心理

【日本の特性】優しいけど思いやりがない人の特徴と心理

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「日本人ってどんな人?」

海外の人々から聞かれた際、私が答えるのは、

「優しくて思いやりがない人かな」

これは、「周りをよく見ているけれども、人の中までは見ない」と同義です。

実体としてどんな人が優しいけど思いやりがないのか。

ここでは特徴と心理を紐解き、「はたしてどんな人なのか?」「そもそも思いやりとは簡単に持てるものなのか?」に詳しく迫ります。

  • 優しいけど思いやりがない人を詳しく知りたい
  • どうして思いやりがないのか考えたい

日本の生活環境で思いやりを持つのは困難。

だからこそ優しさでやり過ごす、そんなひねくれた考え方。

私自身思いやりを勉強中の身でわからないことだらけですが、少しばかし人間理解を深めるご参考になれば幸いです。

優しいけど思いやりがない人の特徴

優しいけど思いやりがない人の特徴12選

初めに特徴を順番にご覧ください。

1,無駄が嫌い

「わざわざ遠回りしてこの道を通る意味は何?」

納得できる答えがなければ認めない。そんな自分主観が絶対的な特徴です。

「納豆は200回搔き混ぜると最も栄養価が高まるんだ」と納得いけば、「毎日200回ネバネバしてくれる商品売ってないかな」

やらなくていいことをなくす効率化を重んじ、なるべく無駄なく納得のいく状態を求めます。

 

2,合理的&理論的

合理と理論に重きを置きます。

「ボールを打つ時は思いっきり振るのではなく、腰を中点にキュッと回すだけ」

物事を理詰めで考えるのはもはや癖です。

「ミニチュアフードで同じだけ栄養素が取れたらなぁ」なんて寝言してるとかなんとか。

 

3,ルールと経験が基準

時間と空間、概念と現象、経験と実体験。あらゆる既存のルールと経験に基づき、物事を見て、感じて、考えて、評価して、判断します。

「あのラーメン屋はおいしくないんだって」
「へぇ、食べたことあるの?」
「え、いや、それはないけど」
「じゃあ信じられない」

ズバッとはっきり言うことが多く、知らぬ間に他者を傷つける。

反対に何も言わなくなり、面倒事をなくそうと当たり障りなくなる。

基準があるため、はっきり言う、話すに値しないとあしらうなど、主導権を離さない極端なさまがあります。

 

4,生真面目

完璧主義の人も多いです。

ルールに従い、理論で分類し、正否で型枠を定め、良悪で答えを見出す。

枠にはめて物事を理解しようとする傾向があり、正解と間違いで区分けようとするのはもはや癖です。

 

5,人に興味がない

人と関わっていても、相手に合わせるのが主

自分が主観でありながらも自分本位ではなく、人との関りは好ましさ以上に嫌なことの方が多くなりがちです。

誰もいない場所で好き勝手ノーストレスで生きていたい人であり、それをする個人能力や自力があります。

 

6,知性が高い

頭がいい人です。

地頭とは違うのですが、頭の使い方に定型と自己ルールがあり、「こうなればこうする」「相手がこう出てくればこう返す」などのプログラミングで網羅しています。

学問的・西洋的・社会的(いわゆる定型思想)な頭の使い方に長けています。

 

7,自分を騙している

誰しもではありません。

これを自覚している人ほど、周囲から優しいと思われる成果を上げています。

誤魔化しと嘘と演技を用いて、理論的に他者から優しいと思われる評価の得方を心得ています。

 

8、押し付けが多い

無意識であることが多く、悪意なく、むしろ善意で押し付けます。

コーヒーとミルクを別々のカップで交互に飲んでいる人がいれば、「カフェオレ飲めばいいのに」と思っちゃう特徴です。

「これが正しい」
「もっとこうするべきだ」
「そしたらこの人のためになる」

主観が自分から離れないため、正当化や決めつけであることに気づきにくく、自分が思う答えを押し付けていたり、知らぬ間に非合理的なことをしていたりします。

 

9,個人特化型

集団では無駄があまりに多く、モチベーションが出ず、むしろやる気がなくなります。

個人競技では心置きなく力を発揮できるため、自然と個を尊重し、個を強めた在り方になります。

山の中で自給自足するような個ではなく、あくまで社会性の中での個という特徴があり、ルールに合わせながら個を護り貫くので、集団から理解されにくく反発を食らったり、独特な変人に思われることも。

 

10,我慢強い

我慢する経験が多い人。

欲求と感情を抑え、好きなこともやりたいことも、本音も真意もギュウギュウにして、言われたことに従い、強制されたことを励んできた過去、または継続している現在があります。

我慢が多い生活環境でも、耐え続ける力があります。

周囲を把握し、他者に適応して合わせる能力にもなり、優しさや演技が上手になります。

一方で、合わせるだけでは思いやりにはならないため、優しさ提供に慣れれば慣れるほど思いやりから遠ざかります。

 

11,真似が得意

最も大きな特徴です。

他者がしていることの真似、既存の引用が得意であり、コピー能力がとにかく高いです。

個人能力が高いと既存のものを超える結果を残し、嫉妬されることも多いです。

 

12,飽き性(本気度が低い)

真似だけでなくより良いものへと進化させる力があります。

が、飽き性であるために熱量が衰退しやすい特徴が目立ちます。

深みに入らないため理解が完結しておらず、能力が完成せず、成果が中途半端に終わります。

比較競争では上位に行きますが、あと一歩足らずに終わることが多く、本気になれない悩ましさがあります。

以上が、優しいけど思いやりがない人の特徴でした。

 

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優しいけど思いやりがない人の心理

優しいけど思いやりがない人は「自己から離れない」

[優しい & 思いやりがない]

なんとも矛盾に思えますが、実は明確な意味を示します。

[周りは気にする & 他者の内側までは介入しない]

優しさは自らの周囲を配慮し、把握することで提供できます。

困り顔で道路を渡りたがっているおばあちゃんがいれば、道路を渡る手助けをするのが優しさ。

一方、思いやりは他者の内側まで把握しないとできません

道路を渡るなんてへっちゃらな健康おばあちゃん。実はトイレに耐えられず判断能力が一時的になくなっており、恥ずかしいので他人には言えず、困り顔でアタフタ。

本当にして欲しかったのは、たらたら道路を一緒に渡ることではなく、無振動かつダッシュで家まで丁重に送ってもらい一刻の争いに勝つこと。

優しいけど思いやりがない人は周囲を把握しますが、それより内部には介入しない線引き、パーソナルスペース、価値観がありそうです。

いわゆる、認識が他者そのものに及ばず、自ら把握できる範囲(理解できたと自覚できる制限内)で収まり、自らのテリトリーやスペースから離れません

離れないのではなく、離れる意味がない、わからないが実情かもしれません。

「離れたら相手のことがわからないじゃない?」とシンプルに疑問を抱く価値観であり、物事を見る・捉える・知るために自らを主観にする常識を純粋に持ちます。

この結果、無駄を嫌う性格になります。

無駄を嫌うとは、[無駄=ネガティブ]と物事の一側面に限定する見方を表し、現象や働きに対して正否を決めているさまです。

物事にはネガティブもポジティブも両面あり、その場その時によって良いも悪いも変わるので、片方を見ない行為を無意識にしているさまと考えられます。

この片面に偏る状態が、自己から離れない在り方。

本人にとっては当たり前ですが、結果的に優しくはできても思いやりにはならない作用が発生します。

 

心理ポイント

お伝えした特徴で着目したいキーワードがあります。

  • 個人能力の高さ
  • 個人特化の在り方
  • コピー能力の高さ
  • 他に合わせる優しさ

キーワードは、[個であり、他に合わせる]

個に特化しながらも、オラオラと主張するアメリカ感はなく、社会性に合わせた個の貫きは、静かな熱のように内なるメラメラ。

日本社会に合わせながらですと、集団という社会で個を消さないスタンスになります。

この結果、個としての能力を育みながら、社会や他者に合わせ、そこにコピーや我慢力が大きく貢献し、よりスタンスを恒常化させます。

このことから考えられる心理が、個を消さないために他に合わせる能力を磨き、他の期待に応え、他からの干渉に我慢できるように適応する。

周りを気にしながら自分主観の見方が絶対条件になり、「私はこう思う、この人はきっとこう感じているだろう」といった自らの捉え方から離れるのが難しくなります。

自己認識力が高く、他者認識力が低い状態です。
※認識力の詳細は、【決定的に違う認識力】気がつく人と気がつかない人の特徴と能力 をご参照ください。

  • 自分を内側、外側、他者側から捉えるのが得意
    ※自分への着目の多様性に柔軟
  • 他者を他者側の目線や認識で捉えるのが苦手
    ※他者を主観にする想像に柔軟でない

「こうすれば喜ぶだろう」という定型プログラミングの網羅や使い方は上手でありながら、実際に今この瞬間の相手の機嫌や態度などの状態や気持ちに寄り添うのが難しくなります。

意味や理解がわからず納得いかなければ先へ進めず、自分から離れる道理がなくなり、「私はこう思う、私だったからこうする」とより個に特化します。

『自己から離れない心理』が優しさにはなるけれども思いやりにはならない仕組み(メンタル)という考え方です。

 

優しさは自己投資、思いやりは他者投資

自己認識に特化するのはとても大切なことです。

一方で、他者認識とのバランスがなくなるほどかけ離れると、副作用が出ます。

自己認識によって周囲を把握する能力が高まり、優しさを提供しやすくなりますが、一方で自己から離れる意味も動機もなくなり、むしろ離れない理由が増えます。

これは自己投資と同じ縮図と言えるかもしれません。

[優しさはある=自己投資している]

自己に投資し続けてきたからこそ、一生懸命努力して我慢して、能力を高めて育んで、嫌でもルールに従い、他者に合わせて変形させ、それでも何かしらプラスになるよう認識してきました。

今のためにも今後のためにも、自らの時間と労力は無駄にせず、能力を高めたり、大切にしたり、何かしらプラスでありたい、そんな絶対的主観はブレません。

利益は自己ファースト、これが当然のルールになります

 

思いやりは他者に利益を与えるのが先

思いやりは他者側の理解が第一、相手に利益を与える気持ちや意思による働きです。

自己から離れて他者にフォーカスし、他者の目線と思考になるように寄り添い、他者の利益を優先します。

完全なる他者の尊重。そこに押し付けも決め付けもなにもなく、潜在的にもなし。

自らの見方をポーンと手放し、相手側の目となり鼻となり、その人の世界を見ようと努力し、信じ、後は待つ。

他者に投資するようなイメージです。

自己投資を徹底してきた人は、他者への投資には手が止まります

期待され、自らを信じようと努めてきたため、他者に期待し、見返りなく信じることに慣れていません。

思いやりがある人は他者に身を授けるようにポイッ。

「ちょっと泳いでくる、ドボンッ」

「え、泳げないのに?!」

他者を信じており、期待しており、その時に利益がなくても最終的に返ってくると疑いません。

自分が犠牲になるのではなく、自他両方が喜ぶためにまず相手から喜んでもらう。

自己に投資できて、他者に投資できない人が、優しいけど思いやりがない人です。

 

日本人に多い、優しいけど思いやりがない人

他者への投資はボランティアとも言えそうです。

ボランティアは他者を助け、笑顔を見れるとこちらも笑顔、相手の喜びが自分の喜びになるからこそ、助けようと思いやります。

この認識や気持ちが薄いのは、現代の日本人的在り方と言えるかもしれません

周りは気にするけれども、他者の内側に介入しないメンタル。

私はばっちり持っています、おそらく多くの方も持っていると思います。

例えば、電車内。

周りを気にしながらも、深くは介入しないので距離感を保つ。

深く介入することは干渉でもあり、相手に迷惑をかけてしまったり、配慮のなさに失礼、または何かあった時に面倒で恥をかく可能性があるので、線引きしてストップ。

思いやるには相手に寄り添い、近づく必要があるので、「それをしては過干渉、失礼、迷惑」なんてなれば、他者投資なんてする気になれず、人を徹底的に区分ける労力まで要するので余裕がなくなります。

海外を旅している手前、この特性は認識せざるを得ず、日本や各国の都市部は思いやることが少し難しいと考えます。

しかし、旅をしていると自然と思いやりの気持ちが芽生える場所はたくさんあります。

特にインドはわかりやすく違いました。

インドにてチベットの方々と一ヵ月以上共に生活した時。

適度な距離感を保ちながら、こちらが近づくと大いに心を開いて迎え入れてくれます。

個人的統計では、町行く見知らぬ人々に挨拶をした際、チベットの方々は目だけ合わせて何も言いませんが、こちらから挨拶すると100%の確率で笑顔で挨拶し返してくれました。

押し付けず、迎え入れるスタンスがあります。

インドの方々もそうです。大都市のデリーですら他国とは違い、心の距離感が近い。

時間と労力を惜しまず費やしてくれる人が多く、見返りは「インドを好きになってくれればそれでいい」

かぁー。

そのマインドありませんでした、と日々が学びの連続です。

人との距離感が遠のく今の時代でも、海外にはたくさんの古きよき文化があります。

「きっと昔の日本はこうやって近所と関わって、おじいちゃんおばあちゃんは子供達に知恵を託したのかな」なんて思います。

無意識の投資、継承の意識、調和や共存理解ができる環境。

これらがなくなっていく社会がある以上、現実的に物事を捉える人ほど思いやりがなくなり、自己認識がある人は優しさを守り、それがなければどちらもなくなるのだと思います。

 

まとめ:実際には優しいからこそ思いやれる

最後にお伝えしたいのは、思いやりにはプロセスがあることです。

他者投資であり、他者認識力によって行為に及べる『思いやり』

前提条件は自己認識力です。

自分を知らずして他者を理解するのを初め、理解するための正しい努力もできません

自己認識を前提に他者認識へ向かい、本人の世界に少しでも近づき、相手そのものの目になるための努力ができます。

この努力に共感を育む道があり、なによりも「相手側になろう、自己から離れよう」という動機の見出しを要します。

思いやりがある人は無駄の意味を知っています。

何も考えずポカーンとしていても、無意識かつ感覚的に知っています。

自己に執着せず、人のために世話ができ、時間も労力も費やし、寄り添う。そして待つことができます。

雑談を大事にして、ぼけーっとダラダラ過ごす。カフェで高いケーキを食べるのはお金を捨ててるのでも、不毛な時間でもない。

蟻のように怠け者がいるから社会が成り立ち、女王蟻のために命を費やすから結果的に自らの遺伝子を残す確率を高める。

無駄なようで重要。

優しくできる以上は自己認識がある示しですので、あとは如何に自らを離れられるか。

それは子供に未来を託すのではなく、子供のために与えられるものを与え、自分にできることをする。まるで元旅行者がコテージの店主として旅行者を迎え入れる気持ち。

優しいから思いやれる段階に入れます。

思いやりがないのは必要なプロセスであり、「優しくなければ思いやりは宇宙の彼方」「優しいからこそ思いやる努力ができる」と考えます。

そんな理解、人を知る一助となれば幸いです。

最後までご覧いただきまして、ありがとうございました。

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