『DNAシフトセラピスト養成講座』
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著名な心理セラピストとして知られる、西澤裕倖(にしざわひろゆき)先生プロデュース。
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※本気で人生を変える方専用。
人の心配をする行為は、人をおもい気にかける優しさのように見えますが、本質的な中身には全く違う意味があるかもしれません。
人を心配する気持ちにある、優しさの対象はこの世で一人。
人の心配をするのはどうしてか?
心配されるのはどうして?
心配する気持ちには優しさと同時に、ある闇が潜みます。
ここでは、人の心配ばかりする人を客観的に理解されたい方を対象に、過剰に心配する人の内情をお伝えします。
「心配の対象は一人、それ以外に心配する必要はない」
そんな内容を見ていきましょう。
若干剥き出しの内容なので、心配性の人は読まないことを強くおすすめします。
Contents
人の心配ばかりする人
心配とは
人の心配ができる人はこの世に存在しない。
これはそんな内容です。
心配とは、
物事の先行きなどを気にして、心を悩ますこと。また、そのさま。気がかり。「親に心配をかける」「将来を心配する」「心配な天気」
気にかけてめんどうをみること。世話をすること。「近くに住む娘が食事の心配をしてくれる」
心配とは優しさの心配り
対象となる物事や人をおもう気持ちや行動にあるのは、優しさです。
字の如く、〔心〕〔配る〕、〔心配り〕。
心配りとは、対象をおもい気にかける優しさです。
[物事や人に優しさを提供する動機]が最も重要なポイントです。
心配の意味は、心配りをする対象である、動機とは、心配りする前の“気にかける”にあります。
気にかけるきっかけとなるのが、不安です。
- ペットの猫が人間っぽくなってきて、自分のベッドを占領されるのではないかと不安なので、心配。
- 家がボロボロ過ぎて、次に雨が降った時に屋根が落ちてきそうで不安なので、心配。
不安を抱き、不安を解消したい気持ちが強い人ほど、“心配”します。
起きる結果に対する不安があるために、気にかけて心配りする優しさが心配。
ここでわかるのは、心配とは“自分のため”ということ。
不安を抱くのもその不安を解消したいのも本人以外にいないため、心配は自分のためをおもった行為になります。
心配とは不安感を解消するために、自分に対して気にかけて心配りをする自分への優しさ。
対象である物事や人に不安感を抱く前提があり、不安感を抱いているのは自分であり、心配をするのも自分なので、心配をするのは全て自分を中心にした、自分の自分による自分のための行為です。
人の心配ばかりする人の特徴
人の心配をする際は初めに他人か自分か、どちらをおもうかの対象を決めることになります。
人の心配はできませんが、心配りとして人のためを思う場合は、対象となる人に対する優しさを持ちます。
人に優しくすることは人を大切に敬い想い、人の利益となるように心配りをしたり行動をすること。人が嬉しくなったり楽しくなったり幸せになったりすることを目的にします。
人の利益を目的として献身的に、「人の喜びが自分の喜びだ」と、博愛や慈愛の無償の愛を持つ人は、人に心配りの優しさを持つ人になります。
愛がない場合には、演技、嘘、取り繕い、思い込み、誤魔化し、偽善、偽り、私物化、強欲、自己喪失、エゴ、恐怖の対処、不安の塊と、よりどりみどりです。
そんな人の特徴があります。
- 常識的
- 過干渉
- 気を使う
- 心を開かない
- 人を私物化する
- 他者承認欲求が強い
- 一人になるのが怖い、損が怖い
- 周囲の目、体裁、肩書が気になる
- 否定・文句・批判・非難が多い
- 人を比較して評価・判断する
- 思い込みと決め付けが激しい
- 自分がない(この自覚がない)
他人を自分のために心配している自覚がない場合には、無意識に他人を自分のために利用する可能性もあります。
※心配性で自分のことを心配する人は含まれません
※心配にて人を利用する話は、人を利用する人の末路に闇と光│利用される人との相互関係にカルマ有 をご覧ください。
人の心配ばかりする人の心理
恐怖を抱えている状態で生き続けることで、自分を見失う考え方と生き方が作られていきます。
理由には、自分で自分を見出せない在り方があります。
エゴが強くなり、人を利用することで自分の存在価値を見出し、存在意義を見失わないようにする心理です。
生きるために他人の存在が必要不可欠となり、自分のためにとにかく利用します。
人を恋しく思う寂しさでも、虚しさでも、悲しさでもなく、恐怖をとにかく恐れる在り方。
心理状態には愛の欠如が考えられ、嘘偽りにて自分を真正面から見ることを拒む原因として、心の傷やトラウマなど過去の記憶に対する強い執着があり、他人を利用することで生きている意味を見出せるために、干渉をやめるのが難しくなります。
干渉をやめられない心理
“否定”が恐怖へと直結します。
「否定されている」と思い込む認識が強く、自分ルールをたくさん持ちながら、「これはみんなのルール」「こういうものだ」と正当化して決め付けます。
心配は自分のためであっても、「これはあの人のための優しさだ」と思い込みます。
反することを言われると否定されていると思い込み、決め付け、己の世界にのめり込みます。
全て恐怖への対処であり、空想世界での自己防衛です。
恐怖を味わわないことが喜びとなる在り方、「自分は間違っていない」「この子は私の子、それは私を見出してくれる存在だから」と依存と執着をして、人への干渉にて私物化して離しません。
唾を付けるように、猫のマーキングのように物事を強制・強要し、決め付けて押し付けることで、まるで自分のお人形さんのようにして、自分を見出す遊びの道具とします。
愛の欠如があり、寂しさや自分を知ってほしいと願う思いがありますが、そんな自分を認識することで自己否定が起きるために、遠い過去として記憶を奥底へしまい込み、恐怖対処にフォーカスします。
自分のために生きて、恐怖を味わわないことをモットーにするため、自分を見出すための他人の存在は必要不可欠となる。
他への干渉をして、自分色にマーキングすることや、自分なしでは生きられない状態を他人に作ることに必死になる。
※かわいそうと心配する心理は、かわいそうと言う人の心理に闇臭プンプン│超自己中心主義には優しい見守りを をご覧ください。
人の私物化
人の心配は人を私物化する危険行為になりえます。
意見や考え方を押し付けて人の心配をすることで、心配は優しさを装う我欲の解消となり、自分のみの利益追従になります。
「自分のもの」という独占欲、権利主義、支配欲です。
人を心配することで、その人の行動や考えを抑制して縛り付ける場合は、人を私物化しています。
人をもののように捉え、自分が不安や恐怖にならないため、困らないため、悲しまないため、否定されないため、エゴのために利用します。
「私は親だから」「結婚相手だから」「妻だから」「彼氏だから」「家族だから」「血が繋がっているから」「友人だから」「知り合いだから」と理由を付けて、自分の権利を剣として、社会的な観念である作られた常識やルールを盾に堂々と振りかざします。
これらの独占欲や権利を主張する姿にあるのは、恐怖です。また出ました。
常に恐怖に対処しながら人を利用して生きていきます。
人の心配はできない
人の心配ができない
心配とは全て自分のことなので、他者を心配すると話が変わります。
人の心配ができないのは当たり前でして、人の心配ができる場合には何かがおかしなことになっています。
何がおかしいのか?
自己満足を自覚していない、奇怪な演劇舞台を披露しています。
自分のための行為であるにも拘わらず、「人のためだ」「人のことを想っている」「人への優しさだ」などと思い込み、事実を捻じ曲げて自分を偽ります。
人を心配することで自分を見失ってしまいます。
意志や意見がなくなり、自分で自分を認識できなくなり、人と区別したり比較しなければ自分を見出せなくなります。
「人の心配ができないなんておかしい」「自分の心配ばかりで自分勝手だ」などと他を蔑み自分の正当化を図ったり、攻撃性と排他性を持ち、集団意識を強めて自分の存在を見出す努力にひた走ります。
心配の意味から、人のために人を心配することはできません。
できるのは自分のための心配。
[人を心配する=応援、見守り、信じる]
人の心配ができないと言っても、あくまで心配の意味に対する“できるできない”ですので、人のために気にかけたり優しさを抱くことはできます。
応援、見守る、信じる、サポート、共感、協力などのものです。
例えば、家族の誰かが怪我をします。その人を心配することは自分が心地悪い不安感を持っており、それは家族への依存や執着を表します。
その人をおもい敬うのであれば、心配りの優しさとして看病や応援、協力や見守る行動をします。
心配は不安感を発端にするので、不安感を解消するための目的は心配をする本人のためです。
しかし、単純に優しさや人の不安を解消してあげるための行為であれば、優しさを提供する際の主観が他人になり、人のための行為になります。
本当に人を心配する人は応援し、見守り、信じ抜きます。
信じて待つ、そんな素敵な人です。
※本当に心配できる人の詳細は、本当に心配してくれる人は二人で成り立つ【盲目旅人が教えてくれた心配の意味】をご覧ください。
人の心配ばかりする人 まとめ
心配とは
- 起きる結果に対する不安があるために、対象をおもい心配りする優しさ
※心配するには不安を感じる前提があり、その後に優しさである心配りをすることで、応援する、見守る、信じるなどに形を変える
人の心配の本当の意味
- 心配できるのは自分のことのみで、人を心配することはできない
※自分のことに対して不安感を抱き、その不安感を払拭するために自分を大切に敬い想い、心配りである優しさを自分のために与えることができる
心配とは、先行きに不安を感じる自分のみが対象となる自分のための心配りであり、自分を大切に敬い想う優しさの気持ちです。
人を心配することはできません。
しかし、優しさの心配りをすることで、“人のため”に気持ちを抱けます。
心配によって自分自身に喜びや幸せなどの利益をもたらします。
同時に、心配を利用することでエゴとなり、自分を押し付けて不安や恐怖の対処に使い、依存や執着や私物化にて干渉します。
どのように認識するかによって、相反する人間性や在り方を作るのが、『人の心配』です。
一方でエゴとなり、恐怖への対処となりますが、もう一方で優しさや愛となり、強さや覚悟にもなります。
人の心配の本当の意味を知り、違和感や不調和の解消に繋がることを願います。
最後までご覧いただきまして、ありがとうございました。
『心理とスピリチュアルの学び場』
誰しもに人生を変える機会と選択があると信じています。著名な心理セラピストとして知られる、西澤裕倖(にしざわひろゆき)先生プロデュース。
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※これは長期的に本気で変わりたい方専用です。