エッセイ

【優しくするほど幸せになる人】受け取る側も欠かせない仕組み

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冷酷無慈悲、他人に興味がないタイプである私。

色白で血の色は青く、深夜のお墓が好き、そして幽体離脱実験を再開した近頃と、それはどうでもいいか。

そんな私は過去、利用や執着の経験から、「人によくすること」の弊害を感じてきました。

一方、海外旅の中で窮地を幾度と助けてもらい、数えきれないほどの温かみを頂いてきたため、優しさとは何かを感じ続けてきました。

世の中には優しくして不幸になる人もいれば、幸せになる人もおり、そこには明確な違いがあります。

ここでは、優しさのナチュラリズムをチラリズムしていきます。

  • 幸せになる優しさについて知りたい
  • 優しさとは何か今一度考えたい

優しいって何なんでしょう?

ややこしそうでありながらとってもシンプルな構造だったりするので、一つの考え方としてお楽しみいただければ幸いです。

Youtubeもありますのでぜひご覧ください。

優しくするほど幸せになる人

優しくするほど幸せになる人の特徴15選

一文なしだった赤の他人の私に食事を与え、仕事も一緒に探し、仕舞いには家までくれたアラスカのおじいさん。

宿探しで困っていると一緒に探し回ってくれて、泊まる所がないとわかったら何の躊躇もなく自宅に泊めてもてなしてくれたネパールのおじさん一家。

ヒッチハイクで乗せてくれた上に、「一緒にいれて楽しかった」とお金まで与えてくれたオーストラリアのお兄さん。

なんでも
なんでも
もう数えたらきりがないほどですが、そんな人々にはひときわ際立つ特徴があります。

1,優しくしているつもりがない

「そこまでしておいて?!」と初めは驚愕でしたが、本人は優しくしていると思っていない。

優しくしているのではなく、愛を持って接した結果が優しさ、親切、思いやりになっている人です。

 

2,お返ししてくれる相手を「優しい」と思う

自分が与えているからであるにもかかわらず、相手から返報があるとまるで相手から与えてくれたかのようにとっても喜びます。

財布を拾って渡し、「ありがとうございます!」と喜ばれたら、「あぁこの人はいい人だ」とニコニコ。

さらに、「これお礼です、受け取ってください」なんて言われたら、「なんて優しい人なんだ!」と思っています。

 

3,調和を喜ぶ

調和を図る意識が強い特徴。

相手と調和する意欲があり、「この人のため」「よくなってほしい」「役立ってほしい」と言うよりは、「一緒に喜びたい」が故に行為します。

ヒッチハイクで私を乗せてくれた人は、「先に進めてあげたい」ではなく、「この人との出来事を楽しもう」と思っていました。

 

4,自分がしたいからする

「やりたくないけどやる」というのが少ない人。

特に優しくすることに対してはやりたくなければやらない人であり、嫌々やらなければならない強制や我慢があるとすぐ顔に出ます。

 

5,スッキリした関わり

粘着性のあるヘドロドロドロした関係性がなく、一言でめんどくさくない人です。

依存と執着のない関係性を好み、損得勘定や見返りうんぬんといったややこしいことを気にしません。

スッキリした関わり合いができ、程よい距離感があるために心地よく、尊重し合う関係にもなりやすいです。

 

6,対等を好む

上下高低のヒエラルキーや差別のない世界を好みます。

とてもフレンドリーな特徴にもなり、相手と自分の対等で平等な関わりを作ろうとします

対等を求めている訳ではなく自然とそうしているさまがあり、対等を相手に押し付けたり強要することはありません。

 

7,ちょっと悪い

優しい人ほど反省して悪を光に変えてきた軌跡があります。

過去に悪いこともしてきた人であり、悪性や闇質を拒否せず、かつ主張せずに自分の一部として持っている特徴です。

悪を内包して初めて善になる、そんな本質を教えてくれる存在であり、取り繕いや見かけ重視の薄っぺらい善人とは訳が違います。

 

8,誰彼かまわず助ける

気づいたら助けている人。

身体が勝手に動いており、とっさの判断はなく、「あ!」と思ったら既に助けに飛んでる人、別名ヒーローです。

他人を助けて自分の服がボロボロみたいな人でして、自分が事故や損害を被っても守れれば清々しい顔をします

そして助けた後はスーっと消える、そんなカッコイイ人もおり、本当はめんどうが嫌いなだけだったりします。

 

9,与えてはならない人には与えない

「美味しいパンだからあげよう」と誰彼かまわず与えていた過去があります。

しかし、多くの失敗を反省し教訓とし、愛を渡す対象は見極めます。
※助ける時は勝手に身体が動いてしまう

見極めるといっても、「この人にはあげて、この人にはあげない」という区分けではなく、与えない方がいい人には干渉しない意味です。

干渉によって依存や執着を増幅させる懸念がある場合、何もしないことをあえてします。

人によっては非常に冷たく思われています

 

10,直感や気づきを重んじる

見えない感受を大切にする特徴。

見えるものに限定した世界を生きておらず、幅広く捉えるために感覚や感性を重要視します。

特に直感と気づき、それは見えない何かからのメッセージかもしれない。

物事の意味を感じ、気づきながら生きています

 

11,起きる出来事を楽しむ

日常をゲームのように遊ぶ人。

ふとしたこと、些細なことでも起きた出来事を見つめ、感じ、思います。

「今日は何が起きるかな?何をしようかな?」と好奇的に生存するスタンスがあり、体験を味わう意欲があり、生きることを楽しむ意志があります

 

12,世の中、世界と調和している

生きることを楽しむ人はこの世と調和していると考えます。

起きる出来事の意味やメッセージを感じ、考え、探求する人であり、だからこそ関わる人は見ず知らずであってもなくてもしっかり認識します

相手はこの人と関われると温かく嬉しい気持ちになり、また関わりたくなります。

 

13,良くないことは良くないとはっきり言う

自分の意見を持っており、言うべきことははっきり言う人。

ですが、人格やアイデンティティの否定は何があってもしません

本質的に変えられないものを感覚的に知っており、後天的や外部影響によるものなど変えられる工夫できるものは否定も批判もします。

ただ、否定で終わりはまずない人でして、相手を想っての指摘や助言を真剣に親身になってしてくれます。

 

14,相手のために時間を使う

「あああ!時間を奪われた!」とならない人。

切り替え上手、覚悟が直ぐできる特徴を意味します。

相談された時、「どうすっか、今仕事中だからな」

「仕事終わったら話し聞くよ、今夜は長いぞ」と直ぐに切り替え、優しくする時間を作る覚悟をする、なんてイメージです。

 

15,自分を利用させない

最も大きな特徴だと考えられるのが、利用させないことです。

何があってもさせませんが、過去はたくさん利用されてきた人でもあります。

断る時は断り、はっきり言う時は言う、怒る時は激怖い人です。

ちなみに怒らせたら確実に謝った方がいい人でして、それは社会的制裁が怖いからではなく、自分の心が一生後悔する可能性があるためです。

以上、優しくするほど幸せになる人の特徴でした。

 

優しくするほど幸せになる理由

幸せになる理由

なんでも
なんでも
外見が似た動作であっても中身にある意図、意志、意識は人それぞれに異なるため、他者への影響は変わります。

大別すると、優しさにはネガティブな影響とポジティブな影響があります。

ネガティブな影響は損や不納得を生み、執着や依存の誘発、何も有難く思われず利用されるなどの“弊害”が多発。

ポジティブな影響は本質的にこれだけです。

愛と調和が拡大する

深掘りしていきます。

 

優しくする動機:愛と調和

優しくして幸せになる人は、

見返りを求めず、何か起きれば手を差し伸べて終わり

「手を出しちゃいけないな」と思えば何もせずに静観して終わり

「ご飯食べてないの?」
「じゃあ食べていきなよ」

「お腹いっぱいになったか、うんよかった、じゃあまたね」と流れていく。

「乗ってきな、送ってくよ」
「はい到着、じゃあまたね~」

「あぁ連絡先を~って、もうあんな遠くに行っちゃった…」

優しさがナチュラルであり、自己満足にも思えるし、周りに気づかれにくい行為でもあります。

あまりにサラぁ~と流れていくので、「自分のために優しくしてるんだろうな」と思えるかもしれません。

実際はどうなのか?

なんでも
なんでも
私の理解では、優しくする動機が愛と調和です。

ナチュラルに優しい人は、[優しさ・親切・思いやり]に定義や意味付けはなく、ただしたいからする、したくなければしない。

したければ愛と調和を持って接する。

したくなければ愛と調和を持たない、もはや接しない。

とてもシンプルな意図と行為であり、そこに企みはなく、直感や感覚を重んじます。

なんでも
なんでも
私の体験で言うと、オーストラリアでヒッチハイク旅をしていた際に出会った犬と現地男性がいました。

もはや犬も愛と調和を持っていた、そんな一人と一匹。

オーストラリア北西部、地平線まで見える何もない砂地、炎天下、夕方。

貧しそうで汚らしい男(私)が、汗をダラダラ垂らしながら路上で親指を立てている。

ほとんど車通りもなかったために諦めて野宿かなと思った時、その男性と犬は一切の躊躇なく車を止めて乗せてくれました。

「心から優しい人だ」と私はその人を全人類に紹介できます。

寝床もない見ず知らずの私と一緒にキャンプしてくれて、夜ご飯をキャンプファイヤーで作ってくれて、仕舞いには自分の車に詰め込んでいたエアーベッドまで貸してくれた。

全て、全ての行為が一切の迷いも思惑もなく、「いいよ、はいどうぞ、これ食べよ、一緒にやろう、これで寝な、いらないならもらうよ、ワンワン」

さらにこの夜は満月で、低い位置に大きくて真っ赤な真ん丸お月様が出た時、走りながらの車内から二人で見惚れたのはいい思い出。

徐々に昇るにつれて黄金色を放ち出す月、私たちはあまりの美しさに意識が肉体から抜けてしまい、彼は100㎞/h以上の運転中に寝落ちという狂喜。

私がおぼろげに月を見ながら助手席からハンドル操作、笑うしかないが彼となら楽しく、今でも鮮明に記憶が残るいい思い出です、ワンワン。

みなさんはできるでしょうか?

運転中の寝落ちのことではなく、見ず知らずの異国のヒッチハイカーを乗せる。

ちなみにこの時の私は10日間くらいシャワーを浴びてないので普通に多分臭かったが、一切それには触れず気にする素振りもなし。

寝床がないとわかれば一緒にキャンプする。

ご飯もないとわかれば自分の食料を使い、食事を作って与える。

翌朝も随分距離を走ってまで乗せてくれて、「また遊ぼう、楽しかった」とまで言ってくれる。

そしてなんの見返りも求めず、後腐れなく気持ちよくバイバイワンワン。

当時の私は携帯を持っていなかったため連絡先はわからず、聞かれもしない。

おそらく二度と会うことのない人間に対する行為でした。

もう当然泣きます。

ナチュラルに優しい人には愛と調和があり、関わると明確に心温まり、豊かな気持ちになります。

 

『愛+調和=優しさ』

優しさに企みや思惑を持つことも時と場合によっては大切だと思います。

規律、礼儀正しく、愛想よく配慮や考慮ができ、事前の防止や損害回避、問題解決や調整役など“社会的”にとっても役立つ行為になります。

ただ、これはAIも可能な優しさかもしれません

役割や役目と化して有難みがなくなる、利用されるなど弊害が起きえます。

なんでも
なんでも
ここでお伝えしている幸せになる優しさは、人間だからこその“気持ち”に溢れているのが特徴的です。

“感じるもの”があるために優しくされた側は無視できず、返報が起きる。

利用なんてすれば罪悪をひどく感じ、有難く思わなければその自分にドン引く。

そうなるのは、愛と調和に基づいた行為だからだと考えます。

愛と調和はどちらもあることで優しさ(または親切や思いやり)になります。

どちらかが欠けたらおかしくなり、愛だけでも調和だけでもナチュラルなものにはなりません。

例えば、愛はあるけど調和がない場合、[自分]という意識に[他]の割合が少ないとわかります。

すると愛とは利他、共同、自他共への敬いではなく、自己愛という形になりがち。

一方で、調和があり愛がない場合、社会的な配慮や先回りによる損害回避といった優しさ、いわゆる利益を与えて不利益をなくす働きにはなりますが、思いやりにはなりにくい。

表向きは優しいけど実際は冷たいなんて人に多いもので、損得勘定で動くので見返りがなければ一切やらないなど、なんというか表向きはいいけど中身がないものになりえます。

愛と調和の両方があって、幸せになる優しさが完成

知性優位の人であれば利益増の不利益無という社会的な優しさもありながら、中身に気持ちギュウギュウの思いやりもある。

感性優位の人であれば社会的な優しさは難しくなる人もいますが、中身がこれでもかというほど溢れるため、「真にこちらのためにやってくれているんだ」とありありとわかる思いやりや親切になる。

共にある人は本当に素敵な人。

偉いとかではなくただただ素敵な人であり、関われることが嬉しくなります。

 

優しさは受け取る側も重要

なんでも
なんでも
私の経験上、ナチュラルに優しくする人は調和に大きな喜びを抱きます。

「あ、スマホ落ちましたよ」に対して、「うわぁ、よかった!助かりました!」と反応が返ってくるととても嬉しい気持ちになります。

しかし、財布を拾ってもらっても、「あ、どうも」とスタスタ行ってしまう、そんな人もいます。

「おろろ…行っちゃった」

愛と調和にて優しさが成り立つというのは、優しくする側だけでなく、“される側”も含めて一つの形が完成している理解です。

完成しなくても気にするかどうかは人それぞれですが、調和が成り立たないと「優しさ」と認識することが難しくなります。

それはした側もそうですが、された側も認識が難しい。

先ほどの行ってしまった人間は出来事を後々振り返り、「そういえばとっても有難いことをされたかも」と思えれば、「あの人はいい人だ」「なんて優しいんだ」「今日はラッキーだな」などとなれる。

優しさを受け取る側はとても重要な片割れ。

ナチュラルに優しい人は既に愛と調和があるため、後は受け取る側次第でそれが素敵な光る行為になるか決まる、という理解です。

渡す側に愛がなければそもそも調和になりませんが、愛があっても受け取る側に愛がなければ調和にならない。

愛がなくても調和があれば中身はないが形だけは成り立つので、上っ面の優しさが成される。

中身のある優しさは両者の共同にて成り立つため、どちらかが恩恵を与えどちらかが受け取る仕組みではなく、お互いのためになるお互いの受け渡し行為こそがそれ

渡す側がキーになると思いますが、受け取る側も重要になる愛と調和の合作。

それが『優しさ』であり、『幸せになる優しさ』という見方です。

※ちなみに、受け取り側次第で優しくない行為でも優しさに仕立てることが可能(表面上ですが)。

さらに受け取り側次第で優しさをより愛と調和のある形にアップグレードするのも可能。

受け取り側は能力と質向上の重要なサポートにも、手のひらでコントロールするプロデュースにも、依存と執着を煽るエゴ増やしにもなります。

 

最後に:優しくするほど幸せになる人

「優しさ」とは一体何なのかわかりにくいですね。

私の理解では優しさとは何もないことで全てがある、空(くう)。

相手によって変わり、その時その時でも移り行くものです。

そのため、中身すっからかんの透明になり、誰しもに合わせられる同化ポケモンになれれば優しさに近付ける。

しかし、その時には自分はおらず、「個性は風のように変幻自在なんだ」となりがら、実体がなければこの物質世界では個にならず、他に従いながら自覚がないとプライドが強くなりちょっとしたことで自己保持困難になりえてしまう。

いわゆる、高次世界であれば成り立つが、この地球という低次世界では成り立たないやり方。

と訳のわからないことをお伝えする運びとなり、「優しさ」という何か善さげなものを知っているような、実体として掴めそうなものとして認識すると、どうしても思い込みができます。

優しくすることを目的にすると、「何をするのか、どうしたらいいのか、相手は誰で、この私は私なのか?」といろいろ希薄化して消えてしまう懸念があります。

幸せになる人は、「優しくしよう」と意気込む以上に、「愛を持って調和できるように」努力します。

結果的に周波数帯の高い領域にいれるため、精神の自己保持が容易になり、認識が広がるために相手への着目が増え、優しくできる点への気づきが増え、実行動もしやすくなる。

自分の精神まで満ち、継続できれば人間として成長にも繋がる一石五鳥スタイル。

とにもかくにも調和が欠かせないもの。

調和意欲も大切ですが、渡す側だけでなく受け取る側もあって成り立つため、優しさという行為は相手を見極めてするものだと思います。

そんな考え方がご参考になれば幸いです。

ありがとうございました。

    POSTED COMMENT

    1. ⭐︎ より:

      昨日、ここに書かれてる人のような旦那に対して、2回もキツイ言い方をしてしまった。
      こんなこと今まで滅多になかったのに。
      私には、自制心がありません。思いやりも。
      広い心も。皮をめくれば酷く醜い人間なんだと改めて感じました。
      もっといい心で受けとめれたら、いれたらいいのにね。

      男性とのお話し、いいお話し^^
      いい思い出やね*・゜゚

      幽体離脱再開とかつっこみどころ満載やけど北斗さん、元気そうで良かった^^⭐︎

      • 北斗 より:

        反省させてくれる人がいる、その機会を与えてくれる人がいる。
        とっても豊か、かけがえのない方が身近にいるんだね。

        私は元気、ありがとう♪

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