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【最上級のサイン】嫌いな人への拒絶反応に潜む意味と対処法(解説by体験談)

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最上級の嫌悪となる拒絶反応。

見るだけでオエッ、めまいにストレス、鳥肌に蕁麻疹、過呼吸で気分悪化、気づけば涙が流れているなんてこともあります。

心からの嫌悪にて吐き気がするほど嫌い、まるで本能的に動悸がバンピング、制御できない拒絶。

自分の身に何が起きているか気になるところです。

そこで、嫌いな人への拒絶反応に潜む意味を知り、対処法を明確にしたいと思います。

  • どうして嫌いな人に拒絶反応が出るの?
  • どう対処すれば?

これらを紐解き、「拒絶反応の意味を知ると、関わりが一変する」と知っていただく内容となっております。

私自身の体験談にて解説を挟みますので、意味がわかりやすくなればと思います。

それでは、拒絶に潜むお宝探検を始めましょう。

嫌いな人に拒絶反応が出るのはなぜ?

最上級に嫌いな状態が拒絶反応

「嫌い」と言っても、人それぞれに度合があると思います。

性格が悪い、合わない、イライラする、邪気がある、波動が低い、生理的に無理、キモイ、ヤバイ、嫉妬、不利益、噛まれた。

多くの場合、「違和感や拒否」の反応になり、怒りやイライラ、相手に注意や指摘する余裕があります。

しかし、拒絶反応するほど嫌いな場合、相手と関わる余裕はなく、怒りもイライラもしません

とにかく相手と関わらないことに徹底する自己防衛が発動し、会わないように、視界に入らないように離れたくなります。

関わってはならない反応として、人それぞれに吐き気や気持ち悪さ、気分悪化に情緒不安定、挙動不審で動悸が激しく、蕁麻疹が出て辛く苦しい。

いわゆる心身内部に相手の存在認知を入れ込むことすら拒みながら、少しでも相手の残像が脳内に入った段階で自分を拒否したくなり体調不良に。

毒です。

「毒が回った、蛇に噛まれた!」

「クソっ、あいつめ」なんて言ってらんない、とにかく自分を護るための対処をしなければならない状態です。

嫌いレベルの最上級だと考えます。
※無関心は興味がないので嫌いでもない別枠

このレベルの拒絶反応、どうして表れるのか気になるところです。

 

嫌いな人への拒絶反応に「二つの拒絶」

「最上級」という言葉を使うことで、自分から最も反対側(最も強く反発する)という位置関係がわかりやすくなります。

とにかく合う訳がないほど反発し、超強力な磁石の同極を合わせた時に、ピュンと遥か彼方に飛んでいくイメージ。

着目したいことがあります

嫌いな人への拒絶反応は、自分と同じ側面がありながら、それをとにかく嫌がりたい反応かもしれません。

嫌がりたい気持ちが強いのは、現状の自分が相手と似ておりながら、「そんなのは絶対に嫌だ」という拒絶。

「相手のようになってはならないんだ」という反応。

拒絶反応には同時に二つの拒絶があるという考え方です。

二つの拒絶
  1. 自分と真逆であるから嫌いな人のようになりたくない
  2. 現状は真逆の状態になれていない

最も反発を強める真逆の位置関係。

「絶対にこの人のようにはならない、全く違う、正反対、一番嫌な在り方だ」という拒絶は、自らの正義心や信念に対する真逆を表します。

正義心や信念に最も反発する人への嫌悪が拒絶

その真逆になれていない自分を見ることでの、自らへの嫌悪が拒絶

自分に対する拒絶を見ないで相手に対する拒絶だけを認識すると、「この人嫌いだ、ムカツク!」と怒りやイライラによる反発が表れます。

が、自らに対する拒絶もしっかり捉えると怒りやイライラにならず、「はぁ、ぐふっ、この人と会うのキツイ、うっ、マジ勘弁」と吐き気やストレスや気分悪化など、まるでダメージを味わう状態になります。

※嫌いな人への態度については、嫌いな人にあからさまな態度が出る人、出てしまう人の心理と改善 をどうぞ。

 

体験談:嫌いな人に拒絶反応が表れた

上述の理解がわかりやすくなれば幸いですので、私自身が体験した拒絶反応をご覧に入れます。

私が学生の時、担任の先生に対してのことです。

先生は男性、30歳ほどでした。

多くの生徒から慕われていました。が一部の生徒には嫌われていました。

私は拒絶で吐き気がするほど嫌っており、悪口を言うことなどありません。とにかく関わりたくないので距離を取るように努めており、存在認知しないようにケアする日々でした。

当時はわかりませんでしたが、今思えばあの時の私自身がよくわかります。

拒絶する理由は、自分と同じだったからです。

偽り者。

先生のうすら笑顔は見る度に反吐が出て、チキンスキンが腕の上で波打ちます。

「寒気がする、あぁこの人だ、嫌だ、気持ち悪い、どうしよう、この場にいれない、くっ、辛い」

学校が終わってから、わざわざ話しにまで行くみんな。

「どうして平気で関わり、楽しそうに談笑しているんだ、あの気色悪い仮面が好きなのか?裏で何考えているかわかったものではない、その怖さを無視できるのか?」

この嫌悪や拒絶、先生に対してと同時に自分に対してでした。

 

自分と同じでありながら、真逆な人に対する拒絶

私は同じうすら笑顔の仮面を被っていました。

幾度と同じ仮面室で鉢合わせたような、会釈だけしたような、しなかったような。

自らを偽り、他者を偽り。誤魔化しの中で生きる世界は現実も疑似もない空の箱、名前は虚。

空虚な空気感に漂う涼しさは、まるで放課後の誰もいない図書館。

私は自分を偽ることに対する嫌悪が強く、本来の自分像とかけ離れた自分を許さない、にもかかわらず他の生きる術を探す努力も、変化を加える勇気もなく、仮面による当たり障りない人間関係という逃避に甘んじていました。

「絶対に嫌だ、こんな偽りは嫌だ!」という強い念がありながら改善できない私は、学校で目の前に偽りの仮面を見ます。

ニコニコし、虚が優しさと笑顔を振りまき、中身のない心で偉そうに上から物を言い、指図して説教してくる、先生の形をしたぬいぐるみ。

それは私の仮面を遥かに凌駕した、もはや比べものにならないほどの仮面の厚さ

優しさは偽善、思いやりは嘘、人を騙す腹黒さをひた隠し、自らを正当化して現実逃避。偽る自分の行為を自らで肯定するさまは、自覚することもせず大いに喜んで偽る姿。

無知か悪意かわからないその人の偽りは、何もない不自然の塊、違和感の極み、まるで自らの腕を食う虫のような残忍さ。

自分と同じでありながら、全く違う、真逆

強烈な拒絶を感じました。

嫌いな人への拒絶反応は、自分の中で強く認められない側面と同じ側面を相手に見ながら、相手は大いに認めて喜んで行為に及んでいることへの反吐でした。

※嫌いな人を対処する体験談は、【モロッコ体験談】嫌いな人に無関心になる方法は自己内部にあった をどうぞ。

 

拒絶反応するほど嫌いな人の対処法

拒絶反応に潜む最上級のサイン

嫌いな人への拒絶反応はとても嫌な感覚であり、どう関わればいいかわからないものですので、自らを苦しめる地獄という捉え方もできます。

しかし、拒絶反応にはサインが潜み、捉え方を一変します。

自分を知るための鍵と言えるほど重要な意味、自己理解を深める際の最上級サイン。

【自分の信念を知ることができる】

拒絶反応を示すほど嫌いな人がいる時、自分の信念とは何かを知れます。

軸となり、人生の中核を担う価値観を知る機会になります。

これほど重要なものは自己理解においてないかもしれません。

 

信念を教えてくれる人

とてつもない恩恵を与えてくれる存在だったりします。

私達は自分を知る際、恐怖心(拒否、危険、危惧、未知、不安、恐れ)が材料の主になります。

その中でも拒絶は強い恐怖心であり、自らの愛と真逆の位置にあればあるほどに抵抗や反発が強まり、多大な自己理解の材料を提示します。

拒絶を紐解くとわかるのが、信念。

「私は何を基に考え、生きるのか?」の軸です。

嫌いな人と関わる際にフォーカスを相手にすると、嫌悪感や心地悪さの恐怖心そのものを体感してしまうので、まるで攻撃されて不利益をもたらす忌まわしい相手にすら思えます。

しかし、フォーカスを自分にするだけで、何もかもが変わります。

相手の何が嫌なのかを知ることはそのまま自分の中の拒絶、恐怖心の理解になり、そこに信念があります。

例えば、私の場合は自他を偽ることへの拒絶を相手に見て、同時に自己内部に見ました

「偽ることを大いに認めて喜んでいる先生」に対する強い拒絶は、偽りたくない信念となる、正直、自然体、素直に生きたい強い念を意味します。

他にも例えば、平気で人のせいにする人に拒絶する場合。

「自らの行為は自ら責任を持つ」が信念であり、人生の軸になる正義心かもしれません。

他にも、大声で怒鳴る人に拒絶する場合。

「自制によって周囲を配慮する、他者に対する思いやりや尊重」が信念かもしれません。

本来の自分像を心のどこかで把握しながら、自分像とは違う現状がある時、拒絶反応に潜む最上級サインを受け取れます。

この理解を基にすると、嫌いな人との関わりを対処しやすくなります

※拒絶反応のスピリチュアルな理解は、「気持ち悪い人、生理的に無理な人」と感じる心理とスピリチュアル をどうぞ。

 

対処法①:相手ではなく自分に着目

嫌いな人に注目して物事を認識すると、嫌いであることの不利益や利益の阻害に着目するため、恐怖心を味わう辛くて苦しいだけのものになってしまいます。

せっかくの恩恵を得るためにも、着目は完全に自己内部、自己理解にします

「拒絶するのはなぜ?」と自分を見る、いわゆる相手を見ながら自分を知ろうとする状態です。

「あの人のすぐ怒鳴る姿が嫌い、それは自分にもあり、怒鳴りたくない強い気持ちがあるから」

「あの人の平気で人を利用する心理が嫌い、それは自分にもあり、人を利用せずに共同体でありたいと目指しているから」

「あの人の支配を企む性格が嫌い、それは自分が親にされた記憶であり、どんな立場でも平等を重んじたいから」

相手を見ることで自分そのものがわかる人もいれば、過去の記憶にある拒絶が表れる人もおり、「認めたくない、認めていない何か、知らない自分、これまで見ようとしなかった自分」が判明します。

拒絶の基が判明すれば、「どうして拒絶したくないの?」の答えが信念になります。

私の例ですと、肯定して躊躇なく偽ることに拒絶の基があり、拒絶したくない理由は、自他に誠実で自然体に生きたいからです。

信念に繫げると自己理解が急速に深まると同時に、人生の指標がもたらされ、価値観が定まるので自律が強まります。

自分に対する拒絶がなくなるので、瞬く間にこれまでの拒絶反応はなくなります。

 

対処法②:相手を認める

少し難しい方法ですので、見極められてください。

反吐が出るほど嫌いな相手の存在、「この人らしさだ」「これがこの人なんだ」と肯定すると全て解決します。
※思い込みではなく本当の意味で認める肯定

認めると無関心になれる、または相手を見守る俯瞰性(微笑ましく成長を待つ目線)がもたらされ、拒絶することがなくなります。

拒絶とは程遠い位置にあるのが肯定(認める行為)ですので、自己理解を深める経験や成長によって、恐怖心と向き合う免疫や抗体を付け、努力にて自分と相手のステージを変えることで成せる対処法です。

難しく時間がかかるものですが、「相手そのものを認められると拒絶しなくなる」というのは一つの指標になると思いますので、ご参考にされてください。

 

動悸や吐き気が出る時の対処法:距離を保つ

拒絶が強いと相手を見るだけで動悸や吐き気がして、自己保持が難しくなることがあります。

拒絶反応の強さは、自己内部での恐怖心の膨らみです。

気分が悪くなったり情緒不安定になるなど、自分が変わってしまう影響がある時は、注意が必要です。

私がそうだったのですが、この状態で無理矢理関わろうとすることで、自らの精神を穢してしまいます。

うつや適応障害など、神経症に繋がる可能性もあります。

「我慢する、頑張る、なんとか関わってみる」などは危険行為ですのでお気をつけください。

二つ(相手と自分)の拒絶は自己内部での恐怖心との向き合いが強まりますので、嫌な点、許せない点など相手にフォーカスしてしまう場合は、関わらないように距離を取ることが大切です。

[拒絶=恐怖心を内部に増やす行為]であることをしっかり認識し、相手に飲み込まれないように自他の境界線を引き、少しでも関わりを減らす方向に行動します。

心に余裕ができた時に少しずつ着目を自分にして、対処法①にシフトすると良き塩梅です。

 

注意点:拒絶反応は相手から注目される

「この人なんで干渉してくんの?」

嫌いな人にこう思うことがあるかもしれません。

拒絶反応ほどの嫌悪は、何もしていなくても相手にはっきりと伝わる強烈なエネルギーです。

避けたり、無視したり、我慢したり、強引に無関心になろうと頑張ったり、あらゆる「関わらないための行為」は、無意識の領域で相手に干渉してしまいます。

相手は気になり、絡む動機ができ、標的にもなります。

私は極端に無視をした結果、先生から異様に目立ってしまい、幾度と目を付けられ、執拗な干渉をされ、成績すら落とされました。

失敗でした

距離を保つ対処のためにも重要なのは、自分と相手の距離感の保ちです。

保つためには自分の利益・不利益の着目を手放し、こちらから無用な干渉をしないことが方法。

干渉しないためには自他の境界線が絶対条件となり、特に嫌いな人との関わりによって受ける自分の不利益にフォーカスしないのが鉄則です。

「うわ、この人の息、くさー」だけならOK。

「うわ、この人のせいで気持ち悪くなった」は瞬く間に境界線がなくなります。

境界線は無意識領域ですのでわかりにくいですが、「自分のことは自分、相手のことは相手」と分け、「この人は臭い、だから離れる」とシンプルにします。

「この人のせいだ、この人が不利益を作った」は心理的には執着になってしまうので注意が必要です。

あくまで距離感を保つのが対処に肝心、「保つ」ために自ら物事を理解し、相手を把握し、距離感を作る。

人間関係を自ら作る意識を大切にされてみてください

 

嫌いな人への拒絶反応 まとめ

拒絶反応の裏側に眠るのは、信念。

嫌なものですが、詳細を紐解くとわかるのは、本当に貴重な自己理解の軸だったりします。

人生を何年生きれば学べるかわからないほど、重要な宝物が潜んでおり、嫌いな人との関わりはたくさんの学びに溢れます。

「嫌う」という愛の反発、恐怖心の反応は、私達人間の精神基盤であり自分を知るための気持ちそのものです。

そんな気持ちの最上級レベル「拒絶」には、一体どれほどの恩恵があるものか、楽しくてワクワクする冒険の始まりです。

人それぞれにさまざまな経験をして、過去の記憶があり、意識状態があります。

スピリチュアルな理解を含めると過去世の記憶まで入り、魂や潜在意識まで含めた膨大な領域によって構築した、生きる指標が信念です。

冒険と探究の先にある宝物は常にステージ毎に存在するボスの後。

拒絶するほど嫌いな人は、ステージのラスボスなのかもしれません。

私は先生を拒絶した当時に信念を知ることはかないませんでしたが、記憶にある関わり、気持ち、無視や無関心になろうと努力した日々、反吐による気分の悪化、精神の穢れはとても貴重な失敗経験です。

嫌いな人に拒絶することを成功体験に繫げる、そんなお役立ちとなれば幸いです。

それでは最後までお読みいただき、ありがとうございました。

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※これは長期的に本気で変わりたい方専用です。

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