心理と特徴

【メンタルの正体はズレ】メンタルが強い人と弱い人の違い&決定的特徴

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キョロキョロと周りを見ながらオドオドとあぶら汗が出る。

外面は涼しい顔でも内面は火の海、大荒れ。

初めて行った海外、今でも鮮明に思い出す気の張り様。

空港の検査で怪しまれたのは荷物ではなく、不安の量。

防衛強化にて荷物より鎧が重量オーバー。

周りが気になる、どんな人がいるか、どう思われているか、笑われている、あぁどうしよう、隠れたい、いやキレてしまおうか。

このメンタルの弱さ、今思うとなにもかもの要因は、「何も知らないことを知らない」ということ。

メンタル強弱を大きく分ける原因があります。

ここでは私の少しばかしの理解ですが、実は強さも弱さもコロコロ変わる、そんなメンタルの正体を言及します。

  • メンタルについて考えたい
  • 強弱の違い、そこにある本質を知りたい

メンタルは正体を把握すると弱さがなくなります。

強くなるかどうかは人それぞれですが、弱くはならなくなります。

日々を健康な心で過ごすためにも、一つの考え方として気を楽にするご参考になれば何よりです。

メンタルが強い人と弱い人

メンタルが強い人と弱い人の違い

なんでも
なんでも
「メンタル強弱」の捉え方はこのようなものがあります。

自分軸があるか他人軸か。

物事が自分事か他人まかせか。

自分の中身がギュウギュウか空っぽか。

自分を俯瞰できるかできないか。

自分を操縦できるかできないか。

総じて、自分の中に芯(核)を持っているか持っていないか。

この捉え方は心理や精神の道行きに入っていきます。

「それじゃあメンタルを改善するにはこうでこうでこう、はい、できない人はできないのでまた来世で」

ここでお伝えしたいのはこういうことではありません。

実はメンタルには強い弱いはありますが、外部影響、環境で即座に移り行くものです。

 

メンタルは強くも弱くもコロコロ変わる

なんでも
なんでも
誰しもが弱い、弱くて強い、強くて弱い。

「今この瞬間」にもメンタル強弱は自己内部で変わることを意味します。

私たち人間は突発的な出来事を味わいくらう必然の中に生きています。

驚きの朗報。

予期せぬ歓喜。

突然の悲しみ。

飲み込めない困惑。

予測してある程度準備できればメンタルは保持できますが、それは思考による前張り、防衛策であり、メンタルが強いということではありません。

誰しもに耐えがたい、認められない出来事があります。

未だ味わっていないとしても、これから先幾度とあります。

その時、メンタルが強いと称していても一瞬で砕けます。

これまでは耐えられても、味わえる度量が増えるほどに出来事によって一瞬で砕け散ります。

メンタルは強いも弱いも変わり、その変化は外部の出来事やそれに伴う内部の実情に依存しています。

その場その時の「今」メンタルが弱い強いと認識できますが、誰しもがいつでもどこでも弱くも強くもなっています。

例えば、今の時代はメンタルが弱くなる傾向だと思います。

過去の歴史を見ても、現代ほど豊かで平等で平和な世の中はないかもしれません。

物価は安く、美味しいものを簡単に手に入れられ、給料はたくさん頂けて、自由に旅行でき、好き勝手お金稼ぎもしていい、いくらでも働いていい、こんな素晴らしい環境があります。

しかし、そう思っている人は少数派だと思います。

メンタルが弱くなりやすい時代、物事の見方、自分の在り方、そして生き方も衰退し、何が事実なのかわかりにくくなります。

生きるのが辛いと思いやすく、「私がそう思うんだからそうなんだ」と自分の認識を大切そうに抱きかかえて離さず、それに干渉してくる人がいればキッと睨む。

「それはあなたの意見でしょ」
「ハラスメントですか?」

個人の認識がないがしろにされてきたからこそ、現代では自分の認識を大切にする、のではなく。

メンタルが弱まりやすい時代だからこそ、自分の認識(最後の砦)だけは守らなければという防衛が発達しているのかもしれません。

(実際どうなのかわかりませんが)もののけ姫のサンは森の中ではメンタルは強いですが、街中に出てくるとメンタルが弱くなる、なんてイメージです。

みんな本当は同じ。

森に行けば、海に行けば、自分の元素(木火土金水)に合う自然界に行けば、その時メンタルは強くなっています。

このことから、「それじゃあどういう時に強くなり、どういう時に弱くなるの?」がわかると、メンタルの正体が判明します。

 

メンタルの正体:「ズレ」

『どういう時に強くなるか』

「わかる」時です。

わかった、気づいた、理解した、悟った。

「わからないとわかる(無知の知)」=「わかる」です。

本当の意味で「わかる」と、自分の中の芯が定位置にガシッとはまります。

周りに何を言われても気にならなくなります。

周りの反応も、評価も、気にならなくなります。

『どういう時に弱くなるか』

「わからない」時です。

「わからない」ということが「わからない」を意味します。

何がわからないのかわからない。

わからないのにわかったつもり。

わからないと認めない、認められない。

気づかない、理解がない、認めない状態です。

現実を現実として見ないまま漂わせ、思い込みや決め付け、妄想や空想や自己都合を疑似的に現実にあてはめている状況です。

芯が定まらず、定位置にはまらないので曖昧、あやふや、慌て、焦り、迷い、不安になりやすい。

頭脳であやふやなものを現実に仕立て上げようとするので、思考優位であれこれ考え、事前の予測や予想が手放せない状態です。

思考で「これが現実だ!」と決め込むことはできますが、心はそのものをそのままにしか見ないためにそれを許しません。

すると思考と心のズレが生まれます。

わかっているつもりの脳とわかっていない心。

願望とリアル、理想と現実のズレ。

思考がなければ、心がなければ、どちらか一方であれば極端な人間性になりますがメンタルは弱くならなくなります。

メンタルの正体は自分と現実のズレ、それは現実を認知できなくする心のズレ。

心で生きられる状態や環境ではメンタルが強く、心で生きにくい状態や環境ではメンタルが弱くなる仕組みです。

 

突然のズレにてメンタルが砕けた体験

なんでも
なんでも
私自身のメンタル変化を振り返ると、「わからない」シチュエーションにおいてメンタルは突如として弱まっています。

思い出す体験にこんなものがあります。

小学校低学年の頃、学校から歩いて帰る際、私は道のない林の中を探検する遊びをよくしていました。

するとある日、見つけてしまいました。

泥だらけのエロ本を。

表紙でドキドキし、見てはいけないものを見るドキドキがあり、地面にひざまずいて本を見下ろす私は体ごとドックンドックン。

緊張の瞬間。

表紙を開いてページをめくるとそこには。

未知なる美しさ、光輝く世界が広がっていました。

この瞬間でした。

本を見下ろす私の心臓が、「ボトンッ」と音を立てて地面に落ちる。

あわあわと震え、顔が真っ赤になるほど血が昇り、モフモフと慌てふためく。

「バレてないかな?!キョロキョロ」

メンタルが激弱に踊り狂いました。

そして明日。

またしても私はそこにいました。

どうしても自分の中で認識したい思いがあったからです。

その理由は、「こうやって生きている人間がいるんだ」と本の中に写っている人に強く思いをはせたからでした。

そこに良い悪いの評価はなく、子供ながらに自分には想像かけ離れるほどの現実があると知り、訳がわからなくなりました。

「なんでこの人はこういうことをしているんだ?」

「この人は一体どういう人なんだ?」

わからないことを認められず、ただただ訳がわからない彷徨い、途方もなく遠くを見る。

答えを出せるほどの知能もなく、ただ訳がわからない世界を何がわからないかもわからずボー。

「…もう見たくない、ボソ」とまでなりました。

ひざまずいている私は服が汚れていることなんて気にしておらず、周りに見られているか一切気にならなかった。

しかし、衝撃で心臓が落ち、現実を受け止められなくなった途端に周りが気になって仕方がなくなる。

さらに、訳がわからないとポカーンとなり、もう見たくないとなるまで弱り、彷徨い、黄昏る。

「わからない」がわからないとメンタルを弱めます。

現実を認められないとメンタルを弱めます。

ズレはメンタルを弱める、そんな仕組みです。

 

メンタルが強い人と弱い人の違い

メンタル強弱の違い

「わかる」を認められるほどメンタルは強くなります。

「わからない」を認められないほどメンタルは弱くなります。

なんでも
なんでも
認められる時は強くなり、認められない時は弱くなります。

例えば、電車の中でお弁当を食べながら大声で会話しているおばさんグループがいます。

「この人達は元気でたくましいな」「これから山登り、楽しいだろうな」と思う人には、「わからない」がなく、「わかる」があります。

「なんなんだ非常識に、どこか行ってくれないか」と思う人には、「この人たちを理解できない」がありながら、それを認められない状態があります。

「こうあるべきだ、こうなって欲しい」という理想と現実にズレが生じ、憤りやイライラにもなります。

もう一つ、

「わからない」を認められるほどメンタルは強くなります。

「わかる」と思い込むほどメンタルは弱くなります。

なんでも
なんでも
認められる時は強くなり、思い込む時は弱くなります。

例えば死生観。

「死」がどういうものか誰もわかりません。

「最後どうなるかなんてわからんよ、だから今を全力で行く!」なんて人はわからないことを認めています。

わからないことがわかっている人は、我が道を行き、自分の認識を信じ、貫きます。

「死ぬのが怖い」という人がいれば、それは認めているのではなく思い込みや刷り込みによる思考停止かもしれない、固定観念や決め込みがあるほどメンタルは弱くなります。

「良い会社で働くことが正解なんだ」「お金を稼ぐために生きているんだ」

これらが事実かどうかは経験して理解するため、実際にわかった時に軸や芯がカチッとはまります。

経験なくして言っている状態、他人の情報や受け売りではわかったつもりにはなれるがわかりえないため、メンタルが弱いのは必然です。

 

メンタルが強い人の決定的特徴

なんでも
なんでも
「わかる」を認め、「わからない」を認められる人。

メンタルが強い人の大きな特徴は、

この世に正解はないとわかっている

そう感じている、気づいた、悟った。

これは心の声を信じている意味です。

には正解も間違いも、良いも悪いも、そして二つに区分ける善悪もありません。

時間も空間もなく、概念も定義もない。

ただただ感受、想いがあります。

風に揺れる木の葉っぱを見た時、心は必ず何かを感じています。

それを観察し、感受し、受け取る人は心があり、正解もなにも枠決めはなく、シンプルな自分にとっての明瞭があります。

そのクリアな純粋性を事実と言うのだと思います。

その感受した認識[自+他]を現実と言うのだと思います。

事実を作り、現実を見れる人は、「わかる」を認め、「わからない」を認められます。

人によっては、何も正解はないんだから気にする理由がなく、テキトーになります。

正解がないからこそ探求し、遊びの道を極める人もおり、好きなことをして生きていきます。

老後に世界を旅してもいい。

突然仕事をやめて自分のお店を始めてもいい。

若い内に好きなことをして、年齢を重ねてから規則正しいサラリーマン生活をしてもいい。

人生の大きなシフトはいつしてもいい、それは本人が今だと思った時がタイミングだと知っている。

メンタルが強いと、物事を「終わらせる力」「始める力」を持つのも特出する点です。

それは勇気、覚悟、決意の意志です。

 

メンタルが弱い人の決定的特徴

なんでも
なんでも
「わからない」を認めず、「わかる」と思い込む人。

メンタルが弱い人の大きな特徴と考えられるのが、

正しさと間違いで自らも他人も縛っている

このさまで際立つのは、弱さを露呈しないように隠して取り繕うことです。

弱い人は自分が弱いことを認めません。

「私は強いんだ」と主張し、主義を持ち、正当化を図り、見栄を大切に抱えます。

見た目は正しく、清潔に、トレンドを意識し、整形も矯正も欠かせない、教科書は手放せない。

恥ずかしくない格好、値段、嫌われない匂い、顔塗り、指摘されない歩き方、立ち居振る舞い。

事前に調べて、何かあっても即座に対処できるように、準備は怠らず、予約は絶対、評価は星4つ以上、失敗したくない、損したくない、無駄のないように。

どうしてこんなことをするのか?

それが正しいからであり、間違いではないからです。

とても大切な在り方ですが、自分軸ではなく社会軸であるために「良かれと思う」懸念があり、それが「良い」ならのめり込んで思考停止、バランスも崩れます。

のめり込むほど自分軸が薄れ、ズレが肥大します。

決められたルールや常識、大衆の流れや間違いのない普通に従うと、恥をかかず、嫌なことを減らし、メンタルが傷つかないように防衛できます。

傷つかない利益がありながら、メンタルが弱くなる不思議。

幻想です。

[〇×]に則る世界に事実はなく、現実を見れなくなります。

「これが世界なんだ」と決め合う事前ルールによって成り立つファンタジーはテレビドラマと同じ世です。

 

本質:弱くなるから強くなれる

なんでも
なんでも
強くなるには心のズレを解消する必要があり、心で生きる大切さがあります。

しかし、多くの人はこれが怖くてできなくなっているかもしれません。

これまで蓄積してきた思考による防衛対処術、メンタルが傷つかないようにする護衛エージェントの強化。

強化するほどに不利益回避が上手くなり、社会軸を太くでき、不安になるけれども正当化して自己保持できる、すると自分を正解という枠に当てはめるファンタジーも広げられる。

毎日映画鑑賞しているようで刺激あるヴァーチャルワールド、死ぬ間際まで何が事実かわからないので今日も他人を見下し、お酒で脳をまやかしてどんちゃん騒ぎしてればいいんだ。

あぁ、安泰。

これらを手放すのは怖くてできません。

しかし、私たちは誰しもメンタルが弱くて強いです。

弱い時や環境もあれば、強くなる時や環境もあります。

メンタルが弱くなる時や環境は、社会軸を育む時間です。

社会軸は誤魔化しや回避だけでなく調和や協調を育む大切なもの。

メンタルは弱くなるから強くなれます。

弱くする経験をないがしろにしない人ほど、強くなる頻度も割合も増えていきます。

そして、弱くする経験をするには、事実と向き合う自分が必ず要ります。

「わかる」「わからない」を認める自分。

物事を認めないから弱くなれ、物事を認めるから強くなれる。

そこには背伸びも見栄もまやかしもない、ただありのままの自分がいることと思います。

 

最後に:メンタルが強い人と弱い人

社会軸はとても大切です。

社会軸があるからこそ自分軸とバランスを図れます。

自分軸だけでは、「わかる」「わからない」を認める際に調和や協調がありません。

それはメンタルが強いさまですが、他者との共存環境では他を心見ない迷惑になりかねません。

すると、ただメンタルが強ければいい、自分軸があればいい訳ではないとわかります。

実際、メンタルだけ強くするのは簡単です。

他人に興味をなくせばいい、自分を「正しい」と決め込んで他人の意見を遮断すれば完成です。

メンタルを弱くする経験ができる人、逃げない人は社会軸を悪とせず許容し、学べるものは学び、徐々に気づき、理解し、知っていき、人によっては悟ります。

社会軸があるからこそ、調和や協調も含めた、「わかった」「わからない」の認めができます。

サンのようなバランスを図ろうとする人も、アシタカのようなバランスを取る人もおり、村人のようにと人それぞれです。

弱さも強さも、誰しもが味わえる平等性。

これが私たち意識にはあります。

「どんな気持ちでも味わえるだけ味わいたい」

それはきっと心で生きる意志に触れる感情。

そして何より、命の関わること以外どうでもいい。

ありがとうございました。

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