心理と特徴

思いやりがある人の特徴13選と精神性【優しさの次のステップ】

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思いやりは少し難易度が高いものかもしれません。

そこには、優しさにプラスした心持ちがあり、優しさと一味違う精神が見られます。

優しさの次のステップとなる、“思いやり”。

一体どのような人であり、どのような内情にて生まれる在り方であり気持ちなのか。

ここでは、思いやりがある人を探求することで、そこにある精神とプロセスをお伝えしていきます。

  • どんな人が思いやりがあるのか知りたい
  • 思いやりに向かう精神を考えたい

優しさはするかしないか、思いやりはできるかできないか。

私自身、思いやりを勉強中の身ですので、ここでの考え方が思いやりを育むご参考になれば幸いです。

Youtubeもありますのでぜひご覧ください。

思いやりがある人の特徴

思いやりがある人の特徴13選

なんでも
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初めに特徴を順番にご覧ください。

1,相手側になって相手のことを考えられる

思いやりの大きな特徴は、他者の気持ちを理解する力があること。

相手側の目線や立場で相手にとっての利益を与えられます。

「食後にデザートの高級メロンです」は優しさになりますが、ある人は食前にデザートを頂きたい、メロンはアレルギーだった。

相手側になって相手のことを考える力(他者認識力)に長けている人ほど、思いやりのある接し方や話し方、利益の提供ができます。

これが寄り添い、共感する力にもなります。

 

2,人のために自分を使える

「奪われた、使われた、利用された」のではなく、「この人のために自分を使えた」と思う人。

または、そう思える時、思いやりがあります。

忙しい娘のために、代わりに役所で手続きをした。

家族のために買い物して、ご飯まで作った。

みんなのために無駄な会議時間を短縮した。

「やってあげたんだから、褒美のプリンは忘れないでね」という見返り前提の契約ではなく、親だから当たり前といった固定観念でもなく、「部下のためにやった俺かっこいいだろ」でもなく。

人のために自分を費やす自発的行動と、相手を想う気持ちが、「この人のために自分を使えた」と思いやります。

 

3,人のためにすることが自分の喜び

思いやりのある人は、人のためにすることがそのまま自分の喜びや楽しさに繋がります。

「この人のために」と思える気持ちや情の広さがあり、ボランティア活動など誰かを手助けする行動が顕著になります。

例えば、子育てもこれに該当します。

「親だから子を育てる責任がある」。そういったルール着眼ではなく、「この子のために育てたい」と嫌なことも辛いことも乗り越える力が思いやりにはあります

 

4,人に与える、委ねる、頼る、任せる

大切なことも他人に委ね、頼り、任せられる人です。

人によっては甘え上手な一面もあり、人の機嫌を取るのも上手い。

相手の得意や利点を引き出し、特性を活用して引き立てるアゲマンパワーもあります。

特に目立つのは、よく与えること

旅行に行けばお土産をみんなに買い、職場ではお昼後に配るお菓子のセンス。

「○○さんの持ってきてくれるお菓子って、みんな好きだよね~(賛同:ね~)」と噂が今日も聞こえてきますね。

 

5,厳しい、けれども冷たさと違う

相手のためを想った厳しさも、「人のために自分を使う」思いやり行為です。

叱咤激励、説教、自制のある怒りなどが該当します。

「人に怒るなんて時間の無駄、ストレスにもなる、自分にとってなんの得もありゃしない」というのが思いやりのない人です。

「我慢の限界だから切る、こいつ甘え切っとるからさすがに言うか、ブチギレや!」は優しい人です。

相手を突き放つ冷たさとは違い、厳しく当たり、接し、考えさせる、見つめてもらうことを目的にした厳しさは、相手のことを理解していなければできません。

冷たさは相手を理解していないと起き、それが“正しい”としても一方的な干渉や、相手にわからない意見の押し付けになり、一方的に傷つけて終わる可能性もあるので大きな違いがあります。

 

6,人に期待しない、信じる

相手側になって考えることができるのは、対象を対象として、個として尊重するさまでもあります。

「あなたは医者になりなさい、わかったね!」ではなく、

「あなたはどうしたいの?何をしたいの?わからなければ一緒に探そっか」と期待せずにサポートする在り方。

または、干渉せずに見守り、待つことも相手の尊重。

子馬が生まれた時の母馬のように、厳しさを持って自力で立ち上がり歩かせるなど、個の成長や本人の生きる力を信じるさまに思いやりが見られます。

 

7,優先度の高さを俯瞰的に判断できる

かっこ付けではなく、「君が生き残った方がいいんだよ」とクリティカルシチュエーション。

生き残る、助けを呼ぶ、運のいい人、将来のこと、この状況では何がベストか…。

さまざまな状況と状態を考慮し、俯瞰的に優先度の高さを判断します。
※思いやりがないほどに選択に欠陥が増え、あるほどに欠陥が減る

認識力の高さ、自分からだけでなく他者側からの客観視、全体としての俯瞰性があるため、総合的に捉える材料が多く、的確にベターまたはベストな選択に近付ける人です。

 

8,常識や固定観念に縛られない

変わり者には思いやりのある人が多いです。

「肩書?社長?だからなんだ?」

社会という他が決めた常識や固定観念、正解や良さではなく、自分が相手を理解する“今この瞬間のリアル”を重要視します。

“正しさ”や“良い”はその時の相手の状態や状況、「今のこの人にとって」で都度都度変わり、答えは一定ではないのがリアルです。

初対面の印象が悪い人ほど実は優しかったりするように、自分らしさや個を持ちながら、相手側の認識に近付く知力や能力がある人は思いやりがあります

 

9,実際に現場に行く

ただ指示だけする、ただお金だけ与えるなど一方的なことをしません。

優しさにはなりますが、思いやりがある人は実際に現場に行き、自分の目で見て、肌で感じ、頭で考え、心で受け取ります。

救援でお金だけ渡す、機材だけ提供することが、現実としてどうなっているのか。

国や場所、地域によって起きる事象も結果も一変するので、直接受け取る側の気持ちやその土地の人々の意見を聞くなど、相互や俯瞰を重んじます。

例えば移住する際、新しい土地に住む側はウキウキかもしれませんが、元々住まれている地元の人々は新しい人がどんな人か、どう影響があるか、何をされるかわからない不安があります。

移住する前に直接関わったり、引っ越したい旨を伝える、意見を伺うなど、相手側の考慮と配慮の心持ちに思いやりが見られます。

 

10,元自分勝手

元々自己愛が強く、自分勝手だった人が、自らを見つめて成長した時、思いやりがある人になります。

自分の非力さ、未熟さ、愚かさを知っている人であり、あらゆる失敗や醜態を糧に精神を育んだ人には、思いやりのある素晴らしい人が多いです。

言い方を変えると『強い人』のことでして、最大の敵は己の内にあると知っている人。

苦しみと過酷さを乗り越えて、恐怖心を克服し、ネガティブの大切さを理解している人。

そして、自分に勝つのではなく、自分に負けないことができる人です。

 

11,献身的

捧げる気持ち、他のためを想う行動、他のために全力で力を使い果たすさまに思いやりが見られます。

自己犠牲を払っているかどうかではなく、力を他に費やすことは本人にとっての喜びや心の満ちがあり、実際には犠牲的ではありません。

例えば、子供ながらに親を介護。

そうしなければならない状況、見捨てられない、社会従順などがあるかもしれず、その上での行為は優しさです。

思いやりがある人は自分の意志と意思で介護し、苦しみも辛さも受け止め、噛み締め、泣きながらでも献身的に心身を近くに置く選択をします。

それはシンプルに、一緒にいたいから、助けたいから、喜んで欲しいから。

思いやりには自己愛と利他愛の両方があります。

 

12,失敗が少ない

思いやりがある人は物事がうまく流れるように運ばれます。

「なんか抵抗が多いな」とスムースに行かない時、自分だけではなく相手やその場に思いやりがなくなっています。

お店を始める際、「この土地のために、ここの人々のために、この町のために」と想える人は、誰も困らずみんなが喜ぶ情景を作ります。

そこには笑顔を生み出す創造性の高さが見られます。

 

13,変わらないものがある

思いやりがある人は子供のころから変わらないものを持っています。

それは年齢、性別、生育度合い、家庭環境関係なく、生まれた時から変わらない絶対的で一貫したもの。

心の在り方です。

心との向き合い方や心持ちの在り様。

誠実さ、真面目さ、負けない気持ち、折れない信念、モットー、意志。人によってはおふざけ、気楽さ、適当さ、逆境の強さなどいろいろあります。

「〇〇さんって子供の頃から変わらないよね~(賛同:ね~)」と周囲から言われている。

または、生育後に見失っていた自分を取り戻した場合も、思いやりがある人になります。

以上、思いやりがある人の特徴でした。

 

思いやりがある人の精神

思いやりと優しさの違い

なんでも
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思いやりがわかりやすくなればと思うので、優しさと見比べてみます。

思いやりには人の気持ちを知る気、そのための努力、そして実際に相手の気持ちに近付く理解力を要すると考えられます。

優しさも人の気持ちを知る大切さがありますが、ややこしいこと抜きにお伝えすると、相手に利益を与えれば優しさになります。

例えば、何もしていないのにお金をくれる人がいた、優しい人だ。

けれども、与えるだけ与えて怠惰を増長し、働かなくなって食べる欲求だけ膨らんで大腸がんになったら…。

優しさとの大きな違いと考えられるのが、相手側の立場や思考や気持ちといった“他者認識”の理解です。

・思いやりは他者認識なくしてできない行為であり心持ち

・優しさは他者認識なくしてできる行為であり心持ち

「この人は足腰弱いご老人だから席を譲ろう」と優しくしたら、「わしゃ座らん、この腰の痛みを味わうことで生きている喜びを実感しとるんじゃ!」

「ほえ~、そうですか~」

優しさになりながら、思いやりにはならなかったことがわかります。

極端に言うと、情や思い入れがなくても、社会的な常識やルールがわかり、自分側の認識を極めれば極めるほど優しくできます。

自分にとって、「この人はこういう気持ちだろう、辛いだろう、助けたら喜ぶだろう」と思える認識、またはそれを社会性にて“正、良、善”に当てはめる知性があれば優しさになります。

そのため優しさは使い方を変えると、利益を与えて相手を手玉にしたり、支配や操り、コントロールする方法にもなり、全く心がなくても外面だけ優しい風貌にすらできます。

良いも悪いも使う人間次第で在り様は変わり、さらに相手との間でどれだけの利益性を見出せるかで優しさレベルみたいなものも見出されます。

「キャー、あの人優しいー、ヒャー」みたいな。

優しさはするかしないかですが、思いやりはできるかできないか。

思いやりは優しさの次のステップです。

 

思いやりは他者を信じる力

・相手のことを相手側の目線で理解する能力があればあるほど、思いやりができる

・相手のことを相手側の目線で理解する気持ちがあればあるほど、思いやりを持てる

相手側の認識力がなくても、理解する気持ちがあれば、良かれと思った思いやりは失敗になることもありますが、その気持ちを感じ取った相手が気持ちに寄り添うことも起きます。

すると、お互いが同情する相互認識ができるため、お互いの力によって思いやりを作ることができます。

しかし、気持ちがあっても相手側になるスタンス、共感性や同情がちっともなければ、または歪んでいれば、思いやりにはなりません。

このことからお伝えしたい考え方がこちらです。

思いやりは相手側を信じているからこそできる。

自分を信じずして他者を信じることはできませんので、相手を信じるということは、信じる媒体である自分をまず信じている前提があります。

人によって、この人の前では自分を信じられるなど、対象によって自分を信じられると思いやりを持てます。

信じられる人、または信じたい人に思いやりを持てます。

このことから、思いやりがある人とは他者を信じられる人であり、信じたい気持ちが強い人だと考えます。

例えば、友達と友達の知人と共に三人で登山に行きました。

友達の知人は正直初めてですし、どんな人かもよく知りません、思い入れもありません。

5時間ほど登った時、「やばい、迷ったかも…」と。

この時、一般的には友達を思いやって食べ物を分けたりはできますが、知人に食べ物を分けるのは違和感があるかもしれません。

そんな時、友達は両方に思いやりを持てる。

これを紐解くと、友達は両方を信じることができ、三人一緒に認識を合わせる協力や調和を図れるので、リーダーになれます。

思いやりがある人はリーダーになれます

リーダーのようにみんなを理解しようと寄り添い、相手のことを学ぼうと近付く努力ができ、さらに一人一人の特性を知ろうと他者認識を高める人は、みんなを信じる力があります。

そんな人は、「もう何があるかわからんから、パァっと今ある食料を食べちゃおうぜ!パーティだ!」とか言い出しません。

思いやりのある人は、周りから見ても信じられる人。

そして自らも相手を信じているので、お互いに尊重や敬いを持ち合う関係性にもなれます。

 

思いやりへのプロセス

なんでも
なんでも

思いやりを精神的に捉えると、欠かせないのがこちらです。

自因自果(じいんじか)

自らの原因に基づいて、自らに結果が起きる。

自分の蒔いた種は自分が刈り取る、この世の常を表します。

例えば、「人に利用された」と思うか、「人のために自分を使った、使わせてあげた」と思うかのように。

自因自果の精神、思いやりには自らの行為を見つめる責任(カルマ)があり、自発性と主体性を持って相手のためにする働きがあります。

「相手のため」を想う際、自分を大切にしていなければその余裕はありません。

無理矢理の強制や自己抑圧、やらなければならない縛りや従順、自己犠牲では相手のためを想うことは困難ですので、思いやる前提には「自分のため」があります。

自分がやって嬉しいことであり、自分を大切にする行為が相手のためになる。

思いやるためには大前提自己愛を満たす状態や、自己愛が満ちるからこそ相手のためを想えます。

このことから、思いやるプロセスには自己愛を満たす前提があります

自分を満たす、優しくすることで自分が嬉しくなる、そんな余裕や行為の内情があり、初めて自分のみの自己認識から離れて、“他”に向かいます。

自己認識から他者認識に移行。

自己認識 → 他者認識 → 共感・協調 → 思いやり・尊重

“自分や自我”から離れるほど、認識は広がりながらも個々を詳しく捉えることができます。

すると、共感や協調、思いやりや尊重を持って他者と関わることで、より「自分とは何か?」の自己理解も深まっていきます。

思いやることができるのは既に自分の認識に責任を持ち、相手のためを想う働きができる精神前提の整いがある、という考え方です。

 

思いやりは形を変えていく

なんでも
なんでも
優しさがあるから思いやりになりますが、思いやりがあることでさらに進んでいきます。

行く先としてお伝えしたいのが、

共同体意識自由の二つです。

思いやり・尊重 → 共同体意識 → 自由

自他を信じ、相手を敬い、相手のことを想う行為は、カルマで言う善行です。

相手を敬うためには先見して俯瞰する、先を見越した上での尊重がいるため、必ず厳しさがあります。

そんな思いやりからさらに進むと、自分と相手を同一視する共同体意識が芽生えます。

相手がまるで自分のように思い・想える状態、「相手のため」と思うことすらなく優しく、思いやり、親切にするので、それが思いやりなのかどうか傍からではわからなくなります。

何も言わずともわかり合う幸せな老夫婦、なんてイメージです。

これがさらに進むと自由の領域。

やりたいようにやることが善行になり、一切縛りのない、自他の区分けもない世界。

話しかけることが慈悲であり、目の前に現れることが愛であり、存在することが思いやりの世界。

思いやりは形を変え、共同体から自由になり、言葉の解釈も説明も無に等しくなります。

今日もこの世は思いやりで構成されている、そんなお話でした。

 

最後に:思いやりがある人

自己理解とは他者理解がメインです。

本質とは他者の内に己を見ることであり、他者の内に己の思いやりを発見することに理解の核があります。

他に“識”が移行すると感情や心の想いも相まり、共感や協調、尊重に思いやりという心の在り方や心持ちの姿が見えます。

それはどれだけ“自”という領域を広げて、“他”を含めていくか。

他に広がれば広がるほど自他を信じる力も広がり、自然な行為として“与え、授け、委ね、敬い”が出てくることと思います。

そこには、謙虚さや自制があり、相手を想う心があります。

優しさの次なるステップを進むためにも、一つのご参考になればと思います。

それでは、ありがとうございました。

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※これは長期的に本気で変わりたい方専用です。

POSTED COMMENT

  1. くこそつ より:

    エレベーター待ちの二人がいる
    扉が開いたが、乗員がいっぱいで1人しか乗れない

    「お先にどうぞ」

    と1人が先を譲り、笑顔で見送る

    実は間近に迫った津波に飲み込まれる寸前の出来事で、残された1人はやはり津波に流され命を失った

    そんなテンションで人に譲れる人になりたい笑
    ※例えが無理ありすぎた(>_<)

    • 北斗 より:

      流されてしまう。
      けど、笑顔で見送っているのがいいですね♪

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