心理

人を見た目で判断する心理とエゴ【外見以上に見ているのは姿勢】

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私が東南アジアを旅している時と、日本にいる時に感じるのは、人を見た目で判断する人の圧倒的多さ。

日本にいる時の私もその一人です。

人には内面と外面があり、視覚的に見やすいのは肌から上ですので、人を見た目で判断するのは当然かもしれませんが、全く見た目で判断しない人もいます。

「どうして見た目で判断するの?」

どうも理由がありそうです。

ここでは、人を見た目で判断する心理を深掘りし、「エゴを大切にする意図」を知っていかれてください。

  • 見た目で判断する理由を知りたい
  • 見た目を求めるのはなぜか、自己理解を深めたい

心理には見た目で判断する自然なさまと、重要性があります。

私達日本人は特に見た目にフォーカスする傾向があると思いますので、ご自身の認識理解を深める一助となれば幸いです。

人を見た目で判断する心理

見た目で判断するのが自然になる訳

あらゆる人種が入り混じる共存、差別なく、平等な環境であれば、見た目に対する重きが減ります。

高価なダイヤモンドを耳につけていれば、「綺麗なカナブンだね、なんで耳に付けてんの?」と純粋に尋ねられ。

前髪を気にしていれば、「どうした、かゆいのか?」と聞かれます。

「どんな環境に生きているか?」は重要な前提条件となります。

人を見た目で判断する場合、差別や区分けの多い環境が前提にあると考えられます。

自分と他に差を作り、区分けを図る環境とは、自分のことを見出したい環境です。

「こんな性格、性質、特技、能力、才能があって、これこそが私という存在だ」と思いたければ思いたいほど、自分のことを見出す方法はシンプルにこうなります。

【他との比較、カテゴライズ、区分け】

「私は勝っている、負けた、優れた、劣っている」と思いやすい環境であればあるほど、自分を他と比較して見出し、自己保持を図ります。

自己防衛や自己利益を欲する環境。自分のことをとにかく護り、喜ばし、安心を与え、危険をなくし、不利益をなくさなければならない状態。

自分のことを見出さなくてはならない環境を意味します

「なんとか生きなければならない」と義務的な念や観念が発生し、見た目で判断することに重きが置かれ、自然と恒常化します。

幼い頃は顔が何色だろうが、どこにニキビがあろうが、特徴を見て「顔が赤いね」で終わり。

そこに良悪、正否、優劣の評価付けはありませんでしたが、成育と共に自分のことは自分で護らなければならなくなり、喜びたければ喜べるように、悲しみたくないなら悲しまないように、あらゆる物事を社会的に利益換算して自力で対処していきます。

「誰も助けてくれない、信じられる環境ではない、自分でなんとかしなければ、そういう国家で生きているんだ、頑張らないと、努力しないと」

何かに追われながら一生懸命頑張って自分を見出し、利益を得て、不利益を得ないように自分のことにフォーカスが強くなると、人を見た目で判断するようになります。

自分を見出そうと頑張る人ほど、どうして見た目で判断するのか、理由もわからないほど当たり前(癖)になります。

私が関わった経験上、日本、韓国、東南アジア諸国、米国(州による)の人々が特に該当します。

 

心理:自力の頑張りが見た目を重要視する

「自分のことを見出さなくてはならない環境」は、他からの干渉や影響が強い環境をも意味します。

差別や区分けの多い環境では見た目による損害や損失があり、何も考えずに美醜による正否、勝負、優劣評価をくだすように、いじめや排他、詐欺や搾取、一方的な利用に民度の低下が起きます。

傷を負う可能性をなくす自己防衛に意識が向き、不利益を被らないように自力で対処するため、自分のことにフォーカスして相手を捉えるスタンスになります。

差別や区分けは恩恵や便益もあり、「綺麗だから、ハンサムだから、可愛いから、清潔だから、優しそうだから」と寄り付き、執着し、仮面を被り、偽り誤魔化し、外面の関係性が起きます。

他と比較して優れていれば称賛や承認の利益が増え、上の立場で余裕を持ち、下を作ることで悦に浸かり、喜びを享受し、自分のことにフォーカスして相手を捉えるスタンスになります。

他と比較、カテゴライズ、区分けしながら、不利益を防ぎ、利益を得ることで自分を見出します。

毎日が他者との関わりである社会では、毎日のように自分を見出すために自力で頑張る努力をしています

頑張らなければ自分が消えてしまう、常に他からの干渉がある、自力で何とかしなければならない、この先行きの不透明な不安国家で。

生きるために頑張る日々を過ごす心理が、人を見た目で判断することを必須にします。

日本で生きているとこれは当たり前になると思います。私自身、海外へ行かなければ気づきませんでした。

 

人を見た目で判断する心理ポイント

見た目で判断するのは環境によって自然なことであり、人間の感情に左右されるバイアスでもあります。

心理学にはハロー効果と言われるものがあります。

ハロー効果[halo effect]
:ある対象を評価する時に、それが持つ顕著な特徴に引きずられて他の特徴についての評価が歪められる(認知バイアス)現象のこと。
※Wikipedia 引用

高級車に乗っている人を見ると、お金を持っているだけでなく社会的に優れた人であると思えてくる。そんな現象です。

生存を危ぶまれる状況であればあるほどハロー効果が強まり、思い込みや決め付けが起きやすいと言われています。

私達人間は視覚の認知機能に依存しやすく、初対面の数秒で印象が決まるとも知られています。

子孫を残したい生存本能があると、より美しい遺伝子を残す無意識の活動規範があるとも知られており、見た目に美しいものを求めます。

人を見た目で判断する理由はさまざまにありますが、ここでお伝えしたいことは別にあります。

[自分を見出さなければならない環境+自力で頑張る姿勢=人を見た目で判断する]

 

人を見た目で判断する意識「エゴ」

エゴを護る意識

私の理解では日本は差別国家であり、違和感がないほど恒常化していると思います。

外見至上主義[Lookism]という言葉があるように、見た目の違いをカテゴライズし、否定や肯定、蔑みや褒め、笑いやお金にして、心や精神を削ってでも功利を求めて、自分の存在価値や意義を見出すために頑張り、我慢を頑張る人もいます。

自分を見出さなければならない環境では、自力で頑張る結果が、他と比較や照合して自分を見出すエゴの発生。

エゴとは、他によって自分を見出そうとする意識

他と比較しながら利益を得て、不利益をなくすために頑張れば頑張るほど、エゴが増えていきます。

エゴによって自分のことを自分自身では見出せなくなり、他の存在なくして自分を認められなくなります。

しかし、エゴによって自己防衛できるため、日本の社会になくてはならないものだと考えられます。

人を見た目で判断することで安心を得て、危険や恐怖をなくしますので、環境によってとても重要な意識がエゴです。

この意識を紐解くと見えるのが、エゴの強さではなくエゴを護る意識の強さです。

 

見た目で判断することが自分を護っている

エゴを護る意識の強さは、自己内部を複雑化します。

アマゾンのシャーマン、メキシコの部族、アフリカの民族。

私達の知っている社会とは全く異なる、独自の社会で生きている人々と関わると、「自分の在り方はこうも複雑化しているのか!」と考えざるを得ませんでした。

彼ら彼女らはとてもシンプルです。

見た目がどうこう言うことはありませんし、他によって自分を見出さなければならない理由も目的もなく、そもそもそんな環境ではありませんでした。

しかし、私達の住む社会でそうはいきません。

他との比較は自然と起き、自らエゴを生み出さずとも周囲が見た目をどうこう言って干渉してきます。

中には学校や親が教えを広げていますので、比較することで自分の価値や意義、性格や性質、能力や才能を捉え、独自性を見出して肯定否定され、人それぞれに存在を認める術とします。

周囲の干渉から自らの存在を消さないために自力で頑張る人は、自己防衛を潜在的な目的にします。

環境に適応する必須アイテムであり、自分を消さない絶対的守護神となる、エゴ。

守護神をさらに消さないために護るダブル防衛が発動。

結果、エゴを常に把握できる状態(見た目を気にして、自分を消さずに見出すための頑張る行動)をあえて欲します。

生存戦略として自分が消える危惧を作り(優劣がはっきりする情報を見る)、より見た目で判断する動機を作ってエゴを出し、自分を見出すエゴを護るという複雑な状態です。

例えると、自分はダメだと思える美しい人(カッコいい人)をあえて見て、より見た目を気にして自分を見出すために、他との比較による利益取得と不利益回避を頑張ることで、「今、確実に自分を見出している」という自己認知方法になる。

結果、自分の見た目を向上させるために頑張り、頑張って掴み取るものだと思うことで人にも見た目の良さを求め、癖になることで見た目を重要視している理由がわからなくなります。

元々いる自分という存在を消さないように徹底的に護る頑張りが、エゴを作り続けて見た目の判断を手放さなくします。

 

人を見た目で判断する or 判断できるの違い

「突然頭から植物が生えてきた!」と喜んでいたら、翌日から友達が白装束のマスク集団になった。

一方的に判断するだけか、判断できるのか。

見た目で判断を完結するか否かは人それぞれです。

  1. 見た目だけで判断する人
  2. 見た目は判断材料の一つにすぎない人

外観、服装、肉体造形、顔面配置構造など、わかりやすい視覚情報。

人間の外面には価値観、観念、健康、心理、精神、意図、意志、感情が反映され、動作や言葉使い、雰囲気や姿勢として表れます。

大衆食堂で鯖定食を食べてるおっちゃん、実は国王。

眼力や眼識や洞察力が鋭い人は、お医者さんが目や舌を見て判断するように、人相を見て一瞬で判断できる人もいます。

一般的にはわかりやすい肌から上の服装や造形が目に入り、その後に別の外観を見ていき、次へ次へと続いていきます。

私達は自分以外の他のことはわかりません。同じオレンジを見ても何色を見ているかわかりませんので、相手を知るために材料や情報集めを要します。

多くの情報があると理解しやすいので、なるべく判断材料を増やし、見た目のわかりやすい部分だけでなく、内面から醸し出される意図や雰囲気までも捉えるのが必然であり、自己防衛たるものです。

しかし、あまりに余裕がない心理や精神状態の場合、自分を護るためだけでなく、人を利用するために見た目だけの判断が起きます。
※または認識力(客観視、洞察力)がないために捉えられる情報が少ない

見た目だけで判断する場合、自分の見方でも考えでもなく、社会的に決められた判断基準に前習い、「綺麗な人=良い」「汚い人=悪い」とインプットされたままの従い。

社会ルールという一過性。現在は資本主義による利益換算の価値観に基づき、利益になるかどうかの見方に偏りやすいと思います。

見た目だけの良し悪しとはいわば無です。

判断しているつもりになりながら、思い込みと決め付けになります。

実際は相手すらも見ておらず、見ているのは既存の社会や他のルール。自分の頭の中の記憶情報を見ている状態ですので、判断も何も対象を捉える前です。

判断するかできるかの違いはあまりに大きく、判断できていないのに判断をくだすと失敗や損失が多くなり、何が原因で失敗したかもわからなくなる可能性があります。

 

求めているのは見た目ではなく姿勢

人を見た目だけで判断するのは、相手を見ずに他のルールのみを見て、自らの利益のみに着目する状態ですので、エゴが強くなければできません。

見た目だけで判断する人は少数です。

多くは見た目に含まれる別の情報も捉えており、初対面の数秒には計り知れないほど多くの情報があり、潜在的に把握している事柄がたくさんあります。

エゴの強さではなく、エゴを護る意識が強い場合、外観情報に大切なものを含めて見た目を捉えています

姿勢(スタンス、意図、気持ち)です。

自らの存在や価値を護るための活動を自力で頑張る人は、「私はこれだけ頑張って生きている」と無意識に思えてきます。

人を評価判断する時の基準が、「頑張っているかどうかの姿勢」になります。

「頑張る」とは日本人特有の考え方ですので、国それぞれの価値観によって意味合いが違います。

  • 向上姿勢
  • 努力姿勢
  • 自力姿勢
  • 貢献姿勢
  • 社会従属姿勢
  • 調和に反発しない姿勢

実際に見ているのは、姿勢(スタンス)を含めた見た目。

ハンサムかどうかを見ると共に、ハンサムになろうと努力する意図、姿勢。

清潔かどうかを見ると共に、清潔にしようと頑張る意思、姿勢。

優しいかどうかを見ると共に、優しく接する気持ち、姿勢。

姿勢を見て判断する場合、美醜による造形を見ると同時に、反映されている意図や気持ちを含めて捉えます。

例えば、容姿端麗で清潔な女性を見た時、それに至る過程の健康管理や化粧ケア、周囲からの見られ方を気にする立ち振る舞いや話し方の努力、コミュニケートする時の目のやり場など、あらゆる反映されたものも含めて見た目となります。

洞察力や眼識があるかないか関係なく、姿勢は見た目に反映され、真っ先に認識する判断材料になります。

不潔でもなんでも、相手に眼中なしで配慮しない姿勢はそのまま反映されるため、自力で頑張っている人ほど姿勢を含めた見た目で判断します。

他力で頑張らず、人を利用するだけの人は見える視覚情報だけで決め付けます。

「実際に何を見ているか?」の理解が重要ですので、姿勢も含めて見ている場合、見た目で判断するのは素晴らしく大切なことです。

 

人を見た目で判断する心理 まとめ

人を見た目で判断するキーワードとなるエゴ。

エゴとは現代社会のデフォルトですので、誰しもが持つ自己防衛と執着の意識です。

どちらもなければ生きるのが困難な環境では、欠かせないアイテムと言えるかもしれません。

過剰化すると自分がなくなりながら自覚を拒み、優劣を見出す差別化を激化させ、相手を見ずに自分の利益だけを見るようになります。

これは自己防衛ではなく、生きている意味となる蜜を他から吸い取る現実逃避と他力の極みであり、自分のためになりません。

相手をしっかり見る自分を持つことで、見た目で判断する大切さが明確になります。

自分を護るために見た目で判断する心理がある方は、相手をしっかり見る自分が根底にいながら、周囲からの干渉や影響の多さによって隠す必要があり、エゴを活用します。

この場合、現状や自己理解を深めることで簡単に在り方を変えて、エゴとの関わりを見直せます。

見た目に含まれる姿勢を見ていることがわかると、エゴを護る以上に、盾のように使う意味が判明します。

これまでの自分を護り抜いたのがエゴであり、もう一人の自分(意識)です。

とても強い存在であり、エゴを知れば知るほど自己理解は深まります。

見た目で判断する大切さがありながらも、自分のない自分に偏ると真実は歪みます。

病気とは内面を表す現象であるように、あらゆる内面状態は知らぬところで表れています。

悪いことではなく欠かせないものとするためにも、「見た目」とは何なのかを考える機会となれば幸いです。

それでは、最後までお読みいただき、ありがとうございました。

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※これは長期的に本気で変わりたい方専用です。

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