心理と特徴

【仕組み】社会人で友達がいないのは普通「だからこその人間味」

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「最近、友達と連絡とってないな」

連絡しないし、来ない。

気づけば遠くへ来たもんだ。友達がいなくなっている。

事実に気づかれた社会人のみなさま、今日もお仕事ご苦労さまでございます。

友達がいないと不安を募らせてしまうかもしれませんが、この事実は私達人間の見たくない事実をはっきり表し、人間味のある真意を教えてくれます。

ここでは、社会人で友達がいないのは普通である詳細を見ていかれてください。

  • どうして社会人になると友達がいなくなるの?
  • 友達がいなくなる時の知りたくない心理とは?
  • 社会人で友達がいないのが普通なの?

これらを紐解き、「友達がいないからこそ人間味があるんだ」と知っていただく内容となっております。

人間関係に潜む心理は、自己理解に大きな影響を及ぼします。

知りたくない心理は事実と向き合う内容ですので、友達がいない自分自身を知りたい方にとって、一つの考え方としてご参考になれば幸いです。

社会人の友達がいない仕組み

社会人になると友達がいない(減る)理由

気づけば学生時代の友達とは関わらなくなり、会社での関わりが主体になり、新しく友達を作ることが減っていく。

仕事とプライベートを切り分け、個人の在り方を排他しない今の時代、社会人になると友達と言える人はあまり多くないかもしれません。

そんな中、周囲が友達と関わっていれば、「あれ、友達がいない私って普通じゃないの?!」と思えます。

どうして友達がいないのか、自分に問題があるのか疑問になりますが、この理由にはある言葉が関わります。

[社会人としてのプライド]

大人になりたい見栄とも言えます。

友達がいない人は、社会人という物理的な自立が強調し、年齢を重ねれば重ねるほど大人の在り方(これまでとは違う何か)を目指します。

 

社会人としてのプライドは自立意識の表れ

「プライドや見栄」と言うと、ない方がいいのかなと思えるかもしれませんが、“社会人としてのプライド”であることに重要な意味があります。

自立する気がアル。

自立意識の表れは成長促進になりながら、友達がいなくなる要因である二つの行為をストップさせます

  1. 過去の友達との関係性継続
  2. 新しい友達を作る

「私は社会人なんだ、甘えてないで一人で生きていく年齢なんだ、いつまでもおままごとしてちゃいけないんだ、大人としての成長が大切なんだ」と意識を持ち、その反面友達がいなくなる。

この真相には人間関係を自覚する特徴的な心理があると考えられます。

 

友達がいなくなるとわかる知りたくない心理

「変わらないと、大人になるぞ、年齢と共にどんどん成長していくぞ」

社会人としてのプライドを持つ人は意識せずとも、自らに変化と行動を促す動機を持ちます。

自立を目指す動機があると精一杯になり、とにかく自分にフォーカスします。

フォーカス意識がなくとも、自信がない場合には自然と精一杯になり、社会人になったばかりであればあるほど、フォーカスは自分のみに偏り、自立できるように日々を生きる在り方を構築していきます。

するとあることが起きます。

過去の友達に連絡しなくなる、新しい友達を作らない。

着目したいのは、物理的に仕事が忙しくなる以上に、精神的に自己内部が忙しく、心の余裕がなくなることです。

社会適応、人間関係、知識習得、思考整理、認識拡大、新規開拓、自立成長など、自分のことで忙しない、そんなイメージです。

忙しさは自分が望んだ成長であり自立の時間ですが、一方で友達と関わる時間がなくなり、気づけば友達がいない、または減ります。

等価交換であり、対価と見返りです。

友達がいなくなる理由となりますが、重要なことは一連の成長で自覚できるようになった、ある知りたくない心理です。

 

一段成長すると、過去の人間関係の真相がわかる

※ここは見たくない方は飛ばしてください。読まれる方はあくまで考え方としてご覧ください。

等価交換による友達がいなくなる分の成長は、自己理解を高めさせ、ある日知りたくないことを自覚させます。

「そういえば、少し自分にフォーカスしている間、学生時代の友達に連絡してなかったな」
「あれ、そういえば、向こうからも連絡ないな」
「SNSにポストしてるし、相変わらず楽しそうにやってるな。なのに連絡ないな…」

「もしかして…私達の関係性って一方的だった?」

はい、一旦止めましょう。

成長による自己理解が深まると認識力が高まるため、物事の真意や真相が少しずつ見え始め、成長前に見ていた認識とは全く別の事実が判明し始めます。

成長すればするほどこれが続き、過去の記憶は完全なる思い込みであり、自己都合の見方しかしてなかった、なんてことは数えきれないほど出て来ます。

初めは後で連絡しようと思っても、徐々に相手からの連絡がなければ、自覚したくない不安や不信感が募り始め、「相互交流の友達関係ではなかった」という事実が露呈します。

「相手からコンタクトがない、というのはコンタクトする目的も理由もない、関わる理由も優先度もないってことかもしれない」と思い始めた時、自分自身が連絡していない事実から、同じ気持ちを持っている自覚が起きます。

お互いのための関わりではなく、お互いに自分のため同士の関わりだった

認識力の高まりは、知りたくない事実のスキャンダラスが多々あり、過去の人間関係の真相をざるで洗う感覚になります。

これがまた自立への道だったりするので、ややこしいもんです。

これは過去の友達に対する自覚だけでなく、自ら新しい友達を作る行動をしていないことを自覚する場合もあります。

友達が欲しいのは自分が利益(満足や納得、または不安や恐怖の解消)を得るのが主体であり、相手との共有や調和は二の次。だからこそ能動的にならず、受動的な待ちを貫いている。なんて自覚もあるかもしれません。

 

友達関係にある恋愛的模様

人間関係はさまざまな年代やジェンダー、価値観に環境が右往左往する中で起きる予測し難いものですが、友達関係はシンプルになると思います。

友達は関わりたくない人とは違い、喜びや楽しさがある関わりですので目的が明確です。

自分の利益(楽しむ、遊ぶ)です。

恋と同じ。自己利益を主体にした遊びを入口に、愛に向かう人がいれば、遊びで終わる人もいる。

恋か愛の違いは、一方通行か相互交流。お互いの合致有無が極端に分かれます。

友達関係も同様に考えられ、一方的な自己利益取得を目的にした功利主義か、相手との共有を目的にした相互関係、いわゆる友愛かどうかが分かれます

相互合致のない友達は、「自分がおいしいご飯を食べたいから付いてきてもらう」「一人は不安で恥ずかしいから一緒に旅行に行く」「必要としてもらうことで存在価値を見出す」などを典型とした自己利益取得の利用し合いですので、お互いにエゴが満たされるかどうかが関わるポイントと考えられます。

この類の友達は、同じ学校や職場やコミュニティなど、コンタクトという自発的な行動をしなくても済む同じ場所滞在がなければ、関わることがなくなる希薄なものです。

ここまで極端かどうかは人それぞれだと思いますが、暗黙の結託関係、契約上の関わり、利用し合い、遊び。

人によって友達とは、ティッシュペーパーのように軽いものだったりします。

 

友愛は自他共の喜びや楽しみの共有

友愛は男女で区分けする空虚なものではありません。

数年に一回でも、共有するための信頼し合った関係があり、困った時には助け合い、まるで自分の投影のように接します。

友達としてお互いの楽しみを尊重するさまに友愛があり、自分の利益だけでなく、相手の利益あるからこその友達関係です。

これは自立して成長しなければ辿り着かない関係性です。

 

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社会人で友達がいないのは普通

日本人のメンタルは友達がいなくなりやすい

社会人で友達がいないのが普通になる理由に、特徴的なジャパニーズメンタルが関わると考えられます。

いい人」です。

いい人とは利益を与える人であり、不利益を与えない人です。

一方的に利益を与えることが美徳になり、不利益を与えないために我慢したり自らを抑圧することも美徳になる、そんな人は日本に多いと思います。

根っからの一方通行です。

例えば、一方的に美徳ルールをフォローして利益を与える時、自分のための与える行為になりやすく、相手から感謝はされても、お返しや相互合致のある友達関係には発展しにくく、友達を作ろうと頑張っても難色。

「私のために何かする」
「それじゃあ私も私のために何かお返しする」という具合で、相手を見ながらもフォーカスは自分である心理が表れます。

不利益を与えてはならない美徳ルールに従う場合、「自分のために相手を利用している」と思った時、関わることに罪悪感を抱いて躊躇します。

この結果、過去の友達に連絡しようと思った時に、コンタクトが億劫で引け目を感じます

「久しぶりに連絡しようかな、でも、相手から連絡が来ないってことは一歩通行だったんだ、こっちから関わろうとするのは悪いな…」

いい人であればあるほど、社会人になると友達がいないのは普通です。

 

友達がいない時間を経験しなければ、一方通行になるのが当たり前

一方通行が根付いているのは、日本の文化や慣習、継承した価値観や社会性があるため自然です。

子供の頃は自信があるもないもあるのが当たり前の状態で、自らの利益を求め、他者に利益を与え、不利益を求めも与えもします。全部アリ。

赤ちゃんなんかは利益を求めながら、微笑んで利益をバックしてくれるので、愛のある相互交流が明確です。

しかし、成育と共に他の影響が増えていくと、他のルールに従順しなければなりませんので、自分のことでいっぱいいっぱいになり心の余裕がなくなります。

自らの利益を得るのを主体にして、お返しや他者に利益を与えるスタンスを忘れてしまいます。

一方通行が自然と構築されていき、相互交流のない友達関係が普通になります。

幼い頃から家族のように関わっているなど、特別な出来事が起きない限り多くの場合は一方通行の友達関係になりやすく、自動的に集まる環境がなくなればパァーっと解散します。

これがデフォルトだと考えます。

相互利益を鑑みた交流をするには、まず自分を明確にして心の余裕を持ち、その後に相手をしっかり認識して、その人をその人として捉える力を要します。

友達がいない時間によって自らを知り、能力を育み、認識力を高め、成長することで自分を敬い、相手を敬う愛を持ち、自他両方が楽しむための関わりを作れます。

社会人で友達がいないのは普通であり、普通であるからこそ成長を増長させ、相互に楽しみ合う友達関係を作る自分になれます。

※いい人に友達が少ない理由は、悪口を言わない人の心理と友達が少ない関係性│無関心と怖さは特定の人を離す をどうぞ。

 

社会人で友達がいる(多い)のはおかしい?

「友達がいない(少ない)のが普通であれば、反対に友達がいる(多い)のはどうなの?」と疑問が浮かぶかもしれません。

いつでも友達が多い人は、自分の喜びや楽しみが好きな人であり、自立に対するプライドを持たない人、または不安が強くて常に人がいないとたまらない執着や依存者と考えられます。

棘を忍ばせて言うと、成長する気がない人であり、恋愛のような遊びの友達関係で利益を得ることを主体にしている人です。

何も悪いことはありません。お互いに目的が同じ者同士だからこそ一緒に遊べるので、楽しくて素敵な人生です。

むしろこれが当たり前なのかもしれません

しかし、当たり前にすると人間は退化して、徐々に破滅へ向かう可能性があるので、「一時の功利にすがった成長する気のない人の戯れ」と表現しておきます。

と言っても、成長は誰しもに必要なことではありません。人それぞれの人生ですので、自立や成長なんて要りません。

「成長するために孤独を経験する?」

こんなのやってらんない。

人生は楽しくて、幸せで、いつも笑ってなくちゃ。

典型例がナンパ。

一方通行とは言え、相手は相手で利益を得られるので、結託でありお互いのため。ただ相互交流ではないだけです。

社会人で友達が多い人は、過去の友達との関係性を継続し、さらに新しい友達も作っていきます。

一方通行の関係性にはなりますが、相手に迷惑や損害を与えている訳ではなく、同じ方向をそれぞれのレーンで歩いているだけです。

ただ普通ではありません。いえ、普通にしてはなりません。

なぜならば、明確に確認しておきたいことがあるからです。

「そこに愛はあるんか?」

ありません。

「友愛はあるんか?」

ありません。

かの有名なブッダのような人であれば別ですが、本当に愛を持って多くの友達と関わっているのか問えば、正直な人ほど「No」が答えになり、愛がある人であれば自分の許容に合わせた少数の友達を大切にすると考えられます。

※友達が多い人の詳細は、【利用は餌撒き?!】性格の悪い人ほど人気者で友達が多い訳がある をどうぞ。

 

いい人は友達がいない時間を活用できる

日本にはいい人が本当に多く、友達がいない時間を活用して成長すると、愛のあるいい人に進化できます。

私達人間はポケモンみたいなものです。

普段の生活では経験を増やし、練習して鍛え、自己認識を明確にして、自分との向き合いを研磨し、何よりポケモンセンターでテン・テン・テテテンと自分を敬い大切にします。

その後に本番。パートナーと共に調和して戦い、勝っても負けても経験値になり、レベルアップ(成長)できます。

初めは自分です。その後に他との関わりによって、成長が伸び広がる実感をしていく順序です。

初めの段階を吹き飛ばすと自分が確立されないままなので、ポケモンは成長したと思い込むことはできてもレベルアップはしていません。ただ利益はあるので楽しめます。

この初めの段階が、友達がいないことです。

友達がいないのはいい人だからであり、自信がなく、成長して事実に気づき始めたからです。

成長は自信のバロメーターを埋めていき、満たされれば満たされるほど現実をそのまま直視でき、自己理解と未知の開拓を進められ、愛を知っていきます。

いい人が成長すると、愛のあるいい人になります。自分を明確にして大切にできると、思いやりのある人になっていきます。

「利益を与え、不利益を与えない」と考えて生きられる人は、友達がいない時間から逃げず、誤魔化さずに味わい、その間に一生懸命成長努力することで、本当に大切な友達を作り関わる力を身に付けられます。

※友達に疲れる心理は、【いらない友人関係?】友達に疲れるようになった時に大切な自己理解 をどうぞ。

 

友達が少ない父に感謝

愛のある関係性か、一方的な利益の見出し合いか。

成長のない時であればあるほど、一方的な利益の見出し合いが友達関係になりやすいですが、どちらも利点が多いので良い悪いはありません。

しかし、明確に区分けしたいほど違う関わりであり、年齢を重ねれば重ねるほど愛のある関係性を推奨します

推奨する理由は、人間味が比べものにならないほど深まるためです。

このことを理解したのは、私にいた二人の父のおかげでした。

子供の頃は、「友達がいないなんて寂しい人だ」と思っていましたが、成長も自立もしていない私に、事実を知ることは到底かないませんでした。

今ならやっとわかる気がします。

二人共、数少ない友達と年に数回会うか会わないか。

片方の父は兄弟のように関わる友達がおり、会話すら要らない空間共有は、本質的な友達の意味を私に教えてくれました。

もう片方の父は、友達とお互いの内面を繫げた深い関わりがあり、どんな状況でもお互いに助け合っていることを幾度と見せてもらいました。

生活が苦しい時、一切の対価も求めずに何度も何度も助けてくださり、信頼するもしないもガッチリ繋がっているから確認すらしない関係性でした。

より自立を深めて愛を知ることで、少ない友達と真に関わる大切さがわかり、「そのためにも友達がいない時間が重要なんだ」と知っていけるのだと思います。

 

友達のいない社会人が普通である大切さ まとめ

社会人として自立意識があるからこそ、いい人だからこそ、自覚が育まれるからこそ、自信がなくて控えるからこそ、友達がいない。

だからこそ成長し、愛を持って人と関わるための基盤作りができます。

このことから、友達がいないのは普通であると考える大切さがあります。

成長に伴って一方通行から、少しずつ共有概念にシフトできます。

すると自らの壁を取り外して、同趣味や似ている性格のコミュニティ参加など、能動的に人と関わる行動へ向かえます。

その内に信頼して内面同士が繋がり、心を開いて話せる関係性になります。

さらに成長していくと敬いを持ち、自己都合でも他者優先でもなく、自分と相手の両方を尊重した友愛へと進展していきます。

この時、多くの友達を持つとは概念がかけ離れていると思います。

人間関係は繋がりであり、コネクションの核は信用度ではなく、現実の受け入れ許容です。

わざわざ、「妻、旦那、恋人、付き合っている」と明言しないように、“友達”と括る必要のない自然な人間関係が育まれると、会っても会わなくても共有できます。

社会人は友達がいないのが普通です。

だからこそ友達がいない時間を成長に費やし、自分の基盤を構築して、本当に深い関わりを作る力を養えます。

実際に友達を作る時、できるのは自分と相手の尊重、自分と相手が共に楽しむ共有、これだけかもしれません。

これが難しいから自立して成長していく、そんな人間道を楽しみましょう。

最後までご覧いただきまして、ありがとうございました。

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