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【悪口や陰口を気にしないメソッド3選】一瞬で気にならなくなった体験談

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「あの人、喉の奥にいかがわしいものをぶら下げているらしいわよ」

「まぁ、変態なんじゃないの、怖いわねぇ」

わ、悪口だ。
ひどい、悲しい、のどちんこ。リズムに合わせてのどちんこ。

人それぞれに悪口や陰口を発する側の意図があり、受ける側の捉え方があります。

心に響けば響くほど傷つき、的を得ず響かなければ、「何言ってんだ」で終わる。

悪口や陰口、実は捉え方次第で気にするもしないも自由自在だったりします。

ここでは、どうしても気にしてしまう時の改善メソッドとして、気にしないための考え方を読んでいかれてください。

  • 悪口や陰口の捉え方とは?
  • 気にしなくなった体験談とは?
  • 言われても気にしない方法とは?

これらを紐解き、「悪口とは成長機会を与えてくれるものなんだ」と知っていただく内容となっております。

自己理解を深めて、悪口をご自身のために役立てる一つの考え方となれば幸いです。

悪口や陰口を気にしないための前知識

悪口や陰口を言う人

「暇人ほど悪口を言う」

よく聞く言葉です。

悪口や陰口、言う人は言います。

優越に浸り、劣等者を作り、上下区分けによるカースト下層を抜ける妄想に入ります。

自己都合の世界で悦に入り、議論や話題のない知恵不足を補い、楽しい時間を作れます。

悪口には本音やエンターテインメント性など、価値になる口の尖りにもストレス発散方法にもなり、人によって大切な自己表現であり、他者に気づきを与える行為です。

しかし、中には悪口に悪意を練り込み、人を傷つける目的をふんだんに持ち、砲丸をぶっぱなす人もいます。

悪意のこもった悪口や、心を突き刺す本音の場合、気になってしまいます。

心に深入りする、的を得ている、自覚しているけど認めたくない、恐怖心に触れるなど、内部に響く内容であればあるほど気になり、傷つきもします。

そんな悪口や陰口、言う側は自分のために言うので、言いたくて言っています

「暑いからアイスクリームを食べたい」と思って食べるのと同じようなもの。

無人島で食べるものがなければ、木に垂れ下がった唯一の実を求めて木に登るのが私達人間。

登りたいから登る、食べたいから食べる。ウホウホーと言いたい人は言うんです。

言いたくて言っている以上、言う側の内情は自己利益を得るための欲求満たし、他者利用

こんなことを理解するよりも、言われる自分側の理解が重要です

 

気にしてしまう時に起きていること

まるで猿が人を見たらムキッと歯を見せる。そんな自然行為の人間版である悪口を言われて気になる場合、着目したいことがあります。

「どうして歯を見せてくるの?」と相手の意図や目的を理解していないことです。

人それぞれのメンタルや精神状態があり、ちぐはぐな現代社会で悪口は生きる術、ストレス対処、自己防衛でもあり、人によってはご飯を食べることのように悪口が重要です。

「どうして悪口を言うのか?」など、言う側の内情理解の紐解きは、言う人自身というよりは人間や社会を知る必要があり、全体の問題だと考えられます。

そのため実際にわかるのは、自分が相手の言葉をどのように受け取っているかの認識、自分のことくらいです。

認識とは、感じる、考える、思う、想う、知る、評価する、判断するなど、知覚した情報を自分なりに捉えること。

気にしてしまう場合、唯一わかり得る自分の認識に着目していない可能性があります。

イメージとしては、悪口を言われた時に目を瞑って自分の中にこもる、または相手の言葉に翻弄されて自分からピョンと意識が抜け出る状態。

自己理解ができなくなり、さらに相手や人間や社会を理解しようとすることもできなくなります。

『悪口や陰口が気になる場合、自己認識がなくなっている可能性がある』

これが、気にしない糸口となります。

悪口や陰口を言われた時に着目したいのは、100%自分

明確に比重を決めることで悪口からプラスの意味を見出すのが、この内容の目的です。

それではこれらの事前情報を持って、気にしないための具体的な例を見ていきましょう。

 

『自分を知りたい方へ』

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悪口や陰口が一瞬で気にならなくなった体験談

悪口を言われる体験

私は猛烈に悪口を気にする人でしたが、ある時に悪口を気にしない考え方が舞い降りました。

そんな体験談は中学三年生の頃に遡ります。

当時の私は家庭環境によって心の防壁を徹底しており、メンタルが弱くて直ぐに傷ついてしまうので、相手の言動が気になって仕方ありませんでした。

諸事情から、食事は自力で取得しなければならない環境でして、学校が終わればその日を生き抜くサバイバルを独り静かに始める生活をしていました。

給食の残り物をバッグに放り込めるだけ放り込みたいのですが、家庭事情を気づかれないように周囲の目を気にして、「結構食べるね」くらいの印象で収まる量を随時確保していました。

そのため、学校生活を楽しむ余裕はありませんでしたが、これが功を奏しました。
※詳細後述

私は部活動で賞を貰っていたため、中学三年生の時に全校生徒の前で現状や抱負を伝えるスピーチをさせられました。

人前で発言すらままならないメンタルでしたが、ガタブルしながらオシッコを漏らさないようになんとか終えました。

周囲の生徒は褒めてくれたり、遠目で注目したり、当たり障りなく接してくれたり、さまざまでした。

そんな中で数人の同級生が悪口をコニョコニョ。たまたま通りがかりに聞いてしまったり、あえて聞こえるように陰口を言われたりしました。

聞いてしまった時は心臓がボロンと落ち、慌てふためいて元に収めて、「し、心臓、ある、あるよね」と震えあがりました。

その後は、周りの発言がより気になって仕方ありませんでした。

しかし、あえて聞こえるように陰口を言ってくる二人組がいた時、気にならなくなる“ある瞬間”が訪れました。

 

気にならなくなった“ある瞬間”

「おいおい聞いたかよ、あの自慢スピーチ」
「誰だっけあれ言ってたやつ?」
「なんかムカつくよなぁ、調子乗ってんじゃね」
「あ、いたいた、近づかないようにしよー」

男子二人組、私がほとんど話したことがない人達でした。

遠くにいたのですが、あえて近づいて陰口を陽口にしており、私のことを言われていると気づき、相手の片方(一切話したことがない方)と目があった時。

この瞬間でした。

「あああ!!!」(実際には声は出ていない)

ピカーンと私の頭が光り、大きな180°分度器の20°毎にピュイーンと来光が放たれた、ようなひらめきの瞬間。

衝撃が走ったその時、アニメ中華一番に出て来る黄金ラーメンのごとくパラーン。私の頭は爆発と共に光を放ち、何かを悟る。

感動?驚き?

悟ったのはこれでした。

「私はこの人と一切関係性がない」

とてもシンプルでわかりきっていることですが、繋がりが無であるリアリティをまざまざと味わう瞬間

とても奇妙ですが、私の中では、「あああ、あぁぁぁ、あわあわ」と目がガクガクしてからピカッと光る瞬間でした。

この一瞬を境に、私は悪口を気にしなくなりました。

 

悪口を気にならなくなった理由

ひらめきによってもたらされたのは、「この人の悪口が私の何にどんな影響を与えているのか?」という、影響リアリティの目の当たりでした。

「この人と私の関係性がない」と気づいた瞬間、私はどうしてこの人の言動が私の心に影響を与えられるのか、はなはだ疑問になりました。

「なんでこの人にこんなことを言われなくちゃならないんだ?」ではなく。

なんでこの人が言っていることに、振り回されているんだ?」という疑問。

「関係ないのに、なぜ?」
「どうして自分の奥深くにある心が、他人によって揺さぶられるの?」
「もしかして自分で揺さぶっている?」

当時はわかりませんでしたが、自他の境界線がはっきりした瞬間だったと、今ならわかります。

他人の言動を自分に介入させるかどうかは、「相手次第ではなく自分次第」である理解。

その後もその人を中心に悪口や陰口を言われましたが、私は気にしなくなり、一切関与しなくなり、反応しなくなり、相手は言う意味がなくなり、言わなくなり、そして聞くこともなくなりました。

※周囲の目を気にしない人の特徴は、【周りを気にしない人の決定的特徴】強い秘訣は気にしない努力とコツ をどうぞ。

 

悪口や陰口を気にしない方法

気にしないためのポイント

ここでお伝えしたい気にしない方法は、今この瞬間から始められる改善メソッド。

メンタルの強弱は関係ありません。メンタルが弱くても大丈夫です。

大切なのは気にしないためのポイント把握です。

ポイント:干渉しない(無意識も含めて)

 

干渉誘いに乗るか否かの選択

悪口を言われた時、聞いてしまった時、メンタルが弱ければ弱いほど心への影響は強いですが、メンタルとは別の自己理解度合にて起きることがあります

悪口を言ってきた人に干渉することです

実はこちらから干渉してくるのを誘う行為が悪口です。

「聞こえないように言ってよ」という感じですが、「ほらほら、来いよ。おらっ、来てみろよ」

悪口など悪意を持った行為は、嫉妬や悲痛、怒りや復讐、憎悪に怨念など、興味があるからこそ抱きます

相手に期待していればいるほどクレームを言う心理と似て、相手と自分の関係性を近くしている、近くしたい、近いと思い込むことで、悪い口で悪い意図を相手にぶっかけます。

嫌いなのに興味を持ち、近い関係性だと思っているなんて、少し奇妙に思うかもしれませんが、興味とは自分が喜ぶための動機であるため、「この人を利用できる」など私利私欲も含めたものです。

人間の悪とは愛の裏返しでありながら一体の関係性ですので、裏返せば真逆になる不思議なもの。

本当に興味がない場合、相手への関心は無ですので悪口も陰口も言うことはなく、脳内から相手の存在を今直ぐに消して終わり、二度と思い出すこともありません。

悪口や陰口を言ってくることは、相手側が何かしら近い関係性だと思っている、または思いたい心理があると考えられます。

そのため、悪口や陰口に対するあらゆるレスポンス(細微な変化も全て含めて)を欲するのが、言う側です。

わかりやすく言うと、「好きな人にあえてちょっかいを出す」みたいなものですが、この純粋さにエゴを含めて、「もっと利用したい、凹ませて優越したい、私はこの人より下じゃない、ストレスを吐き出したい」などを認識するための干渉誘い

気にするかしないかの違いは、この干渉誘いに乗るか乗らないか、という考え方です。

※悪口を言う因果は、【悪口を言うと鬼が来る】因果応報がもたらす末路は悪の沼 をどうぞ。

 

悪口や陰口を気にしない方法①:干渉誘いに乗らない

具体的な方法の一つ目です。

悪口を言う側、言われる側の狭間を把握すると、シンプルに干渉誘いに乗らないことが方法になります。

言われても気づいても、こちらから何もレスポンスしません。

「あ、干渉誘いしている。私と関わりたいんだ、私を利用したいんだ」

利用させたくないので一切無反応

反応すると相手は悪口を言う利益を取得でき、意味が見出されるのでもっと言ってきます。

反応せず、こちらから干渉しないことが自分のためになるので、「私のために干渉に乗らない」と思うとやりやすいかもしれません。

 

悪口や陰口を気にしない方法②:自他の区分け

「干渉誘いに乗らなかったけど我慢した、イライラする、ストレスが溜まる」

そんな方もいると思います。

この場合、干渉誘いには乗っていませんが、自覚なく無意識に干渉しています

相手の影響に飲み込まれやすく、エネルギーを奪われて疲れてしまいます。

ストレスや疲れを感じる場合、自他の境界線が曖昧になっているので、自他を区分けることが気にしない方法になります。

アドラー心理学では、課題の分離と言われるものです。

課題の分離とは、
直面する課題を自分の課題と、他者の課題に分けること。
※自分が変えられるものは自分のこと、変えられないものは他者のこと

悪口や陰口とは相手が言いたくて言う行為ですので、こちらが変えられるものではありません。

悪口を言うことは相手の課題、悪口を言われることは自分の課題。

区分けすると相手に干渉しなくなり、干渉誘いに乗る理由は消滅します。

 

悪口や陰口を気にしない方法③:自分のことは自分でまかなう

最後の方法は最も重要です。

自他を区分け(課題を分離)することは、自分のことに責任を持つ意味であり、自分のことは自分で認識する意味でもあります。

責任を持つとは、自らの思考と行動を自覚して認めること。

自らを認識するスタンスが責任そのものです。

悪口を言われた時、「相手が言ってきた、一方的に利用してくる、相手だけ得する、それは社会的にダメ」などは、自分の認識ではなく他者や社会の認識であるため、相手にしかわからないことを考えると思い込みや決め付けが自然と起きます。

相手の課題を理解するには、相手の価値観、性格、アイデンティティ、両親との関わり、躾、学校教育、社会との関係性、メンタル、摂取してきた過去の食事、生活習慣、筋肉量、エゴの度合、遺伝子、意識…と限りなく続いていき、本人ですらわからないかもしれないので、他者にわかる可能性はありません。

悪口を言われた時にわかるのは、「あの時の声はこういう音だったな」「あの人の表情は私にはこう見えた」「言われてこう思った、感じた」など、あくまで自分そのものが捉えられること。

自己認識にフォーカスし、課題の分離を明確にする方法が、自分のことは自分でまかなうことです。

上述体験談で私がひらめいたのは、家庭事情から自分のことは自分でまかなうようにしていたので、功を奏しました。

日常的に自らの生活を考え、食材を取得して、ご飯を作り、学校の書類をチェックして、給食費を払ってなど、自己認識しなければならない環境だったために、あの瞬間に自他の区分けがクリアになりました。

「この人にかまっている暇はない」という思考もありましたが、普段から自分のことを自分で認識する癖を付けると、悪口は気にならなくなります。

気にならなくなると、気にすることもできるようになり、悪口には気にした方がいいこともたくさんあると知れるので、一石二鳥が加速していきます。

 

悪口や陰口を気にしない まとめ

自らの食事は自ら作り、自らの洗濯は自ら洗い、自らの家は自ら掃除する。

意見を作る姿勢を持ち、何をしているか見つめ、主体的に行動する。

自分のことを自分でまかなうことは、日常生活でいつでも増やせる気楽な習慣付けです。

使った食器は洗う、椅子は元の位置に戻す、剝がれた屋根はDIY、運動は自重を使い、食べるものは自分で作るなど。

些細から多大まで、できることから少しずつ増やしていくと、責任感と共に自己認識が高まり、気にならなくなってきます。

効果はとても多く、気にしないだけでなく自己理解が深まり、思い込みや決め付けが減り、固定観念が手放され、知らぬ間にしていた干渉や同情など無意識の言動までわかり、物事を意識的に選択することが増えていきます。

何が自分の課題で、何が他者の課題かがはっきりします。

「この人はこの人のために悪口を言いたいんだ、そのために私を利用したいんだ」と知る時、相手をサポートするか、利用されたくないので離れるか、無関心になるか、こちらの選択次第になります。

「低俗で人間になりきれなかった吠えるパペットなんて、気にしないでいい」と見下すことも方法の一つだとは思いますが、人を見下すことで喜びや悦にハマり、無意識にエゴを強めて自分を見失ってしまう可能性があるのでおすすめしません。

悪口を言われた時は100%完全に自分にフォーカスし、自己理解を深める機会にすることがおすすめです。

悪口は自己認識を高めるチャンスになり、悪口を言われる理由がわかり、自分に非がある場合には問題解消もできます。

成長にも改善にも見直しにもなり、自己理解が深まると他者理解にシフトもできる悪口の使いよう。

捉え方を変えることで、物事の意味を知る一助となれば幸いです。

それでは、悪口や陰口を気にしないお話を終了します。

最後までお読みいただき、ありがとうございました。

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※これは長期的に本気で変わりたい方専用です。

POSTED COMMENT

  1. はり より:

    反論されたりすると論破して悦に入ったりしてしまうのですが、これも結局まずいのかもしれないということか?
    結構楽しい部分はあるのだが確かに嫌われることはまちがいない。

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