人それぞれ

人を見る目がある人とない人の違いは一つ│眼力は上っ面か内面か己か

人を見る目、眼力。人を見るにしても上っ面を見るのか内面を見るのか。

人を見る目がある人、ない人という表現があります。

どういう意味でしょう。

上っ面で人を見る目があると言えるのかどうか、それは今日のお天気おねいさんの占いが当たっているかどうかのようです。

ここでは、人を見る目がある人とない人の両方の特徴からわかる“人を見る目とは何か?”についてをお伝えします。

「人を見る基盤はどこに?」という一番初めの理解があることを願い、両者の特徴からわかる“人を見る目がある人”の秘密をご覧ください。

人を見る目がある人の特徴

初めに、人を見る目がある人から見ていきましょう。

人を見る目がある人の特徴9選

1、経験値が高い

ポケモン的に言ってみました。

場数の多さや経験豊富にて、人間性や物事の理解が深い特徴です。

それは物事の認識幅が広いことを意味し、一つのことを多角的に捉える俯瞰性があることを意味します。

 

2、思い込みや固定観念がない

これらがなければないほどに人を見る目の度合いが高まります。

思い込みがないことで決め付けをせず、固定観念がないことで行動と思考の固執や頑固がありません。

それは変化しない“拒否や否定”がないことを意味します。

 

3、我がない

自我のことではありません、“我(エゴ)”のことです。

我とは自分のことを他と区別や比較して見出す意識のことです。

我がないことで自我を明確に持ち、または自我を認識せずに無意識に自らを見出します。

他を介入させないことを意味し、干渉や押し付け、強制や支配、他者の存在や努力を自らの利益のために利用するようなことをせず、自分勝手やわがままになり得ない人間性です。

我欲がなくなり、欲は自らの敬いや喜びのために矛先を明確にして抱き、欲し、求めます。

 

4、人の価値を見出すことが得意

人の長所や利点、存在する意味や認識の詳細を理解することが上手です。

人を物のように見ず、人間として意味ある存在だと理解しています。

そのように思えない対象は当然ながら存在しますが、人を見る目がある人は周囲に意味ある存在だと思える人しか集まらないことに大きな特徴があります。

そこには人を見る目とは何かの意味が潜みます。

 

5、干渉せずに人を敬う

人を見る目がある人は不干渉です。

干渉とは他に変化を起こさせる我の行為のことで、自らの認識を押し付けて他者の世界を踏み潰し否定する行為です。

不干渉とは人に興味がない冷酷サイコパスのことではなく、人を敬う気持ちから出てくる尊重と尊敬の意志です。

人を想う目となる心があり、敬いにてその人のそのままを認める=過去の歴史や経験や認識にて構成されるその人のみの世界をありのままに受け入れます。

 

6、許容が広い

受け入れる許容は敬いのみならず、許しをも意味します。

人を見る目がある人は自分も他者も許す許容が広くあるために、人それぞれの素敵でふざけた、美しく淀んだ人間性もそのままにできます。

それは人の成長を敬う気持ちでもあり、人の価値を見出すだけでなく人の喜びを見出すこともできます。

 

7、観念によるルール化が少ない

常識や当たり前と言われるようなルール設定がほとんどありません。

「良い悪い」「正しい間違っている」なぞのルールにて決め付けや思い込みをしないため、雲のように自由に形を変えてフワフワ、モキュモキュ。

ポケモンで言うメタモン。

柔軟性が高く、晴れていれば良い、雨でも良い、雪もまたおつなもんです。そして全部悪にもしちゃう。

自由な人です。

 

8、リーダー向き

同じ方向を向いて、集団で取り掛かる際のリーダータイプです。

管理ということではなく、一人一人の気質や性格、特徴や人間性をあらゆる状況から把握することができるまとめ役です。

トラブルや問題が起きた時の人の怒りや情動や対応を見ることで、より状況改善のヒントと一人一人の内面を理解するため、一人一人を成長させてチームとしても成長させることができます。

 

9、自分を見る目がある

人を見る目がある人の最も大きな特徴です。

これが唯一お伝えしたかった特徴だったりします。

自分を見る目があることで人を見る目を持ちます。

自分を知っているがために、人を知ることができます。

自分を知ることで人間を知り、人間を知ることでこの世の仕組みを知り、陰と陽、善と悪を知るように人を知ります。

以上が、人を見る目がある人の特徴です。

 

人を見る目がない人の特徴

次に、人を見る目がない人を見ていきましょう。

人を見る目がない人の特徴8選

1、人を見る目があると自称する

人を見る目とは才能や能力ではありません。

そのため、自称して自信や誇りを持つことは、人を見る目ではなく心理の知識や占いや統計学などから情報を学んだ人を意味します。

人の気持ちや心理状態を知ることなので、ゴホンゴホンしている時にお医者さんが、「それは風邪じゃなくて肺炎です」と言うような意味での“見る目”はガンガンあります。能力や知識として大切です。

ここでの内容はこの“見る目”とは線引きします。

 

2、人を見ていない

見る目も何もその前の話だったりします。

人を見る目がない人は、人を見る際に自分のフィルターでしか見ようとしません。

そのため、目の前の人を見るのではなく、自分のルール設定した観念に基づくフィルターを見ます。

言い方を変えると、自分ルールという脳内プログラミングを見る状態です。

「私をちゃんと見て!」
「見ているじゃないか!」
「もういいわ、お終いね」
「自分のことしか見ていなかったー」と気付いても時既に遅し、しかも見ているのは自分のことでもない、なんてことに。

 

3、干渉する

自分のフィルターを見て、さらに干渉までします。

それは意見を押し付けるわけではなく、自分に設定している他を引用したルール設定を押し付ける状態なので、何が何だかわかりません。

すると、それをあえて正当化しようとする押し付けや強要、頑固や誤魔化しや嘘をつき、自分ルールを貫くために人を見るようになります。

 

4、人を正しい間違っているで評価・判断する

あなたは正しい、あなたは間違っているという“何かの基準”を設けて人を見ます。

その基準とは自分に設定している価値観や、常識や当たり前と言われるルールです。

人を褒める際も社会性に則って良い悪い、良ければ正当、悪ければ劣等と判断し、常に大衆や多数の意見を基準にして自分なりの見方がありません。

 

5、人を褒められない

常識を基準にした○×判定。常に常識で人を見るため、褒めることができません。

正しいということが肯定だと認識し、自らの意見にて感情や気持ちを込めて相手のために肯定することができず、褒めることを知りません。

 

6、我が強い

エゴです。

自分を自分で認識できないため、他者の存在と比較して区別して自らを見出します。

その意識が強いために、人を見る時には己の利益のために見る認識を持ち、フィルターを通したり、社会性を基準にした成否判断をします。

自らの正当化となる利益を得ることを目的に、常に他を利用して蜜を吸うような行動と思考を主体にします。

 

7、人を物として見る

人に価値が無いような見方をします。

人を蔑み馬鹿にし、まるで歩く消費率の高い物体のように都会の人々を見ます。

関わる人の線引きや差別化が強く、常に自分の利益のために見る概念が強いことで人を見る目がなく、利益がなければ人を見る気もないために、見る目が養われることもない特徴です。

 

8、自分を見る目がない

人を見る目がない人の最も大きな特徴です。

これが唯一お伝えしたかった特徴だったりします。

自分を見る目がないことで人を見る目がありません。

自分を知らないがために人を見ることができず、見ていると思っている認識が思い込みによる過去の記憶や、他者の情報を基に固定観念化したプログラミングの脳内ルールだったりします。

自分を見ないことで現実をそのままに見る目がない、または見る方法がわからず目の前の人をその人として知ることができません。

以上が、人を見る目がない人の特徴です。

※人を見る目がある人に強い人と共通点がある話は、本当に強い人の特徴はシンプル。肉体もメンタルも超越した地球の姿 をご覧ください。

本当に強い人の特徴はシンプル。肉体もメンタルも超越した地球の姿作られたものであればルールや定義があり、それは人にしかできない思考ゲームです。 何をもって強い人となるのか? 人には人の強さ...

 

人を見る目がある人とは

人を見る目とは

人を見る目があるかないかの違いの共通に、“自分を見る目があるかないか”があることがわかります。

人を見る目とは、その人をその人のまま見ることができるかどうかです。

それは、嘘をついているかどうかを見破るのではなく、嘘をつく認識を持つその人を見ることです。

緊張している、嘘をついている、怒っている、何が好き、嫌い、好きな人のタイプは、性格はということではありません。

物事をどう考えて、捉えて、感じて、想ってという“認識”を見ることです。

言い方を変えると、今この瞬間に変えられる上っ面ではなく、これまでの記憶や経験にて構成された内面を知ることです。

人を見る目とは発言一つから嘘をついているかどうかを当然わかりながら、どうして嘘をつく認識をしているのかを掘り下げる目です。

腕を組んだら、咳払いしたら、足を組んだら、右上を見たらなどの心理からの理解も人を知る上では大切ですが、「この人は騙そうとしている、なぜ?どうしてそういう考え方なのか?」という見る目は、自分を見る目があることで培う人間性からの目、ただ見るだけです。

心理的特徴を憶える必要はありません。
占いや統計学を学ぶ必要はありません。

 

人を見る目は誰しもにあるが…邪魔なものがある

人を見ることはそのまま見ることですので、才能や能力ではなく誰しもが持つ“目”であり、“眼力”です。

しかし、家が燃えたら、「あぁ燃えてるな、暖かいね」と焼き芋のノリで見なくなってしまうように、そのままを見る目を霞める邪魔がいます。

それが、“観念によるルール化”です。

思い込みや固定観念になる認識の基でして、何を良いと思い何を悪いと思う、そういったルールの基となる考えです。

観念がない人はいません。人をぶん殴って、「へへへ良いことした、お母さんにお駄賃もらおうへへへ」なんてことになってしまいますので、観念にてルール化することはとても重要なものです。

「結婚してください、ボー」
「いいよ、ボー」
ボー。ボー。

観念がないとこんな感じで人間味が薄い。

観念は大切なものですが、人を見る目とは観念を理解できているか否かにて変化するデフォルトアイテム(標準装備)の目です。

問題なのは、この観念にコントロールされるか否かにて人を見る目があるかないかが変わることです。

人を見る目とは観念を把握してその人をその人のまま見る認識のこと。

 

人を見る目とは自分を見る目のこと

観念に操られることで、そのままを見る目が定められてしまいます。

例えば、大多数がそうだと言うなら、「そうだ」と言うようになります。
同様に、大多数がそうだと言うなら、「違う」と言うようになります。

すると、自分の意見がなくなります。

空虚と喪失。自らの価値や存在意義を見出せなくなり、他者と比較したり区別する我によって見出す意識が強くなっていきます。

自らの存在は観念にてルール設定する着ぐるみのようになり、チャックを開けて他者と比較して見出す優越感や劣等感、他者を利用した肯定となる承認欲求を持ち、自己主張に自己顕示、憐憫に悲劇のヒロインとなる利益などを詰め込み、ブクブクと膨らみます。

着ぐるみ着込んでも、自分を見れていないと人を見る目がありません。

人を見る目とは如何に自分を見る目があるかどうか、それは如何に着ぐるみであることを知って自分が入る、または着ぐるみをぶん投げるかです。

 

人を見る目がある人とは

観念がない人はいませんので、如何に観念にてルール化されて物事を見て・感じて・考えて・想って認識しているかを理解することで、人を見る目がある人となります。

自らのフィルターを付けたり外したりできるようになることで自分を見る目を持ち、人をそのまま見ることができます。

それが、その人をそのままを尊重する不干渉であり、思い込みや決め付けのないフラットな認識=我がない=自分のことは自分で認識する状態です。

これは、「そりゃそうでしょ」ということを言っています。

朝ごはんを食べるかどうかは本人の観念に基づいて選択します。朝ごはんを食べる時にナイフを突きつけられて鼻水垂らしながら食べるということではなく、自ら行為を認識して思考や行動を理解して選択します。

人を見る目とは才能や能力ではありません。

人を見る目がある人とは、認識を理解して物事を選択している自覚を持ち、干渉せずに人をそのままに見る人。

  • 一に自らを見る目を持ち、
  • 二に人に干渉しないこと、

すると、人を見る目がある人となります。

でも見る目がないのは邪魔がいるから、観念に牛耳られてコントロールされるから。

人の見方に差別や線引きが作られ、ある人には価値がなく、ある人には価値があると見る。

あるものが良いとなれば、そうじゃないものは悪いとなる。その理由がわからない。わかるのは社会性でそう決まっているからという観念による決められた答え。または観念を基準に反発することでの答え。

自分を見る目を持つ人は、答えが瞬間瞬間に変わる現実的な見方をします。リアルは今この瞬間にしかないというそのままの解釈。

 

人を見る目がある人は自称や自負をしない

人を見る目がある人は、「干渉しないわー」と常々言われたり。

そこにあるのが、“敬い”です。

目の前の人を目の前の人としてそのままにする。

結構難しいです。

「この人癖つえー」「寝癖もつえー」

干渉して何か言いたくなっちゃうものです。言わずとも頭の中でモニョモニョと、「いや、癖がー」と独りでツッコんでいたりいなかったり。

そのままにする敬いがあれば気にもなりません。それがその人にとって当たり前ですので、比較するために自分や社会の大多数、大衆、ポップな思考を挟みません。

この人はこの人。以上。

「これはツッコンじゃいそうなところだけど、私は人を見る目があるから流せるぜ」

これは既に意識プンプンの自負となります。

人を見る目は能力ではないため、人を見る目がある人は自称したり自負したりしません。

ただそのままを見る際の自らの邪魔な観念を取り払うことなので、人を見ることは自分のフィルター(観念)を見ること。

その上で他者を敬うため、人を物のように見ずに価値を見出し、喜びを見出せるように認識します。

そのため、能力というよりは人間性です。

目の光や艶や色見が変わるのはなぜでしょうか?

目が光る、艶がある、白黒はっきり、どす黒い、淀み、漆黒、ギラギラ。

目は人間性を表します(病気は除いて)。

人を見る目がある人のスピリチュアル

少し番外編的にスピリチュアルな認識で一休み、テキトーにどうぞ。

人を見る目がある人は、人を物のように見ず、敬いがあることから馬鹿にしたり蔑むような認識をしません。

自分を見る目があることから物事を認識する際の俯瞰性を持ち、余裕と許容も兼ね備えます。

かと言って、都会で一人一人をまじまじと見て、「あなたの価値は足をケアする意識の美しさ」「あなたは心が素敵でスカイツリー」「あなたは自らと戦う意志を持ってポヨポヨポヨ」なんてあほんだらな迷惑はかけません。

関わる人がいればそのまま、関わらない人もそのまま。

スーパーで買い物していても他のお客さんは誰一人認識していない、けどレジの人はしっかり見て、関わり、価値すら見えています。

敬いがあるので、感謝や思いやりを少しの関わりでも持ちます。

関わる人が価値を見出したくなるような素敵な人となる、引き寄せのスピリチュアルな仕組みがあり、それによって人をより敬える環境が常にもたらされていたりします。

 

周囲に意味ある存在しか居ないスピリチュアルな引き寄せ発動中

私達人間は自らの利益のために生きています。

そのため、関わる際に自らに利益がなければ人を見ることもしません。

それは都心部の人込みで一人一人を見ていないように、綺麗な人やカッコイイ人は見るように、危険なにおいがすれば見ないように。

人込みに居てあらゆる人を認識することは脳の情報処理が追い付かず、疲弊しますしエネルギーもなくなります。

そのため、自己防衛としてあえて人を人だと認識しないで、物やゴミのように捉えることに利益がある人もいます。

人を見る目がある人も同様に自らの利益を求めて人を見るため、見たくない人がいれば見ませんが、見たくなる人(自分にとって意味のある人)しか居ない引き寄せが発動します。

それは、人の価値や喜びを見出すために人を見る目を持っているが故の仕組み。

敬いにて人を想う波動が空間伝播し、波動の引き寄せによって関わる人が決まり、敬いと敬いが調和するように素敵な人を自然と捉えます。

人込みの中でも人助けしている人に目がいったり、人を褒めて笑っている人に目がいったり、一生懸命仕事している人や、愛情を持って人と関わる人など、「この人は素敵だな」と価値や喜びを見出したくなるような人を見ます。

「いやーマジキツイねここ」
「えっ、メッチャ良い所じゃん」

買い物一つにしても、数あるレジの中で素敵な接客をしてくれる人の場所に行ったりと、事あるごとに認識する人が“見たくなるような人”になるスピリチュアルです。

認識の違いは波動による影響があり、脳のスコトーマやRASの影響があり、人を見る目がある人とない人の見ている世界の違いを創ります。

※見る目を変えるスピリチュアルと脳の詳細は、引き寄せの法則とは何か│普通のことを言っている?という大事な理解 をご覧ください。

引き寄せの法則とは何か│普通のことを言っている?という大事な理解ムアムアムアと物事を思うままに現実として引き寄せる。 世の中では今、“引き寄せの法則”が流行っているとか。 「ん、今じゃない...

 

人を見る目がある人とない人 まとめ

人を見る目がある人はあらゆる経験によって自らを認知し、ルールを把握し、俯瞰的に人を見ます。

自分も他者も同じように俯瞰して同じように見るため、過信や主張をする概念がありません。

常に自分を客観的に別人のように捉え、自分と相手の目線や捉え方や観念を同じにする自然な在り方があり、思い込みや固定観念のない観念のフラット化をする人間性があります。

すると良い悪いの観念を客観的に捉え、何でも良いと思え、何でも悪いと思える一切縛りのない自由な認識があります。

自分をスゴイと差別化することも、他者をスゴイと線引きすることもなく、そのルールのなさが人を見る目を養います。

ルールがフラットになることで自分も相手も同じように見ることができ、相手の目の動き、動作、挙動、全てが自分のものかのように自然と見えるようになります。

嘘をつけばすぐにわかります。ですが見る目とは、どうして嘘をつくようになったのかの認識を掘り下げて、その人に価値や喜びを見出す目です。

敬いはフラットな認識にて自然と表れる人間味。本当にそれだけが人を見る目をもたらします。

目とは全てを表す人間彩度。人の世界を見る眼力は物事をフラットにする自分を見る目。

己を見ることで他者を見る目をセット。あとはそのままをそのままに、フラーッとふわーッと。

人を見る目がある人とない人の違いは唯一、“自分を見る目があるかないか”です。

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