心理と特徴

【天然とは違う哲学者】真面目だけど抜けている人は愛されも恐れられもする

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カフェの隅で寡黙に本を読むあの人。

コーヒーを飲み終えると同時に本を閉じ、「ごちそうさまでした」と退店。

直ぐ5秒後に戻ってくる。

「すいません…本を忘れました」と恥ずかしそうに腰を低くして再度退店していく。

真面目に見えながらも、実際は抜けている。

そんな人は天然とは違うものを持っています。

愛される一方、特定の人々からは怖がられる特性でもあり、人間模様のクリエイター。

ここでは、真面目だけど抜けている人を紐解き、周囲に愛と恐怖を見せる人間味に迫ります。

  • どうして真面目だけど抜けているのか知りたい
  • 愛されも怖がられもする理由を知りたい

陰陽があるように全ての存在には相反する二つの捉え方があります。

真面目と抜けている緩急には一体何があるのか?

自己理解を深めるご参考になれば幸いです。

真面目だけど抜けている人

[真面目+抜けている=哲学]

真面目さは、嘘がない、本気、誠実であること。

心との向き合い、物事を自分事にできる責任感、実直さが際立ちます。

なんでも
なんでも
特に嘘がない、嘘をつけば直ぐバレるタイプ。

一方、嘘やいい加減なさまがないことは物事の応用が効かない、堅苦しい、生真面目、完璧主義の印象を与える可能性があります。

抜けているさまは、忘れる、勘違い、うっかりミス、危なっかしいなどの言動の表し。

捉え方を変えると、完璧ではない表しと言えるかもしれません。

真面目で完璧主義的にも思える外観がありながら、そんなことはない表しが多々見られる情景。

「明日の山登りの準備をするぞ!」と意気込んでバッチリだけど、翌朝の出発時に家の鍵を閉め忘れていく。

車の知識があるにもかかわらず、警告灯がピーピーずっと鳴っているマイカーを運転し続けている。

複雑な仕事をさせたら誰よりも早いのに、資料をコピーしてもらうと何故か全部若干黒い。

凄くできそうに見えて実際にできる人、でありながら、おっちょこちょいで危なっかしい言動が際立つ。

同居しがたいとも思える真面目さと抜けの組み合わせは、ある人間味を象徴していると考えます。

【真面目】+【抜けている】=【正しさが存在しない表し】

哲学です。

正しさ(または凄さ、優れ、高、良、上)と、間違い(欠陥、劣り、低、悪、下)が一緒くたのさまは、人間の普遍の表し。

完璧ではないこと。

言い換えると、“正しさ”が存在しないことを体現している。

「この世に完璧も正しさもない」とそんなことを教えてくれるような人は、内情を紐解くと“無知の知”のように哲学模様が光ります。

それでは一体どんな哲学内情なのか、洞察を進めてまいりましょう。

 

真面目だけど抜けている人の特徴14選

なんでも
なんでも
際立つ特徴がありますので、いくつか見ていきましょう。

1,内側と外側のギャップが大きい

理想と現実、認識と実相のように、自分の内外にギャップを作る特徴です。

頭や心では「こうなるぞ」と思っていたのに、実際は「あれ?なにこれ全然違う」となることが多いです。

うっかりミス、抜けているさまに続いていきます。

 

2,間違いを気にする

「間違えた」を大いに認める人

間違えることは痛みであり、否定される懸念、自己価値を下げる可能性もあり、気にします。

直そうと自分を見つめ、改め、次は間違えないように努力します。

真面目になる動機が強まります。

 

3,自分を投影して理解しようとする

しっかり理解しようとする特徴です。

隣人がパンを食べてこんな感想、「この柔らかさとねちっこい感触は程よく微妙、ほんのり甘みがありそうで郷愁と春空の中間」

「食べなければわかりっこない」

他人にしかわかりえない他人の意見や気持ちを理解するために、自分が食べた経験側を投影して相手の認識に近付く努力をします

理解に対するふわつきやテキトーさが少ない特徴であり、味わったことのない想像、例えば「テレビではこう言ってたからこういうことだろう」と終わらせない人です。

 

4,特化型、専門性

人それぞれ得意分野があり、専門的に物事を深く解釈します

能力才能を遺憾なく発揮し、実際に飛び抜けた類まれな力を持っています。

得意分野には独自の解釈が多く、教科書をただ読んだ記憶ではなく、経験と知性と感性に基づく自分なりの理解や思想を持っている知恵の持ち主です。

 

5,自分のやり方で順応する

社会順応のスタイルに『自己流』を組み込める特徴です。

飲み込まれる、言われたことに従う、ただ言われたようにする、ではない人。

自分勝手や反社会性とは違い、その場に順応する心持ちがありながら、『自分』を消さない。

なので支配されません。

仕事ができる人であり、さらにより良い方法や仕組みに変えていく力があり、周囲に与える影響も強いです。

 

6,誠実、自分に嘘をつかない

自己世界、自分の認識に真っ直ぐ向き合う特徴です。

自分に嘘をつかない人であり、嘘をつくと直ぐにバレます。

人との関わりは誠実、ただ自分への誠実さが強いため、相手が邪であれば邪で関わる、利用してくるならこちらも利用するといった等価性の重んじでもあるのが特徴的です。

誠実であるために自分から利用しようとはならない人です。

 

7,わからないことはわからないと認める

わからないと認められる人、わかっている風にならない人です。

思い込みや決め付けがあっても、『間違っていた』とわかれば認め、わかろうと行動します。

勘違いしていたと気づけば、「私は何もわかっていなかった」と自覚できる人です。

 

8,一点集中、没頭型

一つにのめり込むタイプです。

目の前の世界に没頭、その世界に同化させるように集中すると自分が消えます。

周りが見えなくなる、時間と空間の概念がなくなり、常識やルール従順意識がなくなり、『周りを気にしないさま』が際立ちます。

約束の時間に遅れ、他のするべきことを忘れます

気づいたらご飯を食べずに翌朝、夢中で海沿いの岩場を渡り歩いていたら潮が満ちて帰り道がなくなっているなど、危なっかしさに続きます。

 

9,恥ずかしがり屋

羞恥が極端に表れやすい特徴です。

低姿勢、顔が赤くなる、噛み噛みで口がもろもろするなど、恥ずかしがる際の言動はわかりやすく表れます。

愛嬌や可愛らしさとなり、好かれるポイントです。

真面目であるために自立傾向があり、一人でできそうなのに失敗が多いと守ってあげたいと思われ、これまた好かれます。

 

10,低姿勢かつ横柄

真面目さは低姿勢としても表れます

社会的に振舞うために低姿勢で言葉遣いも人当たりも柔らかくなります。

自らを上げず下げる傾向があり、悪く言えば卑下、よく言えば謙虚。

一方、横柄で我が道を行く極端なギャップがあり、抜けているさまに続いていきます。

 

11,子供にわかるように説明できる

理論に縛られず感覚的でもある特徴です。

パズルのように当てはめる正確さや理論を重んじながら、それ以上に“実相”を大切にします。

論理説明、言語化が上手でありながら、それが正しい訳ではなく、理解しにくいことがわかれば感覚的な表現や説明をします。

子供と関われる人であり、子供相手にわかるように説明できる人です。

 

12,人から恐れられる

何を考えているかわからない不透明さが恐れになる人もいれば、真面目で優秀なさまに恐れを抱く人もいます

例えば、何を言われるかわからない、本質を突いて来るかもしれない。

長年積み重ねたテクニックを一瞬でこなされる、まるで自分に価値がないと思える。

本人は何もしていませんが、真面目で抜けているという両極端の言動をする人のギャップは、周囲に不安と恐怖を与える場合があります。

 

13,傷つきやすい

繊細です。

感受性が鋭く、共感性も高い、敏感でもあります

エネルギー感受を初め、見えない部分の受信による感覚感度の高まり、細微な変化を感じます。

人によっては傷つきやすいが故に真面目さを磨いている場合もあり、だからこその低姿勢、謙遜、順応意識、社会適応を重んじます。

 

14,失敗は改める

失敗や痛みを糧にする特徴です。

同じ失敗を二度しないための努力や心持ち、失敗に対して恥や卑下を抱くプライドがあります

人によっては意識していても同じ失敗をするため、自分を責めてしまうことも。

間違いを認めて改めようとする点に大きな特徴が見られます。

以上、真面目だけど抜けている人の特徴でした。

 

愛されも恐れられもする訳

天然とは違う愛されキャラ

なんでも
なんでも
天然にも思える抜けているさまですが、違いがあります。

天然性は高まるほどに独自性や我が道度合いが高まります。

その人にしかないおとぼけやズッコケ、知性の高さが見られ、『個性、独自性』が際立ちます。

一方、真面目だけど抜けている人はミス、失敗、ど忘れ、明確に間違いだと見て取れます。

例えば、天然な人。

カウンター席の隣のお客さんのグラスジュースをゴクゴク飲んでいる。

「え、それ私のですよ」と指摘され、

「え、うそ、キャー!」

(なぜ叫ぶ、すいませんではなくなぜ叫ぶ)と思われる。

抜けている人が隣のお客さんのをゴクゴクした場合。

「え、それ私のですよ」と指摘され、

本気で謝り、顔を真っ赤にして、新しいものを直ぐに注文して、再度謝り、猛反省。

天然な人にとって間違いは間違いとは限らず、「もしかしてそれがスタイル?」と思えるような独自のペースが広がります。

エネルギーが強く、周囲は天然ペースに飲み込まれる感覚になりやすく、「もしかして私が間違っているのかも?」とすら思えてきます。

一方、抜けている人の場合、「これは失敗だ」と本人が大いに認めるため、「そっか失敗なんだ」と周囲も認めやすくなります。

これによって周囲が被害者面しやすくなる、たかってくる、利用してくるといった弊害も起きます。

失敗が面白いボケにはなりにくく、「本当に申し訳ございません、誠心誠意見つめ直し、改善させてください」と言われ、「いやいや、そんなにせんでも?」と周囲が心配や気を使うことも。

真面目。

ですが、本気で一生懸命しながら抜けていることに対して、「守りたい、助けたい、この人のために働きたい」と思ってくれる人がいます。

誠実さ、実直さ、嘘をつかず、けなげに頑張るさまは、人の心に響きます

マラソン、本気で辛そうに駆けているさまを応援したくなるような、「え、なんでそっち行くの?」と思えるほど謎にコースを間違える、より見守りたい。

辛い中を我慢している人に対して、「うん、よく頑張った、よしよし」と隠れマウントを取る歪んだ人に利用されることもあります。

しかし、誠実と本気の姿勢で失敗しても立ち上がって進む人は、嘘をつかない人から愛されます。

 

[真面目だけど抜けている=本気だから抜けている]

真面目だけど抜けている人は、誠実さや実直さ、嘘をつかないさまが際立ちます。

なんでも
なんでも
それは心の感受が生きているさま。

心の感受が生きている、このわかりやすい表れが“返報性”です。

人間としての心の普遍である“返報性”、与えたら貰う、貰ったらお返しする相互意識があります。

自分を重んじる意志があり、人を信じる意志、共存する意志があります。

感じる力、信じる力、求める力があります。

反対に、返報性がなくなると心の感受が死にます

わかりやすいのがテイカー、テイキングの自覚がない人、無知の知がない人。

普遍を逸脱して返報性がなくなると心の秩序を守れなくなるため、出てくるのが頭、思考です。

知性とは違い、防衛のための思考、記憶、情報網羅、如何に自己利益を得て、不利益をなくせるかの打算、損得勘定、心を閉じて頭をフルスロットルします。

感じる力がなくなり、信じる力がなくなり、求める力、頼る力がなくなり、社会システムや常識慣習に依存と執着する他なくなります。

防衛思考の多用があると先読みして損害回避、打算的に利益性を高め、完璧主義になれます。

心の感受が生きている人は、心を護ってきた人です

防衛以上に自分なりの理論や感覚を大切にして、心を閉じる以上に真面目に誠実に嘘をつかず、傷つかないための工夫と努力と邁進をする『自分』を重んじます。

到底完璧主義ではありません。

本気で生きている人。

・打算以上に自分を重んじるからこそ、抜けているさまが表れます

・損得勘定以上に心を重んじるからこそ、抜けているさまが表れます

・教科書や常識に当てはまろうとする以上に自分の経験を重んじるからこそ、抜けているさまが表れます

・「こうしなさい、ああしなさい」と他人に従う以上に自分で考えることを重んじるからこそ、抜けているさまが表れます

本気で生きている人は抜けています。

なぜならば、人間は完璧ではないから、そんな見方があります。

 

正しさが存在しない表し

なんでも
なんでも
ソクラテスの言葉に、『無知の知』があります。

無知の知はわからないことを認め、本質を探求し続ける姿勢がありながら、他にも重要なことが見出される言葉だと思います。

・自分にとっての理解や答え、正しさを疑う認識。

・他者の理解や答え、正しさを尊重する認識。

そこに学ぶ姿勢、謙虚さは自然に出ます。

「私は正しい、これが絶対である」という発言には、疑う、または多角性や多様性、客観認識のなさと、他者に対する尊重のなさが表れているかもしれません。

正当化というのは思考停止の典型例、自分の力をそれ以上伸ばさず止める行為、他人の力を圧して潰す危害にもなり、自惚れや無知を意味します。

抜けていない、間違えない、失敗しない、忘れない、これは人間ではなくAIロボット。

人間である以上、本気で真っ直ぐ生きていれば間違えます。

生まれて初めてバスに乗る際、仕組みも乗り方もルールもわからないのが自然。

陸橋の渡り方さえわからないのが自然だと思います。

たくさん恥ずかしい思いをして傷ついてきたからこそ、真面目に改め、本気で向き合い、社会性を学び、心を護ってきた。

環境に順応努力し、かつ自分を大切に重んじる人は、真面目さと抜けているさまがあります。

そんなさまの表しが、正しさは存在しない、完璧性はないことだと考えます。

自分にとっての正しさを疑い、他人にとっての正しさを尊重しながら同調はせず、理解をより探求し、経験し、学び続ける。

完璧でも正しさでもないと知っているからこそ自分を持って学び続ける謙虚なスタイルが、真面目さを彩りつつ抜けている情景を作る、という考え方です。

 

真面目だけど抜けている人は恐れられる

なんでも
なんでも

真面目は真剣、本気。

本気で関わる気のない人は恐れを抱きます。

恐れられる理由となるのが、『正しさが存在しない表し』であるため。

私たち現代社会人にとって『正しさ』は生きる指標と考える基準になり、まやかしの主軸にもなり、張りぼての自己保持や自信に役立つ作用もあります。

正しさに依存し執着するのは自然かもしれません。

正しさが存在しない人にとって明確に存在するのは依存や執着ではありません。

『間違い、わからない部分』です。

間違いを認め、わからない部分を認識できる人は本当に頭がいいと思います。

それは知性。

記憶力や思考力など学術面に限定したものだけではなく、無知の知である生きる知恵。

打算や損得勘定など社会性という限定的賢さ、またはずるさではなく、無知の知である育ち続ける賢さ。

自分の間違いや失敗を認められる人は、苦労を糧にします。

辛さも、恥も、痛みも、苦しみを糧にして、探求や学び、自己を高める育みにします。

自分を抑圧して、縛り付けて何も発揮しない、なるべく抜けていると思われないように言われたことだけこなし、他に順じて他人が決めた幸福とやらに則る、にならない人は目立ちたくなくても目立ちます。

特定の類から嫌われます

矯正されている、している人、正当化して知性を止めている人にとって、本当に知性があり、間違いや失敗を認め、さらに糧にして向上しようとする人は不安要素になります。

「私は正しい、これが正しい」を壊す懸念に思えます。

「私はこのやり方を認めている、こうやってきたからこれでいいんだ」を揺さぶる懸念に思えます。

固執して、変化を拒み、事実を見たくない、学びたくない人にとって、恐れを抱く対象になり、自己保持できなくなります。

見たくないもの、認めたくないものを見せる存在に実はなっているかもしれません。

しかし、愛とは恐怖でもある表裏一体。

普遍の表しです。

 

最後に:真面目だけど抜けている人

正しさのない世界の表し人。

真面目だけど抜けている在り方はとても哲学的です。

正しさが存在しない世界、それはわからないことが存在している世界を意味します。

わからないことを解明していく行為には何があるのか、気になります。

それは事実や真実でありながら、それ以上に着目したいのは、探求や学び、向上していく行動、プロセス。

そこには辛さや苦しみがあるのか。

あるのはきっと楽しみ、元気、勇気、覚悟です。

そんな楽しい世界に移行していく人は、『真面目』を大切にしながら『テキトー』も大切にします。

『抜けている』を改める材料にしながら『抜けている自分』を愛します。

抜けていることは自然な人間味そのものです。

完璧性は人間にはなく、あるのは神くらいかもしれません。

人間には人間の役割や在り方があり、完璧のない、正しさという決め付けのない、“抜け”があります。

抜けは真理、哲学。

天然は自然、宇宙。

似て非なるもので、どちらもカッコイイ。

そこにあるのは、“人間味”

人間とは何なのかを教えてくれる存在が、真面目だけど抜けている人。

そんな考え方が一つのご参考になれば幸いです。

ありがとうございました。

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