周りの言動が気になる、他者のエネルギーに一喜一憂する。
今日もなんだか心臓当たりが苦しい…。
感受性は認識力を高めるために欠かせない素質、一方で情報量の多さ、多種多様な感じ受けにて心が繊細になります。
些細なことでも気になる。
私自身、隣に波動ピリピリの人が来れば瞬く間に集中力はなくなり、いつの間にか気にしています。
しかし、気にしないことができます。
ここでは、気にしてしまう敏感な方、感受性が強い方、エンパス気質の方へ向けて、私自身の理解している心の磨き方をお伝えしていきます。
- 周囲の言動を気にしてしまう理由を知りたい
- 気にしない方法を知りたい
方法は陰陽両面ありますが、片方に寄ると過敏になる可能性があるので、注意点と共に見ていただければと思います。
気楽に人と関わるためにも、一つのご参考になれば幸いです。
Contents
周囲が気になる、気にする理由

周囲のエネルギー感受
あの顔はいつもと違う、何か言えないことがあるのかも…。
この人といると苦しい、なんか心臓がキツイ…。
この中に一人嫌々笑っている人がいる…。
なんだこの違和感、もしかして嘘か…。
周囲の言動が気になってしまう。
気にしすぎると思考がグルグル止まらなくなることもあると思います。
そこにはメンタルや精神影響、感受性による知覚認知と心が関わります。
感受性が強いと見えない領域を幅広く、かつ詳細に感じます。
心の負担が増え、安定と反して変動が激しくなりえます。
私たち人間は潜在領域での認知が主と言われています。
ほとんどは無意識領域であり、はっきりわかると思えることはごく僅かです。

例えば、過ごしやすいカフェ、心地よく気楽な気分、長時間居てしまう。

一方で、入店した直後に退店したい、もはや入店する前から入りたくない強烈な感受がある場合も。
例えば、レストランでハンバーガーを食べていたら、隣のテーブルからこちらに対する気持ちが届いてきた。
感じる視線、気にされている何か。
直接言われればこれ以上ないほどはっきり認知しますが、言われずとも私たち人間は波動を常に発しているので、エネルギーを感じています。
「こちらの気にしすぎかな?自意識過剰かも?」と思えます。
実際にそういう場合もあると思いますが、感受性が鋭い人ほど“”感じ“”は明確。

どうやら話し声が大きいことに対して、「非常識だ」と思った波動を感受していたようです。
波動感受は自分次第以上に、その人その場所その環境次第で目まぐるしく変動するため、動揺しやすくなります。
波動とはその人のその時その時の“今の状態”を表す状態エネルギー。
人の状態エネルギーを知覚すると、人それぞれに心地良さ、高揚、興奮、心地悪さ、違和感、抵抗感、反発感など、曖昧でありながら明確な感じがあります。
霧のようにモフモフだけれども、はっきりと色が付いている、なんてイメージです。
カフェに入店して十人いれば、十人十色の状態エネルギーの感受があります。
これを認知すればするほど、さらに“認識”という識別をするほど情報量は多くなり、心身稼働は激しく、疲れます。
何よりメンタルに影響が強くなり、一喜一憂しやすくなります。
『気にする状態』です。
不安が増えるほど気にする

わからないことが多い、何が起こるのか起こっているのか不明であるほど[気にする]が生まれます。
「わからないけど確実にある」
まるでお化けを感じているようです。
この状態、『認める』行為が難しくなります。

認められないと自分なりに処理しにくく、世界がもやのかかった灰色になるイメージです。
心身が状況把握できないと、内部で警告音がパーパー鳴り始めます。
自分が自分にたくさん質問し始めます。
「この状態どういうこと?」
「この知覚情報は何?これは?あれは?」
「はやく理解しなければ、これはどういうことだ?次のが来た!あぁあぁああ!」
認められないと不安になります。
図星だけれども認めたくない時のように、認めたいのに認められないとより不安になります。
認められない状態をなくすために誤魔化すか嘘をつくと楽になりますが、感受は思考とは違い明確な自己認知であるため、「いや、これは何かの勘違いだ」とするにはより明確な自己認知(体感や経験)が要ります。

「それは科学的に根拠のない事柄だから勘違いだ」は全く歯が立たないほど通用しません。
理論は実感に勝てません。
「はいあなた!今嫌な気持ち出したね?でしょ?出したよね!」
「え、まぁもしかしたら出てたのかも…」

「ほらね!やっぱりだ!」と強引にすれば認めやすく、気にならなくなるかもしれません。
しかし、それは性格的に別の問題が生まれてしまう。
他人のことは他人にしかわかり得ないので確かめようが難しいです。
他人が発したエネルギーなので尋ねてみても、「え、波動?私が発した?何言ってんの?オカルト?」となる。
確かめようがないと決め込んだり思い込んで処理する人もおり、「絶対そうだ!」とすれば自意識過剰になる人もいます。
認められないほど不安になる。
不安になるほど気になる。
不安を嫌がるほど気になる。
気になるほど事実を確かめたくなる。
「わからない」をなくしたいほど気になる。
気にしている対象は「自分」

これは理解できない人にとっては全く理解できないと思います。
ただ隣に居ただけで、「波動ピリピリだ」「集中できない」と思われているなんて自意識過剰と言われても仕方ないかもしれません。
ここで着目したいのは、「気にする」というのは他人ではなく[自分]に意識が集中していることです。
過剰かどうかは人それぞれですが、他ではなく自分を気にしている。

気にする時の私自身を例にすると、「一切他人を気にしていない」と言っても過言ではありません。
他の波動にて気にすることになったとしても、実際にはその感受をした自分の状態、心の気持ち、感情、機嫌、欲望を気にしています。
すると頭がグルグルと考え事を始め、脳内お喋りが止まらない、眠れない。
自制がなくなり、考えるほどに不安が増え、考えるのをやめられなくなり、気になる歯車が止まらなくなる循環もできます。
感受性によって気にすることは、自分に意識が過集中している状態が考えられます。
※感受性による生きづらさは、【自己認知0%と100%】感受性が強すぎて生きづらい、直ぐ泣く理由 をご覧ください。
感受性が強い人の周囲を気にしない方法

気にしないためのポイント:自分から離れる
自分に意識が埋もれている。
意識が埋もれると、気にしている心地悪い状態から自分を防衛しようとエゴが増えます。
勝負優劣認識、比較意識が激化、強がる、見栄が出る、他者を見下す、自慢する、正当化する、恥への恐れが強くなる、嘘や取り繕いが増える、我慢や頑張りが増える…。
他への配慮や尊重がなくなり、他を想う気持ちが埋没します。

私自身、気にしている時を洞察すると、知らぬ間に自分を俯瞰しなくなり、不安によって嫌な気持ちになり、既に飲まれています。
無意識に自らに飲まれるのは自己コントロールがない、自己保持できていないと同義です。
以上から、気にしないためには意識の埋もれをなくすのが大切になります。
如何に自分から離れられるか、という見方です。
※気にしない人の強さは、【気にしない人最強説】人にどう思われても気にしない人の特徴15選 をご覧ください。
気にしない方法
そのためには、意図的に他を認めることが方法です。

「気になるそれを、その人を、その場所を認める」と意識すると気にならなくなります。
「この人を認める」と意識する、意識するのが方法です。
これは私を対象にして気づいたのですが、周囲の波動を気にする時の私は私自身を思いっきり認めています。
感受による体感は自分にとってはっきりしたものであるため、知覚したものを認めることはそのまま比例して自然と自分を認めていきます。
これが行き過ぎると自分を俯瞰できなくなり、懐疑視点など第三者目線がなく冷静さがなくなり、自意識過剰にもなりかねない。
気にする状態は無意識に自分を強く認めるため、意図的に他を認めようと意識することで緩和させつつバランスを持つ、という仕組みです。

例えばこんな具合です。
(フィクション)
カフェに行った際、隣のおばちゃんグループは楽しそうに話していい雰囲気。
もう一方の隣の夫婦は静かにコーヒーを飲みながら、お互いに対する嫌味を小声で言い合っている。
旦那さんが明らかな劣勢、ごまをするようにエゴを出してへらへらし出す。
奥さんは優勢、上からの見下しが増えて嫌味は辛味へ進展。
両者のこねくり回した歪みのエネルギーは店内に響き渡るほど、咳が止まらんぞ。
近くにいるあなたは心臓当たりがズキズキして、なんか耳から小人が出てきて、「メルリルラ…」と言い出している。
この時、隣のおばちゃんグループの素敵な雰囲気も同様に感じているため、フワーと心地良さを感受します。
私たち人間は報酬を与えてくれる人を認めたくなる心理があります。
※返報性の法則、認知不調和の解消
利益を得た喜びよりも失った苦しみの方を強く感じやすい心理もあります。
※プロスペクト理論
おばちゃんグループの感受は自然と認めており、嫌味夫婦の感受は不利益という認識にすらなり得るため認め難いです。
「心地良い雰囲気を感じると吐きそうだ、素敵な気持ちを味わってしまった、最悪だ」という人からすれば、おばちゃんグループを認め難くなります。
その人その人の基準にて陰陽、愛とエゴどちらが認め難いかは変わります。
あばちゃんグループを自然と認められる人の場合、嫌味夫婦を意識して認める。
嫌味夫婦を自然と認められる人の場合、おばちゃんグループを意識して認める。
認めていないことほど気になるので、認めていない対象を意識的に認めると気にならなくなります。
このために具体的なステップがあるので、詳細に入りましょう。
ステップ➀:気にする対象の明確化

これまでお伝えしたように、気にするのは認めていない何かがどこかにあります。
宝探しみたいなイメージでいきましょう。
例えば、感受性の強いAさんは会社の同僚三人と一緒にお昼の食事へ出かけました。
楽しそうにしていましたが、注文する時に状況一変。
一人がメニュー表を見て、「どうしよう?」と悩んでおり、他二人は決まっている。
いつまでも続くメニュー表とのにらめっこ、お昼時間が少しずつなくなっていく。
それにイライラし始めた一人、それを察知した一人が空気を直そうと気を使い始める。
メニューが決まっていない人は無意識に焦り始め、より決められない感じに。
これらを全て感覚的に受け取っているAさんは心臓をギュッと掴まれた苦しさ、他三人が気になる。
この例ですと、誰の何が気になるかは人それぞれだと思います。
全員なら全員、誰か一人なら一人、対象を特定することが大切です。
気にする時は自分に意識が過集中し他人を気にしていないので、何か対象を探すことで意識を自分から離せます。
その人が良いも悪いもありません、シンプルに対象を探し出します。
特定できずとも、「この場所全体が、この車両が、この辺りが」とそれを認識すると対象のピックアップが完了します。
ステップ②:意識的に相手を認める(ツッコミ)

例えば、「挨拶してもなんか変な違和感があるんだよなぁ」
そんな職場の同僚に対する感受がある。
存在を、その人であることを、そのままをそのまま認めます。
「これがこの人なんだ」

関西のツッコミ、「なんでやねん」は相手を認めているわかりやすい例です。
否定ではなく愛、認められるからこそツッコめます。
※個人的感想:認めていない人のツッコミは何も面白くない
「なんでやねん!」を言う前の状態を目指す、または口に出さずとも心の中でツッコむのはおすすめです。
例えば、コンビニ店員が波動ピリピリで働いていたら、「なんでやねん!何があってん」と心の中でやると気にならなくなります。
重要なのは、[正否、良悪、勝負、優劣、上下、高低]なにも条件を付けずに認めること。
正しいも間違いもなく、自分にとって良いも悪いもなく、世の中にとって善も悪もなにもなく。
ただただその人を「こういう人なんだ」と認める、これを意識的にすることが肝になります。
「ごちそうさま」を大きな声で言わなければ退店してはいけない雰囲気を出すラーメン屋であれば、「これがこの店主のスタイルなんだ、この人なんだ、この店なんだ」
または、「なんでやねん!」
否定ではなく愛ある「なんでやねん!」
違和感、抵抗感、嫌悪感があっても、その対象を見つめ、感じている意識を持ち、「これがこの人なんだ、ニコ」となればバッチリです。
ニコとならなくても認めると気にならなくなります。
※メンタルを強くする方法は、メンタルが強い人の秘訣「気にしない」【強化は筋トレと同じ】をご覧ください。
最重要ポイント:相手を認める=自分を認める

感受している自分を認めながら周囲を認めないというのは、他を含めた自分の存在する世界を見ていない状態です。
他を含めた世界にいない(自己限定の世界にいる)
※人によっては無意識に他を否定している状態
他を認めていない=実感による自分の認知は認めているが、自分の行為(気にする)は認めていない
※気にする行為の責任を持ちにくいさま
その人を認めるというのは、その人をスゴイ、素晴らしいとすることではありません。
「その人がスゴイのであれば、それじゃあ私は…」と対比して自分を見出すためでもありません。

ただその人はその人であると認める、存在していると見て、それ以上干渉しないこと。
それは逆説的に、「気にするのは自分が気にしたいから気にしているんだ」と責任を持つ意味になります。
「この人がいるから私は自分を認識できる」ではなく。
「この人がいるから私は気にするという行為ができている」
いわゆる、他がいるから自分があると知ることを意味します。
他を認めることはそのまま自分を認める行為です。
他を認めると、自分が気にしたいからしているという認識が無意識にできます。

気にするのは場所のせい、他人のせいではなく、『自分がしたいからしている』と行為の責任を持てると、気にする自分を気にしない自分に変えられます。
他のことは変えられません。
変われるのは自分のみです。
※エンパスの感受能力については、【エンパスの特徴は全て自意識の強さ】感受力にスピリチュアルな不思議 をご覧ください。
注意点:他人に興味をなくす方法もある

他人に興味をなくすこと。
注意が要ります。
興味を持たなければ、「他を認める」を必要としない世界を構築できるため、他の言動に対する違和感や抵抗感はググっと減ります。
自然と気にならなくなる、無関心です。
不干渉と無関心は全く別物です。
不干渉は相手を認めてそれ以上干渉しない。
その人がその人であることを認めた上での野放し、個々の尊重、自力の見守りにもなります。
無関心は相手を見ません、野放しだろうが何だろうが知ったことではない。
無関心で気にならなくすると対象は全員同じ顔なしになり、周囲を配慮せず好き勝手やるなど、自制の育みができなくなる可能性があります。
「全員同じだろう」と一緒くたにすると、自分が傷つかないための術にはなりますが、周囲に迷惑をかけていながら気づけない、尊重を持てないなど認識衰退や未熟に留まる懸念も考えられます。
他人に興味をなくす一辺倒は自己世界に認識が偏り、洞察も能力もある程度までしか及ばなくなるので、「認める」ことの大切さをここでは推奨します。

と言っても、実際に対象が顔なしの場合や一切関わりたくない人には無関心は重要な方法です。
TPOに応じて顔なしだらけの環境があると思うので、使い分けるのが得策です。
※嫌な人を気にしない方法は、感じが悪い人の特徴とスピリチュアル『気にしない方法は欲求理解』をご覧ください。
最後に:感受性が強い人の気にしない方法
外界と内界の組み合わせにて感受性は幅広くなります。
感受性が強い人ほど多種多様な実感があるため、特に外界との接触や刺激の経験が深いです。
外界とは自分以外の“他”との接触、感受性が鋭い人ほど[自+他]で構成された世界を生きています。
そのため、感受性が強い人、エンパス、逆エンパスの方ほど、『他を認める』行為がとても大切です。
他に意識を向け、見ている世界を認めることで、気にならなくなっていきます。
もしかすると、人によっては気にする頻度が多いために、「毎度毎度大量に認めなければならないから大変だ」となるかもしれません。
ですが、この行為は利点に溢れます。
『他を認める』ことはその時限定の一過性ではなく、認めれば認めるほど見ている世界の空白が一つずつ埋まるように蓄積されていきます。
繰り返すほどに認められる数も幅も深さも質も高められ、世の中の見方が変化していきます。
初めが一番大変ですが、認める行為が上手になっていくのでどんどん楽になります。
不安が減るだけでなく、感受性による自己抑圧がなくなり、能力や才能発揮に邪魔がなくなります。
不干渉にて個々人を尊重する認識になり、人によっては対象の内部、過去の歴史、そうなった原因やそうである意味を理解し、『肯定』にも繋がっていきます。
その時に見ている世界はとても素晴らしいものだと思います。
気にするからこそ深まる世界がある。
その美しさを感受するためにも、ここでの理解がお役立ちになればと思います。
最後までありがとうございました。


















