対処・解消法

【本当は治さなくていい】人見知りが治らないのは甘えではなく「無知」

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人見知りによる人間関係、違和感、抵抗、ストレス、苦痛、悩み。

どうしても壁を作ってしまう。
心を開くのを拒んでしまう。
なかなか治らない。

大人になっても人見知りが改善されないと、何も変わっていない、甘えだと言われても何も言えない、性格だから治らないと思う。

治らないと諦めるのはもったいないかもしれません。

なんせ人見知りは治らなくていい。

ここでは、極度の人見知りだった私の体験と理解から、治らない原因と治さなくていい理解を見ていかれてください。

  • 人見知りが治らないのはなぜ?
  • 治らないのは甘えなの?
  • 治すのは人見知りではない?

これらを紐解き、「人見知りは治さないで抵抗をなくすんだ」と知っていただく内容となっております。

甘え以上に無知が大きな原因となっている可能性がありますので、一つの考え方としてご参考になれば幸いです。

それでは、人見知りをより活用する時間を始めましょう。

人見知りが治らない原因

人見知りを治したいのはなぜ?

生きる活動を望む以上は欲求が核にありますので、根本の欲求理解から入ります。

人見知りってなんで悪なのでしょう?

私が子供の頃、人間さまは鬼の如く怖れ多い存在でした。

親よりも前に出ることができず、後ろで身を隠してブルブル。

学校で先生からさされれば死刑宣告。大げさではなく異常に不安で怖い。結局クラスのみんなの前で泣いて許しをこわなければならない。

強引に人見知りを治させる周囲の押し付けと強要は、漏れなく失敗体験として自信を削り続けます。

世の中には理不尽で無謀な空虚ルールはたくさんあります。

仮面は被って嘘や偽りはついていい、嘘でも笑顔になっておけ。しかし、人さまと馴れ合いコミュニケーションを取らないことを肯定してはならない。それがルール。

ルールに反するとマジョリティが黙っていません。否定や批判、攻撃や排他が始まり、人見知りであることに不利益が生じます。

不利益があれば、人見知りを治したくなります。

人見知りを治したい理由には、ルールに反することでの不利益の対処願望があると考えられます。

ここでわかるのは、人見知りによる不利益を解消したいか、人見知りである自分そのものを変えたいか、自分の欲求です。

人見知りによる不利益を解消したい欲求に基づいている場合、治らない原因になると考えられます。

 

自分を変えないと人見知りは治らない

嫌だ、怖い、不安、困る、悩む、恥ずかしい、わからない、緊張するなど、拒否したくなる不利益。

不利益の解消欲求の場合、変える対象は自分ではなく“他”になります。

しかし、他である人やルールや社会を変えることはできないため、起きるのは不利益を被らない装飾変化、自分の外側をかたどる粘土固め

不利益である不安や恐怖を味わわないように、心の外側の防壁を厚くしていきます。

  • 甘えだと言われないために、笑顔の練習
  • 性格だから治らないと、思考を固める
  • 人と関わると気まずいから、なるべく関わらない
  • 長く関わりそうな人は、好印象を作るために期間限定で頑張る
  • 恥ずかしい思いをしないように、浅く広い人間関係
  • 心を覗かれないように、目をあまり見ない
  • ‥‥

関わりたくないけれども不利益をなくせる範囲で関われるように試行錯誤し、人間関係を頑張ったり時に頑張らなかったり、受ける不利益を耐えられるか否かのバロメーターを調整したり。

目の前の人や職場の関わりにて、自分が嫌な思いをしないバランスを図りますが、新しい人が現れればまた一から構築しなければならず、ストレスを溜めて疲れます。

せっかく作った関わり方があっても、環境が変わればいつでも崩れる可能性がある外側装飾、別名張りぼて。

自分そのものは何も変わっておらず、変える活動にもならず、関わる人や環境が変われば、人見知りが治っていないことを痛感せざるを得なくなります。

自分を本質に変えずに、欲求解消へ向かう場合には治りません。

※人見知りっぽくない心理は、【人見知りに見えない人見知り】社交的なのに心を開かない人の秘密 をどうぞ。

 

アイデンティティは治らない

人見知りが治らない原因には、欲求以外にも治るものか否かの前提があります

性格(パーソナリティ)は自分次第で変えられますが、アイデンティティ(気質・性質・同一性・自己一致)は変えるのが困難です。

私の経験上、アイデンティティはいくら変えようとしても変わりませんでした。遺伝子の兼ね合いもありそうですので、一生変わらないのかもしれません。

アイデンティティはどんな影響が周囲からあっても自分で認められるものであり、変えるべきものでもありません

例えば、外向性、内向性、思考派、感覚派、知性優位、感性優位、女性性、男性性、自意識、HSP、エンパス‥‥。

数えきれないほどたくさんありそうです。

私なんかはチーズ好きがアイデンティティで、卵好きはパーソナリティです。

「こんな臭いチーズ、青くなってゴミみたいじゃないか、嫌いだろ、なぁ、そうだろ?!」

「うまぁ、なにこれ~」ということですので、変わりません、治りません、治す必要もありません。

 

パーソナリティかアイデンティティか理解しないと治らない

アイデンティティは先天的な生まれながらのものであり、自らが認めると自分と合致するような、「これが私なのである」と認めて止まない、受け入れられる自分自身。

アイデンティティに人見知り関連の在り方は人それぞれにたくさんあります。

治して変えようとする場合、不具合が起きます。

世間的に人見知りダメルールがあるために、アイデンティティであるにもかかわらず強引に変えてしまうと、潰れないゴムボールを何度も踏み潰してブヨンブヨン。

「おらおら、早く潰れろ!」と踏んだり蹴ったり。変わらないと過剰になり、結果的にうつなど神経症に繋がる危険性があります。

治すものではないものを変えようとすると、精神を壊す自滅行為になりかねません。ご注意ください。

パーソナリティである性格は後付けであるため、生まれてから今日までの経験測や周囲からの影響に起因します。

私で言うと、貧乏性なので卵焼きは白飯なくして食べられませんでしたが、数年前にやっと卵焼きだけで食べられるようになりました。

心を傷つけるトラウマによる対人恐怖症は、心を閉じて恐怖心と向き合わないパーソナリティとなりますが、自己理解を深めて対人恐怖症はなくなり、もはや恐怖心と仲良くなって闇も光も共に愛するようになりました。

根付いて変えるのに時間を要するものもありますが、変わります。

私はアラスカの森に住んだ経験によってまるで別人になったので、後付けの性格は自己理解次第で本当にいくらでも変わる・治ると考えます。

先天的か後天的か、またはそのような思い込みか否かの価値観や観念、信念体系や潜在意識が関わり、パーソナリティかアイデンティティか理解していないと、治すべきではない、または治せないものにアプローチしている可能性があります。

ジャングルジムで逆上がりしても、格子にぶつかって身体を傷つけるイメージです。

※心を表さない心理は、【本音を言わない男と女】本心を表さない心理に意味と目的がある をどうぞ。

 

人見知りが治らないのは甘えではない

  • 変える対象は他ではなく自分自身
  • 自分の外側ではなく内側
  • アイデンティティではなくパーソナリティ

矛先が違くても外側装飾を変える努力ができるので、「頑張ってでも人と関われるようにして、相手に気を使わせないように工夫して、ルールに従って迷惑をかけないで」と思う人はいるかもしれません。

しかし、外側装飾である誤魔化しや他律従順の他人軸、空虚なニヒリズム的在り方は、人見知りにとって頑張って人と関わる以上に辛く、自分を見失うという膨大な不利益そのものです。

謎のルールに従わせて自らを撲滅させるのであれば、自己防衛が発動して人と関わらなくなり、人間嫌いにもなります。

素直で真面目な人であればあるほど、孤独を選ぶことで他者に迷惑をかけず、自らを護ろうとします。

「人と関わるのが苦手なのに改善努力をしないのは甘え」という単純な内訳心理ではないため、甘えなんてことはありません。

これまでの内容に該当する場合、甘えによって治らないのではありません。

 

人見知りの押し売りは甘えそのもの

孤独を選ぶ人ほど甘えていません。

過酷な道を選び、他者に迷惑をかけず、ルールに沿わせられないのであれば自らのルールに従う律しであり、自立者の特徴です。

しかし、孤独は嫌で不利益、他者との関わりも不利益、「それじゃあ自称して人見知りを押し切ろう、周りが対応を変えてよ」となる場合、甘えが露呈します。

自ら変化を作らず、努力せず、嫌なことはしないで周囲の他に変わってもらうさまは、執着と他力の他責であり、自立から遠く離れます。

甘え、無知、不変。

自らを変化させる気のない現状の肯定姿勢は、自分の不利益のみに着目する、自己都合の社会利用という逸脱になりかねません。

※人見知りの心理は、【大人数が苦手な人見知り心理】内向性トラップに改善策4点 をどうぞ。

 

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※自分を本当に変えたい方のみご活用ください。

人見知りは治さなくていい

人見知りは治す点と治さない点がある

社会ルール上はネガティブですが、人見知りの内情自体はとても幅広く、人によって特性や特徴が違います。

  • 大人数が苦手で、少数はOK
  • 初めは話さないけど、慣れてくればおしゃべり
  • 人間関係が苦痛で、関わるだけで不安や恐怖心が湧き出る
  • 会話以外の空間共有が上手だけど、周囲にできる人がいないから会話を押し付けられる
  • 思考過多で内向・内省性が強く、人見知りに勘違いされる
  • 思ったことをすぐに言わず、熟考癖があって自己世界に入る

社会的にルールに合わせ、業務に支障をきたさないようにするのは大切ですが、人見知りの特性にも大切なものがたくさんあります。

例えば、職場など共同作業場での挨拶は欠かせないと思います。同じ屋根の下では、人と人の繋がりを排他しない共同意識は重要です。

人見知りで人間関係が苦手だからといっても、排他や攻撃は言語道断。挨拶を無視するなど、知らぬ間に相手を傷つけるなども排他や攻撃です。

しかし、排他や攻撃性(またはそう認識される懸念)がなければ、人見知りの内向性、内省性、自己理解による能力発揮、創造力の抽出などは、物事を新たに作ったり、変化を加える力になり、むしろ人との関わりが邪魔や抵抗にもなりえます

外向性や人と関わることに長けている場合には、創造性ではなくサポート力になり、それぞれ役目や価値が違います。

人によって人見知りの内情が違うため、何を活用して、何を改善し、何を治して、何をやめるかが変わります。

 

治したい点を知った体験談

実際に人見知りの何を治して、何を治さなくていいのか。

私の理解でしかわかりませんが、実際に治してわかったことがありますので、いくつかの体験談をご覧に入れます。

①安心できる場所でわかった人見知りの治したい点

小さな頃の私は人見知りが酷かったのですが、緩和するきっかけがありました。

小学四年生の時、とにかく明るくて学年で人気者の子と友達になりました。

ほとんど人と話すことがなかった私ですが、その子と仲良くなったとたんに、人と気楽に関われるようになりました。

理由は、その子の周りには恐怖(危険・苦痛・拒否)がないと実感したからです。

その子が話せばみんな笑顔になり、楽しそうに笑います。

空間が明るくパッと開き、一切の恐怖心がなくて私も笑うようになりました。

仲の良い友達とだけは話せるなど、安心感を覚える空間ができると人見知りは緩和されます

治るわけではありません。外側装飾ですので環境が変われば戻ります。その子がいなくなれば戻り、みんなの前では相変わらず人見知りです。

しかし、この経験によって人見知りの治したい点がわかりました。

自分のことや利益しか考えていない、他者に興味を持っていない点です。

 

②心を開いてわかった人見知りの治したい点

私は人見知りを改善するためにたくさんの人と関わるようになり、社会人として働き始めた時は営業の仕事も進んで行っていました。

しかし、実際に人見知りが治っていた訳ではなく、仮面を塗り固めて自分を騙す偽り。憤りやストレスが酷く、結局自分を見失いました。

仕事をやめて海外へ出た私は、全く違う経験をしようとニュージーランドで農場の仕事をしていました。

そこで出会った日本人男性、当時26歳だった私と同い年の彼と関わることで、これまでは自分を誤魔化せていましたが、はっきりと未だ人見知り中だったと気づきました

彼と話す時、私は明らかに心を開いており、これまでの感覚とは全く別物でした。

気づいたのは、心を開けるかどうか人を評価・判断していたことです。

自意識過剰の自惚れに無自覚。自己理解のなさであり、自分で自分を受け入れていない点が多いからこそ人見知りになっている可能性。

不安や恐怖心である不利益を得ないために、他者に興味を持っていないだけでなく、自分に集中しすぎて客観的に見れていない、いわゆる自分を知らないのに知らないと気づいてすらいませんでした。

自分を知らないと自覚しない無知は、自分を受け入れていないから人見知りになると知る経験でした。

 

③自分が変わってわかった人見知りの治したい点

最終的に人見知りが治ったのは、アラスカの森でワイルドアニマル達と住んだ後、人里に戻って人と関わり始めた時。

「人見知りが大切なんだ」とわかった時です。

人と関わる際には自分だけでなく相手をしっかり認識する大切さがあります。ルールに従うのではなく、自分と相手、または集団でいる時の生きたリアルに対する調和です。

自分を持って相手をしっかり捉える認識では、誰しもに心を開いて関わるなんてことはなく、自分と相手の両方に合わせて関わりを調整する工夫があります。

内向性も外向性もどちらも大切になり、相手に合わせた自分の内向性の表しや、外向性に寄せた工夫もでき、自他の認識理解は人見知りだからこそしやすいものでした。

関わってはならない人もいる社会、人見知りだからこそ自分も周囲もしっかり見て、感じて、捉えて、見極められる。

人見知りに対する自分の認識の持ちようが大切だと気づく体験でした。

※人見知りのバランス理解は、【改善は心の在り方】挨拶したいけどできない大人│人見知りは心と頭のバランス をどうぞ。

 

人見知りの治したい点は性格ではなく認識

上述の体験談から、治したい点が三つ出ました。

人見知りの治したい点
  1. 自分の利益にフォーカスして他者に興味がない
  2. 人を評価・判断して一方的に決めるスタンス
  3. 治さなければならないと思っている認識
    (その場のリアルな人間関係ではなく、自分の思考に潜って世界を見る在り方)

三点の共通は、「認識の縛り」

三点を治す以上に、認識の縛りに着目するのがポイントです。

人との関わりに抵抗を抱く性格は、自分の世界に入るので能力や才能を高めやすくなります。

一方で、ルールや価値観などインプットした情報を基にした認識の縛りによって、周囲の評価や押し付けを鵜呑みにして、「私は人とうまく関われないんだ、良くないんだ」と失敗体験が増えて自信がなくなり、周囲からのネガティブな否定や排他や攻撃によって自己肯定や受容が困難になります。

自分を受け入れられない、受け入れたくない抵抗が作られ、物事を見たり聞いたり感じたり考えたりの認識が抑圧されて、どんどん縛られます。

周囲からの影響によって認識が縛られるのではなく、自分を受け入れたくなくなる経験の積み重ねによって、「縛った方がいい、私はそれに値する、どうでもいい」などと思い、最終的に自ら縛ります。

この認識の縛りが、人見知りによって見出される邪魔な部分と考えます。

以上から、人見知りを治す以上に大切なことが見出されます。

「人見知りの何がいけないのか、何が良いのか」を自分で認識理解することです。

※人に合わせるのが苦痛な時は、【対処法】人に合わせるのが苦痛、嫌い。それでよかった真意 をご覧ください。

 

人見知りが治らない原因、治さなくていい意味 まとめ

「人見知りでいいじゃない」と思えれば、認識の縛りがありません。

「相手に興味を持って関われるようになろう、それが自分のためになる(または相手のためになる)」と思えば、認識の縛りがありません。

なんでもいいんです。

自分で考えられれば、集団従事ではなく独立して一人で頑張ったり、サポートを受けて集団従事するなど、人それぞれに自分なりの選択ができます。

人見知りを押し付けて甘えたり、周囲に変わってもらう怠惰は起きません。

自ら捉えられれば利点の多さが目立ち、人見知りをやめようとは思わないかもしれません。私は思わないタイプの人間です。

治すべきは認識の縛りであり、人見知りそのものではないかもしれません。

縛りがわかると自信のなさ、プライドの高さ、自意識過剰の自惚れ、不安や恐怖心と向き合えない、自分を受け入れていない点が判明し、それらの理由もわかります。

今は想像できなくても、人見知りに対する自己理解を深めると、本当に理由がわかるようになります。

理由がわかると、人との関わりが苦手でもどうすれば不安や恐怖心と向き合えるかにフォーカスし、人間関係の在り方を工夫・改善する次の段階へ進めます。

仮面を被る偽りではなく、自らが認められる自分になるためのその場その場の変化を作り、ストレスや疲れなく気楽にササッと、特定の人とは深くブカッと、自分と社会に合わせた人間関係を共に作れます。

私は人見知りで良かったと心から想っています。

他者と関われず不安や恐怖心を逐一感じ、自己評価を下げ続ける経験、トラウマによる心を閉じる作用は、とにかく自己理解を深めさせてくれる材料となりました。

不利益だと思う経験にこそ、本当の明珠(宝)は隠れています。

お宝を換金する時間かもしれませんね。

そのためのご参考になれば幸いです。

それでは、人見知りが治らないお話を終了します。

最後までご覧いただきまして、ありがとうございました。

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