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【モロッコ体験談】嫌いな人に無関心になる方法は自己内部にあった

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気になる、あの人のあの嫌味。

考えるだけで、なんだか苦味がしてきた。梅干し効果みたいだ。

なるべく関わらず、脳内から掻き消し、記憶すらも抹消したい、嫌いな人。

関心をなくすことで意識を相手に向けず、繋がりを解消できます。

しかし、無関心とは、「よし、興味をなくすぞ」と思ってできるものではありませんので、仕組みを知る必要があります。

そこで、私自身が実際に体験した無関心になるプロセスと共に、方法論の詳細を見ていかれてください。

  • 嫌いな人に無関心になれないのはなぜ?
  • モロッコでの体験理解とは?
  • 嫌いな人に無関心になる方法とは?

これらを紐解き、「嫌う意味がわかると初めて無関心になれるんだ」と自己理解を深める内容になっております。

旅をしている際に知った心理と精神理解が、一つのご参考になれば幸いです。

嫌いな人に無関心になれない心理

嫌いな人の対処法は無関心がいい

「合わない」
「なんだか苦手」
「性根が気にくわない」
「心から嫌悪が湧き出る」

誰しもに肯定したいこと拒否したいことがあり、好き嫌いがあります。

嫌いとは拒否したいさま。自らに不利益を与える人を嫌います

不利益とは不満足に不納得、損害に損失、不安や恐怖の与え、「嫌だ、悲しい、辛い、イライラする、許せない」など。

拒否したいと思う存在であればあるほど、嫌いになります。

心から拒否したくなる人ほど、嫌いになります。

不利益が自分の外側である“物”から内側、肉体、メンタル、そして心(精神)に近づけば近づくほど嫌いになります。

そんな人が現れたら、抹消させるのが手っ取り早く、不利益をなくせます。

しかし、そんなことは人道的、社会的にできませんので、最たる術となるのが「関わらない、無関心」。

いざ関わらないように接点を削いでいっても、「同じ学校で声が聞こえる、今日もギャーギャー言っている」

「会社の部署が同じ、業務の進捗を伝えなければならない」

「近所だから定期的に自治会で会う必要がある」

関わりたくないのはやまやまですが、関わらざるをえない、気になる、意識が向く

いざ無関心になろうとしても、なかなか難しいものです。

 

嫌いな人に無関心になれない理由

無関心とは、対象への興味関心をゼロにすること、意識を一切向けない行為です。

嫌いな人の声が聞こえて、「あ、あの人の声だ」となった時点で、意識は自然と向きます。

「嫌いだ」と意識すればするほど、興味はなくても関心が強まり、意識ビームがビビビと発されます。

意識ビームの強さには、このような心理が考えられます。

無関心になれない心理
  • [嫌い=不利益]へのフォーカスが強い
  • 他者からの影響を受けやすい
  • 周りが気になる(評価や体裁を気にする)
  • 罪悪感が嫌で、本当に嫌いになれていない
  • 自分への興味が強い
  • 自他の境界線が曖昧
  • 嫌いな意味が不明確

全て意識ビームをなくさせない要因となり、「よし、無関心になるぞ」と思えば思うほど、潜在的に関心を示してしまいます。

それでは、どうすれば嫌いな人に無関心になれるのか

詳細を紐解くために、私自身の体験内容を初めにご覧に入れます。

※嫌いな態度が出てしまう心理は、嫌いな人にあからさまな態度が出る人、出てしまう人の心理と改善 をどうぞ。

 

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嫌いな人に無関心になる体験洞察

少し長いですが、理解を深めるための材料になりますのでお付き合いください。

モロッコで出会った嫌いな人

「この人、嫌いだなぁ」

まじまじと思ったのは、私がモロッコの田舎、砂漠地にいた際に出会った人。

現地モロッコ人男性、年齢は五十手前、やせ型、八ヵ国語理解。

イスラム教の水色ワンピース(ガラベーヤ)を着て、砂漠地の集落でゲストハウスを営みます。

数百メートル四方の小さな集落を出ると、全て砂。人とラクダが集落外れの井戸水を共有して暮らします。

私が訪れた当初は他に誰もお客さんはおらず、私一人と彼(以下:オーナー)との共同生活状態でした。

早速やらかしてくれたオーナー、初日から嫌いになる出来事がありました。

 

砂漠のど真ん中でスタック

一日数回砂嵐があり、外には出ていられないほど荒れる砂漠地。

そんな土地に到着して間もない私は、この場ならではの名物を探していました。

オーナーに話すと、「ここから車で一時間ほど行った町にあるぞ、行くか?」と誘ってくれます。

オーナーの友人が車を持っているとのことで、斡旋代諸々を支払って手配してもらいます。

お昼過ぎに友人が車でやってきて、そのまま友人のドライブで私とオーナーも乗り込み、三人で砂漠地を進みます。

圧倒的な砂地、私にはどこが道なのかすらわからない中を進み、目的の町に到着しました。

「本当に着いた」と思うほど、道がない中を進んでいたため、到着は安堵と共でした。

現地人しか知らない名物を購入することができ、有難く思いながら帰ろうとしたのですが、オーナーが町から少し離れた砂漠のど真ん中で車を止めさせます。

実はこの時、オーナーはビール缶を三本ほど飲んでおり、後日気づくのですが、酒に弱いアル中。

真っ黒な顔が赤黒いザクロになっており、ひょっとこのように千鳥足。

突然車から出て、砂漠地をひょっとこひょっとこ歩き、ポテとこけ、歩いてはポテ。

ドライバーの友人と私は顔を見合わせて、笑っていました。

辺りは黄土色と水色、砂と空のみ。

暑かった日中も夕方になり、地平線の上にくっきりした夕陽が真っ赤に染まり始めました。

微笑ましい光景が広がる中、いつまで経っても一人戻ってきません。

近くでひょっとこ歩き回っていますが、いくら言っても車に戻りません。

夕陽が地平線に沈み、少しずつ大気が青暗くなってきます。

すると、馬鹿でかい砂嵐の竜巻が発生し、遠目にわかる位置で大げさに近づいてきます。

私は再度ドライバーと顔を見合わせて、「もしかするともしかする?」と目が見開き、彼も同じ顔をしました。

「ヤバイ!」

ひょっとこ野郎の方へズボズボと砂に埋もれながら走って向かいます。

陽が沈み、辺りは暗くなり、もともとないような道は全く見えなくなり、砂嵐に包まれたら動けなくなり、車が埋まる。

「本当にヤバイ!!!」

ひょっとこ野郎を強引に引っ張ると、「おらっ、俺を誰だと思っている!」と演技かかった声を荒げ、偉そうに二本脚を肩幅以上に広げて、エッヘンしています。

ぶっ飛ばしてやろうかと思いましたが、初対面なので控え、事情を説明するも、「大丈夫だ、俺は砂漠で生まれ育っているからこんなのには慣れている、心配すんな」と言います。

しかし、同じ土地で育っている友人は考えられないほど焦っています。

砂嵐がどんどん近づき、私とドライバーは二人がかりでオーナーを引っ張り、車へ連れ込もうとします。

時既に遅し。

砂嵐に飲まれ、露出している肌がバチバチと痛み、目を開けられないほどに勢いが強まります。

「乗れ乗れっ!!バンッ」

全員がやっと車に入り、ドアを閉めて一旦回避。身動きできず、周りが全く見えないので、その場で過ぎ去るのを待ちます。

数分して周囲がやっと見えるが、辺りは薄暗くなり、空には満天の星が光り始めます。

「うわぁ、綺麗」と思ったのも束の間。

ブルブル、ギュイーン、キュルキュル、ギューン。

‥‥‥車のスタック。

タイヤが砂地にハマり、空転して動かない。

起きてしまいました。

 

無責任な自己中を嫌う

スタックした後は、地獄絵図でした。

友人がドライブし、私は這いつくばって砂を顔に浴びながら掘り続け、オーナーは後ろからベロベロと文句を言う。

掘っても掘っても少し動いてハマり、少し動いてハマる繰り返し。

タイヤの下にひけるものが何もなく、できるのはタイヤを砂から出し、アクセルの調整によって上手く抜け出て、ハマらないようにこの一帯を抜けきること。

三十分ほど掘り続け、私は泥だらけで疲れ切ってしまいます。

オーナーは汚れたくないので掘りません。

しかし、「おいおい、もっと上手く運転しろよ、こんなに掘ってんのに意味ないだろ!」と文句を言ったところで私は胸ぐらをつかみ、掘らせました。

へいへい言いながらか弱く掘る彼は、終始無責任であり、自分がこの状態の要因を作っている自覚がなく、一緒に抜ける努力をする気がなく、協力する気もなく、まるでリーダーのように指図だけして、汚れ仕事を一切拒否。

オーナーと私は英語でしたが、友人とオーナーがアラビア語で本気で喧嘩し始め、最悪の状態に。

すると、拍車をかけるように雨が降り始めます。

辺りは既に真っ暗、「あぁ、最悪だ」と思いながらも、「あっ、水分を含んで砂が固くなる!」と希望が見えます。

チーム体制が必須だったため、トラブルメーカーであるオーナーに運転してもらい、私と友人で掘る作戦に変更。

二人して這いつくばって泥だらけ、ひたすらに腕を動かして洋服もベチャベチャ、オーナーは馬鹿の一つ覚えでアクセルを全開にするので、手を巻き込まれる危険もあり、泥がとにかく跳ねます。

「あの野郎、おぼえとけよ」と思いながらも、とにかくこの状況を抜け出たい一心で、本気で掘り続けた結果、ついにスタックから抜けてビュンと車が飛び出ました。

そして、オーナーはそのまま猛スピードで遠く離れ、ヘッドライトが遥か彼方に‥‥。

「逃げやがった!」

隣で考えられないほどの奇声をアラビアンチックに上げている友人、「怒り狂うとこうなるんだ」とちょっと冷静になる私。

貴重な経験となる身も心も空間も空っぽ状態を味わいながら途方に暮れていると、微かなライトが遠くに見えます。

携帯のスクリーンを光らせてブンブン振ると、遠くで暴れるように右往左往しながらこちらに来ます。

「猫バスかな?」と思いきや、オーナーでした。

「止まるとスタックするから、飛び乗れ!」と言われ、再度の力を振り絞り、全速力で走りながらジャンプして乗り込みます。

「映画かよ」と思いながら、その後真っ暗な中を進み、約三時間後に生還。

ハードな初日でした。

この件で私はオーナーを見る目が鋭くなり、嫌いになりました。

※怒鳴る人が嫌いな時は、【頭のバグを知ってあげる】怒鳴る人が嫌いで怖い時の対処法 をどうぞ。

 

嫌いな人に意識が向く心理

オーナーとは関われば関わるほどに人間性が露になり、とにかく合いませんでした。

スタックした初日、汚れ真っ黒で宿に戻った後にも、オーナーは平気な顔で言ってきました。

「この件で友人は俺への怒りが収まらない。車をかなり傷めたから修理費を払って納得してもらい、関係性を修復したい。今回は初めに行きたいと言ったのがあなただから、払って」

このような言動が多く、自分の非を認めず、暇さえあればひょっとこしており、めんどくさがりで宿の掃除はせず、常に上から目線で話し、周りが見えていない自覚がありません。

無関心になれば無駄がなくなるので効率的。しかし、どこかで対象に意識を向けてしまい、無関心になりたくてもできない。

「どうして意識を向けてしまうのか?」

これを知りたくて、結局二ヵ月間滞在しました。

疑問を解くために嫌いな人と深く関わってみると、問題は相手ではなく自分にあるとわかりました

自分の興味関心の心理、いわゆる意識が自然と向いてしまうことを知る体験にてわかったのは、無関心になる仕組みでした。

※あえて嫌いな人と関わる大切さは、【嫌いな人なのに?!】あえて近づき話しかける心理に重要な人間味 をどうぞ。

 

嫌いな人に無関心になる方法

嫌いな人に無関心になれない根本の原因

無関心になるためには、「どうして意識を向けてしまうのか?」の根本原因を知ることが一歩目になります。

モロッコ体験でわかったのは、自分に直すべき点があると潜在的に知っていればいるほど、無関心になれないことです。

直すべき点は、自分の中の認めたいけど認められない何かであり、拒否している何か。

スムースに行かないひっかかり(心の抵抗になっているもの)を無意識に把握していると、改善や修正を試みたくなります。

すると、嫌いな人を見ているはずなのに実は自分自身を見ている、なんて可能性が出てきます。

 

無関心になれない時、嫌いな人ではなく自分の鏡を見ている

自分自身の抑圧した拒絶面を、相手に投影して見ている可能性があります。

これをユング心理学では、「シャドウ」と言います。

シャドウとは、
心の中で抑圧された、認められない自分の一面、暗部(影)。

隠し、拒絶し、排除した自分を無意識に他者に投影し、心の反発や拒否感を抱く。
※Wikipedia 心理学における影 参照

ユング心理学では、人間には対極した二面性があると言われています。

意識的に存在する自分が、反発や拒否を抱いて抑圧した側面がシャドウ。無意識に内在し、他者に投影することで現れます

例えば、小さい頃に弟ばかり可愛がられ、わがままを言うと怒られるので、甘えて好き勝手する自分を拒否して抑圧するとします。

すると、甘えて好き勝手する他者を見ると、シャドーを投影して拒否する気持ちが湧き出ます。

拒否する自分の鏡写しであるため、反発や抵抗を強く認識し、自分を写した相手を嫌いになります。

シャドーの投影によって嫌いになっており、相手を見ているのではなく、自分の鏡を見ているから無関心になれない可能性があります。

自然と意識が向いてしまうのは、興味がない相手ではなく、興味がある自分自身を投影して見ているから、という考え方です。

※嫌いな人が去る方法は、【嫌いな人がいなくなる方法】自然と去っていくスピリチュアルな仕組み をどうぞ。

 

ポイント:無関心になろうとしない

意識を向けないことが大切ですので、無視したり、あえて無関心になろうとすることは、反対に意識を強めます。

嫌いな人の対処に大切なのは、無関心になろうとすることの手放しです。

手放すために必要なのは、「嫌い」に潜む自己表現の紐解きです。

私を例にすると、モロッコで関わり続けてわかったのは、オーナーその人を嫌いではなかったことです。

オーナーの言動に、自分の拒否したい部分とのマッチングがあり、シャドーを投影して「嫌い」と反応していました。

上から目線、マウントを取っていない振りをしながらマウントをとる誤魔化し、手のひらコロコロしながら罪悪感をなくすずるさ。

本質的に認められていない部分があることを隠蔽する思惑。

全部私のエゴにある思考的な暗部

誤魔化して隠しているものがオーナーに投影されることで、「拒否したい=嫌い」と気持ちを表現していました

「嫌い」の理由や意味がわかると、相手にシャドーを投影する必要性がなくなり、興味がない相手であれば無関心、興味があれば相手をしっかり見て深く関われます。

あえて無関心になる必要はなく、「嫌い」と思い感じる理由や意味を知り、自己利益有無ではなく事実としっかり向き合うことで、嫌いなことでの悩みや問題が解消されます。

無関心になろうとする場合、不利益をなくすという自己利益にフォーカスして関心してしまうので、着目は根源に潜む「嫌う意味」の開示です。

※嫌いな人への拒絶反応については、【最上級のサイン】嫌いな人への拒絶反応に潜む意味と対処法(解説by体験談)をどうぞ。

 

嫌いな人に無関心になる方法:自分の鏡を見ている自覚

「嫌いだ」と思う時、「この嫌いな人が、拒否したい自分の一面だ」と認められると、問題は解決します。

しかし、拒否したい自分の一面を認めるのは、「嫌なこと」ですので難しいと思います。

そこでお伝えしたいのは、「この人は自分の鏡写しなのかもしれない」という認識です。

見える世界を広げると、嫌いな人と自分の境界線を強める養いになります。

嫌いな人に意識を向けてしまうのは、自らへの関心というこれまでの内容もありますが、相手の影響を受け過ぎている自他の区分けが曖昧になっていることでの不利益も関係します。

「自分は自分、相手は相手」と区分けし、相手に飲み込まれない(影響されすぎない)ために、「実は自分の鏡写しで、この人のこと見てないんだ」という認識、隠された事実を知ることが重要です。

 

成長機会にする人向け:シャドーを受け入れる

成長を求める場合、嫌いな人との関わりは重要機会になります。

自らの認めたくない部分を認める大意なるものが、「嫌い」という気持ちとの向き合いです。

シャドーの投影自覚は、潜在意識を知り、自己受容を高め、自他の区分け(自意識)を明確にし、俯瞰性を高め、認識力を上げ、自分を知る体験そのものになります。

シャドーは暗部。これまで長い年月をかけて積み続けた、エゴの暗い奥の部分です。

人によっては、何も考えず上半身裸になって、夜の公園でパリピになることがシャドー。

人によっては、思慮重く古い蔵書を塀の下で読みながら、悲観的に爪を噛むことがシャドー。

拒否したい自分、願いが叶わなかった自分、抑圧によってこの世を生きてこれなかった自分。

「コンプレックス、抑圧、許せない記憶、認めたくない事実」がキーワードとなり、誰か他者にマッチして潜在的に触発する時、「嫌い」という機会が現れます。

嫌いな人によって自らの暗部を知り、認めることで、より深いエゴの闇を知ることができます。

自覚が増えていく先にあるのが、自己一致、本当の自分ワンネス認知です。

嫌いの詳細を知った時、無関心は無干渉となり、相手を敬う形でのちょうどいい距離感がもたらされます。

自己理解の成長を求める際は、無理せずにされてみてください。

 

嫌いな人に無関心になる方法 まとめ

「嫌いな人」という言葉には、大きな意味がギュッと詰まっています。

「嫌い=悪」ではありません。

「嫌い=自己理解」「嫌い=ワンネスへの道」「嫌い=エゴと分離するチャンス」

「嫌いだからなんなのか?」

人それぞれに答えがあると思います。

答えがあると無関心になれます。

答えがない場合、嫌いな理由と意味を今一度考えてみてください。

私達人間は自分の精神を満たすために生きており、自らを中心に物事を捉え、考え、感じます。

利益を得る際は自らが中心になって認識しており、反対に不利益を得る際も自らが中心になっています。

自らにもたらされる好き嫌いは、自己内部の肯定と拒否を司り、結局自分のことを表現していたりします。

人との関わりによって構成される社会ですが、前提には個々の意識があり、さらに地球や大気などこの世の環境との交わりがあり、物事は常に[自+他]によって考える基盤が成り立ちます。

好きになることにエゴがあり、嫌いになることにエゴがあり、どちらも自分を知ることに繋がります。

嫌いな人に興味を持つ必要はありませんので、どうせ現れたなら利用しちゃいましょう。

それがこの世の人生ゲーム、物事の意味なのかもしれません。

心理と精神に潜む暗部の影響と企み。全ては自分のためになっていると考えるご参考になれば幸いです。

それでは、嫌いな人に無関心になるお話を終了します。

最後までお読みいただき、ありがとうございました。

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※これは長期的に本気で変わりたい方専用です。

POSTED COMMENT

  1. アンダスタンド より:

    わかりやすかったです!
    ありがとございます♪

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