悩み

何もかもに飽きたらわかることがある。改善は人生の気楽な一掃

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早かれ遅かれやってくる自然な摂理だと思うほど、私達人間は飽きます。

自分に飽き、物事に飽き、生きることに飽き、人生に飽きるのは当然かもしれません。

飽きることに意味があり、飽きないようにできるのが人間。飽きるも飽きないも全て自分自身で作っていたりします。

何もかもに飽きた時はここで一休み。
「飽き」に潜む真意を見ていかれてください。

  • なぜ何もかもに飽きるのか?
  • 飽きるとわかることとは?
  • 人生や自分に飽きた時の改善方法は?

ここではこれらの紐解きをお伝えします。

飽きることに潜む大切な理解は人間理解を深めますので、機会とするためにも何もかもに飽きるのは大切です。

何もかもに飽きた時、経験したからこそわかる理解があり、改善の道が明確に表れますので、一つの考え方として気づきの一助となれば幸いです。

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何もかもに飽きた原因

何もかもに飽きるとは意志がない状態

飽きるとつまらなくなる人もいれば、興味が湧かずボーッとする人、落胆で沈む人、哲学や精神世界へ向かう人もいます。

飽きた様子は人それぞれですが、共通しているのはポジティブではない状態だと思います。

ネガティブではない人もおり、陰も陽も善も悪も、判断や評価することにも飽きると、感情の起伏や気持ちの上下変動がなくスーと真ん中フラット。

この状態は悟りとも言いますので、ポジティブではない状態になる飽きを主体にお伝えします。

飽きることには喪失感や落胆、空虚感に虚無、興味がなく喜びがない、満たしも納得もない空っぽな何かがあります。

空っぽな何かとは、意志です。

意志とは喜びを自ら作る動機、「喜ぼう」という覚悟、欲を駆り立てる動力です。

何もかもに飽きるとは、自分の意志がなくなり、喜びを作ろうとしなくなることで起きると考えられます。

 

何もかもに飽きた経験

少しばかし私事からの理解があります。

飽きるまでの過程が蓄積されていく中で、噴火するように何もかもに飽きた時は高校生でした。人生どうでもいい、ボーっという喪失になりました。

自分の思い通りにならず、他との比較が強く劣等感を強め、環境のせいにして行動しない。

飽きた時にすることは、物事の陰側をじっくり観察、陽側は無視という日々でした。

まるで自分ではない第三者目線、自分が居ないかのような物事の見方を作り、食事にも何にも興味が湧かず、ガムだけ食べる日々は埼玉県立死んだ魚の目高校に通います。

追いたかった夢を追いかけられず、やりたいようにできず、授業は窓から外を見るたそがれ時。

学校に行く日が減っていき、家に帰ることもなくなっていき、バイトばかり。しかしバイト代は高校の授業料とガム以外に使う目的がなく、溜まっていくだけで嬉しくもなく、悲しくもない。

転機は強引に訪れました。

進学して都内で一人暮らし、深夜バイトから直接学校へ行って授業を受ける日々、一度でも遅刻・欠席をしては就職できない環境となり、飽きてる暇がなくなりました。

ここで気づいたのは、飽きは余裕から来ることでした。

何もかもに飽きた経験からわかったのは、何に対しても自分の喜びがなければ直ぐに飽きる。その基盤には生活的余裕や精神的余裕など、生きる上での危機がない前提が必要でした。

このことを知った時、何もかもに飽きた自分を作って維持していると気づきます。

飽きるとは、生きる上での余裕がある前提で、喜びがないことで作る自らの状態です。
※死生観がなく、死を生に含めていない意味でもあります

 

自分に飽きる、人に飽きる

もう少し、飽きることについて掘り下げたいと思います。

何もかもに飽きる際、自分や他者といった“人”に飽きることが含まれると思います。

人間関係や、同じ人と関わり続ける状態に飽き、仕舞には自分にも飽きます。

人間は自分の利益として満足や納得のために生きているので、喜びがなければフォーカスする理由も目的もなくなり、飽きるのは自然だと考えられます。

趣味や仕事だけでなく、人との関係や人自体、どんな飽きでも共通するのは喜びがないことです。

自分として生まれた時は新鮮で知らないことだらけでした。

「これに私は喜んで、こういうことをしたら笑うんだ、怒るんだ、泣くんだ」と理解する楽しみがあり、日々が楽しくてしょうがありません。

しかしある程度自分を知り、それ以上探求や分析をしなくなると喜ぶきっかけがないので飽きちゃう。

すると自分以外の他から刺激を貰ったり、喜ばせてもらう行為へ向かいます。ガム必須状態です。

関わる人から喜びをもらえず、同じギャグばっかされてもつまらない、人を変えて変えて、物を変えて変えて、全部つまらないと飽きてしまいます。

人に飽きる場合、他者から喜びを貰うこと自体に飽きている可能性があります。

自分を知ることをやめたと同時に、他者との関わりでの自分を知る、または他者を知ることをやめた可能性です。

人に飽きるとは、自分や他者を知ることをやめた状態を作っていると考えられます。

※どうでもいいと飽きる詳細は、人生どうでもいいと思った時の対処法│それは大切な合図だった をご覧ください。

 

何もかもに飽きたらわかること

仕事に飽き、人に飽き、恋愛に飽き、自分に飽き、人生に飽きます。

良いも悪いも評価することに飽き、知覚して認知して認識することにも飽き、感覚や感情や気持ちの体感感受にも飽きます。

「もう亀ばっか観てるの飽きたっ、どういう気持ちで観たらいいのっ?」と。

明確な空虚、意志の空欄があり、まるで心に穴が開いているようにスースーするかもしれません。

しかし、そんなこともどうでもいいです。

何もかもに飽きた時、自分に対して一つ質問をしてみるとあることが判明します。

「飽きている状態に飽きない?」

道が二つに分かれます。

何もかもに飽きる二タイプ
  1. 飽きている状態に飽きない
  2. 飽きている状態に飽きる

それぞれにわかることがあります。

 

①飽きている状態に飽きない場合にわかること

飽きている状態に何かしら自分にとっての喜び、満足や納得があるので飽きず、状態を維持しようとします。

変化を拒み、成長を求めず、喜びを作らず、苦痛から逃れ、事実を誤魔化します。

この状態に納得があり、ネガティブにならずに済むという利益を得られます。

人それぞれに喜びがあるので、これがいけないなんてことはありません。自覚すると何もかもに飽きた意味として、「飽きることも悪くない」と自ら選んでいるのだとわかります。

しかし、飽きている状態に飽きる場合、わかることが大きく変わります。

 

②飽きている状態に飽きる場合にわかること

このタイプは、自分で喜びを作らないことに飽きる真意があります。

現状の環境、自分、認識、全てに自ら喜びを作る意志がないのを無意識に自覚しており、喪失・落胆・空虚・興味がない・つまらないとなります。

  • 自分で何とかしたいけどできない
  • 自覚はあるけど変化をもたらせない
  • 行動したいけど動機がなくて動けない
  • 感情も感覚もわからなくて自分がどうしたいかわからない
  • 自分の意見が見当たらず、見出す気はあるけど何をしたいかがわからない
  • 楽しいことがわからない、でも楽しみたい、でも気力がないからどうでもいい
  • ……

自覚がどこかに無意識であるために現状に反発があるのですが、実際に反発が具現化しないのでなかったかのような気になり、真相がわからないので考えるのを止めます。

自分に違和感があるのに違和感の実感ができず、結局何をしたいのかわからず、考えれば考えるほどにパニックになり止めます。

どうにかしたいのにできず、できないことに反発したいけどできず、どうなっているかわからず停止、「もう飽きたよ」と投げやりに。

この状態は辛いです。辛いのに辛いとも思えない辛さです。

何もかもに飽きた時には明確に二つのことが判明します。

何もかもに飽きた時にわかること
  1. 意志が強く誰よりも自分で喜びを作る認識を持っている
  2. その自分が綺麗に消えてしまった状態が目の前にある

この二つが同時にわかることに大きなポイントがあります。

信じて疑いのない確たる自分と、その自分が完全に今目の前にいないという、相反する現実が同時並行で認識されます。

現実なのに現実がないという矛盾が現実として目の前にある、と少しややこしい状態が、何もかもに飽きてそれにも飽きた時に起きます。

何もかもに飽きた時は気楽にするのが何よりも大事です。

そんな気楽さのための改善方法を見ていきましょう。

※人生に飽きた話は、人生に飽きた時に知りたいこと│嬉しい意味をもたらす新しい人生の合図 をご覧ください。

 

何もかもに飽きた時の改善方法

何もかもに飽きた時に知りたいこと

飽きていることに飽きない場合は、その状態を維持しようとしますので、自分にとっての喜びとして変化せずに済む、恐怖がない、苦痛から回避できる、危険を味わわないなどの満足や納得があります。

故意に作っているので人それぞれに大切な時となり、自ら喜びを作ると改善できます。

一方、飽きていることに飽きる場合には注意点があります。

むやみに行動しない方がいいことです。

何もかもに飽きた状態で物事に取り掛かろうとすると、悪い方向へ突っ走る可能性が高いです。

私は全て悪い方を完璧に選択するという神の手を得まして、試練の如く続々と針地獄というバカタレでした。

もちろん、人それぞれに修行は必要ですのでご自身で選択をしてもらいたいのですが、綺麗に自分がいない状態ではすること成すこと訳わからず、手を出しても行動しても直ぐに飽きると思います。

喪失や空虚の状態では、飽きからの行動として死を選ぶ人はたくさんいます。

動けば動くほどに飽きと喪失が起きるため一旦休憩、まずはお茶でも飲み、合図を受け取りましょう。

何もかもに飽きた時、自分を一から知る第二の人生の始まりになります。

 

飽きるとこれからの自分の糧となり知恵となる

人それぞれに物事に飽きる理由と原因があります。

何もかもに飽きる場合には、元々の意志の強さと他の影響による自分の喪失にて、喜びを作らない、または作れなくなります。

意志の強さ < 他の影響過多=喜びを作れず飽きる

意志が強くなければ他の影響に飲み込まれても、他の人や物や出来事から刺激や喜びを貰い与えられれば、いくらでも満足や納得が手に入り、飽きずに過ごせる無知の幸福です。

城に生まれて何もかもが思うまま手に入り、何か言えば現実を叶えてもらえ、いくらでも刺激を与えてもらい、ヘラヘラしていれば最高だと思う人もいれば、それによって自分を見失って飽きることに飽きない状態になる人もいます。

そして、飽きることに飽きる人もいます。意志が強い人がここに該当します。

何もかもに飽きた時は、これまでの記憶や経験は引き継がず一旦置きます。

これまでの自分が消えることはないので、記憶としてこれからの自分の糧となり知恵として活用できます。

線引きするように「これまでの自分」「これからの自分」と区分けることで何もかもに飽きる真意として、新しい人生を始めるきっかけにできます。

少し大げさかもしれませんが、それだけ重要なことが何もかもに飽きた状態です。

※飽きない方法は、【どうしても飽きちゃう】飽きない方法は天敵にあり をどうぞ。

 

何もかもに飽きる自分を知るために一休み

極端かもしれませんが、仏教の創始者であるインドの釈迦(ブッダ)の話がわかりやすい例になると思います。

シャカ国の王子として生まれたゴータマさんは、幼い頃から王を引き継ぐために育てられ、常にたくさんの家来や使用人の中で干渉をされながら、与えられ、喜びを貰い、恵まれ、庶民との違いに疑問を持ちながら生活していたそうです。

何もかもが他からの影響にて作られるため、自らの意志を喪失する環境だったのかもしれません。

ある日、ゴータマさんは全てを投げ捨てて王族の家城を出て、修行者としてさまざまな師の元を巡る新しい人生を始めました。

意志が強い人は自らが喜びを作る力を持っているので、他からの影響でどれだけ抑圧、干渉、否定、支配されても意志は消えません。

他の影響が強ければ強いほどに意志は無意識の自覚として一旦消えますが、どこかで違和感を感じるという不明確なものになります。ですが、消えずに必ずどこかにあります。

不明確な認識が相まって飽きるという状態になり、ただ単につまらない・興味がないのではなく、意志の認知と矛盾との葛藤、反発できない反発、見えない相手と戦う自分がいます。

さまざまな模様が見え隠れするのが“何もかもに飽きる”状態であり、喪失したけど確実にある意志の強さが潜む表れとなります。

今一度、自分自身を思い出すように確認し、人間性を理解することが大切です。

他の影響や現状へのあらがい、新しい行動を模索する以上に、自分を知るための時間、焦らずに気楽にすると改善方法になります。

 

何もかもに飽きる自分とは創造性のこと

何もかもに飽きた時には休むのが大切ですが、それは逃げではなくあくまで休息であり治癒であり、自分を知るための時間です。

大切なのは、創造性を養う時間にする意識です。

自ら物事を創る力は喜びを作り、飽きない状態を作る力となります。

飽きた時は休息して自分を知るために創造時間を設けます。

何をしても構わないのですが、芸術や音楽、料理や趣味など、取り掛かる主体性が大事です。

誰かの真似や反応を気にするためではなく、自らが何かを創ることに意味があります。

全く新しいものを一から創ると、制限も縛りもなく自由にする主体性のみの時間となります。

他の影響は一切不要。創造したものを見せる必要なんてありません。

そういった創造タイムを設けて、頭や心の中を具現化すると、自分を知ることにも繋がる改善となります。

※飽きると欲や感情がわからなくなるので、欲がない人は怖いと思われる│欲がわからなくなる原因に潜む我慢癖と精神性 もご覧ください。

欲がない人は怖いと思われる│欲がわからなくなる原因に潜む我慢癖と精神性欲がない人は思考で意識的に作る欲が少ない特徴があります。 食も物も所有も性欲も承認欲も何もかもありますが、「あえて求める」という意...

 

何もかもに飽きた まとめ

「飽きた、どうでもいい、何でもいい」

何もかもに飽きた時には深呼吸。スーハーしたら、お茶をズズズに団子をパクパク。

飽きたら一旦休憩です。

しかし、いつまでも休憩するための休憩ではありません。

自分を知るための気楽な時間、焦らない自分を作るための有効的な時間にして、あくまで切り拓くための休息かつ治癒かつニューライフの準備体操。

自分を思い出すように知り、気楽さを少しでも理解したら始まるのが、新しい人生です。

私は転機によって強引に飽きた状態が消えました。余裕がなくなると嫌でも飽きることができなくなりましたが、そこに改善はありませんでした。

結局、転機の数年後、全てを投げ捨てて海外へ旅をすることで新しい人生を始めます。ここでの理解は当時は一切なく猪突猛進、壁までまっしぐらでした。

私のように何もわからず現状打破のために行動すると、さらに見失いを強くしますのでおすすめしません。

何事にも意味や理解が必ずありますので、せっかく辛い状況や、よくわからない状態を経験している時には今後のために活用してやりましょう。

実際に、何もかもに飽きた状態であれば自らの力で切り抜けることは困難ですので、ここでの内容が何かきっかけや兆しとして、少しでも役立てば何よりです。

気楽に読まれてください。何か思い当たる理解の一助があれば幸いです。

それでは、何もかもに飽きた時のお話を終了します。

最後までご覧いただきまして、ありがとうございました。

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