ガムをいつまでも食べているのは、唾を作り満腹中枢を刺激するため。
私の高校生時代の食事は、基本的にコンビニの鮭おにぎり一つとガム一箱でした。
今思えば、あれは繊細だからこそ成り立ったものかもしれない。
ここでは、繊細で傷つきやすい人にこそ大切な真髄たるものを私なりの理解でお話ししていきます。
- 繊細だからこそ育めるものを知りたい
「傷つきやすい」というのを気質や性質による科学現象と捉えるか、何かが足りないサインと捉えるか、物事には多様な見方があります。
何かが足りない捉え方は育む道を作るため、「自分」を重んじる方へ向けて、一つの考え方としてご参考になればと思います。
Youtubeもありますので、ぜひご覧ください。
Contents
傷つきやすい人
傷つきやすいから…何なのか?

繊細な人は外界からの刺激感受が鋭いため、受け取る刺激の強弱も色彩も激しくなります。
反応が劇的に生まれ、他人の言動に一喜一憂しやすく、喜びも悲しみもひとしおではなく、心への影響が強くなり傷つきやすくもなります。
ギリギリ。
綱渡りしながら生きているみたい。
繊細な人には周囲の理解やケアが大切だと思います。
なぜならば、幼少期からの躾や育てられ方、養育環境や家族との関係性によってメンタルが弱り、精神が形骸化し、大声を聞いただけでビクッとする、まるで子犬のように恐怖観念が植え付く人もいるためです。
HSPやエンパス、ギフテッドなどの気質や性質や才能にて他人の情動を受け取ってしまうために過敏な人もいれば、心や精神の衰弱によって過敏な人もおり、その両方の人もいます。
周囲の理解やケアがあって万歳、と思いきや。
私たちは個性化を育める意識であるため、「自分、または自己」といった意識があります。
「自分を育む」見方をした際、ある程度肉体が大きくなっていくと周囲の理解やケアはある意味邪魔になっていきます。
自分を変化させなくする見えない鎖になりかねないためです。
そんなことを考えると、「傷つきやすい…だから何?」の答えを持つ大切さがありそうです。

「だからわかって」
「だから気を付けてね」
「だから丁重にしなさいよ」
自分は変わらないから他人が変わってくださいという人もいると思います。
これはおそらく他人や情報に従っている人のさまでして、「自分や自己」の個性化がないパターンです。
ここでお伝えしたいのは、せっかく『自分』として存在しているので、個性化を育み作っていきたい考え方。
だからこその見方があります。
傷つきやすい、だからこそ…

傷つきやすいことを活かして個性化を育む。
具体的なものが、守る力の高めです。

『傷つきやすいからこそ自分を守る力を高められる』
傷つきやすいからこそ守る力が要る。
守る力がない場合、優しい人と言うよりは“いい人”という印象が強まります。
心を開く身近な人には攻撃的で批判精神旺盛になる、外面ばかり良くなる可能性も人によってあります。
これもまた傷つきやすいからこそのもの。
現実的に生きる場合、自らの才能の利点は掘り起こせるだけ掘り起こした方が自分のためになります。
すると自己の開拓が進み、生きづらさがなくなっていきます。
鍛えられます。
鍛える材料で溢れている。
雑多な世の中は傷つける人で溢れている。
この世は個性化を育む楽園か、と。
傷つきやすいからこそ守る力をとにかく強くできる、そんなポテンシャルと環境恩恵に溢れています。
繊細+防御力=優しい

私の理解では、傷つきやすい繊細さは防御力と合わせて初めて一つの形を成します。
[繊細+防御力]が組み合わさると[優しい人]になります。
優しい人は調和を図り、臨機応変に自分を変化させ、愛を持って相手のことを考えるため、対人関係での困り事を減らし、プラス事をたくさん作れます。
繊細さの表しは、[繊細さ=傷つく経験の豊富さ(またはこれから経験していく約束)]と言えるものです。
忍者がスッと背後から一太刀で終わらせ、「何者じゃ?ってあれ、もう?バタン」と誰にやられたかも知れずじまい。
とんでもない合理性、無駄のない、倹約的攻撃力と言いますか、誰も近付きたくないシャープネス。
攻撃力が既にある。

なんせ傷つきやすい人とは傷つける人でもあります。
これまで苦痛を受けてきたからこそ、どういう言葉が、どういう行為が、どういう意図が、どう相手に影響するか熟知しています。
「え、私なんか嫌なこと言った?」とシャープに慣れてしまったために普通のことをしたつもりでも、相手からしたらとんでもない棘ゾウなんてことも。
傷ついてきた経験は人間関係で相手を喜ばせることも、恐怖におののかせて脳に爪楊枝をぶっ刺すこともできます。
急所を一撃で終わらせるライフルのごとく攻撃力、相手の恐怖心を掴み手のひらで転がすことも、聖人のように優しく包むこともできる。
あらゆるものを持っていながら、唯一ごっそり抜けているのが防御力。
あとは自分を守る力を高めていきましょう、と行きたい所ですが、その前に確認しておきたい重大事項があります。
※攻撃詳細は、傷つきやすい人の優しさと攻撃的質【傷つきやすい人ほど人を傷つける】をご覧ください。
防御力ではなく、損害回避に向かいやすい

エゴ意識による自己防衛であり、ここで言っている守る力とは全く別物です。
防御力がない人は傷つかないために損害に向き合わない対処、損害回避を意識的にします。
傷つきすぎると精神が壊れてしまうので、大切な一時的回避策です。
主だった回避策は、我慢、嘘、誤魔化し、感情的抗い、拒否拒絶、人のせい、自分のせい、相手をまかす、悪と非難して正当化を図る、無視する、無関心になるなどがあります。
人によっては負かす、見下す、蔑むなど相手を[下]だとみなす、または自分を[上]だとみなすことで、損害である不安と恐怖の向き合いを凌いできたと思います。
本質的な解決ではなく、一時的に難を逃れる対処法であり、事実をうやむやにする脳のまやかしでもあります。
脳によって損害を回避したと思える世界を見ている状態なので、実際に損害を被ると受け止めることが難しくなります。
損害回避はエゴを使うことでの一時凌ぎ、防御力は経験から自己を高める力の育み、そんな違いがあります。
痛みを感じやすいからこそエゴを使って対処したくなるのは当然です。
ただ、ある程度経験則が増えてきたら守る力の育みにシフトする、それは何よりも自分のためになることと思います。
※力がないと自己犠牲になる詳細は、メンタルが弱い人の『優しさ』は短命。【優しくする際は要注意】をご覧ください。
傷つきやすいからこそのもの

傷ついてきた経験を力に変換する

ここで一気に開花する人がいます。
傷つくのが嫌だから、恐いから、対処できないから、保持できないから損害回避に向かうものですが、「対処できないならもう味わってやる!」という人もたくさんいると思います。
そして本来、無知だからやらないのではなく、無知だから痛い想いをするので、味わうのが人間だと私は思っています。
そういう人は精神が壊れた経験があると思います。
傷つきやすい人には大きく二つのタイプがあります。
- 過剰なまでに苦痛を嫌がり避けてきたタイプ
- 多くの苦痛を味わう経験をしてきたタイプ
極端に苦痛を嫌がるようになるか、辛い経験が増えるか、なんてイメージです。
過保護に育てられると痛みを知らず、辛い経験も味わえず、代わりに苦痛を請け負ってくれる他人までいるかもしれません。
抗いや誤魔化しの対処がとにかく激しく、異様なまでに苦痛の反応を表し、周囲に知らしめようとします。
苦痛、辛さを知らない人ほど大げさにパフォーミングするようなものです。

タイプ➀はまず苦痛を知る体験、実際に傷つく経験値が少ないので、防御力に変換する元ネタがありません。
傷つきやすいのに傷つかずにきたという、二代目で終焉する殿様の息子くらいレア。
実際に守る力を高められるのはタイプ②、実際に傷ついてきた人、傷つく勇気がある人です。

もちろんタイプ②でも損害回避します、エゴは大切な防衛意識であり誰しもが多用するものです。
どれだけ対処し、誤魔化し、抗ってこようが、初めから逃げる気しかない人でない限り、苦痛を味わっています。
損害回避やエゴで苦痛がその後うやむやになったとしても、味わっていれば心の奥底にしっかり痛みが残っており、今この瞬間もあります。
漆黒のエネルギーがブワンブワンと奥底でうずいているイメージです。
苦痛を味わってきた人ほど、感じてきた人ほど、その気持ちはエネルギーとして内包され、カルマにもなっており、ダークマターとして使い様は全て自分次第の材料です。
これまで頑張ってきたからこそ、このエネルギーを一切、無駄なく、完全なまでに吸収し、昇華し、力にできます。
していきましょう!
具体的な方法があります。
苦痛の経験を“力”にする方法

具体的には、行動と考え方が必要になります。
少しわかりにくい部分があるので、私の体験理解と共にお伝えしていきます。
まず、心身に溜まった苦痛エネルギー(以下ダークマターとします)を変換します。
これまで味わってきたあらゆる傷の痛みがあると思います。
その記憶(経験)を全て、漏れなく全て必要なものだったと自己決定します。
自分の中で、「あの経験は、あの痛みは必要だった」と信じることを意味します。
『信じる力』が昇華の力です。

心からそうだと信じられた時点で内部の変化、自己の高まりを感じられるかもしれませんし、その後に変化に気づく出来事が起きます。
私の場合、「あれは嫌な経験ではなくて必要だったんだ」と認識するととっても穏やかな気持ちになります。
これまで嬉しかったものがそこまで嬉しくなくなりもしますが、それは感情が冷えたのではなく執着が引いた表れであり、半ば無理矢理嬉しいと思い込ませていた、そんな潜在意識の気づき(真相)が増えます。
過去を回想し、一つ一つの経験を必要なものにしていく度に、内部のダークマターは自分の一部として無意識に受け入れられています。
自然な形で受け入れられると、苦痛の記憶は心を弱らせる棘ではなく、「それくらいの痛みなら知ってるよ」という知恵になります。
この経験による知恵は、これまで味わった傷を恐れるのではなく、「それくらいまでなら大丈夫」という許容になります。
自分にとって必要なものだったと信じられるからこそ変換できる力であり、経験を昇華できるほど許容が広がり、守る力はどんどん高まっていきます。
※他にもある力の高まりは、我慢という執着の手放し【手放すと起こる素敵なこと5選】をご覧ください。
今後のために

防御力が高まったからといって痛みがなくなる訳ではありません。
「私なら大丈夫だ」と受け取めるのが容易になります。
この自信は傷つき、それを自分の一部にできればできるほど身に付きます。
自分の一部にするためには、[しっかり味わう+必要だと心から信じる]ことが方法です。
何か嫌なことが起きても、「これは必要」と思えると、損害回避に向かうのではなく痛みをしっかり味わい向き合う自分がそこにいます。
なので私のような変態は、「痛みはどこだ?苦痛をくれ」となりかねませんので、それはそれで気を付けたいものです。
私自身を見ていても、傷つきやすいことに変わりはないと思います。
変わらないけれども自信があれば話は別、受け取り方も見え方も違います。

恐れるものがなくなるのではなく、「恐いものは恐い」「痛いものは痛い」と現実に抗わなくなります。
そして、「恐いから何?」となります。
恐い感受をしている、以上。
「痛いから何?」
痛い感受をしている、以上。
「傷ついたから何?」
心が傷つく経験をした、以上。
無為自然、現象にチャチャを入れないと物事はとってもシンプルで、それ以下もそれ以上もありません。
その経験をした分、防御も許容も高まっている自分がいます。
私事ですが、この前バイクの暴走族に囲まれ、煽られ、騒がしく、パーティー状態になりました。
そんな時、「なんて有難い経験なんだ」と思っている自分に笑いました。
損害回避、エゴが出てきてその笑いは嘲笑だったかもしれない。
しかし、「必要な経験なんだ」と認識する私は、「なんて怖いんだ」と感じているリアリティを認めながら、「私の防御力は高まっていく、はぁ素晴らしき」
何も思わなくなるのも考えようなので、「ひゃーうるさい」と一応口から出しておこうとは思う次第です。
せっかくの嫌な経験、自己の育みに活かしていきましょう。
※繊細が故のメンタルもありますので、気にしすぎる理由と精神理解「実際はエゴに気を使いすぎている」をご覧ください。
注意点

許容を超えるほど苦痛を味わうと、守る力を高められず、傷が増えてしまいます。
私たちには一人一人心の許容があり、受け止めきれる質や容量のようなものがあります。
「これは必要なことなんだ」と思うのは誰でもできますが、「必要だと信じる(知る)」のは許容内だからこそできます。
「辛いけど、絶対必要なんだ、そうに違いない!」と思い込む場合は信じるのではなく脳に固執する執着ですので、全く別物になります。
せっかくの経験は力にならず、さらに傷が増えてしまう。
「信じて現実を受け止めているか?」をしっかり把握して苦痛と関わるのが欠かせません。
人それぞれに段階や成長ペースがあるため、マイペースを大切にしながらされてみてください。
※心が壊れる注意点は、【受けてばかりはご法度】優しい人が壊れる要因4つ『毒親+〇〇』をご覧ください。
最後に:傷つきやすい人
今の時代にあまり好まれる考え方ではないと思いますが、一部の方にフィットすれば何よりです。
ネガティブは本当に膨大なエネルギーであり、溜め込める性質があるために強力なパワーを一気に開拓できます。
特に傷つく経験はとても痛く心に留まります。
留まるほどにダークマターは邪の道にも向かい、怨念や怨恨という闇夜の力にのめり込みます。
育みであり自己開拓は光の側面であり、闇を活かして防御と許容を広げます。
物事は使い様、活かし様。
のめり込むハマり込む以上に、客観的に捉えてバランスを図る塩梅がちょうどいいかと思います。
そのためにも傷つきやすいことにのめり込まず、自らが自らを見つめる目が大切です。
傷つきやすいからこそ苦痛をたくさん味わえる。
苦痛をたくさん味わえるからこそ過酷さを知れる。
過酷さの知恵があるからこそ力を育める。
力を育むからこそ自信が生まれる。
自信が生まれるからこそ飛べる。
飛べたらもうなんでもいい。
そんな考え方が一つのご参考になれば幸いです。
それではありがとうございました。

















