心理と特徴

大人になっても純粋な人の自然味『危険になる人との違い』

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果汁100%とうたう生絞りジュースは、砂糖水で薄めていた。

あれはモロッコでの記憶。

幾多の理不尽と不信はびこる歪んだ世の中では、純粋性を失い、虚像を思い描いた仮想世界を生きるのが当然のストーリーかもしれません。

そんな中でも純粋さを持ち続ける人がいます。

一方で、過激な危険性を帯びることもあり、『純粋』とは一体何なのか不思議なもの。

ここでは、大人になっても純粋な人の真骨頂を、純粋が故に危険になる人との違いと共に深掘りしていきます。

  • どうして大人になっても純粋なのか知りたい
  • 純粋が故に危険になるのか考えたい

純粋さとはただ純粋であることではない。

誰しもが持てるものではない『純粋性』の内情、自己理解を深める一つの考え方となれば幸いです。

大人になっても純粋な人

大人になっても純粋な人の特徴15選

なんでも
なんでも
どんな人なのか、際立つ特徴を順番にご覧ください。

1,自分を信じる

自分を絶対的に信じている特徴、信仰心の強さの表れです。

他人を信じる自分を信じているため、一度「信じる」と決めた暁には強く信じ続けます。

人情味があり、他との繋がりが深く、許す気持ちも許さない気持ちも強く、素直さとして表れます。

純粋すぎる場合は、信じすぎる、または疑わない特徴にもなります。

思い込みと決め付けが増え、妄信で痛みを伴い、自己犠牲や騙されやすくなる場合も。

 

2,間違いを認める

純粋な人は嫌なことも認めます。

恥、屈辱、後悔、過ちを認め、思う存分認め難い嫌な気持ちを味わいます。

自分のことは自分で認めている特徴でもあり、良い悪いで価値が変わる見方ではなく、事実を事実のままに見る眼を持ちます。

事実であるにもかかわらず嫌だと認めない人ほど純粋とは真逆になるため、わかりやすい特徴です。

 

3,好きなものは好き、嫌いなものは嫌い

自分の感情と思考に真っ正直な特徴。

好きなものは明確に好き、嫌いなものは明確に嫌い。

嫌いな人が目の前にいれば苦虫を嚙み潰したような顔をしますが、好きな人が目の前にいれば自然と笑顔が多い、顔が真っ赤になるなど人それぞれにわかりやすい兆候があります。

 

4,感情表現豊か

喜怒哀楽が表出しやすい特徴。

ポーカーフェイスとは真逆、褒められたらとても嬉しくなります。

怒りも哀しみも表し、言いたいことは言います

自制がない場合、周りを我慢させるか喧嘩が多くなりますが、それが失態や間違いだとわかれば反省して見直します。

 

5,後先考えない、衝動的

思い立ったら既にピュンとどこかに行っています。

衝動的で行動力があり、直感やひらめきも多く、即座に稼働します。

ジーと黙って瞑想していたかと思ったら、「よし、旅に出よう!」と言い始めます。

周囲は振り回されることも増えます。

 

6,没頭する、周りが見えなくなる

一点集中、没頭型。

いつの間にか一点を見つめており、周りが見えなくなります。

声をかければちゃんと下界に戻ってきます。

 

7,損得勘定がない

「これだけあげたからこれだけ返してもらおう」という概念がない特徴。

返して欲しい“気持ち”はある、けれども自分や他人の行為を計算しない、優劣上下の判断をしません。

企み、思惑、ずるさがなく、時々大盤振る舞いするのも特徴的です。

 

8,物をよく与える

あげたいからあげる特徴。

「こんなにいいの?」と思えるほどお土産を買ってきます。

一方、貰う時は躊躇がありません。

大いに受け取り、遠慮のない特徴でもあります。

 

9,所有概念が少ない

スネ夫の真逆。

「これは私のもの、私だけ特権があるの、権利があるの、当たり前でしょ」がない特徴。

所有による縛り、上下格差、息苦しさ、心配、ストレスがなく、気兼ねなく自分のものを使わせます

お菓子を食べている時にお腹を空かした犬がジーっと見てきたら、ごく自然に分ける人です。

 

10,周りを緊張させない

一見怖そうに見えても重苦しくない、関わると緩みます。

周囲を緊張させない特徴であり、純粋な人は攻撃性がありません。

攻撃性は純粋さを失った時に表れ、自己防衛、トラウマ、コンプレックスなど、何かしら執着している表れを意味します。

大人になっても純粋な人ほど一つ一つと向き合うことができ、年々温厚になっていきます。

 

11,来るもの拒まず

ウェルカムマインドかどうかは人それぞれですが、来るものを拒まないのが純粋な人です。

家に招けば自分の家のように自由にしてもらう、そんな気楽さがあります。

知らない人でもその場で仲良くなれば家に泊める、旅先で招かれたらお言葉に甘えるなど、素敵な出会いをたくさん味わいます。

 

12,よく笑う、よく泣く、よく感動する

大いに笑い、大いに泣きます。

よく感動するのも特徴的で、美しいものに見惚れて涙を流し、悲しいことがあれば泣きます。

場所や状況を考慮することはありますが、笑いたいのに笑わない、涙が出てくるのに泣かないといった我慢はしません

 

13,約束を守る

「これは言わないで」と言われれば墓場まで持っていく、約束を守る人。

隠蔽しない、嘘や誤魔化しがありません

自分への正直さがありながら他者に対しても正直であり、人間関係は誠実です。

 

14,憧れ

純粋に誰か、何かに憧れる特徴。

他者を心から認められる人、何かを心から崇められる人

自分にはできないことをこなす人がいれば、「本当に凄い」と心の底から価値や美質を感じます。

「この人について行きたい、学びたい」と思う、願う気持ちがあり、向上心にも繋がっていきます。

 

15,諦めない

後腐れなく、やる時はやり、できないなら大いに惨敗、爽快。

夢があれば夢を持ち続ける、追い続ける、そのための努力をし続ける人。

見栄やカッコつけ、弱さによる妥協や出し惜しみ、手抜きなど、メンタルの歪みによる諦めがなく、過去にすがる後悔はしません。

野心や情熱、決心や覚悟を折らない人であり、自分をどれだけ信じているかが純粋性の研ぎ澄ましとして問われます。

以上、大人になっても純粋な人の特徴でした。

 

大人になっても純粋な理由

純粋であり続ける人とは?

なんでも
なんでも
『純粋さ』を表すわかりやすい存在が、『子供』だと思います。

子供は純粋で真っ直ぐ、自らの感情と欲望にまともであり、楽しければ思う存分楽しみ、笑いたければ笑い、泣きたい時は泣き、「自然に怒りが湧き出るから怒る」とそのまま露出します。

そんな純粋さを大人になっても持ち続けられる人はおそらく極少数

身体が大きくなるにつれて自我が芽生え、他人や社会影響にて我(エゴ)が生まれる私たち人間。

アイデンティティを歪め、沈め、人によっては失い、メンタルが歪み、認知力が下がり、認識が歪んで自己都合の世界を見始め、それでは社会適合しないからとロボットのように前習い。

生まれた時とはまるで別物の何かとして生きるのはこの世のデフォルトかもしれません。

そんな環境でも純粋さを持つ人は、純粋さを失わず、守り、貫き続けている人。

または、純粋さを柔軟に変化させ続けている人。

・貫いてきた人は侍のような強さがある
※一本の太い弓矢、ドンッと鎮座するメインキャラクターのよう

・柔軟に変化させてきた人には素直さ、寛容がある
※フワァ~と背景に同化、個体として控え目でありながら全体を包む大きな存在

キャンパスで言うと、ど真ん中に描く主人公か、その背景か、なんてイメージです。

タイプは違いながらどちらも共通していることがあります

自分を信じた自然なさま。

信念に忠実なさまであり、自らのアイデンティティ(または心、魂)を自然に生かす在り様。

幼い頃に持っていた“純粋性”を失わなかった、または磨き続けてきたことを意味します。

それが、信念を、心を知り、その自分を信じ続けられる人

心を主軸にして生きるさまが見られます。

 

大人になっても純粋な人の決定的特徴(理由)

なんでも
なんでも
純粋性は『自然』とも言えそうです。

ナチュラルな人にはマイペースで天然な人もいます。

ですが、一貫したタイプだけでなく全体に同化するタイプもいるため、マイペースの意味は全体(周囲)に合わせながらも飲まれず自分を存在させる力でもあります。

そんな『自然』なさまは自分を歪めず、他に飲まれない『強さ』でありながら、ここでお伝えしたいのはこれです。

嘘がない世界

[自然、純粋=嘘がない世界]

大人になっても純粋な人の決定的特徴であり、純粋であり続ける理由にもなるのが、

嘘なく生き続けること。

歪みがない、事実をそのまま見る眼があります。

嘘がないことは自分にも他人にもですが、特に自分に嘘をつかない人ほど純粋です。

自己内部に嘘のない世界を構築できる人であり、それを守り、保持、継続できる人は誤魔化しません。

物事を、事実を、自分を誤魔化さない。

例えば、優れているAさんは自分よりできる、評価される、私の負けだ。

このように思ったならば、誤魔化しなく自分が認識した事実を認めます。

純粋な人は自分を信じられるので、負けたことによる周囲の反応、優劣で区分けた社会ルールの結果など、他人によって作られた比較と作用に従順して飲み込まれるのではなく。

「だから私はどうなの?」の先があります。

「このままが私」「私にしかできないことがある」「私にできることがAさんのおかげでわかった」などなど。

自分を信じている人は他によって決められた結果に飲まれません

知性がある人はその結果を活かして肥しにもできます。

活かす必要がなければマイウェイを見つける糧にもなります。

起きる物事は全て有意義な出来事や経験になります。

曇りなき眼は常に物事の有用性、自己変化への繋がり、他への影響力を持ちます。

純粋な人にとって無駄なものはこの世に一つもありません。

 

純粋な人と危険になる人

純粋が故に危険になる人

なんでも
なんでも
純粋だからこそ生きづらくなるのがこの世です。

一貫しているタイプの場合、純粋だからこそ一貫性は他との不調和、不合致を起こし得ます。

多種多様な文化に習わし、常識も社会性も違い、価値観も観念も違うため、己を貫くことは本人にとっては純粋でありながら周囲の受け取り方は違います。

圧倒的マイノリティでありながら他への影響が強いため、周囲から抑圧や弾圧を受けやすく、苦しみや辛さが増えて自己保持が難しくなります。

純粋が故の“自己一貫性”は、周囲からの圧力にて歪められる懸念があると、「如何に自己(心)を護れるか?」が焦点になります。

生きづらく苦労が多くてもなお護り続けられる人が、大人になっても純粋という称号を手にします。

なんでも
なんでも
一方、この“貫き”が攻撃や排他になる人がいます。

護り切れなかったパターンです。

護り切れない、余裕がない、それでもなお護ろうとする場合に攻撃的になります

怒りとは自己愛であり、怒りの表れにて本当に大切にしているものがわかります。

母ムースは自分より強い動物達に囲まれる環境では、子ムースを守るために攻撃的になるように。

危険になります。

自分を護る力がない、抑圧に耐えられない、このままでは自分を失う、恐れ。

この恐れに飲まれた時、己を信じるのではなく自分の裏側、闇側のシャドーに飲まれ、何をするかわからない危険性を帯びます。

この攻撃性は悪意や意図した狙いがある訳ではなく、あくまで自己を護るため、または守りたいものを守るためであるのが特徴的です。

 

純粋さを失って危険になる人

なんでも
なんでも
純粋が故に危険になるとは似て非なるものがあります。

純粋さを綺麗さっぱり失うとこれに該当します。

意図的、または悪意を持って攻撃する危険な人です。

他人の幸せを穢し、奪い取り、不幸にさせてやろうと企む

または、怒りの元凶を他人のせいにする他責にて正当化して攻撃します

この類は純粋な人とは真逆、天と地ほど離れているので明確に区分けします。

例えば、好きだった人への逆恨み、他人の幸せが許せない、怒りのうっぷん晴らしのいたずら、相手を怖がらせる意図を持った威嚇や脅し、復讐。

※復讐や許せないが故の攻撃は心の純粋さにも一見思えますが、実際は恐怖に飲まれた弱さか、怒り(自己愛)に責任を持てない表れ

純粋さを失い危険になる人は共通して、過去のトラウマ、コンプレックス、心の傷による『自己執着』に起因していると考えられます。

一貫ではなく自己への固執や頑固であり、過去の恐怖を克服できていない表れ、過去への執着でもあります。

自分に嘘をつかない在り方ではありますが、これは信じるのではなく飲まれた状態であるために、純粋さとは違うという考え方です。

 

純粋さを持つ人と失う人の違い

なんでも
なんでも
純粋さを失うと、「やりたいようにやる」になっていきます。

自分に嘘をついていないとしても、『自然』から離れていきます。

自然から離れると、『自分に嘘をつかない』の意味が一変します。

『自分』というのが自己オンリーの世界になります

己しか見ない世界とは、他を排他しないと見れない世界。

返報性を無視しなければ見れない、認知を歪めなければ見れない世界です。

意図せずとも、能動的に認識しなければ反作用として他を排他することになり、自分だけよければとゴミをポイ捨てしていたら川の水が穢れて食料が育たなくなったみたいなものです。

独善的な有り様に『自然』はありません。

純粋さを持つ人は『自分』とは[自・他]で成り立つことを無意識でも理解しています。

事実とは[自・他]で成り立つため、そのままを見て、感じて、考えることは、その場その環境にいる自分のままに自然にいることを意味します。

自分に嘘がない世界とは、[自・他]で成り立つ自分に嘘がないこと。

自分を産んだ人がいる、育ててくれた人がいるといった大前提をはじめ、地球がある、社会があるから生きているなど、[他]を含めて己が成り立っている理解があります。

[自・他]を含めた本当の事実を見ようとする人が、事実を認められ、自分に嘘をつかない世界を構築できます。

[自己オンリーの世界]は自己都合の世界では純粋になる。

[自・他で成り立つ世界]は事実として純粋になる。

根本が違うという考え方です。

 

最後に:大人になっても純粋な人

純粋さ、自然の中身にはシンプルなものがあります。

自分に嘘をつかない。

自分を信じ続けることであり、信念を知り、心を主軸にするさまです。

そこには大前提となる『自分』の成り立ちがあり、他を含めるかどうかにて物事の見方も意味も理解も何もかもが変わります。

純粋だからこそ独善的になるのか?

なりません。

純粋であり続けられることには強さがあります。

それは自己への執着ではなく、自己を一貫する護る力。

我による防衛、損害回避ではなく、アイデンティティを信じ続ける力です。

固執は弱さ、危険性にも脆さにもなり、認識が偏ります。

自分にとって自然かどうか、の見方がある人は一貫する力があります。

相手にとって自然かどうか、の見方がある人は柔軟で寛容力があります。

己にとってのみ自然かどうか、の見方に限定される人はやりたいようにやっていく、それができなければ反発的、排他的、攻撃的になります。

純粋性とは信念の使用方法。

信念がなければそこに自分はそもそもおらず、使用もなにもありません。

信念があるから信じられ、信じられるから嘘をつかず、護る力にも強さにもなり、純粋性を持ちながら磨き、大人だからこそのものを育めます。

オーラの色が濃厚さを増すように、色に深みと味が加わるように、純粋さも熟していきます。

大人になるからこその美しさ、それは心だけでなく事実の物語り。

自然とは何かの物語り、というお話でした。

最後までありがとうございました。

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