『DNAシフトセラピスト養成講座』
・セラピストになりたい方・自己理解を本格的に始めたい方
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著名な心理セラピストとして知られる、西澤裕倖(にしざわひろゆき)先生プロデュース。
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※本気で人生を変える方専用。
愛にはさまざまな意味付けと種類があり、それぞれに愛の度合や上下のレベル分けにて、とても壮大な愛の世界が広がります。
2000年ほど前に居た、イスラエル生まれのユダヤ人である大工のお兄さんは言っていました。
「汝の隣人を愛せよ」
この人、イエス・キリストとも言います。
“隣に居る人も愛し、敵をも愛す”と、身分や関係性などの理由は関係なく、みんなを愛しましょうと謳ったものです。
この言葉には、『愛』を知る根底の想いが含まれており、『愛』とは何かにある本当の意味を教えてくれます。
愛とはとてもシンプルな想いであり、そこに種類や意味付けをして壮大な言葉とするのが、人間の創造性と思考力です。
さまざまに形を変える愛は誰もが持っているもので、どこにでも頻繁に生まれる想いです。
そこには、愛の哲学とスピリチュアルの意味があり、全てに共通した人生の一番初めに習う知恵がありますので、ご覧ください。
Contents
愛とは 哲学とスピリチュアルの認識
愛とは 哲学
愛とは何かを考える上で、初めに愛の哲学にある愛の種類を見ていきましょう。
愛を哲学する際に、人間から生み出されるさまざまな感情と想いと思考と意識を洞察します。
そのため、愛とは何かを哲学する際には、愛の意味合いを分けることをします。
古代ギリシャの哲学では、愛の意味合いを4つに分けました。
- エロス(eros): 本能的、肉体的、男女関係、性的な感情による愛
- フィリア(philia): 友情や友愛にある愛(愛情、忠誠心、信頼、結束)
- ストルゲ(storge): 親子や兄弟姉妹の家族愛
- アガペ(agape): 慈愛、仁愛、博愛、無条件や無償の愛
初めに恋人としての“エロス”があり、付き合う時間と共にお互いの理解を深めることで“フィリア”となり、結婚をすることで“ストルゲ”となり、最終的には分け隔てない“アガペ”という順序が見られます。
愛とは何かを哲学すると、愛の種類と順序があることがわかり、ギリシャでは愛の言葉には7種類あります。
- エロス(eros): 本能的、肉体的、性的な感情による愛
- ルドゥス(ludus): インスタントラブ、その場限りでの遊びの愛
- プラグマ(pragma): 実利的な愛、理由や義務的に繋がる愛
- フィリア(philia): 友情や友愛にある愛(愛情、忠誠心、信頼、結束)
- ストルゲ(storge): 親子や兄弟姉妹の家族愛
- フィローシャ(philautia): 自己愛、自分自身への愛
- アガペ(agape): 慈愛、仁愛、博愛、無条件や無償の愛
愛の種類から哲学をして、愛とは何かを順序立てることで理解を図ります。
アガペ(慈愛、博愛)は、無条件の愛であり、イエス・キリストさんやガンディーさんやマザーテレサさんなどの行動からわかる愛であり、愛とは何かを考える上では、アガペとフィローシャ(自己愛)が重要なポイントとなります。
次にスピリチュアルの概念にある愛とは何かを見ていきましょう。
愛とは スピリチュアル
愛をスピリチュアルに洞察する際には、人間の“心の認知”があります。
人間を紐解くと、肉体と脳と心に分かれます。
それぞれに、肉体は五感機能と本能を司り、脳は知識の出し入れと感情を司り、心は感覚と想いを司ります。
そして、肉体と脳と心をまとめて統括して思考を作るのが自我であり、自分を認識する主観となり、心の想いを基に自分を認識します。
スピリチュアルな概念では、自分となる魂の意識体として、全てと繋がっているワンネス(一体化)の概念があり、その繋がるものが“心”です。
心を紐解くことで、心地良さとして感じる幸福や喜びや愛の認知があり、『心は愛そのもの』というスピリチュアルな認識があります。
愛とは自分の心の想いのこと
スピリチュアルな概念では、愛とは自分のことで、自分を知ることで愛を知ります。
心を認識することで愛を基に生きる状態となり、愛に接触する反応として心地良さを感じ、愛に反発する反応として心地良くはない感覚を生み出し、愛とエゴがあることを理解します。
そして、愛とエゴによって物事の良し悪しの認識が作られます。
生まれたばかりの赤ん坊がわかりやすい例で、赤ん坊を抱っこすると感じる感覚が自分の愛と接触した感覚で、心を主体にした愛の自分がそこにはいる。
しかし、エゴを主体にした否定や批判や非難のネガティブな思いを持った人と関わると、心を主体にして接する際には心地悪い愛への反発の感覚がある。
※エゴを主体にすることで、自分が愛ではなくなるが、常に愛は自分の中にある。
自分を知ることで愛を知るのがスピリチュアル
スピリチュアルな愛を知ることは、実は自分のことを知ることです。
心の想いを紐解くと愛の気持ちがあり、心地良いと感じる想いがあります。
心地良いと感じることは日常的にあることだと思います。
「どんな時に心地良いと感じているか?」を思い出してもらうと、きっと、「楽しいこと、嬉しいことを認識した時」だと思います。
それは、自分が心から好きなことややりたいことをしている時のことでして、体裁や取り繕いもなく、自分に嘘をつかない“ありのままの自分”でいる時を知ることで、自分に愛があり、自分自身が愛だと理解します。
おそらく、お風呂に入って大声で歌っている時がありのままの自分です。
そんな心の紐解きに、愛とは何かのスピリチュアルが見られます。
※愛とエゴの関係性については、愛とエゴを知る│無償の愛以上に大切な人との関わり方にある敬い をご覧ください。
https://nandemoii.com/love-and-ego/
思考に基づくエゴの愛
愛を哲学する際には、愛の種類を洞察するので、愛の種類には気持ちではない“脳の思考”が含まれます。
脳の思考による愛とは
- エロス(本能的、性的な感情による愛)は、男女関係にある性行為を愛としてルール設定しなければ愛とは認識できず、爬虫類脳による脳と肉体の本能になる(本能の姿に装飾して愛と名付け加えた状態)
- ルドゥス(遊びの愛)は、一時的な感情に身を任せて発情したもので、動物脳による感情を使用した本能で、満たされない自分の気持ちを解消する行為
- プラグマ(実利的な愛、理由や義務感のある関係)は、今の時代では多い愛の形かもしれませんが、自分の我欲のみを追求し、体裁のために結婚したり、ルールに縛られてカップルを作ったりする行為
これらの脳の思考による愛には、全てにエゴが含まれます。
エゴとは :
自分の存在価値を見出すことを目的としたもう一人の自分
※自我から作られたネガティブな思い。ネガティブな思いを基に人生観を作る思考
本来の形にデコレートして着飾った状態で、愛と名前を付けることで、自分を納得させるエゴの思考による創造性と思考力があります。
さらに、フィリア(友情や友愛)、ストルゲ(家族愛)、フィローシャ(自己愛)は、愛とエゴの両方が組み合わった混合の想いで、人それぞれにどちらの想いを使用するかがわかれます。
心と思考を混合した愛
- フィリア(友情や友愛)は、脳の思考による分類分けや重要度の上下差を距離間に比例して作ることで、特定の人間をより強く愛することができるようにした心理であり、自己愛が含まれる。
- ストルゲ(家族愛)はフィリアと同様に、特別視するルールを脳の思考で作る心理で、自己愛が含まれる。
- フィローシャ(自己愛)は、愛とエゴの両極端の想いが含まれる。
愛とはスピリチュアルに真実がある
愛の種類にある思いと想い
人間が感じる“おもい”には2種類あります。
言葉も、思いと、想いの2つに分かれます。
・思いとは : 脳で考える思考と感情を組み合わせた気持ち
・想いとは : 心で感じるそのままの気持ち
愛を感じる際の脳と心の大きな違いは、今か過去かの時間軸。
脳は過去の記憶を使用して感じるものを作り出る。
心には記憶がないので、今この瞬間に感じる既に目の前にある想いを変換して生み出す。
脳と心があることで愛に種類が生まれ、愛とは何かの哲学は幅を広げます。
哲学とは肉体も脳も心も全てを俯瞰した洞察ですので、科学もスピリチュアルも全て含まれます。
【脳にある愛】
- 脳で考え、作りだす思い
- 過去の記憶を使用して、全てに計算式や理由(過程)がある
- エゴの愛を作る
ある人を愛する思いがある場合、その人を愛すると思う気持ちに理由が明確にあります。
「その人が私のことを大切にしてくれるから愛している」
大切にしてくれなければ、愛しているかどうか…という状態で、大切にしてくれているのが前提である思考です。
「お金を持っているから愛する」
物質的に余裕のある状態=“安定、幸せがある”と、社会で考えられて、そのルールを受け入れている状態です。
物質によって、自分は幸せになれるという思考からの愛の思いです。
【心にあるスピリチュアルな愛】
- 感じることで生み出す想い
- 今この瞬間にのみ存在する、目の前の人や自分から感じる気持ち
- 心地良い感覚
心は今というこの瞬間限定の想いで、思考がなく、感覚のみです。
ある感覚を感じ、それを想いに変換するのが心であり、人を好きになった時や愛する時に感じる、理論のない高揚感や心地良い感覚の基です。
スピリチュアルなエネルギーの概念では波動を心が変換することで感じる心地良さがあり、人から発される想いにある振動数や振動幅や振動リズムを持った、波のエネルギーを認識することで愛を感じます。
スピリチュアルな愛は心を主体にして、今を感じることで理解する感覚からの気持ちです。
赤ん坊を抱っこした時がまさに、赤ん坊からの愛の波動を自分の心が想いに変換した状態で、心地良いホワッとしたりドキドキしたりする感覚があります。
そのため、心が感じる愛とは、男女と制限を定める思考ではなく、心地良い感覚全てに含まれた想いであり、頻繁に発生する気持ちです。
幸福、感謝、喜び、歓喜、平和、平穏、愛情、豊かさ、満足、調和、協力、協調、共有、共感、尊い、敬い、敬慕、敬愛、献身、奉仕、慈悲、謙虚、理解、絆、信じる、思いやり、親切、優しさ、温情、安心、克服、心の余裕、ゆとり、祈り……
たくさんの言葉があります。
愛の想いとは、「心地良い」と感じる感覚の総称です。
無償の愛とは
愛とは何かを考えると、哲学にあるアガペ(無償の愛)に答えがあります。
アガペ(agape): 慈愛、仁愛、博愛、無条件の愛、無償の愛
※自己犠牲をいとわない無償の愛
アガペは分け隔てない無償の愛で、自己犠牲をいとわない意志です。
愛には人それぞれに愛の形がありますが、全ては心地の良いポジティブな気持ちを感じる反応があります。
脳の思考を使用することでその気持ちに強弱を付けることができますが、エゴの愛は我欲の解消であり、人を利用して自分の存在価値を見出す行為となる気持ちなので、そこにはネガティブな思いが存在します。
アガペにある自己犠牲をいとわない無償の愛とは、全てを受け入れる意志を表しており、完全に自己の存在として満たされた状態であることから生み出されます。
人に愛を与えることが喜び
無償の愛には心の認知となるスピリチュアルな理解があり、人に愛を与えることが自分にとっての喜びとなる人間性によって生み出されます。
無償の愛を持つ人は全てを受け入れているので、「辛く苦しいことが悪いこと、嫌なこと、利益にならない」などの思考はなく、ネガティブもポジティブも超越しています。
人に愛を与える気持ちは“自己の成長”となり、全てを受け入れて人々につくすことをもいとわない気持ちがあり、自分を模索したり、エゴにコントロールされる状態を終えて、ありのままの自分として心を主体にすることで、自分自体が愛の存在として生きていきます。
無償の愛とは自己の成長を求める意志
人に愛を与えることが自分の成長に繋がる意志を持ち、ネガティブな状態も喜びの材料となる認識から、無償の愛が生まれます。
スピリチュアルな理解では、自己の成長をすることで愛の認知度を高める意味があり、愛の存在として、自分を愛するために人を愛します。
アガペの無償の愛とは全てを受け入れる気持ちで、心を主体にしてありのままの本当の自分として生きる意味があります。
無償の愛とは自分と他を大切に敬う想い
自分を愛することを忘れずに、他者に愛を与えて敬う気持ちが無償の愛です。
人に愛を与えることが自分の喜びとなり、愛を育む自己の成長になる気持ちです。
無償の愛には物事を受け入れる許容があり、ありのままの自分として嘘や演技なく生きていることから、愛の認知を高めてより自分を成長させようとする、自分を愛する意志があります。
そのため、辛い苦しいという概念はなく、人に愛を与えることが自分の成長に繋がる博愛精神となり、自分を愛するからこそ自己犠牲もいとわない理解を持ちます。
※真実の愛としての本当の愛が別にありますので、本当の愛を持つ人の特徴とスピリチュアル|無関心と紙一重な親愛の真実 をご覧ください。
愛とは自他を敬う心の想い
愛には心の想いもあり、脳の思考により作り出す愛の思いもあります。
スピリチュアルの考えでは私達は愛の塊であり、誰しもが愛の存在です。
そこに脳の思考によるルール設定や評価や判断、エゴによるネガティブな思いや否定や批判や評価があることで、自分が愛である認識とは別に、思考的な愛が強まります。
愛とは“感じる”ことで理解するので、今この瞬間に生み出される想いで、大好きなことをしている時に感じる感覚や、愛する人を前にして感じる気持ちです。
- 自他を思う思考の愛
- 自他を敬い想うスピリチュアルな愛
※人それぞれに愛を持ち、使い分けることも可能
愛とは自分も他者も敬う気持ちです。
愛の存在として心を主体にした際に、ありのままの自分の反応にて、愛があるかどうかがわかります。
愛があれば心地良く、愛がなければ心地良くないので、嘘をつかれているかどうかは、心で感じることで直ぐにわかります。
受け入れる気持ちが愛を生む
愛の意味となる“敬う”とは、その対象となる人などを、その人として尊重することです。
敬うことに“尊敬”の念を入れるかどうかは自由で、あくまで“尊重”することなので、その人をその人として認めて受け入れることです。
認め受け入れることで、その人はその人自身として生きることができます。
敬うとは、自分や他のルールを押し付けず、相手の考えや行為や生き方を受け入れて、干渉せずに人それぞれの世界や認識を尊重することです。
敬う気持ちを抱くと、相手のあるがままを受け入れて大切な存在として認める想いが生まれ、愛を認識します。
人を愛するとは敬い受け入れる許し
受け入れることは敬いであると同時に許しです。
愛と怒りは表裏の関係を持ち、愛を裏返すと怒りがあり、愛がなければ怒ることはありません。
そして、愛の正反対がエゴであり、エゴは憎しみを作り、対象のない恨みを持ち、最後に自分にも他人にも無関心になります。
受け入れることは人を愛することとなり、愛を与えます。
愛をもらう側は愛を必ず感じます。
愛とは最も心地良さを感じる波動であることから、愛を与えて感じない人は存在しません。
わかりやすい例として、ダウン症の人と関わると、愛をもらう意味を体感します。
ダウン症の人は愛を一方的に与える力を持ち、関わる人を愛と幸福に包み込んでくれます。
敬うことができずに、自分のルールや意見を押し付けてしまうのであれば、愛は生まれませんが、思考的な愛を作ることができます。
愛を与えていると思っても愛ではないので、相手は愛を感じることはなく、もらってもいません。
敬うことに見返りを求める思考はなく、損得勘定はありません。
人を愛するとは自分を忘れずに愛すること
イエス・キリストさんは、「汝の隣人を愛せよ」と言ったそうです。
この言葉は、隣人を愛し、敵をも愛すことから、全てに愛を与えることの大切さを謳い、そこに分け隔てはないことを意味します。
“隣人”とは距離のことを示していて、最も身近な所から、最終的には最も遠い所まで愛が広がるのですが、最も身近な所とは、自分のことを意味しています。
愛を与える人は自分を愛することを絶対に忘れません。
自分を敬い、自己の成長を求める目的を持つことで、他の喜びが自分の喜びとなり、常に自分を愛することを忘れず、同時に他を敬う気持ちを持ちます。
自分も他者も同時に敬い受け入れることが、人を愛すること。
愛とは、自分も他者も含めた『人を愛する気持ち』
愛とは スピリチュアル まとめ
愛とは心で感じる自分と他者を敬い大切に想う気持ちで、スピリチュアルの認識では自分自身が愛そのものです。
愛はあらゆる場所や状況に溢れています。
特に人と人の間では常に愛の与え与えられの循環が起きています。
愛とはスピリチュアルも科学も哲学もない、根底の赤ん坊が持つ想いです。
しかし、愛を改めて認識する際には、スピリチュアルも科学も哲学も全てが大切で意味のあるものになります。
人間の能力は、愛を増やすことができることです。
自分を愛して人を愛する、共有して愛を育み増長することでみんなの喜びとなり、心地良い気持ちを広げることができます。
人を愛し、愛を与えることで愛は広がります。
愛を知る人が集まることで、愛の想いを増長させることができます。
パートナーや恋人同士でも、家族同士でも、友人同士でも、動物とでも、関係性や繋がりの縛りは関係ありません。
愛を共有することで、お互いの愛の想いを大きくして、愛に包まれることを可能にして周囲に良い影響を与えます。
そして、愛の想いは人々を伝わり、動物を伝わり、自然を伝わり伝播していきます。
愛とは何か大それた特別な想いではありません。
どこにでもある大きな力、それが愛です。
初めに自分です。自分を敬うことで自分を満たします。その後は他を敬い喜びを与えることで、自分が喜ぶ自己の成長が始まります。
目の前にあるその想いを膨大にすることもできますし、なくすこともできます。
全ては自分の選択です。
全ての人が幸せに過ごす世の中がいつか訪れることを望み、愛についての哲学とスピリチュアルの話をご覧いただきました。
それでは、愛とは何かについての話を終了します。
最後までお付き合いいただきまして、ありがとうございました。
『心理とスピリチュアルの学び場』
誰しもに人生を変える機会と選択があると信じています。著名な心理セラピストとして知られる、西澤裕倖(にしざわひろゆき)先生プロデュース。
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※これは長期的に本気で変わりたい方専用です。
美しい文章をありがとうございます、他にも読ませて頂きます🙏 アイシテル🌈
愛を忘れかけたときに定期的に読み返しに来ています。自分を愛せず脳の納得のために人を利用する形で「自己犠牲」の思考的愛を使いがちです。
言動など表面的には似ているから厄介ですね。自分を認識して満たすことを忘れずにいたいです。
こちらのブログはボロボロになるまで読み込んだ教科書のような存在です。本当にありがとうございます。
教科書と言っていただけるとは、何とも嬉しい限りです。
愛の形は自分と同じで無限。まさに自己認識して満たし、愛は常にあると気づかれると素敵ですね。
こちらこそありがとうございます。私もそうですが、ボロボロに読み込んでやりましょう!
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