本当の自分

【恩恵がある】年々人嫌いになっていく│人との関わりを見つめる時が来た

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自然と嫌いになっていく。

年齢を重ねると共に人々の真意が見え、人嫌いになっていく原因があります。

この捉え方にはポジティブとネガティブの二つあります。

年々人嫌いになっている自覚がある方は、「人を嫌いになっていく」詳細を知っていかれてください。

人嫌い。それはダメなこと?

いいえ、最高です。

ここでは、年々人嫌いになる原因と仕組みと意味をお伝えします。

  • どうして年々人嫌いになるの?
  • 一体自分に何が起きているの?
  • 人を嫌いになる意味とは?

お伝えする考え方は、「人嫌いになれるとは素敵なことが起きていますね」というものです。

物事の真意とはルールで固めた社会ではわかりにくくなることがありますので、ご自身で自らの在り方や変化を見つめる機会となれば幸いです。

年々人嫌いになっていく

年々人嫌いになる兆候

初めに、年齢を重ねると表れる人嫌いの兆候を順番にご覧ください。

1,人の嫌な部分が見えやすくなる

人に対する嫌悪感の基となる考え方、行動、企み、本性が見えるようになります。

 

2,責任の押し付けが顕著になる

責任を持たない人がはっきりわかるようになります。

自らが責任を持ち、責任感が強ければ強いほどに他者の汚さ、逃避、押し付け合いが気になり、嫌悪を抱く光景が増えます。

 

3,疲れやすい

肉体の老朽と共に疲労しやすく、エネルギーチャージに落ち着きが出ます。

人からの影響を受けやすくなり、受け入れられないことへの抵抗力が衰退し、憤りやイライラの頻度が高まります。

 

4,自らに反発している在り方が露呈する

誤魔化したり隠していた自分の在り方を抑制できなくなります。

抑えつけていた考え方や価値観や行為にある反発は、エネルギー減退と共に露わになります。

 

5,めんどくさくなる

「めんどくさいけど仕方ない」と思えていたことが、「めんどくさい」と一色になります。

自らの認識がそのままをそのままにする自然なさまになり、飲み会や行事に参加しなくなります。

 

6,我慢しなくなる

嫌々我慢していればいるほどに我慢しなくなります。

我慢によって成り立っていた自らの在り方、他者との人間関係、コミュニケーション方法は変わり、我慢しなくなることでの相手の反応や本性が表れ始めます。

自らを押し付けたり主張するさまも強まり、他者との関わりに反発が増えもします。

 

7,人への興味がなくなる

他への興味・関心がなくなっていき、人との関わりの濃薄が明確になります。

薄い人には関わらない意味を見つけて自己納得するためにも、あえて「嫌い」と認識する人もいます。

以上が、年々表れる兆候です。

 

年々人嫌いになっていく原因

歳を重ねる毎に人々への嫌悪が強まる。

自分が嫌な人になっているのか?
自分が嫌な人だと気づいたのか?
周囲が嫌な人になっているのか?
周囲が嫌な人だと気づいたのか?

年々態度が横柄になり、他への配慮がなくなり自己中心的になる。自己制御がなくなり解放と自由をはき違えて好き勝手。自ら責任を持つ以上に、権利や金などの外的な装飾を糧に責任を「他」に負わせるようになる。

自らを正当化して主張し、自己ルールを押し付けて決め付けるさまが強まり、他への執着と依存が強まり、自分に従わない他者を嫌う。

このような場合には、自責が一切なく自立とは程遠い人間性があり、歳を重ねる毎に人嫌いになります。

おそらくこれを読まれている方は、ここに該当しないと思います。なぜならば、責任を持たない人は自らの思考と行動に自覚がないという顕著な特徴があり、「人嫌いになっていく」とは思わないためです。

「嫌なやつばかりになっていく」
「私は人を嫌いになっていく」

両者は全く別物です。

自らを自らが認識できている自覚者は、「私」に着眼します。

「年々人嫌いになっていく」と自覚する場合、顕著な特徴には自責(思考と行動を自覚し認めるさま)があり、人を嫌いになる原因があります。

現実を認めたためです。

 

年々人嫌いになっている自覚がある人は我慢(演技)癖がある

「現実を認めた」とは、これまで見ないようにしていた、認めないようにしていた、見過ごして流していた事実を直視する意味です。

自覚できる人には特異な特徴として、人嫌いになった自分自身を否定的に捉える傾向があります。

「人を嫌いになるのは悪いこと」というニュアンスのルール設定があり、脳内にインプットしているかもしれません。

これを観念と言います。

この観念がある人は、人嫌いにならないように我慢や演技を多用します。

自らの思考や行動を自覚しているので、「我慢している私」「偽っている私」「嫌々耐えている私」と認識します。

しかし、「人を嫌いになるのは悪いこと」という観念は自分の中では「善」ですので、我慢や演技している自分を自覚しないように認識を誤魔化します。自覚しているのにしていないと思い込む状態です。

誤魔化しは自分で自分を見つめないようにエネルギーを使う行為、エネルギーがたくさんある時には何の支障もありません。

年齢を重ねた時、このエネルギーの使い方ができなくなります。

 

我慢や誤魔化しができなくなると現実を直視することになる

年々疲労しやすくなる肉体。エネルギーチャージにも時間がかかり、刺激以上に癒しを求めるようになります。

エネルギーの使い方が落ち着いていくと、自らにとって必要性の少ないエネルギー消費を削減して身体維持を図ります。

我慢や誤魔化しは人によって大切ですが、嫌々している場合にはしなくなります。したくなくなります。

  • 人を嫌いにならないように我慢して誤魔化していた在り方
  • 自らが傷つけられることを怖れて我慢していた行為
  • 不安や恐怖を緩和するための認識の偽り
  • 面倒や煩わしさ、見たくないものを認めないようにしていた演技

少しずつ手放され、エネルギー消費によって見ないで済んでいた事実が隠せなくなります。

現実の直視にあるのは、人間の本来の姿です。

 

人嫌いになる時に自分に起きていること

人間の本来の姿を見た時、「人って何なんだ?」と思ったり、「人って素晴らしい」「人とはめんどくさい生き物だ」「クズばかりじゃないか」と人それぞれに印象を持ちます。

現実が良いものである人も悪いものである人もいます。

人嫌いになる場合、悪いものを見ます。

あえて悪いものにフォーカスしているわけではありません。これまでは見ようとしなかったものに自然とフォーカスを強めて記憶に刻みます。

年々人嫌いになる人とは、人の嫌な部分を見ないようにしていた(それに関連する観念がある)人と考えられます。

優しすぎ、配慮しすぎ、気を使いすぎ、良い人すぎる人です。

嫌な部分を認めないように演技し、自らをポジティブな状態に切り替えて周囲を明るくし、良い人になろうと努力します。

相手の本性が出ないように、相手に嫌なことがあれば気を使い、機嫌を取ります。

反対に、人によっては嫌な部分を見ないように興味をなくし、人と関わらないように努力します。

相手の本性が出ても自分の心に影響をなくすように、距離感を離して人間関係を作ります。

人を嫌いになりたくない人は、認め難い現実を曲げて認識するか、現実を見ないように心を閉ざして対処します。

年齢を重ねるとこの認識は撤廃されます。

 

エネルギー消費削減であり自己改革の認識撤廃

人嫌いになることにはネガティブとポジティブな捉え方があります。

  • ネガティブ
    …自らのエネルギー消費を抑えるために見たくない現実を誤魔化すフィルターがなくなり、人の嫌いな部分が見えやすくなる
  • ポジティブ
    …固執した認識を手放し、ありのままに現実を見れる自分になることで人を嫌いになる

ネガティブはこれまでの認識のままでこれまでの認識が通用しない状態であるために、「人の嫌な部分ばかり見ている」と自らをネガティブに捉えてしまう可能性があります。

[ネガティブ=悪い]というルールはあえて設定しなければ存在しないものですので、実際には共に自分のためとなる変化です。

ポイントは、年々人嫌いになっていく変化は相手がどうこうではなく、自分の内側の話であることです。

変化しているから周囲の見方・捉え方が変わり、人の事実に気づき、認識を誤魔化さず、自らに正直に物事を見て、感じて、考えて、想う状態です。

※嫌いな人の詳細は、嫌いな人にスピリチュアルな意味深│苦手、関わりたくない、会いたくない人の対処 をご覧ください。

 

年々人嫌いになっていく大切な意味

年々人嫌いになっていくことの捉え方

人の嫌な部分が見えやすくなると人を嫌いになります。

我慢しなくなると、これまで見ずに済んだことが露呈し、自らの意思と評価と判断を求められます。

「どうしてその人と関わるの?」
「関わる意味は何?」
「本当に友達?」
「友人なのに上下関係?」
「押し付けられているのに何も言わなくていいの?」

自責がなく、自らを押し付けることで人との反発が増え、自らの不利益がないために人を嫌いになる場合は全く話が変わりますが、自責がある人は人を嫌いになった時に、「あなたは人を嫌いになっているこの状態を状況を自分自身をどう思い、感じ、考えますか?」と自らに問われます。

これまでは自らの思考と行動を自覚していても表に出さなかったかもしれません。それを表に出すことを求められるのが人を嫌いになる状態です。

表に出す時が来たという捉え方ができます。

 

心身の断捨離によって人を嫌いになってくれる

エネルギー消費の無駄は肉体的にユニークではない身の削りであるため、自分にとって大切なものだけを残すようにしていきます。

自らの認識を抑え付ける我慢は年々なくなり、ありのままを見る認識になります。

あとは自らの意思によって思考や行動を我慢するか否かを決めていきます。

事実を事実として捉えるさまは自らの人生を自らが捉えて生きる意味であり、それができる条件が年々与えられています。

人の嫌なところが見えて嫌いになった時、人間関係は本当に自分の目で見て関わっていたかどうかわかります。

嫌いになった人は自分にとって大切かどうかがはっきりわかります。大切でないものはそぎ落とされていきます。

人嫌いになるとは自らの無自覚の領域(潜在意識)で、何が自分にとって大切で、大切でないかの断捨離です。

我慢や抑制が自分のためになっていない場合、人を嫌うことで「自己犠牲になっていますよ」と教えてくれます。

自分のためになる大切な行為であれば、喜んで我慢する時が来ました。自らの意思を持ってする我慢を忍耐と言います。

※人間嫌いの大切さは、【嫌いで良かった】人間嫌いで気持ち悪い│日本ならではの原因と仕組み をどうぞ。

 

人嫌いになることは良い?悪い?

「良い悪い」は本人の中にしか存在しない観念ですが、ここでお伝えしたい主旨は一貫しています。

「人嫌いになることは最高」

我慢してきた人は観念があるのであまりこのように思いたくないかもしれません。

しかし、年々人嫌いになっていくことは、自責のある自覚できる人が不安を感じられるという大きな意味を得ています。

変化の時という意味です。

自責のある人が我慢の抑制を手放されると認識力が存分に発揮され、物事を捉える幅・量が広がります。

人が気づかないことにまで気づきます。そのために人の嫌なところが見えます。

これまでどれほど抑制して、自らの能力を抑えていたかがわかると思います。認識力はリーダーの持つ力ですので、誰かに従う生き方は確実に合いません。

自らが物事を考え、表し、作る側です。

自らが主体になり、自らの人生を創り、彩ります。

嫌いになるなら、「私はあの人のこことここが、こうだからこうこうだから嫌いだ!」と言い切れるほど理解するのが、本来の自分らしさです。

素敵な人であれば、「あなたのこことここが、こうだからこうこうだから好き、素敵!」と言い切れるほど理解します。

人嫌いは、「人を嫌いになってしまうではなく、人を嫌いになれる」意味です。

※人と関わりたくない詳細は、【人と関わりたくない、面倒くさい、怖い訳あり】心理とスピリチュアル合体 をどうぞ。

 

人を嫌いになっていく人は認識力の育みが凄まじい

年々自然と人を嫌いになっていくことは、自らが求めて嫌うのではなく、我慢が緩和されることでの認識力の拡大であり、事実への気づきだと考えられます。

肉体の老朽と落ち着きと共に認識の縛りが手放され、人を嫌いになりたくなかったのが人を嫌いになれます。

自らを認めて肯定されてください。

自責があるかないかによって、人を嫌いになることは最低な自己中と認識力のなさにもなります。

自責がある人は人を嫌いになれる意味であり、主体的に自らが自らの在り方を決めて生きられます。

これが我慢してきた人の恩恵です。

我慢とは嫌々でも喜んででも、常に自らを自覚します。嫌々であれば自らを苦しめて抑制して誤魔化しますが、その行為を常に毎回認識されて自覚しています。

自覚を育む経験としてどんな我慢でも無駄にはなりません。忍耐にすれば精神性を高める意味があり、嫌々であれば苦しみながらも自覚による認識力を高め続けています。

発揮するか否かは本人次第。自然と露わにしてくれるのが時間の経過、年齢を重ねることです。

年々、我慢の縛りは手放され、育み続けた認識力の解放を今か今かと待っています。

他者の観察、恐怖への危機察知、危険回避の先読み、相手の立場で物事を考える他者認識、自らの認識を誤魔化す自覚、我慢を強いる自己納得。

あらゆる認識力を育む我慢。年々恩恵を受けているからこそ人の嫌なところが見え、自らの主体性を持つことで人を嫌いになれます。

※愛があるからこその人間嫌いは、【楽園者の愛と意識】優しい心があるからこその人間嫌い・人間不信 をご参照ください。

 

年々人嫌いになっていく意味 まとめ

人嫌いになれるか否かは、自らの在り方を決める大切な行為です。

人を嫌いになるには勇気がいります。

その時が来ました。

認識力があれば何の問題もありません。

人との関わりでの認識は自らが主体です。他者が決めることではありません。

意思を持って、勇気を持って自らの認識を肯定されてください。意志という自ら喜びを作る覚悟が表れてきます。

自己の認識を基に人との関わりを持つと、ある日気づくことと思います。

本当は人に興味がないことを。

これまでも人に興味がなかったかもしれません。人に興味がないとは、人に興味がある意味です。

ある人とない人が明確になり、「自分」という明確な存在がいます。

関わる人は心からの本気の関わりになります。関わらない人は一切関わらなくなります。自らを敬い、相手を敬うことで関わる頻度は人それぞれに変わり、年に一度でも素敵な関わりになります。

関わりが減ったり、嫌いな人が増えると不安になる気持ちがあると思いますが、その気持ちを大切にされてください。

不安感とは空虚です。何もないから不安となります。何もないから喜びにも恐怖にもできます。

不安感は現状の状態や状況に重要な意味がある体感であり、自らがその不安感袋に何色の気持ちを入れるかを決められる意味です。

自らが何を入れるかを考え、感じ、想い、判断し、評価し、決めた時、不安感は気づきの合図だと知られることと思います。

年々人嫌いになっていくご自身を見つめ、自らの理解を深める一助となることをお祈りいたします。

「人嫌いになれるとは素敵なことが起きていますね」

それでは、年々人嫌いになっていくお話を終了します。

最後までご覧いただきまして、ありがとうございました。

『心理とスピリチュアルの学び場』

誰しもに人生を変える機会と選択があると信じています。

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※これは長期的に本気で変わりたい方専用です。

POSTED COMMENT

  1. トンボが多い季節 より:

    本当に不思議なほど嫌いな人が年々増えて行きます。と同時に、なんとも言えない寂しさもありました。やはり嫌うより好きになる方が幸福感はある。
    しかし、これが現実ですねー。
    そして、関わらざるを得ない人々がよりによってどんどん嫌いになるという…
    この関わる人々のこと、現在、誰も信用しておりません。
    孤独感出てきましたね。正直不安です。

    でも、ここに書かれているように無理矢理頼ったり信用していると思い込んだりして接することができなくなりました。もう少し若い時はできてたけどなぁ〜…
    見事に、これほど人嫌いになるとはどこまで人の嫌なところを見つける天才なんだと自責しておりました。
    そんな自分をどこか否定していました。

    「人嫌いになることは最高」という言葉に救われました。

    ありがとう!

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