心理と特徴

【悪態ついても心は綺麗】根が優しい人の特徴15選+共通点

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【カタカムナ診断で自分を知る】

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表面上だけ優しく、上っ面のいい人がいる。

素行が悪く、口も悪い、しかし根が優しい人もある。

優しさには社会的なものと、心のものがあります。

着目したいのは、善の心を持っている人は根っこにある優しさの種を護り抜いていること。

ここでは、外面云々の表層ではなく、優しさの根っこにあるものを探求していきます。

  • 根が優しい人の共通点を知りたい
  • 優しさの種とは何か考えたい

根っこにある優しさの種。

言葉の中身を知る、一つの考え方としてご参考になれば幸いです。

Youtubeもありますのでぜひご覧ください。

根が優しい人の特徴

根が優しい人の特徴15選

なんでも
なんでも
実際に私が関わってきた根が優しい人々に見られた特徴、順番にご覧ください。

1,繊細

大きな特徴となるのは、心が繊細であること。

優しさは柔らかさ、しなやかさ、細やかさでもあります。

触るとホロホロと消えてしまうように、繊細さは透明度を意味します。

捉え方を変えると感受性の強さであり、敏感な人ほど細微な違いに色彩の豊かさを見て、多種多様な感受を経験します。

感受を知る者は痛みも歓喜も、温かさも冷たさも鮮明に味わうため、理解力と共感力、そして認知能力に繋がります。

 

2,罪悪を感じやすい

相手の認知(世界)に近付きたい、寄り添う気持ちが強い人ほど罪悪を感じます。

繊細さによる認知能力と共感力の高さがあるほど、自分自身で認め難い行為をした際に、懺悔や後悔など認められないことへの不調和を感じます。

「あれでよかったのかな?」
「相手を傷つけてしまった!」

ネガティブな影響を与えれば、「言うべきじゃなかったかな?」などと自分の心を苦しめます。

自分を悪として認めた方が生きやすい(罪悪の辛さを緩和できる)ので、一時的にグレるなど社会的悪行に向かう人もいます。

 

3,口が悪い

根っこの優しさを守るために悪態を付きます。

口が悪く、態度が悪くなりますが、根本的に悪意がないので毒舌になり、周囲を楽しませる口上にもなります。

暴力は自発的にふるいませんが、相手が敵であって攻撃を仕掛けられた場合は別

お返しをすることで平等性を図る意図もあり、何もせずに黙って我慢ではなく、「そちらがその気なら」ということで正当防衛として相手を抑え、滅することがあります。

自ら暴力で仕掛けるという暴挙に出る人は、根が優しいとしても心が弱いので育みが未熟である状態が考えられます。

 

4,気前がいい

根の優しさは心の大きさでもあり、気前のよさとして表れます。

アマゾンのインディアンの長と似ており、自分の所持品まで、「欲しけりゃあげるよ」とやりすぎな人もいます。

寛大な心にもなるため、リーダーやボスになりやすい人でもあります

親が金持ちなど自分のものでなければホイホイと垂れ流す人もおり、後先考えずその場が楽しければいいと、「今」を謳歌して楽天的に見られる人もいます。

 

5,受け入れるか拒否するか極端

根が優しい人は関わる人をまず認めます。

「この人と関わる意味は?利益はあるかな?」という評価判断がなく、関わる前から線を引きません。
※これによって害悪と関わることも、分け隔てなくさまざまな人と関わることも

認めないかどうかの判断ではなく、認めているからこそ相手の出方次第で受け入れるか拒絶するか極端になります。

「まず認める」ことは相手の存在認知であり、認知能力の高さもありながら存在への尊重でもあります。

線引きができていない、距離感が近過ぎることにもなりかねず、線引きを学ぶまでは人間関係で困り事が増える人は多いと思います。

 

6,なんでもかんでも表す

人によって、わかりやすい“繋がり”を重んじる人もいます。

相手をしっかり見つめ、繋がりを見つめ、大切にしたいと思えば存分に関わろうとします。

結果、恥ずかしいことも言わなくていいことも何もかも披露、露呈することも。

これが行き過ぎると拒否される経験が増え、人との関りが怖くなり、どこまで言っていいか相手を見つめる、どころかジーっと凝視して観察する場合もあります。

人との関りは慎重になり、より人を見つめ、知ろうとする行動が表れます。

 

7,許容が広い

大きな特徴となるのが、懐の広さ、許す気持ちの明確さです。

一般的にしたくないと煙たがられることでも、許容が広い人は平気でできます。

例えば、ゴミ屋敷の掃除。

「うわぇ」と思ってもやると許容したら綺麗にし、「もはやシャレオツなナウい部屋にしちゃおう」と率先しています。

嫌なことをされても、一度許さないと怒ったとしても、ふとしたきっかけで一瞬で許します

まるで何もなかったかのように関係性が戻ったり、仲が悪かったとは到底思えない。

相手の心が開いているとわかれば即座に心を開く人です。

 

8,お返しの気持ちが強い

返報性の高さ

何か貰えばお返しします。

「常識だ、これがルールだ」ではなく、心が反応して喜びを貰えばお返しする

根が優しい人は返報性が幼少期から見られ、子供ながらにお菓子を貰えば、お父さんの口に自分の食べかけのクッキーを入れようとします。

一方、映写的に相手の言動をそのままお返しすることも起きます。

相手の態度が悪ければこちらも悪くなり、好感があれば好感を与えられるように接します。

 

9,言うことを聞く人と聞かない人が明確

全く聞く耳を持ちません。

一方で、特定の人の言うことは本当に素直に聞きます。

同じ人類と関わっているとは思えないほど違い、根が優しい人は根が優しい人に心を開いています。

聞く耳を持たない対象には、あえてまともな会話すらしないようにしている人もいます。

相手を認めて関わるのが根の優しい人であるため、関わりたくない相手には極端な無関心や無視、存在していないと同じ扱い方をします。

 

10,根が腐っている人への嫌悪

根が優しい人は明確に特定の人への嫌悪、生理的拒絶、または本能的軽蔑とも言えそうなものがあります。

対象は、一見いい人だけど人を利用する人。

自分を腐らせたことを認めないために精神が滅入ることもなく、我を強めることで人を利用して欲求不満を満たす、そんな誤魔化しの道へ恥もなく邁進する人。

この人間に軽蔑する人もいます。

「気持ち悪い」と生理的に拒絶する場合もあります。

強烈なまでの嫌悪があり、ミスマッチの極み、明確に合わないサインでもあります。

 

11,怒る時は怒る

普段は静かで大人しいとしても、怒る時はブチギレます。

根が優しい人は意思表示のする・しないが明確です。
※対象や状況に応じたする・しない

一線を越えるまで怒らないのは、相手への猶予であり敬意でもあります

自分で理解して、考えて、見直す自力発揮の見守りであり、それでもわからない場合には怒りをぶつけます。

怒ることは対等の証でもあり、相手の親じゃないので、「これがこういけないんだよ、わかった?」なんてことはせず、“お返し”としてオンドリャーと発散したり恐怖を与えます。

根が優しい人は関わる相手を認めます。

認めているからこそ初めは怒らずに相手に時間を与え、その後は怒って自分の意思表示をはっきりします。

 

12,対等、差別しない

根の優しさはルールや固定観念を壊す要因、または解放のアイテムでもあります。

対等・平等。

事前の線引きをせずに認める性質があり、「肩書だ、年齢だ、国だ、色だ」は自分の喋り方や立ち振る舞いを歪める動機になりません。

差別せず分け隔てなく関わります

社長に平気でため口をきいたりしますが、リスペクトがあるので相手を傷つけたとわかったり、根が腐っている対象でなければ改めます。

ただ、「失礼」といったルール従順できてない指摘であれば、自分のことは自分で見直すので態度を変えずに関わります。

社会的な真人間に嫌われやすいです。

 

13,自分に誠実、正直

子供のように無邪気で誠実、自分に嘘をつきません。

認識を歪めてなかったことにする、誤魔化しをしません。

嘘をつけば、「私は嘘をついた」としっかり感受し、経験となり、記憶となり、罪悪となり、そのままそれが自分となります(=演技派やピエロ化や自己喪失)。

嘘をつきながら認めない誤魔化しを続けると心が腐るので、根が優しい人は何があってもこれをしません。

窓ガラスを割った時、初めは逃げたとしても最終的には白状して謝ります。

根が優しい人は偽りを嫌い、事実を見つめる、そんな在り方に責任を持っています。
※だからこそ社会環境によって精神を病む人は多くなります

※心を腐らせはしないからこそ、悪環境にいる場合は感情を消す、意識を抜くなど、誤魔化しではなく自己解離的な対処をする傾向があります

 

14,自分にとっての正しさを持つ

思考停止しない意味であり、信念やモットーなど変わることのない核を持っています。

“他”が決めた良悪、正否、優劣の奴隷にならず、意思決定に心を使う人。

「自分にとってこの行動は正しいのか?」

自分で考えて、感じて、決める人であり、人によっては社会的な悪へ邁進し、人によっては社会的な良識へ邁進することになり、どちらも本人にとって正しさを認めているので自信を持って突き進みます。

例えば、過去のテレビ番組で、逃走する時間が長くなるほど賞金が増えていく鬼ごっこゲームがありました。

途中リタイア可、その時間までの賞金がゲットできる。

「リタイアはずるい」と誰もが周囲からの批判を恐れて拒んでいた中、平気な顔でリタイアして賞金をゲットして帰っていった人がいました。

私はあの方を見て、根が優しい人にしか思えませんでした。

 

15,心のお世話に優れている

根が優しい人は心を誤魔化さないため、心の理解度がとても高いです。

誠実だからこそルールや常識、文化や習わしなどの“他への従順”がスムーズにいかないこともあり、ルールを心が受け入れたいかどうかをまず見つめます。

この結果、「自分が納得するかどうか」を重要視します。

時に自分勝手な言動にもなりますが、人と関わる以上は常に真剣であり、真っ直ぐ見つめる姿勢があり、お互いに心を寄せ合っているかどうかの感受が鋭いです。

ズレていれば認知して修正できるので、関わる期間が長くなるほどに親密さはより深く、美しい関係が創造されていきます。

これをお互いにできる人は稀ですが、それができる相手を人々は愛するのだと思います。

以上、根が優しい人の特徴でした。

 

根が優しい人の共通点

「あの人は根が優しいんだ」の意味

現状、優しさが見られない人に対して使われることが多いかもしれません。

悪態ついて、暴言を吐き、暴力まで振りかざしても…根が優しい?

この言い回しは意味がとても曖昧です。

なんでも
なんでも
捉え様によって、赤ちゃんの時は根が優しいので、人類全員に該当するとも思えそう。

心や精神が腐り朽ち果てた少数を除いて、度合いは違えど根が優しいと言えるので、ちゃんちゃらおかしく思える言葉でもあります。

ここではお伝えする対象を一貫させます。

根の優しさが隠しきれていない人。
※隠れて見えずらい場合、根の優しさは=メンタルの弱さという別の形で表れている人も

根の優しさは社会的な優しさ(いい人)とは捉え方が違います。

社会的な優しさは正否・良悪のルール上で“利益(価値)”を見出して与える、搾取など奪われることで見出される、“常に他によって認められる利益、または不利益のないさま”。

利用価値にもなるので利用されてしまう弊害も兼ね備えます。

根の優しさは心の美しさであり、精神的な善のこと。

※善とは悪も善も区分けがない、分け隔てない“ありのままの領域”

ここでお伝えしている根が優しい人とは、善の心を貫き、隠しきれていないこと。

それだけ心が綺麗な人のことでして、多くは根が優しいとしても社会では自己保持や防衛のために仮面や取り繕い、自分を偽ることで隠れ、抹消、または喪失します。

どれだけ抑圧強要されようが社会的悪でも表面上エゴでも、心意気や気構え、立ち居振る舞い、人との接し方や考え方に自然と染み出ている心の美しさ。

心が綺麗な人はあえて誇示主張する必要がないので、控え目で目立たないようにする人が多いです。

が、

自分の核は必ず貫くため、出る時は出る、言う時は言う、怒る時は怒る、強固な時は強固です。

例えば、捨て猫がいたら保護する、タヌキが道路で死んでいたら対応する、大切な人が困っていたら命がけで守るなど。

どこかに誠実さ、素直さ、寄り添う意と志が見られる。

実際に関わってみると、根が優しいのか腐っているのか、人によって違いを感じることがあると思います。

例えば、実際に私が見かけたもので、口が悪く、人を恐怖で飲み込む喫茶店のおじさん店主がいました。

チャリンチャリンと二人で来たお客さんに、「店の前に“お一人様以上はお断り”と書いてあるの見えなかったですか?」と真顔で目の奥を凝視してあしらう。

一般的にはこの時点で、「こえぇ、なんだこの人」となって直ぐ出ていき、大きなガラス張りのオシャレなカフェにでも行くことでしょう。

しかし、その時のお客さんは、「気づいてなかったです、すいません。そしたらまた次の機会に一人で来ます」と店主の目を見てしっかり伝えるお客さん。

すると、「気づかなかったのならしょうがないね、今回は二人でコーヒーを飲んでいかれてください、ニコ」と笑顔になった。

相手を見て対応を明確に変えました。

根が優しい人は現状そう見えない、もはや真逆だとしても、心の奥には常に迎え入れる寛容さ、許容、清らかな懐があります。

心を開き続けるのはリスキーであり、容易に傷つけられる懸念があるため、表層に怖さを構築することで関わる対象を見極める。

強面な人ほど優しい、そんな人は多いと思います。

 

根が優しい人の共通点

なんでも
なんでも
根の優しい人には誰しも持っていると考えられるものがあります。

自分を認めていることです。

どれだけ悪態を付こうが、口が悪かろうが、人間嫌いになろうが、根が優しい人は自分のことを常に認めています。

自己肯定感が低かろうが、自己受容が絶対的にあり、自らのことは自らで認める人は存在認知がクリアです。

「これが私、私なんだ」と。

思い込みでも、そう信じたいのでもなく、ただ自分であることを自分自身で認めている。

この結果わかることがあります。

根が優しい人はどれだけ頑張っても自分を偽れません。

演技はできます。

演技だと認識しない場合、偽ることはそのまま自己撲滅、精神自滅する可能性があります。

「無理なものは無理」でして、自分を認めているさまが絶対的であるほど不可能と言えるほどです。

一時的に自分を偽る期間は誰しもにあると思います

「それが社会だ、こういうものだ」と植え付けられる教育を受けていれば、半自動的に頑張ると思いますが、精神を壊すか自分を喪失してしまうかもしれません。

人を一方的に利用だけしたい人間のいる世の中、不安だらけで余裕のない社会構造の中、心の美しさを穢さない強さがある人を“根が優しい”と感じます。

自分を認め続けられる人は心の美しさを持ち続けるために根が優しい、という考え方です。

 

根が優しい人の代表

なんでも
なんでも
私の理解では、根の優しさを最もわかりやすく表してくれる存在が、ダウン症の方々です。

社会に適応して生きている私たち、雑多な世の中ではどうしても心を剥き出しにしていると他からの影響を受け、損失や害悪にて痛み、苦しみが増えます。

自己防衛機能を用い、損害回避し、不安と恐怖を味わわないように感情を抑圧し、自我を消し、心を閉じたくなると思います。

自分を偽る人には、関わっても根の優しさを感じることはありません。

偽らずに心の在り方を貫くことは、他からのあらゆる弊害、重荷、攻撃、強要、干渉を受けても、心を護り抜いた意味です。

これは美しさを穢さずに護ること。

美しさを護り抜き、さらに社会に適応させるには、明確に“強さ”が要ります。

意志の強さ、芯の強さ、信念の強さ、心の強さ、スピリットの強さ。

もちろん誰しもではありませんが、ダウン症の方々はこれを実行しているわかりやすい見本であり代表だと思います。

偽らない選択、それはいばらの道。

邁進はとても難しく、試行錯誤し、痛めながら失敗しながら心を強くし、時に病気を患い、切磋琢磨していくものだと思います。

誰しもできることではないので、邁進ではなくその場で留まり、体育座りして助けを待ったり、進まずともそこで定住する知恵を得て、偽りを入れながら適応、仲間を探して平穏を得るなど、人によって道が分かれます。

どんなやり方でも、心の美しさを護り抜いている人が根の優しさを周囲に感じさせます。

根が腐った人は自分を偽り続け、偽っているかどうかもわからなくなり、自分のことを自分で認められなくなった(存在認知に責任を持てなくなった)人のことを指します。

根が腐った場合、根が優しい人かどうかの見分けが一切できなくなります。

ちなみに、根が優しい人は根が優しい人の言うことを聞きますが、根が腐った人は根が腐った人でありさらに自分より強い者の言うことであれば聞きます。

 

最後に:根が優しい人の特徴

“優しさ”とはとても曖昧な言葉です。

悪人の手伝いをすれば悪人からは優しさになるように、悪と善をどう定義するかで優しさの意味が反転するようにわかりにくいものです。

ただ、明確なことがあります。

優しさの種を腐らせずに護り抜いた人には、意志があり、芯があり、軸があり、なにより精神があることです。

精神でありスピリットがある人には心があります。

心がある人には自分が自分を見つめるスタンスがはっきりとあります。

根が優しい人は社会的に悪へ行こうが善へ行こうが、自らの行為を認めており、自分のすることに尊びや肯定があります。

尊びがなければ自分を軽んじ、ないがしろにする行為だと自覚するため、道を間違えたと気づいてやめる。

そこにある感覚も感情もしっかり受け止め、誠実に事実を直視し、感受し、認識し、関わります。

自分の中の美しさを護り抜いた人は心の強い人。

風貌がどうであれ、言動が社会的にどうであれ、精神の優しさは外面ではなく気持ちや感覚ではっきりわかります。

根っこにある善の心、それは善も悪も区分けず“ありのままに見る眼”。

優しさと強さには美しさである善の心、貫きと護りがある。

そんな考え方が一つのご参考になれば幸いです。

ありがとうございました。

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POSTED COMMENT

  1. おたん より:

    体験談(テレビ番組を観ての感想や喫茶店の話し)が主様の感性を垣間見られてなんか嬉しいです
    世間から求められる正解は簡単に体現できる方なんでしょうが今は解放されていらっしゃるんでしょうね
    憧れます!
    いつも面白い記事をありがとうございます

    • 北斗 より:

      そのように思っていただけるとは、ありがとうございます。

      そんな、まだまだ経験不足ですが、「解放している」はまさにしっくりくる表現でした。
      有難きことです。

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