『DNAシフトセラピスト養成講座』
・セラピストになりたい方・自己理解を本格的に始めたい方
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著名な心理セラピストとして知られる、西澤裕倖(にしざわひろゆき)先生プロデュース。
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※本気で人生を変える方専用。
「ぎゃははは、今目の前で車にはねられてたよ」
まるで現実を喜劇のように、映画を観ているように。
「ニタニタ、今回の昇給は無しだって?まぁ次頑張れよ、ポンッ」
笑いを抑えるのを我慢するように、むにゃむにゃが顔に滲み出ているように。
世の中には人の不幸を笑う人がいます。
「一体どういう人間なのか?サイコパスか?」と思えるかもしれません。しかし、よくよく考えてみると、お笑いとは人の不幸ネタが多いように思います。
「では、ほとんどの人は不幸を笑っているのではないか?」とも思えます。
真相理解を深めるために、人の不幸を笑う人の心理と人間味をお伝えします。
- 人の不幸を笑う人のタイプがある?
- どうして不幸を笑うの?
- 一体どんな人間なの?
これらの紐解きを知るとわかるのは人間味であり、笑いに潜む人間興味です。
深淵にある不幸と笑いの関連性を知っていただき、人間を知るための考え方となれば幸いです。
Contents
人の不幸を笑う心理
人の不幸を笑う人のタイプ
初めに、どんな人を対象にした内容かを明確にしたいと思います。
人の不幸を笑うと言っても、お笑いやハプニングビデオを観ると、人のズッコケや失敗、思いっきり急所を打ったり、犬に嚙まれたり、告白の失敗だったりします。
タライが上から頭にドーンと落ちるシーン。一体何が面白いのかわからない人もいれば、大笑いする人もいます。
しかし、目の前で誰かが悲しみ、交通事故、災害、死亡などでは、笑う人はあまりいません。
笑いとは自分の誤魔化しであり、未知との遭遇であり、善悪を転換させるユーモアであり、予測の裏切りであり、さまざまな意味が含まります。
一体何に対して笑っているかの着目が人それぞれに違いますが、人の不幸を笑う場合に関しては、大きく二つに分けられると考えます。
- 光景を客観視する笑い人(アハハ)
- 不幸にて優越する笑い人(ニヤニヤ)
物事を喜劇のように捉える人か、相手の不幸を深掘りして自らの利益にする人かの違いがあり、アハハと笑うか、ニヤニヤと笑うかの違いがあります。
両者は心理が全く異なりますが、共通しているのは他者に興味がないことです。
人の不幸を笑う人は感情移入しない
他者に一切の興味・関心がなく、自らに興味・関心が強いと、人の不幸を笑います。
感情移入しないために不幸を味わっている人に同情せず、完全に一線引いた状態で相手を捉えます。
人の不幸を笑わない人は感情移入するために笑えません。笑わないというよりは笑えない状態であり、不幸な人側に自らを寄せます。
これが不幸な人側に自らを寄せられない状態になると話は一変します。
例えばテレビ、雑誌、ゴシップネタなど、まるで別世界の出来事を観ているスタンスになると、感情移入しないので笑います。
感情移入すると笑えない、感情移入しないと笑うか笑わないかが選択できる状態です。
笑えない場合には、人が笑う光景を一切理解できないので、「信じられない」となるかもしれません。
そんな信じられない人の心理を見ていきましょう。
※笑いのツボが浅い・深い人の心理は、【ツボに入るメカニズム】笑いのツボが浅い人と深い人の理由&心理 をどうぞ。
人の不幸を笑う心理①:光景を客観視する笑い人(アハハ)
一つ目のタイプはアハハと笑う人。
他者に興味がなく、感情移入しないために同情せず、相手側に自らの認識を寄せません。
しかし、相手の立場や目線がわからないというわけではなく、する動機がないという心理が考えられます。
自分と他者の区分けがはっきりしており、同情はせずとも共感はでき、同情という相手のエネルギーや心情に自らを同調させない個の強さがあります。
個を明確に自覚しているために相手に交わることはなく、自分を消さずに私は私、相手は相手と常に一線あります。
線引きがはっきりしているために、人の不幸はステージと客席ほどの距離感覚があり、客観的にテレビを観ているように認識します。
あとはテレビを観て人の不幸を笑う人と同じ。これを現実世界にも持ち込むために、「他は他」という極端でシンプルな区分けが見られます。
他の情報やルールではなく、自らの意思を重んじる
線引きや区分け意識で物事を捉えながら、自らの価値観や観念を軸にする主体性があります。
このタイプは人の不幸を楽しんで自らのためにする奇人や危険人物とは違い、純粋に他者に興味がなく、自分の意思が明確な人です。
人に興味がないと言っても、仲が良い人に無関心な訳ではなく、自らとの関連性がない人に一切の無関心になり、人も物も同じになります。
この光景がサイコパスのように思われる人でもあり、他という自分以外の物事の認識が、自分に関連付いているか否かで、人も物もゴミも「他」という括りになる人もいます。
楽しんでいるわけではないので、誰かの不幸をあえて探したり求めたりはしません。
社会性や集団への順応意識が薄いために、大衆的ではなく絶対数が少なく、共感を得にくく人として怖がられる印象を与えがちです。
にもかかわらず気にしないのがこのタイプの特徴であり、個である自分の在り方は自らの意思で決定します。
映画館で笑いのツボがみんなと違うのに、抑えずに一人だけ笑っているイメージです。
個が強過ぎて周囲の配慮や考慮ができない
このタイプは面白いから笑います。
光景を客観的に捉えて喜劇のように観るため、自らの価値観にある常識と、不幸という現実に起きたさまを照合して、未知や常識とのギャップ、予測の裏切りや善悪の転換というユーモア性に笑いを見出します。
まるでお笑い芸人さんが笑いを作るように、思考を使って面白味を認識する特徴があり、人の不幸に感情移入しないので小話やネタのような扱い方をします。
人間関係でもこのように自らの世界を基盤にして生きているために、他者との共存社会という前提が度外視されることもあり、他者と自分が一緒にいる空間が共同体であることや、社会性という集団環境への認識がなく、周囲の配慮や考慮をしない傾向があります。
独特で、独自性が強く、理解できない言動が多く、他者に理解してもらおうとする意識が薄いので理解されるはずがない実情があり、それを気にしないので改善も何も起きず、最終的には孤立しやすくなります。
※いつも笑っている人の心理は、いつもニコニコしている人は怖い?強い?【タイプ別心理に潜む本性】をどうぞ。
辛い経験が多いので人の痛みがわからない
誰しもではありませんが、辛い経験が多過ぎた可能性があります。
「月給3万円の貧乏生活は本当に辛い、とほほ」と言う人に、「一日100円はかなり良いもの食えるよね」と言ったり。
「離婚しました…悲しい」と言うと、「離婚かぁ、やったね」と着目が違ったりします。
痛みに強くなり過ぎて他者の気持ちがわからなくなってしまい、他者の認識に近づく意識や努力をしなくなると、自らを中心にしか物事を見れない自己認識への固執になります。
個の強さは無意識に自己主張になり、気づけば周囲を翻弄して疲れさせることもあり、人の不幸を笑うことに悪意はないのですが、面白味に繫げる同情のない概念は負の印象が強く、周囲に理解されにくい存在です。
アハハと人の不幸を笑う人の特徴一覧
この心理を持つ人に表れる特徴がありますので、一覧でご覧ください。
- 他者への興味がない
- 自分への興味が強い
- 個が強く、自己主張が起き、他への配慮がない
- 自分に関連性のない「他」との区分けが明確過ぎる
- 「人だから、物だから」という区分けがなく他は他
- 同情・同調をしない
- 面白いことが好き
- 良い悪い、善悪の概念が大衆的ではなく自ら決める
- 周囲に理解されず孤立しやすい
- 辛い経験が多い
もう、お笑い芸人かもしれません。
※面白くないのに笑う人の心理は、【笑いを使用中】面白くないのに笑う人の心理に自己愛と自己防衛。をどうぞ。
人の不幸を笑う心理②:不幸にて優越する笑い人(ニヤニヤ)
このタイプは、人の不幸が蜜の味になる人で、気持ち悪い印象を周囲に与えます。
笑い方はニヤニヤと喜び嬉しくなるさまです。
他者に興味は一切ありませんが、「興味がない」と思っていない特徴があり、まるで甘い木の蜜を探し求める虫のように、人の不幸を求める習性が見られます。
特徴的な心理は、人の不幸によって自らが悦に浸れる利益を見出すことです。
利益になるので探してでも人の不幸を欲し、思考的に工作した関わりを作り、自らの利益を得るために不幸な状態の悲しみや苦しみや失敗を利用します。
利益となるのが不幸に陥った人を下にして、自らを上に持ち上げる比較・優劣・勝負によって抽出する蜜です。
自分の利益に興味が強過ぎて周囲が見えていない
自己愛欠如による愛欲の強さがあると考えられ、嫉妬心が表れます。
優劣によって浴びる感情が湾曲した愛欲と嫉妬を満たし、利益への執着が強くなり、人の不幸が手放せないという怖いことになる人もいます。
利益への興味が強くなると周囲が見えなくなり、興味は他者ではなく自分の満たしである自覚もなくなり、自己都合で物事を認識して、都合が悪ければ誤魔化して自覚しないようになります。
人の失敗やミスが起きても同情はおろか、如何に相手を下にして自らを上にするかなので、どうして失敗したのか、具体的に何がダメだったのか、どんな気持ちだったのか聞き出そうとする光景も見られます。
※よく笑う人の育ち方は、【“ある力”を生む環境】よく笑う人の育ち方7選 をどうぞ。
上下区分けにて悦に浸る我が強い
自と他を区分けするのではなく、上か下に区分けする見方をし、他者との比較によって優越することに喜びや満足や快感を抱きます。
優越には喜びや納得だけでなく安心感があり、自らが下ではない、否定されない、自分より下がいるなど、認めたくない事実を認める必要のない確証を人の不幸から見出します。
人と比較することで自らを正当化し、社会性への反発や不平等への憤りを解消し、自らが下で否定に値する人間で、負けていて劣等している自覚を誤魔化す機会にします。
自分という存在の価値や意義を自ら認知できない特徴があり、他者を使って安心感を味わい、恐怖心を解消することで自分の確証を得ようとします。
高笑いする人は復讐心が強く、危険思想の可能性あり
ニヤニヤ心理が度を越えると危険な雰囲気が出始めます。
復讐心が強くなり、笑い方はヒャヒャヒャと高笑いになることがあります。
他との比較によって自分を見出す人間性には、自分がない空虚なさまがあり、他を主体にすることで責任は社会に、力は他者に、結果は他からもたらされると思い込みます。
自力で人生を創り、自らを高め、行動し、成長するという、自らの意思や意志がなく、他の情報やルールや社会性を基に良い悪い、正しい間違っている、肯定否定、賛同反論します。
社会に則って生きているので、「誰かが幸せになれば自分も幸せにならないとおかしい」と自責の概念すらない人もおり、社会への不平等を主張します。
主体性という価値観自体がない人もおり、過去に嫌なことがあった際に助けられたり、解決してもらわないと、社会や周囲への憎悪や許せない気持ちにて、復讐心を抱きます。
復讐心によって人の不幸が本当に蜜の味のようになり、行き過ぎると許せない気持ちを社会にぶつけるように無差別に危害を加える可能性があります。
ニヤニヤと人の不幸を笑う人の特徴一覧
この心理を持つ人に表れる特徴がありますので、一覧でご覧ください。
- 他者との比較意識が強い
- 自己愛を求める欲、嫉妬心が強い
- 他によって自分が成り立つ
- 他の影響受けが強い
- 社会性への反発が強い
- 復讐心が強い
- 正当化意識が強い
- 優越感に幸せを感じる
- 自分がない
社会が作った空虚なエゴかもしれません。
※特徴の詳細は、人の不幸を喜ぶ心理にてわかる精神性「本当は誰しも喜んでる?」をご覧ください。
人の不幸を笑う人 まとめ
タイプにて心理が分かれ、面白さに笑うか、自らの我を満たす利益に快感するかの違いがあります。
心理の違いは笑い方にも表れ、自ら楽しみたいのか、自らを楽しませてもらえる機会を狙っているのか、人間関係のスタンスも大きく異なります。
内情は違えど大きく一致するのは、他者に興味がなく、自分への興味がとにかく強いことです。
ポジティブにお伝えすると自己愛が強く、自分を大切にする意欲があります。
ネガティブにお伝えすると自分のことしか見ておらず、周囲を大切にする意欲がありません。
ジャングルや無人島など、独りで住む環境であれば悪い印象にはならないのですが、社会という他と他によって構成される環境で生きていると、「何笑ってんのよ!」となってしまうことと思います。
「笑う」という行為はとても幅広いものです。
面白いと楽しむため、ニヤニヤと喜ぶため、キャキャキャと復讐心のため、誤魔化して真意を隠すため、自己対処できないパニックを流すための笑いもあります。
他人事に笑うことは相手ではなく自分のためです。
この在り方は悪意も危険性もありませんが、最終的には孤立しやすく、他者の共感を得にくい個の主張です。
片や反発と復讐にて危険性を潜め、他の主体に違和感を感じずに利益を求める執着と嫉妬心に浸かり、他を鑑みない自己快感にハマります。
さらに復讐心にある許せない気持ちを社会への反発として強めると、この人あの人という一人一人の人間性を度外視して、「男は、女は、金持ちは、美人は、ぼんぼんは、苦労知らずは」という一括りで、対象を明確にしていない自己都合と自己満足の認識が露呈します。
不幸に笑う心理には人間の個の強さと、自覚できないほどの個のなさが、同じような光景として表れ、笑い方や笑う目的によって両者の違いがわかります。
心理の理解にて、より人を、そして該当する場合にはご自身を知る一助となれば幸いです。
それでは、人の不幸を笑うお話を終了します。
最後までご覧いただきまして、ありがとうございました。
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