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波動が上がると孤独になる。
言語化して探求していくと、あることがわかります。
波動が上がっていくにつれて、“孤独”そのものの解釈が一変すること。
社会的な価値観、いわゆる「教科書にはこう書いてあります」で終了した状態ではなくなります。
そこには身をもって経験し、体感したからこそわかる智慧があります。
ここでは、波動が上がると孤独になる理由を紐解き、「そもそも孤独って何なの?」と共に探求していきます。
- 波動が上がると孤独になる理由を知りたい
- 波動が上がった人にとっての“孤独とは”を考えたい
孤独の中身は、「寂しいから何なの?」の先にある。
そんな考え方、解釈を向上する一つのご参考になれば幸いです。
それでは、波動と孤独の関連に入りましょう。
Contents
波動が上がると孤独になる理由4選
波動が上がると孤独になる理由①:同調不合致、合わなくなる
波動の同調、共鳴がなくなると合わなくなり、関わりに違和感を抱きます。
波動とは振動のブルブル。
人間の、意識の、物体の今ここから発されるエネルギーであり、状態そのものを表す振動の量・質・整然性。
波動が上がるとさまざまな兆候が表れます。
たくさんありますが一例がこちらです。
- 味覚、姿勢、呼吸法が変わる
- 趣味、嗜好、時間の使い方が変わる
- 性格、価値観、考え方、認識が変わる
- 洞察や考察が深まり、言動の質が高まる
- 活力的で、行動量が増え、クリエイティブになる
- 美しさがわかる、美しくなっていく
例えば、お酒を飲まなくなる、食事も変わり、友達と嗜好が合わず、外食に行けなくなる、そんな物理的に合わない状態も顕著になります。
日常生活において物事との向き合い様が変わるため、これまでの関係性継続が難しくなることが増えます。
私を例にすると、私が初めて海外へ行った時、会社員時代。
インドへ行ったことでさまざまな経験を味わい、波動が上がり、価値観がボボンと変わりました。
帰国後はスーパーやコンビニの店員さんと気さくに話すようになったり、わざわざ商品を袋にまで入れて、間違いなくお釣りも返してくれることに常に感謝するようになりました。
ここまでしてもらって、「ありがとう」すらちゃんと言えてなかったこと、これまでは気持ちなく音を発していただけであること、上っ面だけであったと気づきました。
価値観も意見も変わるため、それを許容してくれる波動の高い人でなければ、関わりに違和感や歪みが起き、合わない感覚が強くなっていきます。
関わり続けることが苦痛になり、ストレス、我慢する抑圧にもなりかねないため、自分を大切にする人ほどその場を離れ、自然と関わりが減っていきます。
※合わなくなる詳細は、波動が合わない人は離れていく…【なのに離れていかない理由8選&攻略法】をご覧ください。
波動が上がると孤独になる理由②:自立して生きられる
波動アップは簡単なことでして、誰しも表面的な波動は常に上がり下がりを繰り返しています。
例えば、怒りは波動を上げる簡単な方法です。
怒ると振動数は高まり、活力的でパワーにみなぎります。
しかし、怒った後に急速に波動は下がり、元あった状態より下がります。
飲み方を間違えたお酒も似ています。
本質的に波動が上がることは魂のレベルが上がる、意識が高まる、ステージが上がると言い換えられる状態です。
そのため、インスタントなものではなくこれまでの小さな積み重ねや、大きな出来事を経験して自分を乗り越えるなどにて波動が上がります。
そんな波動の上がりにて顕著になるのが、自責です。
自責とは…自らの思考と行動を認めて自覚できる意
自責のある人は自律・自己理解が深く、自分のことを理解しているので甘える時は甘え、頼る時は頼ることもできます。
この結果、自立心が高まります。
自立は自責の象徴。
自分のことを自分で理解する姿勢があり、そのための努力と行動をしながら、その自覚があるので線引きも見極めもして、できるできない、わかるわからないを見つめながら自分と向き合い進んでいくことができます。
自責のある人は問題解決する意思があるため、困っても、苦労しても、辛くても、自分なりに貫いたり、助けてもらったり、協力し合ったりと、困難を乗り越えていきます。
一人で生きる自信にもなるため、人間関係に執着と依存が減ります。
一人は寂しくて不安、周りにどう思われるか気になって一人で行動できない、恥ずかしくて怖くて嫌だ。
だから人といる、いてもらう、利用する、執着することがなくなります。
依存と執着の関係性が薄い、またはなくなると人間関係は狭く深くになるため、関わる人数は減っていき、孤独の時間が増えていきます。
※波動が上がると嫉妬される詳細は、【嫉妬の裏サイン】波動が上がると嫉妬される重要な意味 をご覧ください。
波動が上がると孤独になる理由③:比較しない
波動が上がると起きる大きなことが、エゴが薄まることです。
これはステージが変わる、魂レベルが上がる状態と同義でして、自意識の高まりを意味します。
エゴが薄まると、他によって自分の存在を見出そうとすることが減ります。
典型的なのが、自己顕示欲や支配欲、他者承認欲求を強め、人を利用して私利私欲を満たそうとする在り方がなくなります。
自分のことは自分で認め、承認し、存在認知する。
※自責の在り方
するとマイペースや天然っぽさが出てきます。
独自性を持って自分らしく生きていくフェーズ、他との比較がなくなります。
エゴが強いと他との比較をやめることはできません。これまで恒常化した脳のルール設定があるため無自覚にしてしまう。
自動的に他によって存在認知がなされ、他なくして自分の存在を認められなくなり、不安や恐怖になる。すると執着と依存が必須になり、恐怖にて行動も思考も制限される。
波動が上がるとこのエゴ世界を俯瞰でき、他と比較しないのを初め、あらゆる物事の捉え方、自分の見方が一変します。
社会的に埋め込まれた(=思考停止でインプットされた)価値観が通用しなくなる領域、一般的には変人やおかしな人に思われる傾向もあります。
※波動の上がりを見分けるために、【要チェック】波動が上がったサイン24選「いつでも上がる、問題は…」をどうぞ。
波動が上がると孤独になる理由④:「自分はダメ」にならない
波動が上がるにつれて、エゴは少しずつ手放されていきます。
エゴが手放されるにつれて、周囲の目や体裁や評価を気にしなくなります。
極端に波動が高い人の場合、誰もが知っているたいそうな賞を得ても、「賞をくれるの?いいよ別に、他の人にあげて」で終わったりします。
そこまでいかずとも独自性のあるマイペースな状態の波動なので、周りにどう思われても気にせず、自己否定しないのが特徴的です。
人によってはこれまで構築された気にする性格がありますが、気にしても自己否定になりません。
例えば、「あの人のお弁当、みかんと梅干しだけだ」「えーなにそれー、チョベリバー」
「ちょーベリーバッドだと、コノヤロー、プンププン」とは到底ならない領域。
周囲の意見や態度が気になったとしても、「私は良くないんだ、これは恥ずかしいんだ」となりません。
「これが上手いんだよなぁ、くうぅ」
無駄がなくなる状態であり、無用な干渉によってそこにありもしない感情、例えば梅干しを持ってきただけで不安や恥をかくなんてことがなくなります。
シンプルにリアリティを生きる状態でして、「あの人がこう言っているから私はダメ」にならず、自分のことは自分で認めて、さらに承認します。
ちなみにですが、
上述の梅干し例で、「なんだあの人達、うるさいな」と自己否定はせずとも他者否定する場合、波動が上がっても同時進行で自発的に波動を下げるので、結果的にイーブン、波動は上がっていません。
これまでと関わりも状況も変わりません。
※孤独が好きな人の特徴は、「孤独のほうが幸せ」と感じる人の特徴【豊かさ&危険人物の可能性】をご覧ください。
【深掘り】波動が上がると孤独になる
波動が上がると“孤独”の意味が変わる
- 辛くて寂しい孤立
- 独りを味わうソリタリー
消極的孤独[Loneliness]と、積極的孤独[Solitude]
孤独には二つの意味があると知られており、両者の違いとして大前提に考えられるのが、自責を持って選択しているかどうかだと思います。
選択していれば独りだからこその世界を味わうスタンスがあり、自律・自力・自立、何より自責があります。
選択していなければ嫌々孤独にならざるを得ない、誰も関わってくれないという辛いもの。
※これまでの代償を払う状態とも考えられる
一方で、選択していながらも実際には選択させられている人もいます。
孤独でありながら味わい楽しむ訳ではなく、集団を否定して排他する干渉を口上でする、いわゆる本当は孤独は嫌だけれどもやむを得ない理由付けと正当化、または集団に嫉妬して見下し、自分を納得させたように誤魔化すパターンもありそうです。
波動が上がると“孤独”の捉え方は、明確に積極的孤独です。
自ら選択し、喜んで孤独を味わい、謳歌し、楽しみます。
ただ、少し捉え方が変わります。
孤独そのものが何か“良いもの”とか、“本当はこれがポジティブ”とは違います。
一切縛りのない世界が孤独です。
波動が上がれば上がるほど、孤独の捉え方は“自由”と似てきます。
イメージとしては、自由はポジティブ側から入った無の領域であり、孤独はネガティブ側から入った無の領域、辿り着くところは同じ。
※無(=虚や宗の意)とは、仏教で言う空(くう)の領域、真理の世界
孤独と自由はクリエイティビティの基盤そのものになり、波動の高まりは創造性の高まりと直結します。
楽しむというのはそこに楽しいことがあるのではなく、楽しみを自ら作るから楽しくなる、という世界。
波動が上がるほど起きるのが、孤独の寂しさも辛さもちゃんとあり、それらをちゃんと自分らしく味わう姿勢や認識です。
「辛い、だから何?」
「寂しい、だから苦しい、だから何?」
という領域。
この「だから何?」の答えを出すことが孤独だからこそできます。
そこに縛りのなさと創造性があります。
※意識アップにて顕著になる二点の深掘りは、【ステージが変わった時のサイン】孤独と審美眼に人生のイロハ をご覧ください。
孤独とは、自分に嘘をつけない世界
孤独には縛りのなさがあると知っていただきました。
これは、自発的に創造すれば全てがそこに“在る”、何もしなければ何もない“無”。
全てが自分次第で創造される世界です。
表現を変えると、自分に一切の嘘、誤魔化しができない世界。
不安と恐怖と向き合うことをしない限り、私たちは嘘と誤魔化しを使って認識を変え、リアリティから遠ざかるために認めることが難しくなり、自責を持てなくなり、エゴが増えていきます。
不安と恐怖を味わいたくないと拒否する心への執着から縛りができ、嘘と誤魔化しにて不安と恐怖を味わわないようにする結果、自分の生きる認識を狭めていきます。
嘘はあらゆる縛りを自らに課しながら、その自覚もできないように誤魔化し、気づくこともなくなっていきます。
バイアスを重ね続ける状態です。
孤独は自分に嘘をついてもそれをはっきり自覚せざるを得ない状態です。
「独りが楽しいんだ」とこれが嘘であれば、そんな嘘をついている自分の輪郭がどんどん明確になっていき、色味もはっきり見えてきます。
これに耐えられなくなると消極的孤独になり、波動が低くて嘘や誤魔化しを手放せないと孤独はただただ辛いだけです。
波動が上がるからこそ居られる世界が孤独。
突然自由になったらほとんどの人々は恐れおののき何もできずに震えてしまう可能性があり、基本的に私たちの多くが欲しているのは自由ではなく“安心”、孤独ではなく“不安と恐怖のなさ”。
嘘や誤魔化しができない世界は、「安心とは何なのか?」「不安と恐怖とは何なのか?」を知る細部に入っていき、リアリティを体感していきます。
独りでいることで自分の向き合いたくない、認めたくない部分も出てくる。
逃げようとする、誤魔化そうとする、それを見過ごそうとする自分も見ることになり、あらゆる自覚が促されます。
自分のことは自分で認めることができ、エゴを手放しやすい状態でもあり、波動が上がるからこそ味わえる自分と向き合う世界が待っています。
※孤独と幸せの関連性を考えたい方は、【孤独が辛い時のルール見直し】孤独ほど幸せなものはないかもしれない をご覧ください。
真意:ずっと自由だった気づき
存在認知が自立的になり、だからこそ孤独を知ることができます。
孤独とはネガティブ入りの自由。
創造性がないと恐怖にしかならない世界。
嘘と誤魔化しを手放すからこそ自分と向き合える、リアリティの入口と言えるかもしれません。
そんな入口に辿り着く条件になるのが、波動を上げること。
流れはこんな具合です。
・波動が上がるからこそエゴが薄まり、手放しが始まる
・他と比較しなくなり、気にしなくなり、自己否定しなくなる
・自責が高まり、自立心も高まり、自分のことは自分で認めて承認する
・これらによって孤独を積極的に味わい、縛りのない世界で創造謳歌できる
これによって起きる内面(精神)は、
・エゴによって自分を認めない
・他と比較して自分を決めない
・自分のことは自分で認めて、決めて、作る(創る)
・存在認知が自立的であり、独自性や自分らしさが自由を得る
寂しさを感じたら、しっかり寂しさを味わうのが孤独の世界。
嫌だから何なのか、恐いから何なのか、ストレスが溜まるから、病気になるから、死ぬから何なのか?
嘘も誤魔化しもなく、寂しくなければ寂しくない、それだけ、というシンプルな世。
全ては自分が見出すものであり、そこに嘘と誤魔化しがないために必ず起きるのが、自分で経験して体験して味わってどう感じ、どう思うか。
孤独になると必ず行動が要り、一つ一つの細部、例えば葉っぱの落ちるさま一つ捉えて、感じる認識を重んじます。
独りであっても人と関わることはできるため、積極的に関わる時期を作り、一切関わらない時期も作れる。
「関わるとは何なのか?人との繋がりとは?動物との、虫との、自然との繋がりとは?」と自分との向き合いを深めるためにも、他と向き合うことも重要になっていきます。
寂しいとは寂しいでしかなく、「だから自分はダメ」にはならないので感情をしっかり理解する。
「じゃあ寂しいから笑っちゃう?」なんてオツかもしれないと、自分らしさが創造されます。
孤独にてはっきりするのは、嘘や誤魔化しがなくなること。
自分の存在認知を自立する意味であり、エゴによって他と比較して自分を見出さず、幸せの決まった定義はなくなります。
ルールや他に縛られる状態がパァ~。
自分が感じるものが全てであり、幸せを探すために経験を増やし、人と関わる動機もできます。
重要なのは如何に自分で認めたいと思える自分になれるかどうか。
その自分になるために自由、もとい、孤独という縛りのない領域があり、自らを構築し、変革し、創造できます。
それは他のルールに縛られる前の世界と同じ。
波動が上がるからこそ孤独を知ることができ、孤独を味わえます。
孤独を知ると常に私たちは孤独であったこと、そしてこれからも孤独であることがわかり、だからこそ身近な人を愛し、人数関係なく大切にする心を育めます。
人に限定した縛りもなくし、動物と、虫と、菌と関わり、自分だからこその幸せを作り、決め、認められます。
「本当はずっと自由だったんだ、ずっと孤独だったんだ」と気づくことができる世界は、波動を上げる努力を続けるからこその賜物です。
※孤独をより紐解きたい方は、「人生遊びの始まり」魂レベル(波動)が高い人は全員孤独になるをお楽しみください。
最後に:波動が上がると孤独になる
みんな本当は孤独だと思います。
しかし、この言葉の捉え方は人によって大きく違いがでます。
幼少期までは、多くは孤独の世界にいたのでは、と思います。
そこから急激に制限と抑圧、全てが決められた型枠が準備された世に出て、感情を抱く要因すら決められていく。
孤独の意味も変わり、ネガティブを排他し始め、なんだか忌み嫌うタブーにして鍵かけちゃうブーン。
思考も制限され、認識も決められ、幸せの定義も決められる。
波動は低くなる一方で、孤独は自動的に消極的孤独になり、孤独の価値観すら固まってしまいます。
しかし、私たちはいつでもどこでも波動を上げる行動ができ、楽しみ味わう生き方ができます。
波動を上げると物事の認識も、孤独の捉え方も一変します。
みんな孤独、みんな自由。
縛りのない世界は与えられるものではなく自ら築くもの。
そんな考え方が、物事やご自身を見つめるご参考になれば幸いです。
ありがとうございました。
『心理とスピリチュアルの学び場』
誰しもに人生を変える機会と選択があると信じています。著名な心理セラピストとして知られる、西澤裕倖(にしざわひろゆき)先生プロデュース。
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※これは長期的に本気で変わりたい方専用です。