『DNAシフトセラピスト養成講座』
・セラピストになりたい方・自己理解を本格的に始めたい方
・専門的に人を癒し、サポートしたい方
著名な心理セラピストとして知られる、西澤裕倖(にしざわひろゆき)先生プロデュース。
PR:株式会社Central&Mission
※本気で人生を変える方専用。
「人生飽きたなー」と思える余裕、裕福さには真意がある。
そんな意味深な人生への飽きとは一体何なのでしょうか?
答えはとてもシンプルなものだったりします。
人生飽きたと思うことには重要な理解があります。
ここでは、人生に飽きた時に知りたい、飽きる嬉しい意味と悲しい意味を見ていかれてください。
- 人生に飽きるのはなぜ?
- そもそも飽きるってどういうこと?
- 人生に飽きた時の対処法とは?
これらを紐解き、人生を飽きる状態に意味をもたらすと、今後のために活用できると知っていただく内容となっております。
飽きに潜む嬉しい意味によって、人生の違った一面が見えるかもしれませんので、一つの考え方としてお役立ちできれば幸いです。
Contents
人生に飽きた理由
人生に飽きないとどうなるか?
「逆に?」というお話を初めにしたいと思います。
私は、「人生とは飽きるもの」だと思っていますので、飽きるとは動力源であり、起爆剤であり、動機作りであり、休憩であり、とさまざまに良きことがあると理解しています。
しかし、人生に飽きない人がいるとすれば、それはどんな生命体なのか考えてみます。
- ずっと同じ仕事をしても飽きない
- ずっと同じ場所で同じ人と関わって飽きない
- 同じものを食べて、同じ娯楽を味わい、同じ趣味を同じようにする
「これは大変ねぇ」と思ってしまいますが、飽きない人の大きな特徴は、今この瞬間を生きていることだと思います。
こういう人は物事に意味を求めず、深く考えないので邪魔な思考がありません。雑談とかどうでもいいことをワイワイできる人で、結果や形としての利益に執着しません。
「生きている意味、幸せとは何か、愛とは、歓喜の先には何がある、飽きるってどういうこと?」
「そんなことを考える時間があれば、楽しいことしているよ」と、まるで都心と田舎の違いのような。
何も考えないで生きている or 考えを超越したことで考えなくなったのか。
どちらでもいいですが、人生に飽きないと変化がなくなります。しかし、これは大きな変化という意味で、言い方を変えると刺激がないことです。
刺激とは主に自分の外側である他から貰ったり、受けたりして、反応するものですので、他に執着せずに自分で作る人だとわかります。
人生に飽きない人は刺激を求めていない(他にすがって得ようとしない)と考えられます。
分散させて多くを求めないとも言えるかもしれません。
大貧乏人にならなければ、大金持ち人にもならない。生きているという現実を認識して、自分の理解を持ち、環境を活用して自分らしくそのままに。
あるもので満足し納得し、ないものを求めず不満足や不納得を作らない。
過去は過去で終わったこと、未来は未来で起きていない空想物語。
「宝くじは趣味程度で少しワクワクできたら楽しいな、一億円なんて要らないよ」と。
リアルが見えている人です。リアルとは今この瞬間の自分、認識、周囲の環境、生活環境をそのままに受け取ることであり、当たり前にならない意味です。
ないものねだりをせず、現実を現実として認めてあらがわず、事実を曲げて自分の都合の良いように誤魔化さない。
リアリスト。
人生に飽きないとどうなるのでしょうか?
現実を誤魔化さず、物事を当たり前にしません。
シンプルな生き方ですね。
人生に飽きるとどうなるか?
次は人生に飽きるとどうなるかを考えたいと思います。
飽きが続くと人生はつまらなくなり、どうでもよくなり、生きている意味がないと自覚していく流れがあります。
[飽きる=良くない?]
[飽きる=自然なこと?]
どちらの認識にするかの違いが人それぞれにあり、良くないと思う場合には生きている意味を喪失して、自覚することで終焉への道が見えたりします。
自然なことだと思う場合には人生が飽きるのは転換期、変化の転機として新しい何かを始める機会になります。
動力源となり、行動の動機作りにて自分の意志と信念を明確に再確認できます。
“生きている感”という刺激を得ることもでき、「飽きたなぁ」とは一切思わない時間へ突入する前段階。波グラフでいう下降から上昇する時が始まる合図になります。
「飽き」をどのように認識するかによって、末端へ向かう合図にも、新しいことへ挑戦する起爆剤にもなります。
しかし、「人生飽きたな」と思う場合は末端へ向かう認識が多いかもしれません。
「人生」という言葉を使用していますので、「もうこの人生つまらん」とお疲れお暇なお手上げ状態。
「今日の飲み会つまらないから飽きたなぁ」とは違う、人生。重みがあります。
飽きが来たことで人生に良き流れが見えない、向上が見られない、栄光が再度旋律を走るとは考えられない、「この飲み会(人生)はもう盛り上がらない」という落胆。
人生に飽きるとどうなるのでしょうか?
人生の主観が自分ではなくなります。
人生に飽きる人と飽きない人の大きな違い
[人生に飽きる=主観が自分ではなくなる状態]と考えられます。
人生に飽きる場合、飽きたと思わない人生をこれまでに経験したことがあるからこそ認識できます。
この過去の経験によって、人生に飽きない人との大きな線引きが見えます。
人生に飽きた人は、つまらない、興味ないなどとは全く思わなかった人生の経験があり、過去の栄光の記憶を主体に生きている可能性があります。
現状の自分を過去の記憶と比較して評価・判断しており、評価基準に過去の飽きていない良き状態を天秤にかけている状態です。
しかし、過去の栄光があるだけでは人生に飽きる人もいれば、飽きない人もいます。
違いは、過去の栄光が自分で作ったものか、他者から与えられたものかです。
人生に飽きるのは、周囲の他者によって作られた楽しく嬉しい記憶が刺激として強く脳内に残り、同じように作ってもらえる環境が今ないことが理由の一つです。
人生に飽きない人は過去の成功体験以上に今が大事
強い成功体験。特に他者から褒められ、称えられ、困ることがなく、何不自由なく自分が喜べる環境にいた安泰、快楽、興奮、承認を貰った経験は、忘れられない強い刺激になります。
執着するつもりがなくても、その記憶から随分と離れた刺激のない状態になると、チラッと過去の栄光が表れて、無意識に比較して執着するシーソーマインドが生まれます。
人生に飽きない人はこの認識がありません。
過去に成功体験があってもシーソーの片側に乗せず、過去以上に今を生きようとします。
今を生きると必ずあるのが感覚感受、「感じる」行為です。
感じると当たり前がなくなり、「毎回同じ喜び」という気持ちは存在せずに、毎回違う感覚を感じ、感情を作って味わいます。
過去の産物をシーソーに乗せていると、感じる以上に考えることが主体になりながら、生きた思考ではなく過去の変わらない思考を使用するため、今を認識し難くなります。
このように過去を生きているか、今を生きているかの違いがあります。
※つまらないことで飽きる場合は、人生がつまらない理由は明確に一つ、普通だから。それを変えていく話 をどうぞ。
人生に飽きた時の対処法
人生に飽きた時には、[過去→今]、[他人主観→自分主観]にシフトすることがポイントになります。
このためには、「どうして人生に飽きるの?」の理由を知る必要があります。
少し読み苦しい内容かもしれませんが、この理解を深めることに意味がありますので、先をご覧ください。
人生に飽きる理由
飽きる理由の一つが上述の、過去の刺激記憶に重きを置く認識です。
どんな過去の栄光でも自らの力で得たものであれば、刺激にはならず知恵になるので、他から貰ったものに重きを置いて自らが主体ではなくなることが、飽きる理由のポイントになります。
知恵は動機や動力になり活力を見出す源になりますが、刺激を他から与えられた場合、自力でなんとかしようとする思考が育まれず、経験値が少なくなる可能性があります。
苦労も悩みも他によって解決され、自らの意見も他や本やテレビの情報を述べるような希薄で空虚になり、肯定や受容をも他がすることで自分の価値を見出す動機がなくなります。
自らが価値を見出すために戦い、汚れ、罵り、激しく切磋琢磨する、そういった成長概念がなくなります。
他者を利用したエゴを持つこともなく、純粋で汚れのない辞書や教科書のような人生に則り、飽きやすくなります。
自分で楽しみを作り出せないと人生に飽きる
お絵描きした時、周囲に褒めてくれる人がいます。
ある日、褒めてくれる人がいませんでした。
絵を描くことが自分のためでなく、自分の価値を見出す肯定感のために褒めてもらうのでもなく、ただ褒められると心地良いからという場合、飽きます。
何も言われずに白いキャンパスを渡されたら何をすればいいかわからなくなり、その時間に意味を見出せず、楽しみを自ら作り出せず飽きます。
自分の思考なく他があれこれと何でもすると、思考だけでなく表現力も創造力も育まれず、楽しみは他によって与えてもらう以外がわかりません。
飲み会がつまらない時に自ら盛り上げようとは思わず、さらに自らのために楽しい時間にしようと思うこともなく、待っていて何もないので、「飽きた」となります。
変化を求めず、成長意志がないと人生に飽きる
人生に飽きる大きな理由と考えられるのが、成長意志のなさです。
変化を求めなくなり、他の影響なくして自ら変える認識がなくなります。
生育環境にて認識が育まれていないので純粋な人が多く、本当に純粋に自分のことは自分で変化させると思っていない人もいます。
待ちが多く受信的で消費的になり、変化する場合は自らではなく他が変化する(変化させてくれる)と認識していると、とても飽き性になります。
他の変化があれば飽きずに過ごせますが、全ては他次第で人生が飽きるかどうかも決まります。
※退屈との違いは、【人生は退屈だから楽しめる】暇でやることがないからこその人間的本質 をどうぞ。
人生に興味がなくなって飽きた場合、創造性がない
人生に飽きた理由が、興味喪失の人もいると思います。
好奇心や動機となる喜びや満足や納得によって興味を示し、興味が継続することで深く自分の喜びを求めるための興味に変わっていく、と心理や学術的には知られています。
どんな興味にも自らの利益があるからこそ興味を抱きます。
自分を喜ばそうとすることで行動動機が作られ、活力や心惹かれる気持ちを抱く興味となるため、人生に興味がなくなって飽きるのは自分の喜びを見出せない状態。
「作る」概念がなく、創造性がないと自発的に作れなくなります。
人生に興味がなくなって飽きた場合には、自分で自分を喜ばせられない状態と考えられます。
つまらないから人生に飽きた場合、自分の意思がない
「つまらない」から飽きた人もいると思います。
つまらないとは、詰まるの対義語。
詰まるとは、思考や行動が行き詰まり、納得する、決着するという意味。
つまらないとは納得しない、納得できない状態やその様を表します。
人生につまらないと感じる場合、行き詰まるまで考えていない・行動していないがために納得できない状態。
自分の意見や考えを持っていないことが考えられ、行き詰まるまで考えたり行動できず、納得したくてもできなくなります。
人生がつまらない時の対処ができず、その状態が続くことで人生飽きたとなります。
人生に飽きた時にわかること
これまでの人生に飽きる理由から、「飽きた」と認識することでわかる自己理解が見出されます。
自分で自分を認めていない。
人生に飽きた時、自らが人生の主体でも主観でもなくなっており、自らのことを自分自身で認識していない心理の表れと考えられます。
※人生に飽きてどうでもいいとなった時は、人生どうでもいいと思った時。それは実は大切な合図だった をご覧ください。
人生に飽きた時の対処法
人生に飽きた時の対処法は、自分で自分を認めることです。
「自分で」が欠けると、飽きやすくなります。
私達人間は飽きる生物として知られています。直ぐに飽きて、みんな飽きちゃう、誰しも飽き飽き。
しかし、自分で自分の行動を作り、思考を作り、働きを作ると、飽きている暇はなくなります。
「作る」という行為には創造性や想像力が大きく関わり、必ず主体的で能動的になります。
自らが主観で、主体的に、喜びを作ろうとすれば、同じ事を毎日しても飽きないように日々新しい見方、捉え方、発見をしてと工夫できます。
喜ばせる意志があり、自らのことは自らまかなう意思があり、自分で自分のことを認めています。
といっても、常に作り続けるのは大変ですし、いきなりできることではありません。
自分を認めると言っても、何をどう認めればいいかわかりにくいものです。
認めるためには自らが主体的に生きる経験が重要になるので、私達は誰しも自分を認められず、少しずつ認められるように日々を生きています。
そのため、ここでお伝えしたいのは認めることではなく、認めるための方法です。
自分で自分を認めるために、「当たり前」をなくす
自分が主体でなくなると明確なサインが表れます。
物事を自分なりの目線で見なくなり、考えなくなり、感じることが減っていきます。
この時、「当たり前」という認識に陥ります。
「当たり前」は何もかもの自分を消します。意志を消し、意思がなくなり、作る行為が喪失します。
考えなくなると、認識しなくなり、敬わなくなり、感謝しなくなります。
「ご飯を一日三回食べられるのが当たり前」
こうなると食事におけるリアリティがドロンと消えかねません。考えないので認識しなくなり、しっかり目の前の命を味わおうともしなくなります。
この世に当たり前はありません。
当たり前をなくすと、「今を生きる」ことになります。
今を生きると今を感じるようになります。
感じると明確に起きるのが、自分という主観と主体的な行為です。
この時、意識せずとも無意識に自分のことを自分で認めています。
毎回星空を見て、「わぁ綺麗だなぁ」となる時、感じている、または今を生きる思考状態です。
今を生きると飽きることがありません。毎回違う星にも見え、輝きも変わり、位置関係も違う。大気も温度も、空気の澄み具合も何もかもが違うことは、肉体が感じて知っています。
当たり前をなくして今を生きると、物事の認識を深める機会になり、経験値を増やす日々になり、人生に飽きなくなります。
もしかすると、飽きている暇はないと思うかもしれません。
※何もかもに飽きた時の改善は、何もかもに飽きたらわかることがある│改善は人生の一掃と気楽な始まり をご覧ください。
人生に飽きた時にすると良いこと
私は飽き性なので何をしても直ぐに飽きます。これが自然だと思っているので飽きたらそれをサインとして次のことをします。
もし良ければご参考にされてください。
- 遠い目的を持って活動する
- 創造して楽しむ
- 自分や他者を敬い(尊重や尊敬)愛する
- 新しい自分を知る
自分が主体で物事を発見したり、創り出したり、目的へ向かったり。自ら行動します。
行動するからには必ず目的があります。
目的を遠くに設定すると飽きるまでの時間が長くなるので、一生かけて達成できるかどうかの大きな目的があると飽きない人生になります。
遠い野望という感じですが、人それぞれですので野望がなければ違うことをしましょう。
創造して楽しむと自分を愛して喜ばせられ、自他を敬う目線で日々を生きてみたり、自分を知ろうとするのがおすすめです。
このように自分を軸に行動すると飽きず、生かされる状態ではなく生きることになります。
人生に飽きた まとめ
人生に飽きることには嬉しい意味も悲しい意味もあります。
飽きるというのは絶対的な余裕のある環境にて起きる日本だからこその賜物、「人生に飽きることができる」という言い方が正確かと思います。
人生に飽きることができるのは、[現状の停滞や不変に対する自問の機会+余裕がある環境活用可]のサインになります。
人生に飽きた時、変化するために余裕がある環境を活用しない手はありません。
新しい自分を知ることを楽しむ時間の始まりです。
子供の頃を思い出してみてください。得意・不得意は関係なく、新しい理解や能力や認識を知った時、私達はキャッキャ言いながら笑って成長を育みました。
苦手なことをする必要はなく、少し恋愛に興味があればナンパばかりする日々を過ごしてみたり、お金持ちであれば学生のようにアルバイトしてみたり、旅行やドライブをしてみたり。
知らない人に声をかけてみたり、学校に行ったり、転職したり、散歩したり、運動したり、勉強してみたり。
自らの頭で考えて、自らの肉体で行動すると、当たり前は存在せず、物事の認識が深まり、人生に飽きるサインを活用できます。
人生に飽きるというのはとても大切な合図となり、次の段階として新しい人生を始める転機。そんな嬉しい意味があります。
ぜひ今を感じ、自ら考え、行動されてみてください。そのための一助となれば幸いです。
それでは、人生に飽きた時のお話を終了します。
最後までご覧いただきまして、ありがとうございました。
『心理とスピリチュアルの学び場』
誰しもに人生を変える機会と選択があると信じています。著名な心理セラピストとして知られる、西澤裕倖(にしざわひろゆき)先生プロデュース。
PR:株式会社Central&Mission
※これは長期的に本気で変わりたい方専用です。
描写旅人様、
今まで周りの人のおかげで楽しみ楽して生きてきた人生でした。最近孤独を初めて知り、苦しみましたが、少しずつ自分で楽しむ事を見出しています。このブログを読ませていただき、確認できた事心より感謝いたします、ありがとうございました。