「ついに許された」
私は最近、この感覚を味わいました。
心が軽く、温かくなり、涙が自然と溢れる。
「あぁ、長かったけど終わったんだ」という一つの節目。
「もう自分に優しくできるかもしれない」と感じる経験。
まだまだ油断大敵、現実はこれから作っていくものなので自分次第ですが、大きな荷が降りたのは明確。
だからこそこれからを生きていくのが楽しみで仕方ない気持ち。
とそんなことで、自分を許すために気づいた理解を物語っていこうと思います。
- 自分を許す方法を知りたい
- どうしたら許せるのか考えてみたい
私の経験上、自分を許すことは勘違いと思い込みで溢れ、許せたと思っても想っても許せていない。
勘違いや注意点が重要になる事柄かと思うので、そっちに注力した内容となっています。
一つの考え方としてご参考になれば幸いです。
Contents
自分を許す勘違い

許せない状態には心苦しさがあると思います。
心臓当たりがギューっとなんだかスッキリしない、自責の念が強く、完璧主義で自分に厳しく、怒りやすく、物事がうまくいかない。
『許し』によってこれら違和感は解消され、物事が流れ始めます。
しかし、実際に何をするのかわかりにくく、なおかつ勘違いしやすいもの。
➀自分を許すとは『自分』を許すではない

私自身が当初全く理解していなかったのがこれです。
自分を許すとは自分そのものを許すと、言葉通り解釈していました。
しかし、実際に許そうとするとわかるのですが、許すというのは過去の執着の手放し。
反省して事を流そうと思おうが、周りがどれだけ慰めようが、心に滞っている負の念、いわゆる執着心を手放せなければなんのこっちゃ。
過ちや罪悪、後悔、懺悔、怨念、恨み、カルマなどによる拒絶や抵抗や不納得が心に滞っているのでそれをなくす、解消や手放しが許し。
やってしまったこと、やられて流せず滞っているものを手放すと、物事が始まります。
自分を許すとは、過去への執着、心に滞っている負の念を手放すこと
②自分を許すとは『自と他』を許すこと

[自=自]ではなく、[自+他=自]
自分を許すとは他を許すことが含まれています。
イコールで、他を許すことが自分を許す。
例えば、思い出すだけで怒りが湧き出る、「あいつぅ、プルプル」という対象は、その相手だけでなく自分も許す必要があります。
※他を許さないことは自分を許さない意、自らを自らの内部で縛り付ける刑になってしまう
③自分を許すとは高次意識になること

実際に“行為”する場合、許す行為をする前に“許せない意識から離れる”必要があります。
奇妙な内容になりますが、「許せない」というのは三次元の現象です。
「許す」というのは五次元の現象でして、意識レベルが二段も違う。
三次元は物理法則に基づき、低次行為であり、執着の中枢、エゴが強い状態。
何より自分とは『己』単体を意味し、自我や小我とも言います。
一方、五次元の自分とは『自+他』によって成り立ち、他人も含めて自らが認識されます。
量子力学のようなものでして、量子の法則に基づくように思います。
この理解ではもう完全なる差別化が起きます。
低次意識だと許せない、許すことができない。
許せるのは高次意識を持っている人だけですね、と。
その通り。

高次意識にならなければ、許す以前に許せない意識から離れられない。
心を無視したり、誤魔化し続けるから許したと思える、そんな疑似的空想妄想自己演舞になります。
といっても、誰しもが高次意識を持っていまして、「みんな赤ちゃんの時は神様みたいだったじゃない」という理解が前提にあります。
なので、思い込みや勘違いをなくすのが重要だと思う、そんな理解です。
※執着を手放す詳細は、【6つの楽しみ】執着を手放した瞬間『別人になる』をご覧ください。
自分を許す方法

自分を許すとは
[許す=咎めず水に流す]
[許せない=咎める、水に流さない]
対象が自分でも相手でも、『許す』のは自分の中にあるものです。

負の念、執着、縛り刑執行中、呪い、低次意識、エゴ。
これらを流してバイバイする。
意味するのがこちら。
心を縛り苦しめるこれまでの自分を受け入れて、見切りをつける
「たくさんエゴがあったね、うんうん」と事実を認め、「それでもこれが私なんだよね」と温かく受け入れる。
そして、「はい、じゃあね」と見切りをつけます。
「己よ、クビだ」と。
「君のやり方は終わり」と。
「もう要らないよ、お疲れさんでした」と。
言い方はあれですが、実際には労いがあり、感謝もあり、退職金も出したい気持ち、ご褒美を与えたくなります。
ただ、やっぱり負の念を溜めた張本人なので、「要らない」という感覚もあるかなと。
許すとは自分に厳しくするのをやめて、優しくするための自クビでして、これまでの己に感謝と無用を両方を抱く行為。

要らないけど感謝もあるさようなら。
労いはあるけど邪魔者だった気持ちもあるさようなら。
過去の自分との見切りであり、新しい自分として生きていくファンファーレ。
結局はさようならする意志があり、そこには既に新しく進もうとする自分がいます。
少しややこしく思えるかもしれませんが、「これまでよくやった」という気持ちがありながらも明確にバイバイする意志があり、実際にバイバイする行為が自分を許すことです。
自分に見切りをつける

「私はこの私、私はこの一人だよ」
と思えますが、許せない状態と許せる状態は明確に意識が違うため、同一人物でありながら別人と言っても過言ではありません。

私の経験上、認識力も俯瞰力も他者との接し方も何もかもが違います。
ブログに書く内容も、波動、活力、動力、生活の質も変わり、もはや体質すら変わってきます。
例えば、許せる状態の私は活力が湧き出るので行動的になり、頭も冴えて冷静になり、新しいことに挑戦したり、不安に動じにくくなります。
何より主観と軸がはっきりして他に飲まれにくい自分になります。
許せない状態の私は不安に飲まれやすく、「いや、今日はいいかな」「今は海外行きたくないな」と言い出し行動ストップ。
コロンビアでナイフを突きつけられ、メキシコで盗難に遭い、銃撃戦に遭遇し、パナマで五人組の強盗に襲われ、アフリカで内戦している中を突き進んだりと、危ないのは当然だと思って旅していたにもかかわらず…。
「海外危ないし」と言い出した時は自分に目が飛び出そうでした。

このように別人と言えるほどでして、許せない意識は区分けて考えることができそうです。
もちろん同じ肉体を媒体として使用している同一人物であり、過去の記憶や経験はなくなりません。
見切りをつけてもこれまでの経験を含めた統括的視野があり、いなくはならない、なかったことにもなりません。
これまでとこれからを区分けることが欠かせません。
※意識の区分けについては、不安をなくす方法2つ[即効策&長期的策]【意識の仕組み】をご覧ください。
実際に許す方法

行いたい本丸は、現状の許せない自分を終わらせ、許せる自分になってこれからを始める。
例えば、一人が好きだけど寂しがり屋さん、コミュニティに参加せず一人を貫く。
誰しもではありませんが、これは自分を許せていないが故かもしれません。
本当は寂しいので誰かと関わる場に参加したいが、許せない意識では不安に飲まれやすく、行動も挑戦も億劫で不変を優先しがち、何より見栄が出てくる。
必要なのは、拒絶や抵抗感を留め続けている自分を“認めて”、あとは“なる”ための行動。
このために前述の三つがポイント。
- 過去の執着の手放し
- 自を許すとは他も許すこと
- 高次意識になる
この三つを重要視して、具体的にしたいことがあります。
方法➀:しっかり見切りをつける

これまでの自分の意識も記憶も消えてなくなる訳ではないので内部で生き続け、人によってはたまに話しかけてくると思います。
見切るためにもこれまでを受け入れるのが大切です。
労いも感謝もありながら、「邪魔だな、要らないな」という感覚もある。
全てを含めて事実を認める。
すると人それぞれ、「まぁいろいろあったけどありがとう」てな具合になるかと思います。
ちゃんと見切りをつけられると、とっても自然に過去の自分との区分けができ、抵抗なく新しい自分を始める準備が整います。
方法②:仲間意識

仲間意識を持っていると他人も自分も『許す』をしやすくなります。
許せないのが他人であれば、その人を仲間だと認めると許せます。
許せないのが自分であれば、自分を仲間だと認めると許せます。
仲間意識を如何に持てるかが自分を許す方法になるので、試行錯誤して実践してみると楽しいと思います。
例えば、誰かに対して心を開き、能動的に関わってみる。
行きつけのお店を見つけ、店主と仲良くなる。
新しいコミュニティに参加してみて、楽しませてもらうのではなく、如何に楽しむかを実践してみるなどです。
方法③:自分を守る

相手や自分に飲まれると、許したい気持ちでいっぱいだとしても許せない状態のままです。
自らで自らを守る。
具体的には、断る、伝える、味わう、知る。
断れないから許せなくなっている人もいると思います。
嫌なものは断る。
意思疎通できていなければちゃんと伝える、何度でも伝え直す。
そして、味わった気持ちは誤魔化したり拒否して流すのではなく、しっかり味わう。
何か許せない出来事があった際、そこには必ずと言っていいほど恐怖心があり、相手を拒絶したり、我慢して誤魔化したり、感じる気持ちを味わわずに吐き捨てたくなります。
その時の怒りや悲しみなど自分の感情をしっかり味わうと、守る力になります。
※守る力がないから許せないのではなく、感情と向き合う準備ができていないと許せないので、本人にとってのタイミングが重要
そしてもう一つ、「この人と私の世界は違うんだ」と知るために相手の世界を知ろうとする大切さがあります。
「この人何言ってんだ、わけわかんねぇ」で諦めたり放棄するのではなく、その人の価値観、観念、世界観、認識が自分とは違うと理解する努力が守る力になります。
押し付けや干渉せず、相手の世界を尊重するのも守る力となり、それが線引きにもなります。
これら三つの方法ができるようになると、自然と高次意識になっています。
“これまで”とは違う自分になっており、“これから”の始まりが加速していきます。
※許さない修行をしている場合は、【人生は苦行・楽行の両取り】修行を終える条件とタイミングをご覧ください。
自分を許す注意点

許した思い込み
本当に許した場合、掘り起こすことはありません。
二度と話しに出て来ない、または笑い話程度のいい思い出。
しかし、つもりにはなっても本当に許せてはいない場合、過去の自分は簡単に舞い戻ってきます。

「そういえば、昔はそんな感じで嫌なこと言って来たよねぇ」と相手を黙らせる切り札に。
心の底では信じていないから、「やっぱり、あの時みたいにそうなっちゃうんだ」と思っちゃう。
自分を許すことは自他共に許す意味であり、意識も格段に変わるため、本当にできたかどうかは自らが一番明確に把握できます。
許したという思い込みはいくらでもできます。
例えば、親戚のどうしようもない叔父さん。
たくさん苦労をかけられ、迷惑をかけられ、たかられたけれども、本人は反省しているからと水に流した。
ちょっと改心したかなと思っていたが数か月もしたらまた無心してきた、「うわっ、こいつ!」とこれまでのように怒りが出て関わり方も戻ってしまった。

許せていなかった。
相手を許したと思っても許せていない、または自分を許すことをしていないなんてパターンもあります。
許せている場合、自分の意識が違うのでこれまでのような反応や姿勢にはなりません。
優しく対処したり、発散するのではなく叱るようになったりなど、俯瞰的に幅広く見えるが故の関わり方になります。
※許さなくてもいい場合は、「許せない人を許さなくて大丈夫」許すとは過去と執着の手放しをご覧ください。
[許す自分 vs 許さない自分]

一度許した時には意識が高まり、過去の自分ではなくなったのは事実。
しかし、同じようなことをされた時、過去の自分にヒュンと元通り、一瞬です。
この時、[許す自分 vs 許さない自分]のバトルが内部で起こっています。
[許さない自分]の勝利。
許したことが思い込みの場合、許す自分でいるよりも許さない自分でいることが優先され、圧勝されます。
低次意識を高次意識より優先したさまです。
不安に飲まれやすい意識を、不安に飲まれにくい意識以上に優先した。
許した方が解放的で違和感なく、苦行も終わり、厳しくならずに済む、そして本当に許したいのに…。
私の経験上、許すためには許したい気持ちではなく、許せる自分に進化する必要があります。

例えば、親を許せない。
気持ちは寛容だったのに、いざ親と関わると嫌なことを言われ、訳のわからないことをされ、自己中な言動にイライラしてくる。
見栄が出て強情になり、優しくしたいと思っていたのに口調が荒くなり、結局いつものようになる。
相手は譲歩する気がないから、こちらが折れてなんとかしようと頑張ったのに…。
誰かを許しても、自分を許していなければ根本的には変わりません。
自分を許したと思っても意識が変わっていなければ根本的に変わりません。
「許す」というのは本当に自分そのものがこれまでと変わります。
他者を許すのであれば、その人と関わる時の自分はこれまでとは別人です。
自分を許すのであれば、自分と関わる自分がこれまでと別人です。
※自分を愛する意味は、【自分を愛するって何だろう?】相手を知ろうとする心。をご覧ください。
「私は許された」という感覚

本当に許せた時、許せない自分には負けません。
でも、まだ許せておらず、それはただの理想でしかなかった、願望でしかなかった。
本当に許せた時、涙が溢れました。
それは心から自分を許した感覚、光を見ました。
奥底から届く光。
「あぁ、知ってる」

この瞬間、泣きながら、「もういいんだ」と何かを悟った感覚になりました。
長かった何かが、まるでスケジュールに組み込まれていた何かが終わった気持ち。
目を瞑りながら上を見上げ、震えていました。
とっても長く感じた何か。
肩の荷が降り、心が軽くて温かい。
スーと流れたような、穏やかな気持ちでいっぱい。
見栄も要らない、強がりも要らない、ただただ私として居て、接し、関わり、自他共に知ろうとする。

低次意識が高次意識に勝ることはありません。
勝る場合には何か負けた方がいい理由、カルマなど解消すべき何かが残っている示唆です。
「理由なくして低次に飲まれることはない」とはっきりわかる状態になります。
自分を許すと自分に厳しくするもしないもどちらでもよくなり、厳しくしなければ楽行へ、厳しくするなら極める道へ。
そしてどちらにしても心の余裕があるため、これまでより柔らかくなります。
それを優しいと言うのかわかりませんが、穏やかな気持ちで心地いいものです。
※許す中身の紐解きは、「人を許す、自分を許すとは?」本質はスピリチュアル【三つの受容と愛】をご覧ください。
最後に:許すとは、終わらせて始めること
「終わらせて始める」
この一連を『許す』と言うのだと思います。
終わらせて始められる度量が『許容』
終わらせて始めることには破壊と再生があり、『現実を作っていくさま』となります。
そして、それら創造の一連を『愛』と言うのだと思います。
許すことには素直さと開拓があり、受け入れて躍動する心意気があります。
そこに生も死も縛りなく、生きていても死んでいても、そして生きようとしても死のうとしても、許しには意志と受け入れがあり、創造と愛があります。
そんな状態は許せない自分とはまるで別人。
これまでを終わらせて、これからを始められる人が、自分を許した人だと思います。
意識を変えるには経験が要ります。
そこには痛みがあり、辛くて悲しいことがあります。
ですが、その先に光があります。
何もしないで変われる人などいないと思います。
行動するから変われるのは、意志を持って人生を費やすから報いを受け取れるのだと思います。
起きる出来事、関わる人々に感謝して、今日も自他を知っていきたい。
毎日が祝福だね。
ご自身を許すための一つのご参考になることを祈ります。
ありがとうございました。


















