『DNAシフトセラピスト養成講座』
・セラピストになりたい方・自己理解を本格的に始めたい方
・専門的に人を癒し、サポートしたい方
著名な心理セラピストとして知られる、西澤裕倖(にしざわひろゆき)先生プロデュース。
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※本気で人生を変える方専用。
嫌われるのが怖い、嫌わないで欲しい。
不利益や損害はなるべく味わいたくないもの。人との関わりは嫌われないようにしたくなります。
そんな時に煎餅をバリバリ食べながら、こんなことを言う人がいます。
「嫌われないって、なんか美味しいの?」
嫌われるのを怖れず、のびのびと自分の人生を謳歌する鋼メンタルをお持ちのようです。
誇り高き自己確立者。見習いたいものですね。
そこで、嫌われても平気な人の内情を知り、メンタル保持のポイントを学ぶ材料にしましょう。
- 嫌われても平気な人とはどんな人?
- どうして嫌われるのが怖くないの?
- 嫌われても気にならないのはなぜ?
これらを紐解き、「自己愛を上手く使うから、嫌われても気にならないんだ」と知っていただく内容となっております。
海外を旅していると、単独で旅している人の中には嫌われても平気な人が多くおり、共通点があると気づきました。
そこで理解した内情を基に、嫌われることを怖れないための一つの考え方となれば幸いです。
Contents
嫌われても平気な人の特徴
嫌われても平気な人の特徴15選
本当に嫌われても気にならず、一切問題ではない、いわゆるメンタルへの影響が皆無の人をお伝えしたいので、下記を除いた内容となっております。
- 「嫌われたら嫌い返す」など、心の傷つきを防ぐ工夫として、強がりや誤魔化しや思い込みにて平気を装う対処
- 鈍感や無視にて嫌われていることに気づかない
- 感情をなくし、嫌われるだけでなく好かれていても気にならない
そんな鋼メンタルを持つ人には、共通した特徴がありますので順番にご覧ください。
1、全体像の中で自分を捉える
「自分はあらゆる生物が共存する中の、あくまで一個体でしかない」と知っている特徴です。
全体の中の個体として活動している構図を把握しており、個々が集まり合っている全体像を捉えているため、個人と集団の在り方を共に俯瞰します。
渋谷のスクランブル交差点を見て、「蟻のようだ」と思うのではなく、「私も含めてみんな蟻のようだ」と捉える人であり、好きも嫌いも人それぞれに個人的&集団的(自分の意志でも意志がなくてもに起きる)を当たり前とします。
2、自制しない欲求がある
コントロールせずに貫く欲求があることを自覚しています。
どんな欲求かは人それぞれに違い、知識欲、承認欲、睡眠欲、非抑圧欲、探究欲、解明欲、ギャンブル欲…とさまざまですが、物欲ではない共通点があります。
自制できないので我慢せず、言いたいことは言う、やりたいことはやる、知りたいことは探究する、眠りたい時は何があっても眠るなど、欲求を満たす行動を貫きます。
3、信念と軸が太い
自制しない欲求はそのまま信念や自分軸となります。
仕事や使命、生きがいや生涯の目的になり、揺さぶられることのない一本柱がドンッと鎮座する精神を持ちます。
例えば、探究心が信念となり、暇さえあれば研究や冒険や旅をします。
脳の限界追求として、知識欲を貫くためにゲームをしまくるなど、人それぞれのスタイルが見られます。
4、自律
自らの考え、感覚、感情を大切にし、自らルールを決め、自らのルールに従う特徴です。
知覚、価値観、美徳、観念、質感、美意識が独自のものであり、変わった趣味やこだわり、美しさへの感覚、物事の捉え方があります。
5、自己評価という概念がない
自らのことは自らが最も信じ、愛し、敬うのが当たり前であり、評価しようと考えることもありません。
自信があるもないも、あるのが当たり前なので考えないのと同じ。
自らを正否善悪ルールで上下に評価区分けする概念がなく、他者が自分を評価するなんてのは、飲食店でからあげ定食を食べていたら、隣の知らない客が無言でからあげを一つ食べていく。そんな奇妙な行為にすら思えます。
6、自分のことは自分で認める
他によって自分が存在しておらず、自らによって自分を存在させる特徴です。
自分から目を背けた誤魔化しや逃避をせず、自らに真摯に向き合うことを意味します。
自覚能力が高く、自らを俯瞰的にも内観的にも捉えられる人であり、自己理解が深くなるために能力や才能伸ばしが容易となり、秀でた能力の高さが特出します。
7、嘘が下手
自らとの向き合いがガッチリしているので、嘘や虚言を吐くと違和感が強くなり、わかりやすくて直ぐにバレます。
自分に対してとにかく素直な特徴でもあり、思ったことをそのまま言動に表すので、トラブルや問題を起こすことが増えます。
8、好き嫌いに決定権がない
「あれは好き、でもこれは嫌い」と好き嫌いで物事を捉えない特徴です。
「好き=良い」「嫌い=悪い」とルール設定していないさまでもあり、物事の判断基準が感情ではないため、嫌われたからといって相手を嫌いになりません。
感覚も思考も世論も全て踏まえた上で、自分の信念が最終的に判断を決定する傾向があり、「そこに意味があるかどうか」に決定権があります。
9、意味を考える癖
「これは自分にとってどんな意味があるのか?」と物事を捉える癖があります。
絶対的に自分が主観で主軸であるため、自らの認識を信頼して物事を捉え、好き嫌いではなく、意味があるか否かが大事な価値観です。
多角的に全体像を見た上でミクロに絞っていくため、哲学的な見方や考え方の人が多いです。
10、意味のないものに興味がない
自分にとって意味を持たないものへの興味がない特徴です。
話しが通じない、相互理解できない、コミュニケートできない、中身がない、意見がない人との関わりに興味がなく、冷たく無感情に思われることもあります。
嫌われると嫌な気持ちになりますが、その気持ちを味わうことに意味がなければ興味がないのでスーっと流します。
反対に、意味を見出すと大いに人と関わり、熱心に物事に取り組むため、人から好かれるのも嫌われるのも極端です。
11、冷静で焦らない
大きな特徴です。
自他の境界線が太く、物事を俯瞰して見るため、他からの影響に動じることがほとんどありません。
「ふむふむ、あなたは私が嫌い。そこにどんな意味があるのか、うーん、ないな。なければ興味ないや」
12、嫌われる以上に意味ある時間を大切にする
損失以上に利益に着眼する特徴です。
嫌われる人がいても好いてくれる人がいれば、その人との関わりを重要視して時間を無駄にしません。
「そっかぁ、これが嫌われている感覚。なんかゾクゾクするね、これは意味があるぞ」
嫌われることすら自分のための意味にしてしまいます。
13、孤独力
孤独に対する免疫力が高い特徴です。
恐怖心と向き合える意味でして、自分にとって嫌で拒否したいこと、不安や怖れ、心配や危惧から目を逸らさず、恐怖心を自らの力にしたり、克服して精神を成長させます。
ひとりで生きることに抵抗がなく、孤独を謳歌します。
14、人はわかり合えないと確信する経験が多い
「人々は個々に生きており、自分のことは自分にしかわからず、相手のことはわかりようがない、この人とわかり合えることはない」と強烈に感じた経験が多い特徴です。
一度や二度ではなく幾度と感じた、「この人のことはわからない」という感覚。
自分主観が強ければ強いほど「確信」として記憶が作られ、「私は私、あなたはそう思うのね」と自他を区分けます。
個々の理解をはっきり分離するため、他からの影響はどこまでも小さくなり、嫌われても気にすることではなくなっていきます。
15、優れた人に急速に心を開く
無意識や潜在意識も含めて、「この人は凄い」と思った人への興味がとても強い特徴です。
まるで子供のように無邪気に話し、関わる時間を楽しみ、相手を大いにリスペクトします。
「社会的に勝、高、優だから」ではなく、自分の価値感覚で判断した優秀な人に対して、純粋に好奇の眼差しを送ります。
心の綺麗さ、欲求に対する純粋な貫きが見える瞬間です。
以上が、嫌われても平気な人の特徴でした。
※メンタルが強い人の特徴は、本当にメンタルが強い人の特徴と嫌われる理由【嫌われるからこそのメリット】をどうぞ。
嫌われても気にしない理由
嫌われても怖くないのはなぜ?
「何かまずいことがある?」
草原を走る馬のような純朴な目には、一切強がりと誤魔化しのなさが写ります。
といっても感情がない訳ではなく、嫌われれば嫌な気持ちを感じ、好かれれば嬉しくなります。
「嫌われれば嫌だけど、嫌だと思うと楽しいの?嫌われる時は嫌われる、仕方ないじゃない」
人に嫌われても自己完結できるのは、相手を縛らないからであり、自らを放牧させているからであり、嫌われることに怖れを抱いて自らを縛らない結果、怖れません。
私達は自分のために生きている精神基盤(自己愛)がある考えでは、利益事を好み、不利益事を嫌います。
好き嫌いには感情があり、好きだと心地良くてふわぁ、嫌いだと心地悪くてほげー。
自己愛を基に感情に従う場合、好き嫌いを物差しや基準にして、不利益となる嫌われることを拒否したくなります。
しかし、嫌われても平気な人はこの概念がなさそうです。
上述の特徴の中で特に着目したい点は、好き嫌いで物事を判断していないこと。
意味があるかないかで判断します。
物事を自分なりに認識し、感じ、考えてから判断する在り方は、感情に飲み込まれないために、[嫌い=悪、ダメ、不利益、心地悪い]とプログラミングされていません。
嫌いが悪ではないために、嫌われること自体に影響される理由がなくなり、影響有無を作るのは自分次第になります。
すると、「嫌われることの意味はなんだろう?自分にどんな意味をもたらすのだろう?むしろ嫌われると楽だな」と考える一つの議題になります。
考える材料提起となれば、もちろん嫌われても気にすることではないので平気。
「そっか、簡単だね」と思えそうですが、なかなかできることではありません。
嫌われても気にしない理由
人間は感情に訴え、感情で動き、感情で判断し、支配すらしてくるコントロールの難しい感情。
にもかかわらず、感情ではなく物事の意味有無で判断する嫌われても平気な人。
どうして感情に翻弄されないか洞察すると、ポイントが見られます。
自己愛の使い方です。
嫌われても平気な人は、自らの存在を認めるために自己愛を使っていると考えられます。
自らに内包される愛(意識の源)は、喜びや楽しみなど利益取得のため、悲しまない苦しまないなど自己防衛のために活用でき、多くの方はどちらかに偏ったり、バランスを見ながら両方取りを狙います。
嫌われても平気な人はどちらでもなく、「私とはこの私、この一個人、存在している私」と存在そのものを肯定し、受容するために自己愛を使います。
※その結果、個人と全体を捉える俯瞰も見に付く
まるでお母さんが赤ちゃんを、「あなたこそがあなた」と心から想いながらキュッと抱くような。
自らが自らを認めるための自己愛は、自覚を促し、内観し、内省し、俯瞰し、軸を持ち、信念を抱き、主観を置き、主人公が決まり、人生の主体が決定されます。
「自分」です。
絶対的です。
自己愛の使い方を利益・不利益に向けず、自らの存在やアイデンティティ(自己確立)に向けた結果、嫌われても気にしなくなります。
※素で嫌われる理由は、素の自分が嫌われる時に知りたい人間味【自分を作ると性格が悪くなる】をどうぞ。
気にしないメンタルは経験の賜物
自己愛の使い方は選択ですが、意識的にできるかどうか難しそうです。
肉体があり、脳があり、感情や欲求が自然と芽生える私達人間ですので、利益や不利益にフォーカスしたくなるのは当然かもしれません。
にもかかわらず、自己認知や自己確立、自らが自らを認めるための愛の使い方を選択できたのはなぜ?
気になるところです。
私が出会った人々の理解で考えられるのは、嫌なことをしっかり味わえた経験測です。
嫌な経験をしてきたからこそ、どうしても自分を出すと嫌われる経験を味わってきたからこそ、自分のことは自分で護らなければならなかったからこそ、それらを味わうことができたと思うからこそ。
嫌われる、いじめられる、排他される、理解されない、拒否されるなど、恐怖心を味わう経験が多く、さらに自己対処や自己完結するしかなかった環境、誰のせいにもできない状況によって、自分の存在を保つために自らで自らを認める選択をします。
他によって自らを認めるのではなく、自らが自らを認める。
周囲に手を差し伸べる人がいれば、寄りかかれる人がいれば、責任を押し付けられる人がいれば、おそらく選択は自然と利益取得か自己防衛です。
しかし、自分で何とかしなければならない場合、自己防衛優位。
しかし、自己防衛するための自分という基盤がなければ、自己認知や自己確立が優先です。
自らを自らで認めることで自己対処や自己完結できるため、まずは自分を認知し、確立させる選択。
これによって基盤を安定させ、利益取得と自己防衛を感情で得ようとするのではなく、自らで考え、自らの能力と才能を駆使して得る行動へ向かいます。
恐怖心としっかり向き合う経験測によって自らの基盤と軸が作られ、感情に翻弄されず、他者に翻弄されない自力メンタルの完成。という考え方です。
※気にしないコツは、【周りを気にしない人の特徴は強いor迷惑】気にしない努力とコツがある をどうぞ。
「自己愛の強さ+自律」のメリット&デメリット
どうしても自力で切り抜けなければならないダンジョン、それが幼い頃であればあるほど、経験測は自分を確立する基盤と軸になります。
誰かのせいにせず(できず)、頼れず、逃げられず、誤魔化せず、恐怖心と向き合う道が残っていると、自己愛である自意識は自らを見出し、他と区分け、自律を高め、自立をもたらし、自力のレベルがグイグイアップ。
幼い頃のダンジョン自力クリア経験は、子供ならではの本気によって自己愛の強さを活かし、「個人」の認知を最大化します。
「自分」の認知と確立が強まり、自律が高まると、「さぁ嫌われたのはなんでかなぁ?」とクイズゲームになり、脳内早押し選手権の始まる自己世界が広がります。
「自分」を抑え付け、我慢させ、仮面を被り、キャラ変する理由がなくなり、自分をグイグイ押し出すことに抵抗と疑問がなくなります。
これによって嫌われやすくなります。
周囲を見ていると思っても、見ているのは自分になります。
内観や内省、内側から捉える自己認識がありながら、外側や他者を捉える認識も自分にとっての外側や他者になり、他者側に寄り添って捉える認識がなくなりながら、そうは思えなくなります。
とにもかくにも個人として自らを主体にする絶対性が固まり、嫌われても平気でありながら、自分を変えるのが困難になる点もありそうです。
自己愛の強さと自律の高まりは、メンタルを鋼のように固めながら、変化しなくなります。
メリットもデメリットもありますが、私の理解ではメリットが多いです。
変わらないのは自分が確立されているからですので、あとは自分の見方で優れていると思える人と出会えば、純粋さと素直さからいくらでも変化を促せます。
[自己愛の強さ+○○]とさまざまな組み合わせがある中で、自律を加えるとメンタルが強まり、絶対的な自信と誇りと自己確立によって個の際立ちが起きます。
何が良いかは人それぞれですが、環境や経験を活かして自分の力にしたのが嫌われても平気な人、とても知性ある人だと思います。
※悪口を気にしない方法は、【悪口や陰口を気にしないメソッド3選】一瞬で気にならなくなった体験談 をどうぞ。
嫌われても平気な人 まとめ
これからの時代、個人として生きる力が重要視されていくように思います。
社会基盤が既に揃った環境では、個人能力の発揮、独立して生きるスタイル、自分という存在を敬う方法に重きが置かれ、「孤独」を如何に楽しみ、愛するかに道の開拓がありそうです。
孤独力のある嫌われても平気な人は、強靭な鋼メンタルを持ちながら、独特な個性と関わりにくい印象を与えるかもしれませんが、他に干渉せず押し付けず執着しないスッキリした関わりがあります。
個人能力の開発に持って来いであり、無用な時間をなくしながら自己管理する状態に、暗黙の了解や縛りのストレスはなく、心拍数は常に一定の平常心。
人間関係は本当に気楽なものになります。
嫌われても好かれもするため、意味ある関わりを持ち、有意義な人間関係を育めるのも利点となり、ひとりの時間も他者との時間も共に持てる選択肢の幅広さ。
私自身、嫌われても平気な人々と関わって明確にわかったのは、「嫌われるって悪いことではない」ということでした。
ルールや情報や他者の意見に囚われ、自分の基盤や軸がぶれていると、物事の本質が見えにくくなり、本当の意味を見失います。
個のメンタルを強めるためにも、自己愛に自律を加えて自らを認める選択に切り替えると、敬いながら基盤を作ることができます。
他者との調和のためにも個人の確立が大前提ですので、個を極める在り方はとても大切だと思います。
そんな個の特出した内情が、嫌われる影響の真意を捉えるご参考となれば幸いです。
それでは、嫌われても平気な人のお話を終了します。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
『心理とスピリチュアルの学び場』
誰しもに人生を変える機会と選択があると信じています。著名な心理セラピストとして知られる、西澤裕倖(にしざわひろゆき)先生プロデュース。
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※これは長期的に本気で変わりたい方専用です。
この記事よかったです、ちょっと悩んでたのですが元気が出ました。ありがとうございます。