心に余裕がなく、肉体も精神も詰まり果てた。
どうすれば、一人では何もできない、誰か、あぁ、誰か。
「よし、ちょっかいを出してみよう」
「あ、反応した、痛がってる、キキキキ」
これを皮切りに、安息の甘みを知り、嫌がらせが始まるエゴ科エゴ属エゴ。
別名、雑小鬼。
さて、一体どんな人生を歩み、どんな行く末を辿るのか。
そんなやつはどうでもいいと思う方は多いかもしれませんが、罪と悪の人間退路は誰しもに重要な理解だったりします。
そこで、嫌がらせする人の罪と悪にフォーカスし、末路をお伝えします。
- 嫌がらせする人の末路を知りたい
- 罪と悪を作る人の内情を知りたい
私たち人間は誰しもが罪人。
そんな観念も含めながら、メンタル理解と共にお伝えします。
嫌がらせする人を反面教師として活かしながら、私たち個々の原罪を見つめるご参考になれば幸いです。
Contents
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嫌がらせする人の罪と悪

本質:嫌がらせする人のしていること
嫌がらせにはさまざまな行為があります。
悪口、いじめ、仲間外れ、排他、無視、横取り、騙し、傷害、裏切り、ハラスメント…。
人が嫌がることをする働きがけ。
実際の行為の働きを紐解くと、こう考えられます。
嫌がらせとは、自らが利益を得るために他者に恐怖心を生み出させる働き。
※恐怖心とは拒否する気持ちであり、心の悪側(反対側は愛)
心の悪を引き出させ、かつ自分は不満解消や刺激などの利益を得る。

この働きには重要なポイントがあります。
「この人を傷つけたい、苦しめたい、不幸にしたい」という悪意があること。
嫌がらせするからには、対象を攻撃・排他する意図があり、自らを悦に浸そうとする目的があります。
これは悪事中の悪事です。
例えば、わかりやすい悪事といえば悪口。
ストレスや不平不満によって、相手を傷つける意図なく吐き出す場合もあり、自らに毒を撒く働き。
相手がいないからこそカフェで友達と愚痴り合うように、相手へのフォーカス以上に、自己内部の鬱憤や不満の解消という目的を主体にする人が多いと思います。
しかし、聞こえるように陰口を言うなど、「この否定的な感情を感じて傷つきやがれ!」と意図を込めて対象を狙った時、毒を自らに撒くだけでなく、相手に恐怖心を与え、苦しめるという願望を叶えようとします。
大罪です。
嫌がらせする人のしていることとは、注意や気を引いてメンタルを保持するような幼児の“試し行動”とは訳が違い、相手を苦しめるために働くことで自らの喜びを得たり、不満を解消する悪事中の悪事。
とんでもない悪人です。
しかし、行く末は地獄ではありません。
嫌がらせする人の着目ポイント
嫌がらせする人の内情には大きな核があります。
「相手を苦しめたい意図を持って悪事を働いていること」

表現を変えると、自分のために相手に恐怖心を与えること。
※恐怖心とは心であり、自らと向き合えない気持ちや拒否感
そのため、「他者の恐怖心を生み出させるサポート」をしています。
他者に恐怖心を生み出させる外的影響を与えても、実際に生み出すのは本人であるため、恐怖心を生んだ責任は本人しか持つことができません。
※エネルギー的に言うと、本人が生んだエネルギーは本人帰属する意
しかし、生み出された本人は自ら進んで生んでいないため、これまた責任を持つ気になれず、「あなたのせいだ」と自然に思います。
すると、責任を持てない人間を一人作り、さらに責任を放棄したくなる人間を一人作る働きになります。
嫌がらせとは自らが率先して働きかけた行為であるにもかかわらず、責任を持たない(=現実として認めたくない)気持ちを増大させます。
罪を負おうとせず、追い詰められないように逃げ、罪悪を感じてもなんとか拒もうと頑張り、「私は悪くない」と思おうとします。
他者に許せない気持ちを生み出させるだけに留まらず、現実を現実にするための責任をなくす行為。
スピリチュアルや精神的に捉えると、万物と万物の繋がり(縁起)をぶち壊す宇宙の原理の破壊をしながら、自己都合の疑似現実を自分のためだけに広げる所業。
ここではスピリチュアルな内容は含めませんが、その時の自分が良ければと嫌がらせした結果、繋がりの破壊と、現実の抹消を促進します。
これによって起こるのが、「自分」の抹消です。
嫌がらせする人は意味がわからないことをしている
自分の抹消という謎行為。
責任のない行為は現実として認める者がいなくなるため、現実でありながら現実ではなくなり、想像の範疇で自己都合的に判断することが起こります。
しかし、事実は事実。
本人が認めようが見なかろうが現実は現実として存在しており、本人の知らないところで自ら作った現実は進んで行きます。
自分が本当に何をしているか意図的にわからなくしながら、そう自覚できない矛盾の世界が始まります。
これによる末路は、浮遊霊と同じ。
地獄にも行けません。
※危険人物の詳細は、【危険人物には直感を活かす】離れた方がいい人と関わってはいけない人の特徴 をご覧ください。
嫌がらせする人の末路6道

自分の抹消による末路は人によって6つ考えられます。
それでは、お化けの紐解きを始めます。
末路①:中身のない空虚と野蛮化
責任とは自らの思考と行動を自覚して認めること。
嫌がらせする人はとにかく自らの行為ではなく、得る利益と他者の反応を主体にし、責任はぶん投げます。
なんでもかんでも人のせいにするようになり、不機嫌になれば自制せずにまき散らし、小ゴジラのように暴れます。
周囲はこの人物を危険視します。
いつ裏切るか、いつ人のせいにするか、いつ感情が爆発するかわかりませんので、信頼を失います。
一方、責任がないと縛りがなくなるため、自由度が増します。
好き勝手振舞い、まるで自分が一番偉いような、人に恐怖を与えやすくもなり、周囲に言うことを聞く犬化人間と狸もどきを数匹置いておくことが可能になります。
近寄りがたいアンタッチャブル感がすさまじい。
末路は責任を持たないことによる空虚。
軸がなく、意志がなく、信念がなく、信仰がなく、自分の意見すらないのにそれに気づくこともできない。
問題はこれらを育む成長がなくなること。
既存の他者の情報や社会ルールを基にした正当化や屁理屈が多くなり、強い者にヘェヘェする奴隷従属の世界、野蛮性から抜け出せなくなります。
※人のせいにする人の末路は、【危険度高め】人のせいにする人の末路とスピリチュアルな捉え方 をご覧ください。
末路②:浮遊化
嫌がらせすると、わかりやすいメンタル影響として、頭と心の認識に大きなギャップができます。
「こうあったらいいな、きっと大丈夫だろう」などの頭と、
「苦しい、重い、どうすればいいの?」と彷徨い背負う心。
とても酷いことをしてしまいながら、「まぁ大丈夫でしょ」と安易に考えるなど、頭と心のキャップが大きいほどアイデンティティを失います。
自尊心がなくなり、やる気と元気、活力と勇気を失い、気だるそうに生存します。
これは浮遊霊と同じだと考えられます。
浮遊霊とはこの世の三次元にて肉体を離れながら、心がわからないために行き場(例えば魂の帰属地)を失い、彷徨う状態。
生きながらに地に足が付かなくなり、浮気をしたり、浅はかな行動をしたり、軽率で無思考、矛盾の多い、軸のない、何をしたいのかわからない行動を繰り返し、欠乏間と虚無感を作り続けます。
潜在的にメンタルや精神を欠乏させ、ひどくなると人の足を引っ張り、怨念や執念の恨みつらみを持って嫌がらせをやめない、そんな人生を続けます。
末路③:刺激にへばりつく弱体化
アイデンティティがわからず、責任を持っていないと、「自分」を認識できなくなります。
軸も信念も信仰もなく、周囲の目が気になって仕方なくなり、常に恐怖心に襲われながら向き合えないために解決の糸口がありません。
生きている意味や自己価値がわからなくなります。
こうなるとエゴとプライド、欲求と本能に従う消費人生となり、屁理屈と正当化の情報並べで自己防衛することが趣味になり、優劣比較と物欲が生存理由になり得ます。
マウントをとりながら他者を蔑み、こそこそと聞こえるように陰口を言うなど、恐怖を誤魔化しながら逃亡する行為が増えます。
刺激を求めて脳をブル付かせ、「私は生きているんだ」という確認作業を繰り返す。そのためにも嫌がらせが手放せなくなります。
この末路の着目点は、年齢経過と共にエネルギーが衰退し、エゴとプライドを保持する力がなくなると、現実を消してきた事実(因果)を見ざるを得ず、「私は中身のない人間だ」と生きれば生きるほど認識が強まっていくことです。
※人を傷つけた人の因果は、『罪と恥と地獄』人を傷つけた人、苦しめた人の因果応報&末路 をご覧ください。
末路④:利用し合うしかない人間関係

顕著な末路となるのが、人間関係の汚れと悪化です。
足の引っ張り合い、我欲の衝突が増え、信頼も絆も尊重も敬いもない利用し合いに限定されます。
私利私欲をぶつけ合う泥投げ遊びが流行り病のように横行し、腕に注射するように文句や批判を垂れ流します。
責任を持っていない以上は自立できないため、一人での生存は不可能。
一人で行動できず、どこに行くにしても人を欲し、孤独に対する恐怖心がとにかく強くなります。
好んで関わってくれる人はいないため、残るのは同調し合う同じ種族、雑小鬼がワーワーし合う。
人間関係は汚れた我欲の擦り合い、人を蔑む罵倒の場となり、ストレス発散とは違って本当に悪意を持って唾を吐きつけるように発射。
毒をお互いに吐いて感染し合いっこ。
より刺激を求めれば傷害や横領などの悪事をする仲間同士になり、脳が抹茶色になり、口が3万年漬けた梅干しそっくりに。
末路⑤:愛の撲滅(自覚を拒んだ正真正銘の極悪人)

悪の反対は愛であり、悪と愛は二つで一つであるのが精神理解。
悪人に愛はあります。
しかしこれは、「嫌がらせした、相手を苦しませた」と、自らを悪人で罪人だと認める人の場合。
悪事を認めて、闇に率先して染まり、喜んで悪事を働くことは、とてもいけないことだと思いますが、責任を持っているのでこの世の原理までは破壊しません。
嫌がらせしても現実と向き合わず、悪や罪を認めず逃げ、自己否定や自責の念に苛まれて悲壮感を味わうことで、自らをまるで善人だと誤魔化す、さらに被害者面すらして自らを正当化する人もいます。
これを仏教では、極悪人と言います。
現実逃避と自己欺瞞(ぎまん)に向かって心を閉じ、被害者とは言わなくてもなんだか被害者ではないかと思い込める疑似現実を妄想。
愛を撲滅するだけでなく、誰からも愛されなくなる末路を率先して作り、それに気づきませんので、行くところまで行きます。
クレームをつけるだけに夜な夜なコンビニに行く、そんなおじさんおばさんになる未来が決まります。
親への愛を忘れ、パートナーは利用以外に興味なく、子供を私物化してぬいぐるみ、または虐待するなど、人と関わってはいけない人間になる末路へ向かいます。
※自分勝手な人の行く末は、【愛の破壊とAI化】わがままで自分勝手な人の末路は人間の逆行 をご参照ください。
末路⑥:罪悪に汚染されていく

嫌がらせした際、本人がどう思うかではなく、どれだけ負のエネルギーを生み出させたかの事実(責任)が現実を構築します。
重要なのは、この世が粒子とエネルギーで構成される手前、自らで生み出していなくても、生み出させた以上はエネルギー反応や影響を受けること。
犯行時刻のまさにその時、
恐怖心による負のエネルギーを潜在的に感じ取り、「私はこの人に恐怖心を生み出させた、この負のエネルギーを生み出させた」と認識。
※他者が生み出したエネルギーは生み出した本人に付帯される
自らがした負の創作、他者に負を生み出させたカルマを潜在領域で認識し、心が罪悪を感じます。
ポイントは潜在領域であること。
心を閉じて責任放棄すれば全く罪悪を感じず、ノウノウと生きられます。
しかし、潜在意識では認識されているため、気づかないだけで罪悪を感じており、カルマは本人がした行為の責任を持つまで一生返り続けます。
このことから、もし心を開けば罪悪感と恐怖に苛まれる人生になります。
心を開くと心地良く明るい光を感じます。好み、愛し、喜びを与え、奉仕し、捧げ、信頼し、許し、感謝し、謝罪し、慈しむ。
できません。
人を愛すれば怖くて苦しくなり、自分を愛すれば罪悪を感じ、幸せをあえて遠ざけるようになります。
罪悪を認めるならば、いっそのこと悪に染まって悪事を働く方が心は楽。
しかしそれは辛く、正式に地獄行きが決まり、社会的に排他されるいばらの道。
責任を持たない以上は心を開くことができず、選択もできず、制限して縛りながら、自らを抹消し、愛を消していきます。
自己内部では思考が止まらなくなり、ストレスが増え、疲れやすく、周囲が気になって仕方なく、他者の言動に一喜一憂し、機嫌が収まらず、気づけば肌がドス効いた色、口はひん曲がり、目はドロドロ。
どっちつかずの浮遊状態は、知らぬ間の潜在領域で罪悪に汚染し続け、幸せから遠ざかる人生を自ら進む末路を作ります。
※不幸な人の詳細は、【不幸化能力の存在】周りを不幸にする人の特徴とエネルギーの詳細 をご覧ください。
最後に:嫌がらせする人の見た目は同じ
実際に嫌がらせされた体験や、周囲でされる人々を見てきた経験から、「なんだか全員同じ顔だな」と気づきましたので、お伝えして終了します。
私たち人間とは自分が愛しくて仕方ありません。
だからこそ喜びたい、生きたい、不幸になりたい、死にたい、と人それぞれの愛し方、愛を知らないがための扱い方があります。
さまざまに愛し方がある中で、嫌がらせすることで自らを愛している(と思い込む)生物がこの内容の主旨。
見た目に共通点があります。
例えば、私が新卒で入社した当時、初めて営業マンとして一人で商品(車)を購入してもらえる運びとなった時、男性の先輩社員は即座に利益を横取りしました。
この先輩、浮気をしており、上っ面でしか誰も関わろうとせず、店長には不信感を抱かれており、当時の私からは存在が消えるほど無関心の対象、話さないというよりは存在しない人。
他にも、人を蹴飛ばしてみんなでキャッキャ笑う人たちもいました。
他の職場では、気に食わない人には仕事を教えず、困る様子を遠目で眺めて楽しむ人たちもいました。
さらに、強く記憶に残っているのは私がパナマで五人組に強盗された際。
銃で脅され、五人から全身を抑えられ首を絞め羽交い絞めにされ、暴れる中でスマホと財布を奪われました。
犯罪性の大小にかかわらず、ここに出てくる登場人物全員に共通点があります。
顔が薄黒く、目に生気がなくてたるんでいる。
全員同じ。
量子や意識の捉え方では、「死」が存在しないとも言われている現在科学。
地球上の三次元での死とは肉体の死であり、実際の死とは何なのか、死んだ本人しか知りませんし、本人も知らないかもしれません。
そんな物質や可視に限定した概念縛りをなくすと、もしかすると嫌がらせする人の意識は既に死んでいる(または生きていない)可能性があります。
なんせ浮遊しているから。
この世に肉体を保持しながら浮遊霊と同じになれる在り方、これを嫌がらせの責任と言う、そんなお話でした。
最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。
『心理とスピリチュアルの学び場』
誰しもに人生を変える躍動と愛があると信じています。自分を知った先の世界を見にいきましょう。

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※本気で自己理解を深める方は、こちらからお進みください。
北斗さん
ありがとうございます!!
記事拝見致しました。
本質ですね。このように対応させていただきます!!
自分の内面にフォーカスして
「ありがとう」「おめでとう」「すばらしい」の三拍子で乗り切ります
最近、幸せそうで腹が立つってオバ様たちから
言われるくらいでして
どんどん自分磨きを頑張ってます
もうダメなら辞めちゃえばいいんだと心に決め
日々成長するように努力中です!
北斗さん本当にありがとうございます!!
北斗さん
いつも素晴らしいブログ拝見させていただきありがとうございます!
お局にめちゃくちゃ嫌がらせされてて
心が壊れそうです。
悪口はもちろん、ちょっとした嫌がらせと
社長にも嘘を吹き込まれて社長からも信頼をなくして怒られたり、給料も下げられたり
ありとあらゆる嫌がらせをずっとされていて
誰かターゲットを決めたら
執拗に嫌がらせをして辞めさせる人なんですが
本当にそこまで執着して嫌がらせしたい心理が全く理解できなかったのですが、浮遊霊と同じであれば致し方ないかもしれません
今の職も失うことになるかもしれないので
しっかりと実力をつけて新しい収入が得られるように頑張ろうと思います!!
もうほんと、、めんどくさいですね笑
はちぴーさん、こちらこそいつもありがとうございます。
相手は生きるため(生きていると思うため)に必死な状態かもしれませんね。
別記事で「こらしめる方法」をアップ予定ですので、よければそちらも読んでみてください。
長文に目を通して頂きありがとうございます。
古い友人からももは器が大きいと思うと言われた時、どこにそう思う要素があるのか分からなかったのですが友人はきっとこの無意識に受け入れる気質のことを良い意味で言ってくれたように感じました。
自らを抑える癖は徐々に改善されてきたと思っていましたが、やっぱり自分にはまだどこかでメンタルブロックしてしまってる部分があるようですね。
でも少し進歩できた感覚がします、有難いです。
北斗さん、初めまして。
思い悩んだ時の指南書のような感覚でいつも読ませて頂いてます。
20代後半に差し掛かりようやく気付いたのですが、どうやら私はこの浮遊霊に執着されることが今まで多くあったように感じます。
もっと若い頃は自己肯定感が低かったこともあり、何か私が無意識に相手の嫌がることを言ったからこの人は仕返し的に攻撃してくるのかな?と考え、浮遊霊とは気付かず疲弊して心がギリギリになるまで関わりを断てずにいました。
自身を認めていく過程で自己肯定感が養われてきつつある現在はそういった攻撃性、毒ではなく汚れのようなものを感じたら明確に一線引くようにしているのですが、
色々な人と知り合っていく中に浮遊霊が紛れ込んでいることが、いまだに攻撃を受けてからしか気付けません。
なぜこのような人に嫌われる?執着?されやすいのでしょうか。北斗さんが感じる特徴はありますか?
ももさん、初めまして。
ご拝読、ありがとうございます。
そうですね、私が感じる限りでは、毒と汚れが区分けできている時点で、ももさんは物事の認識力が高い。
ただ、人を排他するような区分けや差別化を好まず、気質として受け入れる癖があるのかもしれません。
受け入れはプラスに捉えられることですが、意識的ではなく無意識に許容する癖があると、認識力があるからこそ我慢に変わりやすくなります。
そして、自らを抑える性格は嫌がらせする人が狙う対象ルールブックに入っていたりしますので、グワッと来る。
わかりにくくて申し訳ないですが、そんな感じかなと。
何か理解の一つになれば、と信じます。