『DNAシフトセラピスト養成講座』
・セラピストになりたい方・自己理解を本格的に始めたい方
・専門的に人を癒し、サポートしたい方
著名な心理セラピストとして知られる、西澤裕倖(にしざわひろゆき)先生プロデュース。
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※本気で人生を変える方専用。
エゴは良くないというエゴ。
愛の方が良いというエゴ。
この世の全てがエゴのように思えてきます。
が、愛とエゴには明確な違いがあり、二つの間には差も境もラインもないほど別物です。
愛もエゴも、どちらが良くて悪くてという区分けはありませんが、両者は根本的に全くの別物であるために領域が違い、認識が違い、意識そのものが違います。
ここでは、愛とエゴを探求しながら、言葉として二つがどれほど違うかお伝えしていきます。
- 愛とエゴの違いを知りたい
- 見分け方を考えたい
愛もエゴもどちらも人それぞれに必要なものです。
どちらも大切にするために、言葉の理解が一つのご参考になれば幸いです。
それでは探求をはじめましょう。
愛とエゴの違い
愛は抱く(持つ)対象、角度、領域によって捉え方が変わる気持ちであり想い(エネルギーであり摂理)であるため、定義が難しいもの。
自分自身の意識や気持ちが愛を理解する上で最も大切であり、行為そのものではなく行為する中身(気持ち)が着目点となります。
ここでの言語表現は一つの考え方としてご参考になればと思います。
愛とエゴの違い8選
1,無干渉、過干渉
無干渉は愛、過干渉はエゴ。
※干渉自体は程度や目的、行為の中身によって愛かエゴか変わる
無干渉の中身は無視や放任ではなく、相手を尊重した個の敬いであり厳しさ、期待しないさまでもあります。
手を出したくなる、心配で仕方がない時に自らをグッと律し、自制して、相手の自立や成長を想う気持ちが愛となります。
反対にエゴとなる過干渉は、支配、強制、強要、期待、決め付け、気を使いすぎる、優しすぎるなど、自分の不安を対処できないことが発端となって及ぶ行為です。
「我が子が心配で旅することを許さない」「私と同じレールを歩めばいいの」「この大学に行きなさい」などはエゴの典型例です。
過干渉になるほどエゴは強くなっていき、私物化やDV、モラハラまで行くと愛の欠片もなく、あるのは認知の歪みと弱さ、依存執着心。
それを愛と呼ぶ場合には、自己愛性や愛着かもしれません。
2,見守り、心配
見守りは愛、心配はエゴ。
心配する気持ちは社会的に大切なもの、社交性にもなりますがエゴです。
※自分を心配する場合は自己愛
愛とエゴの違いとなるのは、心配する気持ちがあったとしても、自制して相手側の認識になれるかどうかだと考えます。
自制して相手側になれる場合、共感や寄り添う意志があり、心配は相手のための見守りになります。
愛には相手側を感じ、思いやって行動する[自己コントロール+他者認識]があり、心配だとしても甘やかしや怠惰の増長、自分のための他者利用ではない行為になります。
一方、自制できないと既にエゴであり、相手側の認識になれないとさらに思い込みや決め付けが上塗りされます。
相手への寄り添いがないと、心配は相手のためではなく自分が抱く不安やドキドキといった嫌な気持ちとの向き合いになるため、嫌な気持ちを解消するためにあえて心配したがることも起きます。
このメンタルを認めずに誤魔化す場合、自分のために相手を心配して、自己満足を正当化して、誰でもいいから心配したがる自己愛にハマる可能性もあります。
3,正直、誤魔化し
正直は愛、誤魔化しはエゴ。
正直が自分に対してのみと限定的であれば、メンタルや観念の縛りがあるので愛は愛でも自己愛に限定され、自分勝手やわがままというエゴになる可能性があります。
愛の場合、自分にも相手にも正直であり、誠実さが見えるダブルコンボです。
ここでお伝えしたい正直さの真意は、現実を現実として見る目や姿勢があるかどうかでして、現実を真っ直ぐに見つめる在り方や心に愛があります。
反対に、誤魔化しは現実を歪め、自己都合で変える認識の独裁であり、不誠実さに繋がりやすい行為。
“自分のため”だけの嘘や現実逃避、他者利用や騙しにもなり、本質的には自分自身に不誠実なさまだと考えます。
自分を愛していなければ隣人を愛せないように、自分を大切にしていない人ほど自分のための嘘が増え、誤魔化しと現実逃避が増え、認知が歪みながら自覚がなくなります(=無責任な状態)。
現実を真っ直ぐ見つめることは恐怖でもあるため、正直に誠実に人と関わることは時に相手に恐怖を与えます。
しかし、自他両方への真っ直ぐな気持ちがあると、相手に伝えることで相互の関わりが深まり、協調や共有、調和や助け合いに繋がります。
誠実である人ほど正直なことが愛を育む行為となり、時に喧嘩もありながら“相手のため”に伝える相互創作の発信、橋渡しとなります。
4,受け入れ、押し付け
受け入れは愛、押し付けはエゴ。
凹凸ではなく、相互認識の有無を意味します。
受け入れることは対象の人や事象、環境や境遇など何かしら“他”を自分の中に迎え入れる気持ちです。
自分と同化させる、または仲間にする気持ちがあり、受け入れたい気持ちが強いほどに愛があります。
一方、押し付けは相互がなく、一方通行を表す行為です。
自分側だけの意見や願望欲求をドンッと相手に放ち、半ば強引に受け止めてもらおうとする企みや強要、他者利用も起きかねません。
それを愛だと思う場合、「私はあなたをこれだけ愛しているんだ!これは愛に決まってる!絶対そうなんだ!」となり、自己愛への執着と愛着というエゴが浮き彫りになり、実は相手を見ていなかったりします。
ちなみに、押しに弱いがどうかは愛かエゴかの違いは作りませんが、押し付けを受け入れたと思い込む可能性があります。
受け入れは許容であり寛容さ、心豊かに喜んで迎え入れる気持ちですが、実際のところ受け入れていない場合は妥協や断れない勇気のなさの誤魔化し、必要とされたい他者承認欲求の満たし、顔は笑ってもどこかに違和感があるなど、受け入れとは全く別物の気持ちになります。
または、喜びがあったとしても自己愛に自惚れたパターンもあります。
5,自己中心認識、自分勝手
自己中心認識は愛、自分勝手はエゴ。
自己中心認識は自己中とは違い、自分を中心に物事を認識するスタイルとも言えるもので、自分を大切にする基盤です。
※自己中は自分を中心だと思い込むために他を認識するさま
これは自分軸があるかどうか、思考停止しているかどうかも意味し、自分軸があり自分の意見を作る人は愛を育むことができるため、より大きな愛を持てます。
エゴは自分軸がなくて自分の意見もないのではなく、自分軸がないのにあると思い込んだり、自分の意見ではないのに認めず、事実とは違う世界を見ようとする認識や欲の在り様です。
愛はあるかないかだけではなく、どれほど育めるか育んでいるかも重要ですので、絶対的な基盤となるのが自分を愛して大切にしていること。
その前提条件と考えられるのが自己中心認識です。
自己中心認識があるから愛がある訳ではありませんが、これを前提にどれだけ愛を育むかの経験則が人それぞれ変わります。
自分勝手なエゴは育みがなく、現実を自己都合で歪める見方、またはそれを押し通すための他者強要になるため、一方的で自己世界に限定した自己愛の執着が強くなる世界にいます。
これは不安と恐怖に向き合わず、他者によって現実逃避しながらその事実をも誤魔化そうとするメンタルが考えられ、シンプルに自分を誤魔化した他者利用ですので愛とはまるで別物です。
6,自己承認、他者承認欲求
自分を自分で認める人は愛、自分を自分で認めない人はエゴ。
例えば、大切な人と関わった過去。
後悔なく執着なくその人のことを想う人は、当時の記憶や関わりを自ら認めている、または失敗を糧に学んだが故、愛があります。
他によって自分を見出そうとしないさまは、自分の目で見て、頭で考えて、心で感じる自立、自律、自責の高さ、自己実現を目指して道を明確にやりたいことをやるなど自己発揮できる状態にいきます。
心に余裕や潤いが生まれやすく、他者貢献や利他の心を持って自分のできることを他のためにする愛の活動を増やすこともできる人です。
他者から承認を欲求する場合、自分を認められないだけでなく他者によって認めてもらおうとする世界にいます。
後悔や後腐れが多く、必要として愛して欲しいと、常に行為の目的は外側、他者なくして自分の存在も価値も行為も認められなくなる可能性があります。
執着や依存せずに自己保持できなくなるため、不安と恐怖などメンタル不都合を回避するための愛欲が増え、刺激やその場凌ぎの快楽に目がくらんでいく人もいます。
7,直観に従う、思考に従う
直観は愛、思考はエゴ。
これは一概ではありませんが、同じシチュエーションでまず直観が出て、その後に思考が出てきた場合、自己内部の愛とエゴは明確化されます。
例えば、横断歩道を渡っていたら目の前で突然人が倒れた、車が来ている。
助けに行ったらその人は助かるかもしれないし、自分共々轢かれてしまうかもしれない。
この瞬間、結果がどうなるも何もなく、直観に従って即座に行動した場合、愛の状態です。
倒れた人を助けている場合、愛の状態。
即座に自分だけ逃げた場合、自己愛の状態。
直観を無視して、思考が出て、「どうしよう、今行けば間に合うかも、いや危ないかも…」など考えた場合、行動したとしてもエゴに基づきます。
愛には勇気と覚悟が付随しており、何より自分の意志があるので違いは明確です。
8,対等、上下
対等な関係は愛の前提、上下関係はエゴの前提。
対等であることは相手に合わせる、寄せる、共感や同情する姿勢があると同時に、両者の間に“格差”を作らない尊重と平等意識、肩書など装飾を取り外して関わる勇気、そして優位性を持とうとする企みなどがない、または手放すさまを意味します。
例えば、夫婦間のルールや規律、子育ての仕方や割り振りなど、話し合いお互いに納得して決め合う場合は愛があります。
一方的に決めたり、片方が不納得、格差が生じて終結したらエゴです。
エゴは脳内空想や妄想でもあり、自己都合で作れる世界であるため、「これが愛だ」とルールや決め事を好き勝手作れます。
そのため、お互いが納得し合って決めたとしても、相手の立場も自分の立場も平等に捉える認識や敬い、思いやりといった“繋がり”がなければエゴになります。
例えば、「自分だけプレゼントを与えてばかりで嫌だな、なんか返して欲しいな」と思う場合。
それは対等な認識ではなく、社会ルールという他の意見によって対等な立場を作っていると思う手法の可能性があり、心の想いではなく思考の思いかもしれません。
潜在的に上下区分けがあるかどうかは人それぞれですが、「与えているのだから返してもいいものだ」と不納得になることは、対等な関係を作るための自己理解と他者理解が疎かになっている表れだったりします。
損得勘定や見返りを求めること以上に着目したいのは、求める状態に不納得や正当性の見出しがあると既に対等な関係を作る意志が壊れている可能性があること。
愛のある関係性には自己理解と同時に他者理解があり、両者を合わせるための失敗や傷負い、反省や学ぶ経験が見られます。
表面的には旦那さんが偉そうで奥さんが控えめな上下のありそうな夫婦でも、実際にはお互いがそれを受け入れ合って仲良くやっている場合、他者に見せる表面をエゴで取り繕いながら中身は愛。
反対に、表面上は対等で意見を共有して、お互いに決めたり作り合う関係性でも、実際には「何言ってんの私の方がいろんな経験してんだから言うこと聞いてればいいのよ」と思っていれば全てエゴです。
他が決めたルール以上に、自分と相手の間に差をなくし、あとはお互いが相互に向き合い、決め合い、作り合い、育み合うことに愛がある、という考え方です。
以上、愛とエゴの違いでした。
※無償の愛を持つ人の特徴は、【無償の愛は無関心と紙一重】本当に愛のある人の特徴とスピリチュアル をご覧ください。
愛とエゴの見分け方
愛とは
愛とは現実であり絶対性、という考え方です。
現実とは本質や根源を意味します。
現実とはシンプルに、[自分+他]の成り合いや重ね合い、構成や構造のこと。
私たちは自分という何か個体として存在しておらず、存在しうるものでもありません。
常に[粒子+粒子]で成り合うように、[自分+自分以外の他]の調和と反発によって肉体ができ、栄養をもらい、空気を吸入し、エンジンを稼働させ、生死を巡ります。
そこには常に秩序と無秩序のカオスがあり、陰と陽があり、無と有があり、拒否と受容があります。
この在り様を“繋がり”と言ったり、原理と言ったり、宗教ではカルマと言ったりします。
絶対性です。
宇宙が綺麗な周期で巡るように、創造と破壊によるカオスが循環しながら成り合う現実があり、美しさが存在します。
そしてそれら他があるからこそ、私たち“自”は美しいと感じる、いわゆる認識ができます。
このことから、愛とは一つでは成り立たない摂理であり、必ず、相互の成り合いがあると考えます。
※愛の精神と哲学については、愛とは何かを紐解くスピリチュアルと哲学|想いに種類と意味がある をご覧ください。
エゴとは
相互の成り合いがない、一方通行がエゴです。
しかし、存在する上で成り合いがないというのはあり得ませんので、言語化するとこうなります。
エゴとは、現実を現実ではなくするもの(意識、行為、認識)
※エゴの精神的な捉え方は、エゴとは簡単に言うと何なのか?【性格・具体例・自己チェック】をご参照ください
現実ではなくする典型が嘘、誤魔化し、不誠実さ、我の主張、押し付け、決め付け、執着、そして何より事実として起きたことを認めない行為や無知、向き合わない在り方。
認めたくない、認められないとしても地球が爆発したならそれが現実。
エゴは思考を使って現実に似せた疑似現実を作り、そこで生きていると思い込むことができます。
自分が疑似現実に入っていたら、目の前の相手は今この瞬間を生きているリアルではなく、過去に脳内にインプットした情報によって投影した相手になります。
相手ではなく、自分の中の相手を見る状態です。
一方通行であり、これに気づかずに生きている世界がエゴ、という考え方です。
いろいろ口厳しくなってしまいますが、エゴは成長し、愛を知るために必要不可欠な大前提であることを、忘れないように書き記しておきます。
※エゴが強い状態については、エゴが強いとはどんな感じ?│状態と特徴からわかる邪魔で大切な自分 をご覧ください。
愛とエゴの見分け方
愛 :[自分+他の相互認識=自分]
エゴ:[疑似的自分+疑似的他=空虚]
愛は現実という考え方では、良いことも悪いことも、不安も恐怖も、美しさも汚れも、創造も破壊も全てがあります。
感情と向き合い、意見を持ち、認識を誤魔化さず、現実を見て、自然の摂理に従うさまと言えるかもしれません。
ただ現実があるのではなく、現実をしっかり見て、感じて、考えて、自分の在り方を調整して生きているさまです。
エゴはそれらがありません。
「向き合いたいものとだけ向き合う」
この瞬間にシュッと自己都合の疑似現実世界に入ります。
そこにはカオスがなく、秩序だけがあり、良いことだけがあり、見たくないものを省き、認められるものだけを置けます。
人によっては恐怖だけがあり、嫌なことばかりがあり、被害者になれる現象を見て、認められるものだけを置きます。
このことから、愛とエゴの見分け方は、相互認識の世界にいるか一方通行の世界にいるか。
わかりやすくなればと思いますので、見分け方(相互の有る無し)の一例がこちらです。
・目の前の対象とお互いに向き合い、同じものとして成り合う愛
・目の前の対象に差を見て、同じものとして成り合わないエゴ
・自分の喜び(苦しみ)と相手の喜び(苦しみ)を共に感じるのが愛
・自分の喜び(苦しみ)だけ、相手の喜び(苦しみ)だけを感じるのがエゴ
・自分の温かさ(冷たさ)と相手の温かさ(冷たさ)を共に感じるのが愛
・自分の温かさ(冷たさ)だけ、相手の温かさ(冷たさ)だけを感じるのがエゴ
・自分と相手両方の幸せを忘れないのが愛
・自分の幸せを忘れている、相手の幸せを忘れているのがエゴ
・自分が喜ぶから相手を喜ばせるのが愛
・自分の求めるものを得たいから相手を喜ばせたいのがエゴ
・相手の意見を聞いてお互いに決め合い、作り合うのが愛
・相手の意見を聞かず一方的に決めて思い込むのがエゴ
・相手のことを知らないから知ろうとするのが愛
・相手のことを知っていると思い込むのがエゴ
・相手に与えて嬉しくなるのが愛
・相手に与えず貰うばかりになるのがエゴ
・何も考えずに相手のためにしているのが愛
・あれこれ考えて相手のためにしているのがエゴ
・繋がりを感じるのが愛
・繋がりが何かわからないのがエゴ
“お互い”がないと片方に愛があっても違和感を抱きエゴになる、そんな明確かつ淡いものが愛かもしれません。
何が良いか悪いかではなく、そこに愛はあるのかないのかがポイントです。
ちなみに無償の愛の場合、“お互い”がなくてもその前に“自分”がない(執着を手放している)ので、対象が何であれ成り立ちます。
※合う人の見分け方は、魂レベルが合わない人の特徴&見極め方【気が合う人はすぐわかる】をご覧ください。
最後に:愛は今ここ
愛の保持はできず、保持しようとすれば過去の記憶を現実にペタペタ張り付けた疑似、エゴになります。
愛は瞬間瞬間に存在しており、お互いが作り合う現実を生きる認識であり領域。
今この瞬間に、お互いが相互認識する領域に入ることで、愛を見ます。
あとは連続性を作ることで、パパパパパと愛が継続する世界を生きます。
今ここなので次の瞬間にはエゴになり、「愛エゴ愛エゴエゴエゴ愛愛愛、愛」とレゴのように組み合わせは人それぞれです。
そんな愛は必ず恐怖を内包しています。
認めがたい何かがあり、見たくないリアルがあり、拒否したい気持ちがあります。
だからこそ受け入れ、許し、より愛することができ、育まれていきます。
恐怖と向き合わないのも選択の一つ、その時は逃げて時を見る、自らを成長させて戻ってくるのも大切です。
しかし、現実を誤魔化して逃避するとエゴになり、見たいものだけを見ようとした瞬間に愛は崩れてエゴがドドンとできます。
自己都合で構築できるので立派な城のような見かけのいいエゴを作るのが、私たち人間のさがかもしれません。
すると、エゴが愛であるような思い込みを継続させた世界が続き、気づいて戻ってくるのに時間がかかる人もいます。
エゴは社会的にも生存戦略としても大切なもの、何より安泰や安息に欠かせないものとして名声を得ています。
そんな理解から、愛とエゴの見分け方はこんな方法もあります。
「この人と関わるの怖いな」と感じたら、それを乗り越えた先に愛があります。
冒険者の選択に似ていますが、「怖い道と楽な道があれば、迷うことなく怖い道を選ぶ」
その理由は、「そっちの方が楽しそうだから」
大きな愛を持つ人はこういう認識をしたりします。
愛とエゴの違いについて、ご自身の理解を深めるために一つの考え方としてご参考になれば幸いです。
それでは、ありがとうございました。
『心理とスピリチュアルの学び場』
誰しもに人生を変える機会と選択があると信じています。著名な心理セラピストとして知られる、西澤裕倖(にしざわひろゆき)先生プロデュース。
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※これは長期的に本気で変わりたい方専用です。
とても解りやすかったです!
愛とエゴの違いは、既に北斗さんの色々な記事で理解していましたが、よりスッキリと頭の中に分類することができました。
このシリーズ(〇〇と〇〇の違い)で他にも読んでみたいです!
定義がわかると読者が他の記事をより理解しやすいと思います。
毎回、言語化が秀逸ですね!
人間の愛やエゴの割合にも一定の周期がありそうですね
文明が崩壊すればまた愛が豊かになる時代がきそうな気がする(^-^)
でも、お腹をすかした熊さんには会いたくない笑
ありがとうございます♪
愛の豊かな時代、いいですね。
今もインディアン、アフリカの民族やアマゾンには根付いていましたよ。