対処・解消法

【優しすぎる人は生きづらい】知っておきたいシーソー心理と解消方法

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優しすぎるさまには、人々に利益を無償で与える働きがあります。

無償提供は人々を喜ばせますが、自らに不利益を与え、さらに他者をダメにする結果も起き、共に倒れてしまう可能性があります。

「一方的に与える行為は、他者との共存で生きづらさを作ってしまいます」

ここでは、優しすぎる人が生きづらくなる仕組みと、知っておきたい心理を見ていかれてください。

  • 優しすぎる人が生きづらいのはなぜ?
  • [優しすぎる=生きづらい]の仕組みとは?
  • 生きづらい時の解消方法とは?

これらを紐解き、「優しすぎる時にはシーソーゲームが起きているんだ」と知っていただく内容となっております。

優しさを提供できるのは類まれな能力ですので、ご自身を苦しませない大切さが前提にあります。

私自身の体験から理解した内容が、一つの考え方としてご参考になれば幸いです。

優しすぎる人は生きづらい

あることが欠けていると優しすぎる人は生きづらい

世知辛い世の中、人々に優しくしても返ってくるのは汚いグミ。

投げつけてやりましょう。

しかし、優しいがために許容し、自らを抑え、我慢し、「仕方がない」と妥協するかもしれません。

優しさは人々に利用され、都合よく使われ、見返りなし。

恩も得もあったものではなく、疲れとストレスを溜めてしまいます。

生きづらい。

こんな時、あることが欠けている可能性があります。

自分への優しさ」です。

 

自分に優しくしないと身体一つでは持たない

私達は他者との共存社会で生きており、さらに日本という表面的に集団を重んじながら、裏側では個人を主張する、いわば自分を出さないで主義主張する国家で生きています。

この環境で人々に優しくする場合、表面的に利益を貰っておきながら、裏側では感謝していない、などの裏表別宅が起きます。

すると、「働くだけ働いて優しさを提供する、以上」となり、まるでボランティアで食事支給していたら、自分の分がなくなっちゃった。

スプーンでもぶん投げてやりましょう。

しかし、優しいがために抑え込み、憤りを制圧し、自己内部を静粛に管理し、「仕方がない」と諦めるかもしれません。

私達人間は自分に余裕がない前提でバブバブと生まれ、他者に助けてもらいながら大きくなり、他者との共存生活で余裕を作る暇なく生きています。

まるで戦場、「少しでも動ける人は救護班に回ってくれ!」
「サーイエッサー!」

タタタと駆けていくが、実は左脚負傷しており、お腹が空いて力が出ない。

自分に余裕がなくなるほど他者を助け、サポート、気を使って配慮、思考を使って自らを抑えると、疲れてストレスが溜まります。

不調和に違和感、憤りが溜まりながらさらに抑圧、我慢しすぎると化け物を心の檻に飼い始める可能性すらあります。

自らに優しくしないで他者に優しくする場合、余裕がなくなってしまい、生きづらさを感じます。

※優しすぎると損をする詳細は、【お手本はYoutuber】優しい人が損する理由4選&注意点 をどうぞ。

 

「優しすぎる=疲れる+ストレス=生きづらい」

優しさの度が増した状態が優しすぎです。

優しさとは思いやりや心配り、親切や尊重など、愛を持って他者の立場になって想いを与えるものもありますが、全く別物もあります。

社会順応によるルール順守、「人を助けることを善」「善は良き」「良きは正義」「正義は光」「光はWhat?」に基づいた行動心理としての優しさもあります。

他者のための優しさもありながら、自分のための優しさもあり、優しさとはなんともわかりにくいものです。

さらに、優しさなのかどうかは優しくされた側にしかわからないので、優しくする人が、「これが優しさです」とは言えず、優しくされた側が評価・判断して、「うむ、これは優しさじゃったぞ」と決定します。

優しくしても相手がどう受け取るかは自分が決められず、さらに優しさは相手のためではなく自分のためである可能性もあります。

こんなわかりにくいものの扱いであるため、誰かに優しくする際には明確に目的を認知している必要があります

目的が曖昧な場合には、「何のため?誰のため?これは優しさ?本当は自分のため?いやそんなことはない?じゃあ目的は?自らの行為なのに目的がない?そもそも優しさって何?あああ」となりかねません。

この目的、宇宙共通で一つだけだったりします。

 

優しくする目的は、「自分のために誰かに優しくする」

優しくすることは、自らが誰かにkindnessたるものを働きかける行為ですので、動機も目的も欲も全ては自分のためであるのが自然です。

自分のためとは満足や納得、または不満足や不納得のなさなどの利益、何が満足か納得かは人それぞれです。

例えば、「ボランティアするのは救済した人の笑顔が私の喜び」という人もいます。

「正義心に則って行動できたことがオラの満足」という人もいます。

誰かに優しくする際は何かしら利益を与え、それが自分のために繋がっていることで目的が明確になります。

「この人に喜んでもらえるから優しくしよう」と思う場合は、他者の喜びが自分の喜びという利益になり、この利益取得が目的になります。

 

目的が曖昧になると生きづらくなる

目的が「自分のため」に繋がっていない場合、優しさの提供は形を変えます。

目的による優しさの種類
  1. 「他者のため+自分のため」
    …思いやりや親切など、自他を想う愛のある優しさ
  2. 「自分のため」
    …自己愛やルール順々の正義など、自己満足行為
  3. 「目的が曖昧」
    …他者への無償での利益提供

優しすぎる状態が③の「目的が曖昧」です。

優しくする上で、「自分のため」という目的がなくなると、対価を求められなくなり、他者に利用され、一方的に優しさを貰われます。

自らは働いて利益を与えているので疲れてしまい、何のために優しくしているのかわからない状態になるとストレスを溜め、内部に憤りと怒り、抑圧と制限、我慢と強引な自己納得が繰り広げられ、違和感と不調和を作ってしまいます。

※純粋すぎる人が生きづらい詳細は、純粋すぎる人は生きづらくて大変│ピュアは時に罪になり嫌われる をどうぞ。

 

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優しすぎる人が生きづらい心理

生きづらい原因は恐怖心との関わり

利益提供行為は自らの働きであるため、必ず自分の意思決定によって利益を与えます。

プレゼントを何個持っていても、あげるかどうかは優しい人に全ての決定権がある。

サンタ状態です。

優しさは自らが発端の能動的な行為ですが、優しすぎる場合には受け身の優しさが発生します。

優しくしてしまう状態。なんだかわからないけど手が勝手にプレゼントをあげる状態です。

「プレゼントがもったいないから止めて」と言っても止まらない。理由は一つです。

プレゼントをあげることが自分のためになっており、その目的を自覚していない可能性です。

目的は困らないため、嫌なことが起きないため、認めたくないことを発生させないため。

自己防衛に基づいて、ネガティブ要素である恐怖心を排他(または逃避)する活動です。

優しすぎる状態は、無意識に恐怖心を排他する活動をしており、過剰になると一方的な無償での利益提供が止められなくなります。

受け止められない嫌なことがなくなるように、事前に相手の求めているものを模索し、相手の言動を配慮し、空気を読んで対処。

相手が嫌な顔をすれば自らが我慢して相手に笑ってもらう。それは自分が困らないためであり、恐怖心と関わらない自己対処。

生きづらさは自ら作っていると考えられます。

しかし、無意識の潜在領域で目的を持って活動しているため、なかなか気づきにくい、または気づきたくない目的があるかもしれません。

 

優しすぎると起きるシーソー心理

優しすぎて生きづらいと感じる原因によって、自分の中でジレンマを作ります。

潜在的な無自覚領域では、恐怖心排他の目的があり、恐怖心との向き合いを拒む心理があると考えられます。

自分のための目的でありながら、恐怖心と向き合わない目的がある、ダブル目的状態です。

「おじいちゃんから貰ったお菓子、本当は要らない」
「でも捨てるとおじいちゃんが可哀想だから、なかったことにしたい」
「要らない自分も、嫌な思いをする自分も、両方悲しまないようにしたい」

二つの反する欲求を総まとめして叶えようとする結果、両方に良い結果は作れないけれども、両方に嫌な結果が起きないようにできます。

「お菓子は食べたことにして、おじいちゃんにありがとうを言いに行こう」

この心理によって、一つの欲求を持った自分と、もう一つ別の欲求を持った自分が、トントンとシーソーの両端に乗ります。

私達人間は何人もの自分を内包し、どちらかにシーソーが偏るゲームをします。しかし、優しすぎる人はとても特徴的です。

両方を同じバランスの位置に座らせるもう一人の自分がいます

「右の私、もう少し奥に座って、欲求ウェイトが軽いから」
「あぁ、左の私、もう少し奥に!それか欲求ウェイトを軽くできる?」

優しすぎることでシーソーゲームが起き、左右に乗った自分はそれぞれ好きなように欲求を満たそうとします。

そこで真ん中の自分は右行って指示して、左行って指示して、両方の利益率を計算し、両方が負けないように、そして勝たないように、どちらも困らないように対処しててんてこまい。

人と関わる度にシーソーゲームが起きると、真ん中の自分は他者と関わりながら自己内部のシーソーバランスを取り、疲れ果ててしまいます。

 

生きづらさの解消方法

生きづらさの解消ポイント

優しすぎる人は非常に地頭が良く、内部で分裂した自分を統括する別の自分を用意でき、さらにバランスを計って、総合的に全体の利益を均等にする結果を作ります。

ここには認識力と理解力と知性の高さ、そして自責の強さがあります。

さらに自己愛と自意識の高さがあり、精神的に捉えると精神性の高さがあると考えられます。

中立を重んじる俯瞰的な捉え方ができ、人の認識や気持ち、その場の状態や状況察知能力に長けています。

これらによって小人がたくさんいる自己内部で、「はい、こうしてああして、あっち行ってこっち行って、パパパ」と指示・活動・管理できます。

物事は一つを取れば片方が落ちますが、自己内部でバランスを計って両方落ちないようにできます。

困らないように優しすぎる人になれると同時に、生きづらい状態を作ります。

これらの二つは自己内部ではなく外側、他者との関わりによって作られる自分であるため、自己内部のようにはなかなか対処できません。

両方取りは難しくなり、優しすぎる自分を変えるか、生きづらい自分を変えるかの選択になります。

解消方法となるのは、生きづらい自分を変えることです。

 

生きづらさの解消方法①:目的の自覚

「何のために優しくしているのか?」の目的をはっきりさせることが、生きづらい自分を変える方法になります。

目的は、「自分のため」の一択です

[自分のため=自分だけ]の人もいれば、[自分のため=自分+他者]の人もいると思います。

「私が喜びたいという自分のため、この人に喜んでもらいたいという自分の満足のため」などと、優しくする目的を明確にすると、曖昧な優しさ提供がなくなります。

曖昧性がなくなると、人から利用や執着や依存されにくくなり、さらに自分のための行為と自覚することで、人をダメにする優しさがなくなります。

優しさとは相手が決めることですので、与える相手によっては甘えや執着や怠惰欲を増長させ、意思も意志も創造性も抹消させ、自立から遠ざける麻薬物質、トリップ人種の生成になり、キョンシーのようにピヨピヨ付いてきてしまいます。

空虚な利益は誰しもが欲する無料UFOキャッチャーになるので、人を豹変させます。

目的を自覚して自らの行為の曖昧さをなくすと、生きづらさは解消されていきます。

 

自己欺瞞(じこぎまん)の場合、目的の自覚=自分との向き合い

ネックになるのが、「本当は自分のための優しさである」と自覚したくない目的がある場合です。

自己欺瞞、自らに対する誤魔化しは事実を事実ではなくし、何が事実かわからない誤魔化しサークルを作ります。

恐怖心の排他活動が無意識の潜在的目的であったとしても、それを認めることが恐怖心そのものになる人もおり、自らの認識に対する誤魔化しは増えていきます。

自分を何者かにしたい目的でもあり、「自分はこういう人だ」と明確にするために、「優しい人」という言葉が手放せなくなります。

この場合の目的の自覚は、自らとの向き合いを意味し、自分を知るために自らを客観的に捉え、自らを疑うことが大切になります。

「これは本当に優しさなのかな?」
「この人は喜んでいる?」
「相手がどう感じているか認識した?」
「私の優しさはこの人の何に役立っている?」

自らの優しさを客観的に疑うために相手の立場で物事を捉えると、自分との向き合いがしやすくなり、目的の自覚もしやすくなり、生きづらさは解消されていきます。
※疑うことでより意味や作用のある優しさを提供する機会にもなります

※人と違うことでの生きづらさ解消は、【人と違うと生きづらい原因は一つ】大衆もいいけど、変人であれ。をどうぞ。

 

生きづらさの解消方法②:自分に優しくする

もう一つの方法は、自分に優しくすることです。

人に優しくする際、自らに余裕がなければ他者のために優しくはできず、自分のために優しさを提供することが自然と起きます。

何も悪いことではないのですが、順番が反対になると自らの余裕がなくなる一方通行になってしまうので、自分は絶対的に最優先です。

人を愛することと同じ仕組みでして、人に優しくする一番初めの対象は自分です。

その後に余裕があれば身近な人から優しくしていき、徐々に範囲を広げられます。

自分への優しさは自分を大切にすることであり、余裕によってより強い目的を持って人に優しくできます。

自分が優しくしたいからする能動的な行為となり、優しくするのが自分の喜びであり利益そのもの、思いやりや親切など愛を含めた優しさになっていきます。

 

注意点:優しすぎる自分を変える選択はなし

生きづらい自分を変えるのではなく、優しすぎる自分を変える場合の行動は一つです。

優しさの無償提供ストップ、優しくしないようにします。

しかし、恐怖心と向き合わないための排他活動ができなくなってしまうので、私の経験から絶対におすすめしません。

自己防衛が必要なのに強制的に防衛しない意味ですので、心に傷を受けやすくなります。

優しい自分、いい人や八方美人を演じている場合には、自己内部での嫌悪感や抵抗が強まるので、演技をやめて解放的に生きることができますが、ここでお伝えしている優しすぎる人は演技ではないので、自己防衛は必須。
欠かせない生きる術であり、意識状態や気質から育んだ大切な生き方です。

 

優しすぎる人は生きづらい まとめ

私達は誰しも嫌なものや見たくないもの、認めたくないものをなんとかしたくなります。

優しすぎる人は認識力と知性の高さ、そして自責の強さによって、自分のことは自分でやる観念が強く、我慢してでも一人でやろうとする自己対処への強い理念があると思います。

念の強さは自意識の高さを物語り、優しすぎる経験は本当の意味で優しさを手に入れるプロセスです。

人に優しくする場合には必ず自分の強さが必要となり、強さとなるのが恐怖心そのものです。

恐怖心やネガティブは私達人間を強くする必須アイテム。恐怖心があるからこそ自らの事実と向き合い、自覚を強められ、さらに知性を育めます。

シーソーゲームとなる複数の自分を管理するもう一人の自分の構図は、知性を要するため多くの人ができることではありません。

しかし、知性を自己欺瞞に使用するか、恐怖心との向き合いに使用するかは選択であり、管理者はありのままの自分とは別であるため、自己探求はシーソーの自覚によって始まります。

何かを変える際には必ず何かを捨てる覚悟が要ります。

現状を変える場合には、必ずこれまでの自分の手放しがあり、物事は覚悟と行動で変わっていきます。

優しすぎることを大切にしながら、生きづらさを解消するためにも、自己内部を知る一助となれば幸いです。

それでは、優しすぎる人は生きづらいお話を終了します。

最後までご覧いただきまして、ありがとうございました。

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POSTED COMMENT

  1. Piko piko より:

    全くもって私です_:(´ཀ`」 ∠):

    人からの悩み相談が多く職場だったりすると避けられず消耗しすぎて自分まで無くす。可哀想だ、何とかしてあげたいと思う始まりからの行為なので、自分の為と言われると、むしろ自分が苦しいのにそんなつもりはないと、確かに受け入れがたく、しかし書いてあることが当てはまりすぎているのでやはりそうなのだと思います。「自分を知るために自らを客観的に捉え、自らを疑うことが大切」とあるとおり近頃自分の為なのか?と問うていました。そして、お勧めしない、と書いてある優しくするのを時には止めると言うのを実践したりしていたところでした 笑。それは私にとっては、目の前の赤ちゃんが石に躓くのが分かっているのに助けないほど罪悪感がありました。まだ「自分の為」と言うのが腑に落ちきれておらず日々咀嚼中ですが、とにかくここに書いてありホットしました。自分の存在に対する認識が低いので自分に優しくするってやつからアプローチしてみます。

    いつもありがとうございます(⋆ᴗ͈ˬᴗ͈)”

    • 北斗 より:

      ちょうどいいタイミングの記事でしたね。
      ぜひ自分に優しくされてください。そして、自分への思いやりに。

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