【カタカムナ診断で自分を知る】
当ブログの運営をしている北斗です。「ぜひおすすめしたい」と感じたのでご紹介です。

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「なんでこんなにわかるの?」と思えるほど的確で、わかりやすく言語化してくださり、自分には何が大切かわかります。
さらに言霊・音・文字に含まれるエネルギーを強く意識でき、波動が明らかに上がったため、「これはぜひみなさんにも♪」と思った次第です。
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群れるサンマ、群れないタコ。
群れを携える貫禄ライオン、群れるメスライオン、群れたくても群れられない若いオスライオン。
オーストラリアにいた頃、日本人と韓国人は群れる・群れないが明確に分かれていると感じたことがあります。
群れを成して生存を図っているのか、動物的本能の一種なのか?
反対に群れへの反発から個を行くのか、知性発達の行く末なのか?
ここでは、群れる人と群れない人にはどんな違いがあるのか、そもそも同じ生命体なのか深掘りしていきます。
- 群れる人と群れない人の違いを知りたい
- 違いの根本にあるものを考えたい
相反する対象ですのでお互いに理解し合うというのは難しいかもしれません。
どちらか一方でも理解を深め、お互いをそっとしておくために一つのご参考になれば幸いです。
Contents
群れる人と群れない人の違い

ヒト科ヒト属ヒト
多様性のある知的生命体として知られており、社会的生態でもある。
過去の記憶や遺伝子を用いて未来を構想し、“道”を作るクリエイティビティがあり、種族や性格によってそれらの才や能を放棄するものもいるとかいないとか。
意識を肉体に宿すことで自責や客観視、メタ認知を高めた知性の働き、意識体としての人間性質を用いるものもいれば。
意識なく肉体の赴くままに活動することで欲望と感情に従い、脳の自動操縦モードのままで意思を持たず、動物のようにその日を生き抜く人間性質を用いるものもいる。
それらを総じて、『人間』と呼ぶ。
群れる人の習性

イワシの群れ、スズメの群れのように、複数でいることは自分を護る大切な処世術です。
命をかけて一緒に戦う軍人は仲間がケガすれば助ける、“結束”があります。
周りに合わせ、自己を曖昧にすることで不安と恐怖を回避する、または群れに同化することで私利私欲を満たすなどの、“利用”もあります。
価値観や構想が合う人々と起業する、“協力”もあります。
失敗した時、嫌なことがあった時の対応で、群れる意味はわかります。
人それぞれ目的は違いますが、全てに共通していると考えられるのがこちらです。
他といることに利益があるから群れる。

利益は喜びや楽しみといった顕在的なもの以上に、自分の存在認知(=精神を満たす意)という潜在的(根源的)なもの。
他といることで潜在的に自分の存在認知ができ、精神を満たせる(繋がりを感じる)から群れる、という解釈です。
自分の存在認知に大きく関わるのが、[安心感・不安感(恐怖心)]
安心感を味わい、不安感を回避するための傾向がこちらです。
- 調和や協調性がある
- 共感、所属欲求が強い
- 人と繋がりたい欲求が強い
- ルール従順、情報インプットが上手
- 自己評価が低く、自意識が薄い場合も
- 同調を好み、集団従属できる
- 排他的、攻撃性がある
- 広く浅い関係性を好む
- 自分への興味が強い
- 意思が弱い、軽い
- 耐える力が弱い
- 一人が怖い
- 寂しがり屋
安心感と不安感を生存の重きとすれば、良いこと多く嫌なことなく生きられるのが重要な価値観になります。

人間関係を繋ぎ止める動機は弱くなりやすく、表面上は仲間であっても問題が起きれば忌み嫌い合うヘドロ模様の納豆関係にドラマ化決定、結束とは程遠い利用し合いにもなります。
集団の同調圧力、空気読み、ルールに従順でき、人と群れることが安心であるためラーメン屋の行列に平気で並べるのではなく、もはや並びたい。
一方、ルールブレイクも必然的に起き、群れるからこそ周りを見なくなり、自分のことがわからなくなることも増えます。
マックで平気でギャーギャー騒げるのではなく、もはや騒ぎたい。
5人横並びで平気で歩道を歩けるのではなく、もはや歩きたい。
人によっては強気になる、モフモフのダウンジャケットを着たら筋肉モリモリで強くなった気分と同じ。
ポイントは、寂しくて誰かといたいから群れるのではなく(そういう人もいますがそれ以上にお伝えしたいのは)、他と共にいることで自分の存在認知ができる。
他と共にいることで自分の存在価値や意義を見出せる。
それによって精神が満たせる、または精神がしぼまずに済むことです。
※実は群れていない人については、人懐っこくて友達は多いのに心を開かない人【決定的特徴&全ての原因】をご覧ください。
群れない人の習性

群れない人、タコのことですね。
一匹狼なんて言われることもあり、今日も大仏の横で目を瞑って座っています。
群れるのが嫌、他人に興味がないから一人を好む人もいます。
集団が苦手、同調できない、コミュニケーション能力がないために個人主義に逃避する人も。
個人能力の高さや自立の際立ちが故に、群れの無駄を排他、合理化を優先したい人もいます。

群れない意味や目的は人それぞれですが、共通しているのは一人での活動に利益があること。
言い方を変えると、邪魔がない、重りがない、気楽が好き。
抵抗がないことを重んじる人だと考えられます。
鎧をまとってでも群れたい人もいますが、そんなことはしない。

群れない人の存在認知(精神を満たす道)には、安心感と不安感よりも重きを置くものがあります。
「達成、意思、向上、解放」
これらを得るための傾向がこちらです。
- 安心よりも達成
- 不安回避よりも解放
- 自立、自責がある
- 自分の意思を持つ(自己ルールが強すぎる場合も)
- 自己肯定感、自己承認が強い
- 経験を重んじ、成長を求め続ける
- 他との関りが重荷になっている
- 狭く深い関係性を好む
- 同調、共感性が低い
- チームプレーが苦手
- 一貫性、主張が強い
- 無駄が嫌い
特に個人能力が高い場合、他との関わり、社会の構図は無駄や障害が多く、生きていることが重荷を課される状態になります。
生きていることが苦しみになりかねないため、解放や気楽さを求めたくなります。
すると、群れることのネガティブな点、例えばルール固め、暗黙の了解、抑圧、グループによっては才や能の壊滅行為に目が痛くなります。
群れることへの無駄、嫌悪や拒否感が強まることも。
群れへの反発感が拍車をかけて、自力で努力、頑張ることを肯定し、自己承認を強めて一貫性が高まり、強情や固執が折れなくなることも。
個人として利益は多くなり、群れないことが精神を満たす術になります。
一般的には受け入れがたい、調和のなさが性格悪に思えることもありますが、達成することはスキルや価値の広範にわたる可能性を秘めており、個人特化が集団に恩恵を作る開拓者にもなります。
※群れない人のタイプは、【4タイプ別特徴】一人が好きすぎる人の決定的特徴&類稀な人間性 をご覧ください。
群れる人と群れない人の違い
言語化したいのはこちらです。
求めているものが違う。
・群れる人は安心と不安のなさを求める
・群れない人は抵抗のない解放と気楽さを求める
求めているものが違うと、物事の見方(認識仕様)が全く異なります。

群れる人は全体の中で自分をいかにその場・その環境に合わせ、馴染ませ、同化させるかに利益がある見方。
自意識は減り、フォーカスは肉体か心に向きやすく、感情と欲望に忠実になります。
ポジティブに言うと、雨水が川となり海に混ざっていく自然現象的“普遍”(環境によって自我形態が変わる)、調和的で既存に合わせる順応的在り方。
ネガティブに言うと、自分で考えることのない脳の自動操縦モード、創造性のない他動的自我、またの名を普通。

群れない人は全体の中でいかに自分を探し、縛らず、活かすかを考え、作り出す見方。
自意識が増え、フォーカスは脳か心に向きやすく、思考的で自己実現に忠実になります。
全体の既存に従うのではなく、自分のいられるポジションを射貫くように見つけたり強引にでも作る必要があります。
ポジティブに言うと、開拓や解放のための活動家であり、知性を用いて射貫くために自己能力を育み、高め、活かす道を行きます。
ネガティブに言うと、自意識が強く主張や一貫性による強引さ、人の話を聞き入れない、頼らない調和のなさ、嫌われやすい在り方。
求めているものが違うので、見えているもの、観ているものが違うという考え方です。
※自分がないからこその戦略は、【ポイントは自分がない人の末路】何をしたいのかわからない人の人生戦略 をご覧ください。
群れる・群れないならどっちがいい?

認識スタイルの違い
認識が違うと、無印が好きな人もいれば、動物の毛皮が好きな人もいます。
ブランドが好きな人もいれば、自然食品が好きな人もいる、という趣味や指向のことではありません。
スタイルが違うと、認識の仕方が一変します。
・群れる人は全体を通して自分を見る
※自分を見ることができない場合は集団主義に偏る
・群れない人は自分を通して全体を見る
※全体を見ることができない場合は個人主義に偏る

主観有無にも捉えられそうですが、全体を通しても主観がある人はあり、調和や協調が見られます。
主観がなければ不安回避のためのルールインプット、調和したくてしているのではなく、「調和するものだ、そうしなければならない」という他律従順、意思のなさが見られます。

自分を通す場合、主観があれば個人能力を発揮し、結束を持った狭く深い関係性を作ります。
主観がなければ頑固や執着による貫き、自分勝手で周りに合わせず、ルールにも従わないアウトオブソーシャル、電車内で叫び出す人になるかもしれません。
ここでお伝えしたいのは主観有無以上に、そもそも認識の前提が違うことです。
両方に利点・汚点があります。
※一人旅できる・できない違いは、一人旅できる人とできない人の特徴と心理。違いは喜びのルールと精神 をご覧ください。
スタイルは使い様
バランスを取れている、またはどちらか一方に偏らず自覚して併用できる人は、群れが結束、相手を尊重して関わるなど、深い関係性を築きながらも孤独の時間を大切にでき、精神性の高さが伺えます。
スタイルを併用するためにも、両方の利点として特に深掘りしたいものがあります。
・群れる人は所属集団全体を見渡す感度が高い
・群れない人は一点を深掘りする知性が高い
夜中にブンブンと騒音を立てる群れがいれば、自分の考えがない、賢そうに思えない見かけがあるかもしれません。
実際には、所属グループという限定的な中では全体を見渡す認知感度(感性)が高く、ちょっとした違いや動向、感情の揺れ、変動に気付きやすいです。

感情と欲求に忠実であるために、知性以上に感覚的に物事を網羅する力があります。
少しでも集団意識を阻害する排他因子があれば察知し、不安増加の懸念となるために自己愛がピコンピコンと反応します。
そのため、群れる人は攻撃的になりやすく気疲れも多く、本性を隠す必要性が増えてストレスを溜めます。

群れない人は自己能力を開拓するように一点深掘り、モグラ的な才があります。
一つを分解、解体して細部まで見通す力、正確さ、鋭敏さ、そして怖さにもなります。
剣や盾のように一つの特化した武器になり、あまりに鋭いと無自覚に相手を傷つける一言を発していたり、自分を正しいと決め込んで相手を責めていたなんてことが起きます。
認識の仕方が違うと、広くても狭くても自分の使い様に違いが生まれ、それぞれの合う・合わないができます。
集団に孤独を、孤独に集団を追加すると認識が幅広くなり、知性のある賢さと組織を見渡す感性が加わり、社長やリーダーとして力を発揮しやすくなります。
認識の違いを知ると、スタイルを幅広くしたい方にとってお役立ちになると思います。
※群れない精神については、【孤独に強い人の決定的特徴】「孤独に弱い人との違いとは?」をご覧ください。
要注意:群れる・群れないの偏り
例えば群れに偏り、一人で何もできない人。

一人で旅行できない、買い物できない、映画観に行けない。
集団に属さないと恥ずかしくて何もできない、寂しい人だと思われたくないので人がいる場では一人でご飯を食べられない。
しかし、集団になると打って変わり、横柄で、所属組織以外を敵視し、攻撃性も持ち、周りに飲まれやすく、強い者の指示があれば何をするかわからない歯止めのなさ。
自分の所属している集団内では安心取得と不安回避のために気を張り、周りを気にして、ルールに従い、空気も読みますが、自分の利益を得られればそれで終わり、あとは知らん。

知性があるでも認識できているでもなく、自分のためにしか物事を見ていないので、その集団の外から見たら反抗期の小学生と同じです。
例えば、ファミレスのママ友集団、二次会のサラリーマンおじさん達、集団ツアーで好き勝手道路でだべるフランス人。
騒ぐだけでなく、大声の悪口と愚痴の五月雨、店員や他の客に絡んで迷惑をかける、店で勝手に料理を始めるなど、海外では酷い例も垣間見ました。
夜のブンブンバイク達は典型例であり、一人でできないので群れて自分の存在認知を得ようとする“あえての行為”が目立ちます。

一方、群れないに偏るケースもあります。
一人でできることを存在価値や意義とし、自らを正、勝、上、優越と見なすために対比を作ります。
「一人でできるもん、ほらね、できないあの人はダメッダメ」
対比や比較にて利用されやすいのが集団、自分の考えがない、まさに群れる人のデメリットを引用して、「群れる人はダメ、弱い、頭悪い」などと批判。
群れないに偏ると、存在認知という利益を得るために比較や上下区分け(常識や社会性や他のルール)にて結局他人利用する必要があり、そもそも他律で自分の考えがありません。
にもかかわらず、自分の考えがあると思い込み、決め付け、「自分は正しい」と無意識に押し付ける可能性が出てきます。
他人に干渉しなければ一人である利益がないという矛盾であり、群れていないようで間接的・思考的には群れている“隠れ群れ”。
群れないも群れるも極端に偏った場合、一人で買い物できたお姉ちゃんか、まだこれからの妹の違い、内輪の話みたいなものになります。
※群れないと嫌われる件は、【男性性トラップ】群れない女性が嫌われる理由&対策 をご覧ください。
最後に:群れる人と群れない人の違い
ブンブン丸の暴走バイク、一人でやっている人を過去一度だけ見たことがあります。
それ以外は全て群れているため、群れない人は貴重です。
群れない人は我が道を行き、迷惑になることもありますが、ただ個を主張したいのか個の絶対性があるのかは大きく違い、どれだけ恐怖心と向き合えるかでわかります。
一人でできない人は不安があるからではなく、不安と向き合う気がない、不安と向き合えない自分を認められないから一人でできません。
安心を得られないからではなく、安心を得るための努力や工夫、自ら作る意識や精神がないから一人でできません。
といっても、「一人でできるもん!」のドヤ顔が通用するのは、裕福な家庭の優しいパパママくらいかもしれません。
一人でする必要がどこにあるのか。
その必要があるのは、達成や成長、向上や解放、そして気楽さを自発的、主観的、かつ能動的に実現したい欲がある人。
それをすることに意味があるかどうかは人それぞれです。
群れる利点があり、群れない利点もあり、共に偏りすぎることに汚点がある。
良いも悪いもなく、あるのはスタイルの違いだと思います。
どちらが自分に合っているのか、どちらが環境に合っているのか、そしてどれが自他の今後に繋がっていくのか。
群れていた過去があり、群れない過去もあり、過去があるから未来を作れます。
過去を活かし、自分にないものを学び、調和と成長を共につかみ取る道があることと思います。
そんな未来の道をより明確にするために、一つの考え方としてご参考になれば幸いです。
ありがとうございました。
【カタカムナ診断で自分を知る】
当ブログの運営をしている北斗です。「ピン!」と来た方はぜひお試しください。

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今回も素晴らしい考察、ためになります
群れる人と群れない人
あと群れざるをえない人もいますね
昔の赤紙とか
その場合は強制的に集団に分類されるのでまた違う考察になりますかね?
ともかくいつも刺激を受けるよい記事をありがとうございます
それは善かったです。
そうですね、外部からの強制は別になります。
今回の記事もためになります。
ありがとうございました🙏🏻
なんだか、北斗さんは大人になられる道(誰しも子供らしさがあるとして)を歩んでるんだなぁ、とふんわり思いました。
今はお辛いと思いますが、ご自身を愛し、
愛されていることに心を開き、何とか乗り越えられますようにと祈っております🙏🏻
本当にありがとう。大切です。
お役立ちとなって何よりです。
私はまだまだ大人への道が遠いですね。
子供のように生きる、こればかり。