徳の捉え方
  1. 短期・一時的な徳
  2. 中期・継続的な徳
  3. 長期・持続的な徳

分類はシンプルに短いの、少し長いの、もっと長いの、とお考えください。

それぞれの徳は着眼点と性質と働きが異なりますので、それぞれの徳の例をご覧に入れます。

 

①短期的な徳

一つ目はゴミ拾い、掃除、寄付、手伝いなど、一つの行為で一つの徳を積みます。

徳とは、「善い行い」によって貯まるポイントみたいなものでして、仏教では善行の因果(カルマ)を意味し、善行善果(善い行いをすれば善い結果が返ってくる)と考えられています。

善行は自分のためにでき、自分以外の他のためにもできます。

例えば、家の掃除をすれば自分のため、寄付をすれば誰か他者のため、ゴミを拾えばその場の環境のためになります。

徳ポイントがチャリンと貯まり、行為の積み重ねによって徳が積まれていきます。

 

②中期的な徳

二つ目は少し時間が長くなり、継続的な善行によって大きな徳を積みます。

ゴミ拾いであれば、ポイ捨て掃除からインドの街中を掃除するレベルになり、ボランティアや寄付などを継続的に行うことで結果が生まれる徳です。

パパッとできるものではなく、身近な友人の悩みを解決したり、人を助けたりなど、行いの継続性と自他の関わりを深める努力によってもたらされる徳です。

 

③長期的な徳

三つ目は継続時間が長い善行であり、とてつもなく大きな徳を積みます。

自らの人生を何か、誰かのために費やすレベルであり、嗜好や娯楽や快楽など一時の利益ではなく、人間の根源部分を育む成長や学びの与えなど、多くの恩恵や価値へ繋がる善行です。

役目や使命感を持って働く人、自分の人生を他のために費やす人、自ら苦しんででも他者に成長と学びと循環を与える人などが該当します。

持続的な行為であり、人生を捧げるライフスパンのものほど徳が積まれます。

 

徳を積むとは?

徳を積むとは善い行いをすること。

何が「善い、正しい、大切なのか?」を理解した上で、善行によって徳がポイントのように貯蓄され、結果として善き見返りがあります。

仏教では、徳を積むことで今世の自分だけでなく、来世や家系に所属する家族にまで善の見返りが継承・応報され、安心や幸福を得る材料とも考えられています。

「来世の幸福のために今世でたくさん善いことをするぞ」と生きる意味にもなるのが徳の思想です。

このように行為の徳結果における徳があり、徳の種類が継続性によって変わることから、徳の性質も存在します。

徳の三種類を見ていただくとわかるのは、継続性による時間の長さに比例して、「自分のため」に「他のため」の目的が加わっていくことです。

善い行いを他のためにすると、徳を積む行為と結果以外にも、徳の性質が加わります。

徳の性質は、徳を積む意味を表す最重要点だと考えます。

 

徳の性質を表す心理・仏教・神道

自分のためだけでなく、他のための善行。

その行為が善なのかどうかは他(人や動物や社会や環境など)そのものにしかわかりません。

他をできる限り理解しなければなりませんので、徳を積むための継続性が長くなればなるほど、自と他を繋げる努力を要します。

いわば、他が自分と一心同体であればあるほど徳を積めます。

この自と他を繋げる努力に徳の性質があり、言い換えるとこうなります。

アドラー心理学で言う、『共同体感覚を育成して、他と調和・協調する意志や行動』
※Wikipedia 一部参照

ユング心理学で言う、『集合的無意識の自覚を増やし、自己の元型に帰着するための成長』
※Wikipedia 一部参照

仏教で言う、『菩薩行』

(自分の幸せだけでなく、人々の救済のために努力する生き方)
(人々と共に悟りを目指し、努力し続ける行動)

神道で言う、アニミズム(自然崇拝)、八百万の神

(どこにでも神を見ることで、全てを敬い、感謝する思想)
(自然を敬い、祖先に感謝し、親を尊重し、全てと共に生きる)

あらゆる全てのものが繋がり関わり合って紡がれている原理を前提に、自と他を繋げる努力をする行為と結果に、

「縁、因果、継承、共同体、平等、慈悲、成長、学び、尊重、感謝、愛、共存」がある。

これが徳の性質だと考えます。

徳を積むとは、徳の性質を体得するための経験であり、努力の行動です。

 

徳を積むスピリチュアルな意味

「徳を積む=神のサポート」

『自分と他を繋げる努力であり、徳の性質を体得するための経験』

ここにスピリチュアルな理解を含めると、繋がりや経験は意識やエネルギーの交流になります。

自分と他の意識やエネルギーを交流させ、一心同体のように調和や平和を作ることで徳を積みます。

言葉では簡単ですが、これはおそらく神の御業です。

ここで言う神とは、ワンネスや光や創造主や宇宙の原理(ヤハウェ、アンマ、天之御仲主神など)のことです。

共同体感覚の源であり、集合的無意識の源。

全てを一体としてこの世の破壊と再生の仕組みを司る中核であり、宇宙の原理そのもの。

神の所業を私達人間はできませんが、サポートはできます

神のサポートとなるのが徳であり、その行為における在り方や気持ちや状態が徳の性質を体得させます。

  • 自と他を繋げることが縁起のサポートになる
  • 努力することに成長と学びと因果の解消がある
  • 他のための善行によって平等や尊重を作る
  • 感謝や愛を抱くことで宇宙の原理の一部となる

徳積みは自他をエネルギーで繋げ合う努力と経験。

自他を平等に認識し、比較や優劣の差をなくし、調和と協調、慈悲と同情、愛と恐怖、継承と繋がりを作る努力が神のサポートになります。

 

徳を積む人は神(宇宙)から与えられ、守られ、助けられ、授けられる

神のサポートは言い方を変えると、縁起の修復と、波動の向上です。

利己をやめて利他になることで、自+他によって構成される原理の抵抗を解消させ、縁が循環します。

徳を積む人は動物と仲良し、虫と仲良し、自然と仲良し、人と仲良しです。

縁起を修復するとみんなが寄ってきて、慕われ、好かれ、頼られ、信じられます。

粒子や質量エネルギーによる振動が整い、振動数が上がり、波動は改善されるだけでなく向上します。

それも自他共に向上します。

徳を積むとは自分と他を繋げる努力によって両方の波動を高める行動。

神のサポートは気高い因果であり、スピリチュアルな理解ではグループソウル全体に徳の恩恵をもたらします。

誰かが徳を積むことで同じグループ内の家族にも影響し、グループそのものの集合波動が高まります。

集合体の波動の高まりは、一個人の波動とは比べものになりませんので、宇宙や原理、ワンネスそのものへの影響に及び、大きな応報があります。

因果応報でもありますが、宇宙の等価性であり、エネルギーの同調作用による引き寄せでもあります。

自分と他、そして全体の波動を高める徳積みは、神(自然や宇宙や原理)からエネルギーを与えられ、守られ、助けられ、授けられます。

あらゆる幸福と運気を頂き、エネルギー体である私達人間は気高くなり、光を放つようにオーラを美しく輝かし、肌艶に表れ、他者の目に写り、人生を豊かにしていきます。

神から応報がある人はとにかく運がよく、運がいい人は徳をたくさん積んだ人だとわかります。

 

徳を積む際の注意点

中国の思想には陰陽思想で分けた陰徳と陽徳(顕徳)があります。

「陰徳有る者は、必ず陽報有り」
by 準南子(中国 前漢時代の思想書)
※コトバンク 引用

  • 陰徳…見返りを求めず誰に見られずとも善いことをする徳
  • 陽徳…直接表立って善いことをする徳

陰陽にはどちらが善い、正しいの概念はありませんが、表立つ陽徳に関しては悪徳を作る可能性があります。

どうしても人間の性質上、優越、損得勘定、見返りを求め、他者承認欲求のメンタルが入るなどのエゴが出やすく、行為に邪念や煩悩が入ると反対に悪行となってしまい、注意が必要な徳の性質があります。

あれこれ構わず徳を積めばいいとは違い、性質を理解した上で行動する大切さがあり、善いことをしているつもりでも、着目が自分にしかなければ結果的にたくさんの悪行が返る惨事になりかねません。

例えば、テレビ画面の中にいる人々、そしてその影響を受ける人々。

影響が広がりやすく、人々に善き影響を与えると徳を積みやすい反面、善き影響でなければ悪徳をバフンッと積み、悪い影響を受けたことで悪行の加担行為をする危険性もあります。

どんな影響を与えたか(または受けたか)は人それぞれの波動を見る必要があり、波動を下げれば元々の波動を奪い削ぎ落とす行為になり、神のサポートの真逆になります。

「自分のため」の善行はとても大切ですが、

「自分のために他者を使う」など他を巻き込むエゴには注意がいります。

「自分のためにならず他のためになる」であれば、自らの波動を下げながら他の波動を上げるので「善い悪いどっち?」というところですが、波動が下がった状態では周囲に波動の低いものが寄り、結果的に波動を下げ続ける中・長期的な悪行を作りやすくなります。

仏教では陽徳以上に陰徳が徳を積むと考えられており、エゴを含めず自らの波動も下げない行為が、『人知れず善いことをする在り方』

「他のためが自分のためになる」という気持ちを持ち、電車の座席を譲る際はわざわざ優しさを表立てず、静かにソソソと席を離れる。

誰もやりたくない汚れ作業があれば、みんなが来る前に片づけちゃう。

「なんか今日は家が綺麗な気がする」と気づいた家族がいれば、黙って背中でニヤッとするくらいが徳を積んでいたりします。

 

気高い陰徳:人知れず自己犠牲にて成長を与える

人生を費やして他のために生きる、誰もやりたがらない家業を継ぐ、汚れ作業を人目に付かず行うなど、さまざまに徳の高い陰徳があります。

徳を積む人は自分を主張する以上に、他のために重きを置きます。

そんな徳の高い陰徳の中でも、より気高い徳積みと考えられるものがあります。

自分の人生を犠牲にして、他者を苦しめて成長を促す行為です。

ライフスパンの長期的徳であり、自分の人生を辛く苦しいものにしてまで他者に人間としての本質的成長、根源理解を促す行為は、高徳の極みと考えます。

例えば、アル中で子供達を苦しませた親。

病気を患い、パートナーに辛い介護をさせた夫(妻)など。

自らの不平不満や怠惰やエゴ、憎悪や怨念によって崩壊を導き、他者を巻き込んで迷惑をかけるのとは違います。

自ら長期的な苦しみを味わうことで、周囲に辛い影響を及ぼすと同時に人間理解や成長を促す経験の与えとします。

例えば、アル中で子供に暴力をふるい、迷惑をかけ、周囲の冷たい目を作り、家庭を崩壊させた場合。

多くはエゴの過剰による自己中心性や弱さですので徳にできませんが、稀にいる魂レベルの高い人(グループソウルのリーダーなど)は、魂として既に持つ強さを糧に、他者に苦しみを与える鬼の代わりを引き受けます

神がいれば鬼がいてこの世が成り立ちますので、鬼の代わりはサポートであり大儀高徳。

鬼代わりができる人は経験豊かで他のために生きていた人、知的で強くて優しかったのですが何かを拍子に人が変わったように狂人化し、突然自他を苦しませる傾向があります。

ただ恐怖を味わわせるのではなく、苦労によって恐怖に打ち負けない愛や知性、辛い中でも起き上がる強さを子供に与え、見えにくいですが隠れた愛がある特徴です。

子供はたくさんの過酷な経験をしながら、最終的に這い上がります。

家族関係であればグループソウルの助けや、他の家族が積んだ徳や過去世の徳の関与もあり、他者にプラスの影響を与える力や徳を積む基盤を養い、大きな成長と感謝を育むレベルアップとなります。

人に苦しみを与えることは因果の悪行であり、罪でもありますが、本質的にはそこにある波動を見る必要があります。

一時的に波動が下がっても、長期的な因果の経験にて大きく丈夫な波動の高まりがあれば、「ダメな親だ」とレッテルを張られていた人は大きな徳を積んでいます。

もし親がただの狂人である場合、子供本人が許しを与え、感謝や尊重を持った時、子供が大きな徳を積めます。

悪の創作者は社会的には忌み嫌われますが、そこに隠れる愛があるかどうかにて、大きな陰徳を積む、または他者に徳を積む機会の与えになる、という考え方です。

自らの人生を壊して、人を傷つけ、罪悪まで感じ続け、罰を与えられ、先行きの見えない真っ暗闇へ自分の足で歩み進める行為は、考えられないほど強靭な勇気と愛と意志がなければできません。

自己犠牲による成長与えはとても気高い徳積みです。

 

徳を積む人とスピリチュアル まとめ

継続性、自他の繋がり、努力と経験、神のサポートがキーワードとなる徳を積む人。

他を守り、助け、与え、授けます。

守ることは同情であり慈悲。

助けることは調和であり優しさ。

与えることは余裕であり愛と恐怖。

授けることは繋がりであり継承と縁。

私達人間は利益をはじめ、影響に成長、強さに機会を与える力があります。

与えるためには強さが要り、愛だけでなく恐怖、光だけでなく闇があるからこそ、本当の意味で「他のため」に与えられます。

徳を積む人は自分をはじめ、他のために善行します。

ゴミ拾いや掃除は地域や環境のためになり、ボランティアや寄付は人や社会の繋がりになり、悩みの解決や人間理解の教えは本質や根源的な成長になります。

何が善いのか正しいのか。

その人にしかわからないものであり、価値観ではなく心の濃密度であり理解度だと考えます。

スピリチュアルな理解では波動に答えがあります。

波動には善悪良悪はありませんが、振動数・幅・リズム・整然性に高低があり、幸福と不幸な状態を明確に表します。

徳を積む人は幸せな人。

それはエゴのニヤケや悦浸かりではなく、動物的な快楽に満足でもなく、人間にしか味わえない余裕と豊かさ。

宇宙の原理である真理に近づくさまであり、ワンネスと繋がる体感を味わい続ける生活。

自分は未熟な存在であると噛みしめ、謙虚に他と関わりながら切磋琢磨して、成長のために努力して生きる人生。

愛と感謝と尊重に溢れた善きものかと思います。

そんな徳を積む意味、ご参考になれば幸いです。

最後までご覧いただきまして、ありがとうございました。

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