心理と特徴

【自分に甘いのは悪くない】末路は条件付きの幸せorアンタッチャブル

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「いいのいいの、これだけやっておけば上出来、さぁポッキー食ーべよ」

自分に甘い人の在り方は、自分に厳しい人からすると理解できない、お互いに異世界の住人同士。

自分に甘いと言い訳が上手く、仕事しない、努力しない、それでいて自覚がない。何かとダメで悪い印象を持たれるかもしれません。

私もそう思っていた時がありますが、南米の人々と生活を共にした時、固定観念はバボンとぶっ飛びました。

ここでは、「自分に甘いのは悪くない」ことがわかる、自分に甘い人の末路を見ていかれてください。

  • 自分に甘い人のタイプとは?
  • タイプ別の末路とは?
  • 自分に甘いのは悪くない真意とは?

これらを紐解き、「自分に甘い」の中身によって末路が変わると知っていただく内容となっております。

末路理解が甘さをプラスにするための、一つの考え方となれば幸いです。

自分に甘い人とは

自分に甘い人のタイプ

「甘い」に含まれる意味を自分に当てはめた時、「自分に甘く」なります。

甘いとは、

  • 塩けが少ない、辛くない
  • 厳しさが欠けている
  • 評価の基準が厳格ではない
  • しっかり心構えができていない
  • 機能が本来より衰えている
  • 話しぶりが巧み
  • 幸せそう

※コトバンク 参照

厳しさをなくし、辛さをなくし、窮屈さをなくす。

努力せず、嫌なことは認めず、向上せず、辛ければ逃げだし、頑張らず、自らを奮い立たせて戦わない。

自分に甘いと、「嫌なことはしない」という消極的な在り方が見えます。

しかし、甘くするのは嫌で辛い苦しみを味わわないための工夫でもあり、「どれだけ楽して、良いことを味わうか?」に対する行動でもあります。

「労力を減らして利益を得ようとする人」と言えるかもしれません。

そんな自分に甘い人には、楽できるように行動するか、自らを甘えさせたいかの違いがあり、タイプが分かれます。

自分に甘い人のタイプ
  1. 自分に楽を作りたい
  2. 自分を甘えさせたい

タイプは二つ。心理も末路も変わってきます。

初めにタイプ紹介を見ていきましょう。

 

①自分に楽を作りたいタイプ

労力を減らして利益を得るために、自らの行動で楽を作る結果、自分に甘くなります。

甘えるのが目的ではなく、嫌なことを自らにさせず、納得や満足感を得ようとするので、傍からは努力に見えなくても、自らの利点やできることをして楽を作る努力があります。

自分を甘えさせるための行動ではないので、自分に厳しい人と出会わない限り、「あなたは自分に甘いね」と言われても実感がなく、自分に甘いと思っていない人もいます。

このタイプの大きな特徴は、他人にも甘いことです。

※甘いと生きづらい詳細は、【生きづらいのは甘えにした方がいい】甘えている自覚のお役立ち をどうぞ。

 

②自分を甘えさせたいタイプ

もう一つのタイプは、自分を甘えさせたい明確な目的を持ちます。

「私には嫌で辛いことをさせない、しなくていい」と思いたい心理が考えられます。

自分を許していると自覚したい心理です。

自覚したいので実際には許せておらず、心の傷やトラウマなど、過去の記憶にて固定化した観念に起因する可能性があります。

自らを愛していると自覚したい意味でもあり、あえて自分に甘くして自己愛を認知、自らを許していると思えるさまを作ります。

目的を果たすために要するのが、「他人との差」「自分の特別視」です。

人によって他人に厳しくなる特徴があり、あえて自分に甘く、あえて他人と自分の違いを見出そうと、関わり方や話し方を変えます。

中には他人に興味がなく、自己愛の認知にフォーカスして他人を利用する人もいます。

※態度が変わる人の詳細は、【人によって態度を変える人のタイプ別心理】内情を知る保育園児 をどうぞ。

 

自分に甘い人の末路

タイプ①:自分に甘い人の末路は孤独がない

自分に楽を作りたいタイプ。

末路は他人との共存による孤独のない人生と考えられます。

甘えるのが目的ではないため、自らの在り方に正当化の主張や押し付けがなく、自分にも他人にも線引きや区分けをせずに平等に関わる特徴があります。

自分に甘く、他人にも甘い人です。

「私は私」と自らを見つめ、求め、好む生き方をします。

欲と感情に忠実な人間性があり、自らを喜ばし満たし納得させる利益にフォーカスします。

喜びを好み、嫌なことを嫌がる本能に従ったさまがありますが、ただ本能に従っているだけではなく、ポジティブを得てネガティブを減らそうとする意志が特徴的です。

この働きが、自分に楽を作る行動となり、末路を作っていきます。

 

自分に楽を作る際、必ず他人を要する

知性以上に感性や感覚を主体にする特徴があり、感覚優位であるために、「良いものは良い、嫌なものは嫌だから逃げるピュー」となります。

感性主体によって、楽作りは思考ではなく感情や気持ちを使用します。

嫌なことを味わわないために他に甘え、できないことがあれば他に頼み、辛い状況は他に助けてもらいます。

  • 甘え上手
  • 言葉巧みに相手を喜ばせて協力してもらう
  • 物を与えてお返ししたくなる関係性を作る
  • 自らの性格を確立して相手に「いつものこと」と自然に妥協させる
  • ‥‥

人それぞれに楽を作るための能力があり、自らの得意分野を活用した労力を減らして利益を得る方法です。

「他人を動かすことで楽を作る」ので負のイメージがあるかもしれませんが、賛同して協力してもらうのがこのタイプの特徴ですので、お互いの関係性によって成り立つ大切なものです。

相手が賛同して協力するため、自然と他人との共存や調和が起き、常に他人と関わる動機が見出されるため、孤独がなくなるという末路です。

感情や気持ちで他人を動かす力があり、他人との調和を作る人間関係構築に長ける人です。

※自分に厳しすぎるタイプは、【自分に厳しすぎる人へのエール】能力を無駄にしないための注意点 をどうぞ。

 

タイプ①:自分に甘い人の末路は条件付きの幸せ

常に他人と関わる動機があるのは、一人で生きられない意味とも捉えられます。

もし自分に甘くするために他人を利用している場合、末路は一変する可能性があります。

一人で生きられないので、他人に執着し続けなければならない末路です。

嫌なことを味わわず、喜びを得るための他人への働きがけが、エゴによる自分のためだけの利用の場合、嫌なことである不安や恐怖との向き合いを逃げ続けてきたつけが返る時がやってきます。

孤独に耐えられず、恐怖に苛まれてしまうため、常に誰かしら人を求め、恐怖心を緩和してもらうための執着や依存が加速します。

執着される側は嫌になり、自然と距離を取られます。

末路の違いを作るポイントと考えられるのが、自分に甘く、他人にも甘いかどうかです。
※甘くすることに誤魔化しがないか否かも同義

 

自分に甘く、他人にも甘い人は孤独の要らない共存人生+不変

恐怖から逃げ、喜びを得るさまは自己愛そのもの。自らを大切にする表れであり、自らを喜ばすための行動です。

同時に恐怖と向き合わず、乗り越えない選択となり、逃避癖による向上や成長がなくなる不変作りになります。

不変作りは成長しなくなりますが、安心感ゲットにもなります。

[楽作り+不変作り=安心感ゲットの安泰]

安泰にて心に余裕ができると、他人にも甘くなります。

「いやぁ疲れた、キットカット食べよ、パクパク」
「ねぇ疲れたら休憩していいからね、はいキットあげるから」

「いいんですか、こんなダラダラ仕事しちゃって、社長」

他人にも甘い人は平等性の価値観があり、自分の立場が上であればあるほど周囲から好かれます。

私がニュージーランドで働いていた時、自分に甘いファーム経営者がおり、「今日はビールでも飲みながら働こうぜ」と頻繁にビールケースを持ってきてくれる人でした。

心の余裕と同時に、他人との関わりによって自らの利益を得られている自覚があり、自分にも他人にも甘い人は楽観的で、人との関わりや今この瞬間を楽しもうとします。

ボスの周りには常に笑顔の人々がおり、「あの人全然働かないんだよアハハ」と悪口が悪口ではありませんでした。

事業拡大は難しいかもしれませんが、多くを望まずに現状を把握し、目の前からどれほど楽して利益を得られるかを主体に生きる在り方は効率的な幸福、「なんとも無駄がない幸せだなぁ」と思う経験でした。

自分にも他人にも甘い人の末路は、人との共存と調和によって作る幸せな人生だと思います。

※自分に甘い人にイライラするチャンスは、【自分に甘い人にイライラするのはサイン】対処法は厳しくなる自分の理解 をどうぞ。

 

タイプ②:自分に甘い人の末路

もう一つの末路は、自分を甘やかしたいタイプ。

「他人に甘い」がなくなり、他人に厳しいか興味がないかによって末路が変わります。

自分に甘く、他人に厳しい。
or
自分に甘く、他人に興味がない。

自分を甘やかす目的が自己愛の認知であり、自分を許していると自覚するための場合、あえて自分だけを特別視して甘やかそうとします。

甘やかすことで他と線引きして差を作り、自分は自分のことを大切にしていると思おうとします。

自己愛や特別視を強調するために、あえて他人に厳しくする人もいます。

厳しくするつもりはなく、他人に興味がないために自分しか見えない状態の人もいます。

甘やかしが過剰になると、女性であればお姫様のように、男性であれば殿様のようになろうとします。

または、嫌なことをとにかく恐れて逃げ、誤魔化すようになります。

 

自分に甘く、他人に厳しい人はアンタッチャブルになる

自分を甘やかして特別視、そのために他人に厳しくして差作りに勤しむと、自分を見ようとしないさまが顕著になります。

ぬいぐるみをあやす自らに対する自らの関わり方が露呈するイメージです。

思い込みの自己世界に陶酔し、現実を見ようとしない自己表現になってしまい、そんな表現をしている自覚ができなくなります。

傍からは、「この人はこれを貫くつもりなんだ」と思われ、一切変わる気なく自分だけを見るさまに、興味を抱く理由がなくなります。

「自分に甘くてもいい。他人に厳しくてもいい。どうぞご自由にしてください」

関わる動機がなくなり、関わる時は怖いので当たり障りなく、仕事であれば関わらなければならないので義務的で端的に、アンタッチャブルでノータッチ。

自分の世界しか見ないさまは、他に協力してもらう関わりができず、石を赤子のように抱いて話しかける状態。

変化できないだけでなく、周囲が離れていき、嫌われることもできない無関心を抱かれる可能性があります。

周囲は関わる動機が必要になり、お金、仕事、肩書き、権利、法律、憲法など、ルール上の必要時においてのみ関わりが作られます。

見方を変えると、自分に甘くする本人の望む通り、自分で自分を愛し、許し、特別だと思い込む環境が明確に与えられる、と言える末路です。

 

自分に甘く、他人に興味がない人は八方塞がり

他人に興味がないと思っていないかもしれませんが、自分しか見えていない状態です。

他人に厳しくない場合、末路が少し変わると考えられます。

この場合の自分への甘さは、逃げ・誤魔化しである恐怖心との向き合い拒否を意味します。

「嫌だ、認めたくない、味わいたくない、怖い、危険、苦痛、拒否したい」と思う自分に対する拒否です。

内包された恐怖心と向き合わないと明確に起きるのが不変です。

自分と他人に甘い人にも起きる不変。他人に甘い人は他との関わりによる楽作り、共存や調和による人間関係作りがあります。

この人間関係作りがないと喜びがなく、嫌なことも拒否できず、起きるのが逃げるか、見なかったと誤魔化すかになります。

目を瞑る状態となり、真っ暗闇を行き先もわからず走り続ける状態。

末路は八方塞がりです。

彷徨っていると自覚しないと、行くところまで行く危険性があります。

「どうすればいいかわからない」と思うことにも誤魔化しができるので、如何に早く八方塞がりに陥っていると気づくか否かで、末路の度合が変わると考えられます。

八方塞がりのまま突き進むと、後戻りできなくなる可能性があり、自分を見失います。

※偉そうな人の末路は、【偉そうな人の末路は二つ】特徴と心理にある末路の分かれ道 をどうぞ。

 

自分に甘いのは悪くない真意

ここでお伝えしたいのは、自分に甘くする大切さがあることです。

私は自分に厳しく生きてきましたが、厳しい人間の末路は「死」です。

どこまでも厳しくする一辺倒であるため、我慢してしまえばしまうほど、頑張れば頑張るほど、肉体を洗濯板のように酷使し、精神を生姜のように削り、終焉に行くか直前で運よく気づけるかです。

自分に厳しかった私は海外で旅した時、とんでもなく自分に甘い人々と共同生活をしました。

その際、二つの大きな家があり、片方は自分に甘く、他人に厳しいインド人集団。

片方は自分に甘く、他人に甘い南米集団(主にチリ人)と極端に分かれました。

私はチリ人達と住んでおり、彼らの甘さは衝撃的でした。

仕事したくなければ平気で休み、遅刻が多く、仕事場でもペチャクチャと話し続けて稼働しない。休憩はたくさんとって、「あー今日も働いたな!アハハ」

私は彼らの三倍は働き、遅刻せず、雇用主に認めてもらって私だけ特別に休日も仕事していました。

疲れて家に帰ると、「エイサ、ワンツー、シュッシュワンツー」と聞こえます。

チリ人達は、「イエー、ネクストー」とかなんとか言って、動画を観ながらエクササイズ。仕事時の10倍は動いています。

やることを変えながら、毎日嫌なことから距離を取り、好きなことをして生きていました。

こんな人ばかりの環境で生活していると、[自分に甘い=逃避]とは違う捉え方として、[自分に甘い=楽できるように作る自発的行動+能力]だと気づき始めました。

私は、「なんで仕事は一生懸命しないの?」と聞くと、「え、めんどくさいじゃん」と返ってきます。満場一致、1vs他全員。

「あれ、なんか私の考え方っておかしい?」と思っちゃう。

よくよく彼らを知ると無責任ではなく、「あの会社は業務量以上にボスとのコミュニケーション、人間関係重視だよ」としっかり把握しており、私なんかより遥かに認識力が高く、他人を見れているからこそ何が大事かも知っていました。

たしかに彼らは働かないけどボスや従業員とは仲が良く、むしろ他の人より評価されていました。

自分に甘いのは、甘くできる能力があるからだと知り、実際に彼らにお願いごとをされるとしたくなる不思議がありました。

他との共存・調和を図る楽作り能力。人間垂らしでもあり、甘え上手でもあり、何より相手をしっかり捉える人間関係作りが上手。

気づけば私も、「ワンツー、イエー、ネクストー」とエクササイズしていました。

一方インド人集団は、自国のカースト上位観念が抜けきれず、自分のみで他が見えておらず、誰しもがアンタッチャブルでノータッチでした。

 

自分に甘くできるか否かというお話

自分への甘さは私達人間のベースであり、一人では生きておらず、生きることすらできないと教えてくれるようです。

常に他との関わりがあり、人との繋がりがあり、関係性によって物事が動き、作られ、働きになる。

彼らとの共存は、「自分に甘くしよう」と思うきっかけでした。

自分に甘くするかしないかではなく、甘くできるかできないか。甘くできる場合は大いに甘々でいいのかもしれません。

※甘々で悪くない件は、【悪いことではなく幸せ】向上心がない人は仕事を辞めてフィジーに行けばいい をご覧ください。

 

自分に甘い人の末路 まとめ

今の時代、勝負は他人とするのではなく自分とするものかもしれません。

経済的豊かさは他と比較するものではなく、自らが認識するものかもしれません。

幸せとは安心感ではなく、自らにしか作れない唯一無二と知る時かもしれません。

自分への甘さは、自らの喜びをしっかり認識した上で他と関わるさまがあり、[自分も他人も大切にする在り方]です。

辛さや厳しさは恐怖心の乗り越えであり、一段成長するための必須過程ですが、何のために生きているのかは千差万別。

自分がいいと思えれば、そこには自分なりの働きを作る道があります。

末路の違いには大きなポイントがあります。

  • 自分に甘く、他人に甘い人は、自他共に認識できている
  • 自分に甘く、他人に厳しい人は、願望満たしに忙しく自分しか見えていない
  • 自分に甘く、他人に興味がない人は、恐怖心を見たくない欲に飲まれ、自分しか見えていない

恐怖心に負けないために私達は家族を作り、友人を作り、コミュニティを作ります。

恐怖心に負けないために他と協力して、共存して、調和します。

自分にできないことを認め、できることを認めると、自他共に認識して自分にも他人にも甘くするために行動できます。

これをする人が自分に甘い人だと思います。

末路を変え、人同士の繋がりを強くするためにも、自分に甘いのは悪くないと考える一助となれば幸いです。

それでは、自分に甘い人の末路のお話を終了します。

最後までご覧いただきまして、ありがとうございました。

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