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先読み、観察、推測、配慮、気使い、優しさに忙しない。
気を使いすぎる、合わせすぎる、尽くしすぎて疲れてしまう。
他人優先や自己犠牲であっても、実情は常に自分のためであるのが私たち人間です。
自分の心を防衛する目的があるので、なかなかやめるのは難しい。
しかし、精神も疲弊するので好ましい手法ではないかもしれません。
ここでは、気を使える利点を活かしながら弊害をなくす、そんな策略をお伝えします。
- 疲れる根本原因を知りたい
- 気を使いすぎて疲れる状態を改善したい
気を使うことは社会性であり、優しさにも繋がる大切な行為です。
使い方を見つめ、自他共のためにする、そんな深掘りがお役立ちになれば幸いです。
Contents
気を使いすぎて疲れる理由・原因

気を使いすぎる
「あの仕事、やっておいたから」
「追加の枝豆?さっき頼んどいたよ」
「ぬいぐるみの右腕が醤油につきそう、でも守るー」
「悩み事あるよね、うんうん、そうそう、わかるよそれ」
周囲を把握し、必要なことを理解、先読み先回り、配慮に優しさ。
提供提供、寄ってらっしゃい見てらっしゃい、もうあげちゃう、全部持っていきな、タダ!
気を使う公式はこのようになっております。
[気を使う = 認知努力+知能発達+実行動]
これを過剰にすると当然疲れます、過剰にしなくても疲れます。

喉を抑えてちょっと夕陽の方を向き始めたら、「(あ、喉が渇いてるんだ)何か飲みますか?」と尋ねる。
「え、そんな大丈夫ですよ」
「遠慮なさらず、ちょっと直ぐ買ってきますね」
「あの、ジュース代払いますよ」
「いえいえ、そんな大丈夫です」
「え…、それは悪いですよ…」
と気まずくなれば、話題を提供して話を変える、一件落着。
でもなんだかまだ払いたそうにしていれば、「今度もしよければジュースおごってください」と配慮して落着。
どこまでも配慮気使い、いらっしゃいませ。
少しでも心電図が上下変動したら相手を見つめ、感じ、考え、行動することは、神経を使い続けるさま。
この時に起きているのは、相手を観察し続けること。
さらに、観察していると気づかれては相手に嫌な気持ちをさせてしまうので、気づかれないように気づこうとする隠れみの。
視線はあっちを見ながら、フワァ~と実は全体を見ている技。
情報収集と整理、そして実行動にてエネルギー消費が著しく、どう考えても疲れますが、疲れる理由は他にあります。
気を使いすぎて疲れる理由

気を使わない人は何も気にしません。
社会性も、常識も、ルールも、文化も、成り立ちも。
気を使う人は気にします。
両者の違いには、自分の抑圧度合いの違いが見られます。

感覚感受が敏感で繊細、認知が細微で気づきやすい人もいます。
「人々を気にかけて配慮しなければいけません」と強迫観念がある人も。
否定される、嫌われる、傷つくなど、過去の経験側にてインプットされた恐れに屈服した人もいると思います。
日本では気を使うことは常識であり、『忖度』という言葉もあります。
忖度とは、相手の気持ちや考えを推測し、配慮すること
忖度にはネガティブな一面があり、過剰に相手のために自分を抑えることが起きます。

相手のために自分を抑え過ぎると、気を使って疲れるところまで行ってしまいます。
気を使うことが自分を抑える行為の増長にもなるため、精神衛生上からも疲れます。
「どうして自分をそこまでして抑えるの?」
この解は人それぞれに性格、メンタル事情、過去のトラウマやコンプレックスが纏います。
が、それ以上に着目したい根本的なものがあります。
※変な人が寄ってきて疲れる場合は、【重荷の引き寄せ】変な人が寄ってくる原因とスピリチュアルな訳 をご覧ください。
気を使いすぎて疲れる時、相手も疲れている

自然界が循環するように、自己内部にも自然の循環システムがあり、細胞が死んでも再び生み出し、育み、構成していきます。
気を使いすぎることで循環がない場合、対人(気を使う相手)との循環がないことを意味します。
一方通行。
相手のことを考えられていない場合、気を使うほど相手の喜びや反応が薄く、より頑張ることも起き、さらに疲れてしまいます。

考えていないのではなく考えられていない状態は、悪循環に陥る可能性もあります。
これに該当する場合、気を使って疲れる時、相手も疲れています。
相手は気を使われることに違和感があり、イライラし、めんどうに感じます。
「良かれと思ってやってくれているんだろう」と相手を傷つけないようにする優しい人は、気を使われても何も口出しせず我慢して受けます。
「この人は自分のために気を使っているな」と思っても相手のことを配慮する人は、何も口出しせず我慢します。
我慢とは自分を抑える行為。
疲れます。

自分を抑えて相手のためにする行為は、相手を抑えて自分のためにさせてしまう行為にもなり得ます。
「相手は抑えなくていい」と思えますが、抑えなくていい気使いができているかどうか。
一方通行であればその気使いができていません。
このことから明確なことがわかります。
気を使いすぎて疲れる時、気を使っているのであって、気が利いている訳ではない。
例えば、
「少しできるようになったので、これを見てもらっていいですか?」
「え?わかりました、いいですよ」
「波動拳、ハッ!パス」
「波動拳、ハッ!パスぅ、あれぇ、ちょっと待ってください、さっきまでできたんです」
「ハッ!ハッ!ハッ!ハッ!ハッ!………」
カラスがカァー、カァー
「…あのぉ、いつまで見てなきゃいけないんですか?帰りたい、トホホ」
※優しすぎて嫌われる場合は、【いい人にありがち】だんだん嫌われる理由4選&社会的理由2選 をご覧ください。
根本原因:優しさという呪縛

気使いの過剰は自分のみならず相手をも疲れさせる行為。
[気を使う=優しさ]という信念体形。
気を使って疲れる場合、「これは優しさである」と信じたい念があると考えられます。
繊細、敏感、共感性が高い人ほど、認知能力、感受性、社会性がある人ほど。
損害回避傾向、過剰適応、完璧主義、テキトーにできない生真面目な人ほど、相手の気持ちや考えと同調したり先読みして配慮します。
相手のために自分を抑え、使い、努力し、頑張っているため、日本では『正しい行い』になります。
優しさである場合、社会的でありつつ正解、心の防衛としては鉄壁の完成。
気使いを止めるものがなく、むしろ頑張って、我慢して、努力する意気込みもできます。
ですが、そもそも考えたいことがあります。
気を使うとは自分の心の防衛であり、自分のためです。

例えば、社会性を身に着けるのは心を護るため。
気まずい雰囲気で、「あなたと一緒にいてもつまらないですね、どっか行ってください」と正直に伝えて喧嘩にならないため、敵を作らないため、傷つかないための処世術。
自分のための行為であるため、『正解』とシールが張られれば率先して使いたくなるのは当然かもしれません。
一度メディアで取り上げられたキャンプ場であれば、そこに行って間違いないと思うのと同じ心理です。
ちなみに、頑張って気を使うことで「やってます感」の生み出しとなり、無能に思われない、気まずさや恥を味わわずに済むなど、誤魔化し策にもなるのが気使い。
※完璧主義、醜態を見せたくない、仕事がなくてもダラダラとさぼることができない人が該当します
気を使いすぎて疲れる理由は、
・相手のために自分を抑えることで循環が生まれないから
・気が利いている訳ではなく、一方的な気の使い方になっているため
根本原因は、
・[気使い=優しさ]の信念体形によって、社会的に正解、人間的に正解、否定されにくく、自己評価や価値に紐づけられるため
気使いを率先する理由が多く、やめる理由がないという考え方です。
※めんどくさいと思われる詳細は、【トラップ有】気を使いすぎる人がめんどくさい理由6つ&見直し点 をご覧ください。
気を使いすぎる改善

事前理解:気を使いすぎて疲れる人の決定的特徴
気使いを優しさだと思う場合、決定的な特徴があると考えます。
優しいけれども思いやりに欠けている。
優しい一方で思いやりがない場合、「相手の気持ちがわかる、観察すればわかる」とどこかで思っている。
または、「相手のことなどわからない、気持ちなんてわかりっこない」と思っていないふしがあります。
このメンタルが意味するのは、自己認識の過剰。
自分側の目線が強い意味。
自己内部から自分を見る、または自分目線での自分の見られ方をよく知っており、一方で思い込みと決め付けが増えながらそれに気づきにくい、人の意見を受け入れにくい状態です。
これに該当する場合、改善ポイントは如何に自己世界から抜け出して相互交流、循環を作れるか。
お伝えしたいのは二つです。
改善策➀方法:思いやりにアップグレード

隣人は泳ぐ亀を見て何を思っているのだろうか?
お祭りのボンボンするヨーヨーを水から吊り上げている時に考えた。
「あの亀さ、真上で人間はお祭り気分、でもそんなの関係なく水のブクブクを味わってるって思うと、亀も人間も同じ、これがお祭りの風情ってやつかねぇ」
他人の気持ちはわかりません。
「わかる」と思っている時、実際にわかるかどうかを見ていなかったりします。
わかると思う自己を見ており、自分に対する執着を意味します。
私たちは物事を認識する際、自分の心を投影しているため、相手を見ているようでも実際には自分を見ています。
自分の心を見ています。

人の気持ちを理解するためには、「わかる」は存在せず、「わかろうとする」努力や共感の育み、寄り添いや事実への近付きが存在します。
智慧・受容・心の柔軟・行動の組み合わせを意味します。
智慧には情動的共感と認知的共感、いわゆる感情と知性による共感を要し、何よりそれらを育む経験、人間との多くの関わり、失敗、成長意志が要ります。
優しさは表面上でも優しさ、ルール従順でも、「わかる」でも、「わかろうとする」がなくても、自分のためになっていなくても、相手のためになっていれば優しさです。
一方、思いやりに外面はありません。

[思いやり=認知的共感+情動的共感+行動+素直さ(心の柔らかさ、執着のなさ、受容力)]
※「自分のため+相手のため」が合わさる
相手のために自分を抑える行為は何があっても思いやりにはなりません。
思いやりは相手の幸せを願い、苦しみから解放するための実行動であり、必ず自分のためと相手のための両方があって成り立ちます。
ここで思い出したいのは、そもそも気を使うことは心を防衛する“自分のため”になっていること。
これを主軸にして、あとは相手のためになっているかどうかに着目して行動し、成果を磨いていく経験増やしにて、優しさは思いやりになっていきます。
その時、疲れなくなっています。
重点は、自分を抑えていることではなく、既に自分のためになっていること。
これを知り、[相手のため]を増やす経験、失敗の積み重ね、反省、試行錯誤が思いやりにアップグレードする方法です。
人生一歩一歩です。
※優しさと思いやりの違いは、【日本の特性】優しいけど思いやりがない人の特徴と心理 をご覧ください。
改善策②:相手も疲れていることに気を使う

疲れなくするためには思いやりが大切ですが、思いやりは長年をかけて育み培うものなので時間がかかります。
気を使えることは自己認識力、情動的な共感力、実際の行動努力があり、何より社会性があります。
自己認識が高いと自分を内側から捉える、自分目線で外側からどう見られるか捉えるのに長けています。
自分事に過敏になり、疲れも認識しやすくなりますが、「自分が疲れている時は相手も疲れているかもしれない」と年頭に入れておくとお役立ちになると思います。

これによって、「相手が自分によって疲れてしまっていないか?」に気を使えます。
※これで気を使えるかどうかで、“相手のため”があるかどうかの自覚にもなり、人によっては本来の気を使う行為の目的が明確化します。
「さらに気を使うのでより疲れてしまうのでは?」と疑問になるかもしれませんが、疲れる要因は自分のエネルギー消費以上に循環のなさ、一方通行の関わりであるため、相手のための気使いは相互交流を作る根本アプローチになります。

相手が疲れないように気を使う場合、見つめたいのは自分ではなく相手への影響。
相手の反応、現実として相手のためになっているかどうかの着目が増えると、自他両方のための優しさになるため循環が生まれやすく、疲れても回復が早くなります。
自分の行動を振り返り、内省し、見直せるので、より精査されていくと疲れが減り、人間関係も円滑になります。
気を使うことでイライラされる、めんどくさがられる、執着される、変な人が寄ってくるなどが解消されていきます。
疲れる場合は相手も疲れている理解が大切です。
※頑張りすぎる場合の改善策は、【迷惑にもなってしまう】頑張りすぎる人の自己理解『やりすぎない方法』をご覧ください。
最後に:気を使いすぎて疲れる
気を使う行為は優しさ、社交であり、心の防衛手法でもあります。
表面上の取り繕いにも、一方的な利益与えにも、執着にもなるリスクがあります。
一方、思いやりは無理のない範囲で自分を相手のために使う行為。
気を使いすぎることはなくなり、自他両方のために気を使い、気を利かせる働きになります。
実行は難しいですが、優しさのデメリットは全て解消され、相互交流を深めて自他共にリターンを作る心の働き。
気を使いすぎて疲れる場合、優しさから思いやりにアップグレードする示唆かもしれません。
現状は自己認識に特化し、自己世界に知らぬ間にこもっている可能性があります。
気を使える以上、残すは他者側の目線、認識を追加し、自己認識を緩和させる大切さ。
それは他者の気持ちはわからないという無知の知から始まり、だからこそ諦めや放棄ではなく、寄り添い近付くための努力へ向かいます。
共感性は情動によるものだけではなく、知性も含めた認知的共感力となり、自分が自分の心を見る状態からシフトが起きます。
その時、“気を使う、忖度”の意味は瞬く間に一変し、周囲を喜ばす循環クリエイターとして花開きます。
自分を大切にするためにも、
疲れること、そして相手をも疲れさせている可能性を考慮し、在り方を見つめる機会になれば幸いです。
ありがとうございました。
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