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【インド体験&改善方法】自分の思い通りにならないと怒る心理

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旅をすると、何一つ自分の思い通りにならないことを痛感します。

初めて行った海外はインド。私は何も思い通りにならないためにキレまくり、怒り続けていました。

そんな時はガンジス川を眺めていればいい。はぁ~なにこれ~。

自分の思い通りにならないと怒る時、支配欲と無知があり、自らのことを自らではケアできない状態があるかもしれません。

ここでは、改善したいと思う方へ向けて、自分の思い通りにならない怒りとの付き合い方をお伝えします。

  • 自分の思い通りにならないと怒るのはなぜ?
  • 改善はいかに?
  • 改善方法を知るインドでの体験談とは?

これらを紐解き、支配欲と繋がる怒りの心理を知っていただく内容となっております。

支配欲と怒りの意味と目的理解が、改善のための一つの考え方としてご参考になれば幸いです。

自分の思い通りにならないと怒る心理

自分の思い通りにならないと怒る心理

「ああなればいい、こうしたい、こういうものだ、それはおかしい」

自分の思い通りにしたい時、自分の思考・意見・行動を正当化しようとします。

私がインドにいた際、観光客を狙う人々で溢れる都市部では、多くの人が騙してきました。

「くそう、騙された、なんて国だ!」
「ぼったくりじゃないか、やられた!」

インドでは騙しではなくビジネスとも言います。

当時の私は日本のルールを他国に押し付け、日本で植え付けられた価値観を他国のビジネスマンに押し付け、自分の思い通りにしようとしていました。

自らを正当化したいのにできないと怒り、「こいつらが悪い!」と野牛のようにモーモー憤る。

ここで着眼したいのは、自分を正当化したい欲と、その自分がいないことです。

インドで押し付けたルールは、自分のものですらない他者からの植え付けであり、日本の常識や価値観、他の意見や情報。

自分で考えて見出して作ったルールは何一つありませんでした。

自分の思い通りにならないと怒る場合、自分がいません。しかし、いないとは思わないように他のルールや常識など大きなバックアップを盾にかざし、正当化を図っている状態かもしれません。

 

自分がいないと支配欲が生まれる

自分がいない時、責任を自らに負わせるか、他に負わせるかの違いが人それぞれにあります。

自らに負わせると、認め難い現実が目の前にある状態なので辛く苦しくなります。
「騙されるなんてふがいない、どうしようもない、くそう」

それが嫌で拒否すると責任は他へ向かい、「こいつらなんやねん、最低な国だ、むむむ!」と相手が悪いと思い込みます。

自分がいないことは支配欲の表れを教えます。

自己支配か他者支配。

  • 自ら責任を負ってルールで縛り苦しめる場合、自己支配する
  • 責任を他に負わせる場合、他者支配する

支配は自分がいないことを誤魔化せます。

誤魔化す目的があるかどうかは人それぞれですが、自責を強めて自己否定して不納得を作るか、責任を放棄して他者のせいにして不納得を作るかが変わります。

不納得は憤りを作り、怒りやイライラに進展します。

支配欲とは自分がいないと認めずに済む責任所在の確認になり、責任が自分でも他者でもどこかにあると思えば、自分がいないと認識する理由がなくなります。

ここで一つ疑問が出て来ます。
「どうして自分がいないという嫌なことを認識しないで済むのに、怒るの?」

自分のためにしている支配なのに怒る意味とは一体なんなのか。
答えは怒る目的に潜みます。

※怒るエネルギーの捉え方は、怒りのスピリチュアルはエネルギー|愛と表裏の関係を持つすぐキレる訳 をどうぞ。

 

思い通りにならないと怒る目的

責任とは自らの思考と行動を自覚して認める意味です。

私がインドにいた時のように自らの考えも何もなく、他に従った思考や行動の場合には責任を持ちたくても持つことができません。

すると成功や失敗した時に、「ほら、私が言ったとおりにすればそうなった」「私がふがいないからこうなったんだ」と大げさに自らを誇示するか、自己否定して自分に憤るかになり、責任は持つのではなく負うという形になります。

一方、責任を一切自分が持たず、他者に負わせる場合には他者支配になり、「他者に責任があるんだ」と思うために怒りは活用的になります。

リキシャーという自転車タクシーに乗って宿を探している時に、「あれ、ホテルねぇな、テヘペロ」とされれば、「このー、テヘペロじゃないんだよテヘペロじゃ!」「なんで料金かさ増してるの!」と怒り、可愛いおじさんだと思う余裕がありません。

怒れば怒るほどに他者が悪いと思う正当化をしやすく、自分がいないと自覚することすらありません。

 

自己支配なのか他者支配なのかによって怒りを使う目的が変わる

怒る行為には目的があります。

  • 自己支配にて思い通りにならない怒り
    …自分がいないことをどこかで自覚しているが認めたくない時、怒りで現実直面を誤魔化し、嫌なことから遠ざかる対処になる(恐怖心からの逃避・誤魔化し)
  • 他者支配にて思い通りにならない怒り
    …自分がいないと認めないために自覚をなくし、自らを正当化し、支配することで優越し、自らの価値や存在意義があると支配光景によって見出す

怒ることが自分のためになり、利益になるので怒ります。

支配によって思い通りになれば納得し、思い通りにならなくても怒ることで利益を見出せます。

自分がいないという状態は誰しも認め難く、根底には怖れがあり、恐怖心と向き合えなければ向き合えないほどに支配欲が強まります

支配欲は自分がいない場合には、納得不納得両方の結果が出ても利益にすることができるため、恐怖から遠ざかる自己防衛だと考えられます。

自分の思い通りにならないと怒る目的は、恐怖心から逃げる(または誤魔化す)ための自己防衛という考え方です。

「自分がいない」ことへの恐怖心ではなく、嫌なものを拒否して向き合わないさまに恐怖心があり、向き合わない原因は幼少期の生活環境や躾、周囲との関わり、自尊心(自信・自己肯定感)に起因すると考えられます。

※自分の思い通りにならないと怒る原因は、自分の思い通りにならないと気が済まない原因【貧乏瞑想施設での学び】 をどうぞ。

 

自分の思い通りにならないと怒る改善策

改善ポイント:自分は何者でもない理解

自分の思い通りにしたい人の特徴には、いくつかの共通点があります。

自分の思い通りにならないと怒る人
  1. 自信・自尊がない
  2. 自己肯定感が低い
  3. 恐怖(危険・苦痛・拒否したくなること)に対する拒否感が強い
  4. 責任は持たずに負う概念主体
  5. 自分は何者かであると思いたい

これらの特徴からさらに自己支配か他者支配かの違いがあり、他者支配は責任を誰かに負わせるので、他律で他力で他責、自立がない特徴が追加されます。

自立したくてもできない状態が他者支配で、自覚がないために変化や改善動機が見出しにくい点があります。

改善意欲がない人がこの内容を読んでもまるっきし意味がありません。読み難い嫌な内容で終わってしまいます。

ここまで読まれている方は、他者支配ではなく自己支配があると考えられます。

もし他者支配している場合には、自己支配によって恐怖心対処のためにしてしまうという状態だと思います。

改善意欲がある方に大切なことは、「自分がいない」と認めることです。

私達人間は誰しも何者でもありません。

改善ポイントは、自分は何者でもないと知ることです。

自分がいないかどうかは重要なことではありません。
自分は何者かであると思いたい正当化・自己保持・責任の理解が重要です。

※何者でもない詳細は、何者にもなれないと気づく大切さ│自然をもたらす何者でもない自分 をどうぞ。

 

改善方法:たそがれ(何者でもない自分になる)

ぼーっと海を眺めるような。沖縄では夕方になると路上脇にたくさんいる、おじいちゃんおばあちゃんが師匠です。

改善の焦点は、「たそがれできますか?」というものです。
※ここでの“たそがれ”は、黄昏る(夕暮れ時、衰え)ではなく、ボケーッとする創作を意味します

たそがれには明確に一つ必要なものがあります。

何者でもない自分です。

夕日を見て、「わぁ綺麗だなぁ」というのは誰でもできます。たそがれ力1としましょう。

たそがれ力を鍛えて上げていくのが、自分の思い通りにならないと怒る改善方法です。

 

怒りを改善するインドたそがれ体験談

わかりやすくなれば幸いですので、私のインドたそがれ体験談をご覧ください。

私は色々と疲れてしまっていました。

日本では自分の思い通りにならない在り方は、周囲が気を使ったり、甘えさせてくれたり、お金によってなんとか対処できたり、他者を気にしない人々によってスルーしてもらえたり、周囲の大人対応や犠牲精神にて何とかしてくれます。

自分の思い通りにしたい在り方は、周囲のおかげでまかり通らせてもらっていたと、インドに行くと直ぐに気づきます。

インドでは本当に何も思い通りになりません。お金を費やせるだけ費やせばある程度は思い通りになりますが、価値観が全く合わないと限度があり、直ぐに思い通りにならないのでイライラし始めます。

これは一回二回というものではなく、一日を過ごすと何十回と起き、毎日続きます。

常に誰かしら干渉してくる。一人になることが難しい。周囲は誰も気を使ってくれない。

「はぁー、もうダメだぁ」

ここで理解したのは、怒りたいから怒っていたことです。

何もかも思い通りにならない環境では怒れば怒るだけ疲弊し、イライラすればするだけストレスをためて苦しみを作ります。

誰も責任を負ってくれず、自らが負ったところで自己否定するだけで何も起きないとわかれば、怒れば怒るだけ自分がいないことを痛感し、「怖れ」という見たくないものを見ないようにする自己忘却のために怒っていたことが明白になりました。

怒りは一時の感情爆発。目の前の恐怖を見ないためにドンッと白煙モクモク。

その隙に他者が責任を負ってくれる日本の環境があったので気づきにくくなっていましたが、誰も責任を負わない環境では自分の怒りの空虚が露呈し、何にも利益がないことを自覚せざるを得ませんでした。

もう怒る意味がなくなってしまいました。

そんな私は道行くインド人に干渉されながら知らない場所をトボトボ歩いていると、目の前にガンジス川が。

火葬場のある神の街、バラナシという場所です。

 

たそがれる大切さを教えてくれた出会い

ガンジス川ではたくさんの人が糞を垂れ流し、死体の肉片を切って流し、骨を流し、牛を洗い、皿を洗い、身体を洗います。

多くの人が沐浴し、祈り、子供達が泳いで遊び、人々はゴミを投げ捨てます。

あらゆるものが入り混じる川では、反対岸へ向かうボートがあり、観光ボートがあり、たくさんの人が働いてもいます。

私がガンジス川をボケーッと眺めていると、現地の売り子男性が声をかけてきました。

「また変なの売ってくるのかな?」
もう怒る意味がないと知っている私は軽くあしらおうと思いました。

しかし、彼はただ話しかけてきました、日本語で。

「どこか日本人観光客が行ける場所に連れて行って、騙してくるのかな?」と思ったのですが、ただ日常会話です。

彼は家がない路上生活者。年齢は30歳。自分で作った竹とんぼを売って生計を立てている人。

彼の日本語はとても美しく、私よりも綺麗な発音で、正しい日本語を話しており、驚きました。

英語もペラペラで、全て独学と言っており、いつか日本に行きたいと言います。しかし、自分は行けないことを知っているとも言っていました。

私にとってこの出会いは衝撃的でした。

何者かであると思い込み、何者かでありたいと願う意志も意思もない私は、目の前で何者かになりたい意志があり、それだけの意思も能力もあるのに、何者にもなれないと知っている人と話しています。

彼はガンジス川を眺めるのが好きで、よくここに来るという。そこにたまたま私がいたので話してくれたようです。

彼はガンジス川をボケーッと眺めながら教えてくれました。

こんな汚い川だけど、ガンジス川は自分を見つめさせてくれる神聖な川なんだ

その後、軽く談笑してバイバイ。竹とんぼを買おうと思ったのですが、「あげる」と一つくれました。

素敵な出会いでした。

 

たそがれると何者でもない自分が存在する

彼と別れた後も私はボケーッと眺めていました。

これまでの疲れによって自然とたそがれているような見かけとは一変して、たそがれようとしてたそがれている自分がいました。

何者でもない自分が、川を見て何かを感じ、自分にしかわからない感受を認識し、今という時間を作る時。

他のルールも常識も、仕来りも文化も何もかもの概念が介入できない領域を自ら創作する、たそがれ。

「自分とは一体何者か?」なんて考えることもない自然体の私は、とても幸せな気分でした。

怒る意味がなくなり、自らたそがれることで、私は思い通りにならない現実をそのまま受け入れられました。

すると自らたそがれる時間を設ける意識が芽生え、自らの在り方だけでなく時間の使い方に自発と自主性が加わり、たそがれればたそがれるだけ何者でもない自分という明確な存在が認識されます

「自分がいない」ことに対する怖れや思い込みがなくなっていき、怒りだけでなく、自分の思い通りにしようとすることの改善になりました。

 

自分の思い通りにならないと怒る時の改善 まとめ

インドのガンジス川には人々がたそがれに来ます。たそがれ時、他者を干渉して邪魔する人はいません。

押し付けもこもりもせず、ただその場に自らの居場所を作り、今という瞬間を生きる感覚の世界を堪能します。

「自分がいない」と認める大切さがあり、何者でもない自分になることでたそがれができます。

自分がいない怖れによって起きていた支配が解かれ、自己支配・他者支配する意味、怒る意味がわかります。

怖いのは自分がいないと認めたくないからかもしれません。

原因には自分を認められないことや、周囲から認められなかった記憶への不納得や不公平感があり、許せない気持ちがあります。

たそがれは自分を知ることができ、さらに自らがたそがれる時間を作る必要があるので、創作という自らの意思・ルール・認識・意識を使った自発と自主性があり、何より自らを喜ばし癒そうとする意志があります。

何もしない自らの時間と空間は、時間と空間もなくなっていく今のみの現実創造になり、自分の思い通りにしたい欲や意味、怒る目的や意味を知り、思い通りにしたい欲と怒りとどうやって付き合うかが選択できるようになります。

ぜひ、たそがれる時間を設けてみてください。

場所はどこでも大丈夫。たそがれやすい自然環境、海や森などボケーッとしやすい場所探しも大切です。

たそがれには絶対的な責任が無自覚で自然と持たれ、何者でもないからこそ唯一無二の自分が存在します。

自分の思い通りにならない憤りにて怒る場合、何者でもない自分が常にいることを知っていただき、その自分をより明確に認識するためにたそがれを活用されてください。

ボケーッと一休みするように今を作り、自らをはっきりさせ、心地良さと共に支配を解く。

そこに怖れはありませんので、気楽な時間を自ら作られてください。

それでは、自分の思い通りにならないと怒る改善のお話を終了します。

最後までご覧いただきまして、ありがとうとございました。

『心理とスピリチュアルの学び場』

誰しもに人生を変える機会と選択があると信じています。

著名な心理セラピストとして知られる、西澤裕倖(にしざわひろゆき)先生プロデュース。
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※これは長期的に本気で変わりたい方専用です。

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