【カタカムナ診断で自分を知る】
当ブログの運営をしている北斗です。「ぜひおすすめしたい」と感じたのでご紹介です。

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「なんでこんなにわかるの?」と思えるほど的確で、わかりやすく言語化してくださり、自分には何が大切かわかります。
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期待という心構えは、時に利益を、時に不利益を作ります。
他人に期待する人もいれば、期待しない人もいます。
期待を他に向けることは、自分の興味(喜び)を他に求めているさま。
すると、他人に期待しない人は、自分の興味を他人に求めていないことになります。
これを紐解くと、「他人に期待しない人は本当の意味で優しい」とわかります。
ここでは、他人に期待しないからこその、本物の優しさを見ていかれてください。
- 他人に期待しない人の優しさを知りたい
- 他人に興味がない人とどう違うか考えたい
固定観念をピョンと放り投げる内容となっておりますので、一つの考え方となれば幸いです。
Youtubeもありますのでぜひご覧ください。
Contents
他人に期待しない人は優しい

他人に期待しないとは?
これを他人にしないことは、はっきりした心の在り方が表れます。
『自分の喜び(利益)を他人に求めていない、自分で認める気構え』
これを主軸に、いくつかの特徴が見られます。
他人に期待しない優しい人の特徴14選
1,自分を優しいと思っていない
他人に期待しない人には、目立つ特徴として“自律”があります。
自らを律する心は、自分で考え、自分に従う、そんな意思決定の主軸が“他”ではない明確な在り方が確立されています。
自分のことは自分で考え、感じ、学び、変え、作る人であり、自分のことを自分で認めます。
この結果、他の意見に翻弄されず飲み込まれず、自分で考える力があります。
「あなたは優しいね」と言われてもピーンとは来ず、その人の意見として頂くか受け流すか。
「優しい」かどうかは他が決め、認めることなので、自身では優しいかどうかはわからず、あくまで「そのように言ってもらった」という意見として頂戴するスタンス。
優しい人ほど自分のことを自分で優しいとは思っておらず、言ってもらう側です。
2,よく気がつく
他人に期待しない人は認識力が高いです。
物事を捉える際の認識材料の多さ、正確さ、質、情報取得速度のレベル。
洞察力、本質を鋭く見抜く力があり、周囲の変化や違和感などあらゆる物事によく気がつきます。
気づけるからこそ周囲をたくさん配慮でき、「おっと危ない」と本人も気づいていなかった書類の雪崩落ちを事前に防ぐ。
期待していないのであまり他人に着目していないのかなと思いきや、「あ、髪切った?」と細微な変化に気づいている人です。
3,現実的、責任感が強い
現実をしっかり認め、責任を持った自力と自責の道を選びます。
「あの人を都合いいように変えよう」
「その内、誰かが社会がなんとかしてくれる」
「政治が助けてくれるから、待つしかない」
などと期待せず、自分は何ができるか考えます。
他力、他律、他責ではなく、自ら責任を持って行動する人。
誰かが見てるから自己評価を高めるためにゴミを拾う、そういった企みや目的を持ちません。
「これは運転する側からしたら危ないだろうな」と思ったから拾って捨てる、そんなシンプルな行動が表立たない優しさに繋がります。
4,自尊心が高い
他人に期待しない人ほど、そして優しい心を持つ人ほど、自らを尊重します。
自尊心が高い人は自分の気持ちや言動に責任を持っており、他を認めることは自分を認めることだとわかっているために他を認めています。
例えば、相手の浮気が原因で別れたとしても相手を悪くは言わず、お互いの気持ちや決断を推量します。
自らを信じて敬う気持ちがあり、絶対的な自信、それはあるもないもない無意識レベルの自信があります。
自尊心が低い場合、自信は自惚れや幼児的万能感となり、他者を見下し蔑む人もいます。
自尊心は真に向き合い誤魔化さない、自分に嘘をつかない前提で成り立つため、自分を上に見せるのではなく、精神の余裕として自信が表れます。
自尊心の高さは周囲に安心感を与え、他者への承認や配慮になり、優しさに繋がります。
5,“個々”の在り方を尊重する
他人に期待しない人は単独行動や孤独を好む人が多いです。
一人でチャチャッとできる、一人で楽しめる、個として価値観や意義を理解しています。
基本的に能力が高く、隣人を助けることができますが、助けません。
個々の在り方を尊重するため、執着や依存を自分にも他人にも増やさない関わり方や接し方を重んじます。
その人がその人自身の力や責任を育むことを大切にする結果、意見や価値観、性格や人格、能力や才能を否定批判せず、尊重します。
6,失敗や学びを大切にする
他人に期待しない人は自由を好みます。
制約や縛りを壊す解放ではなく、どんな状況や環境でも羽ばたく(またはそんな自分になる)ことを重要視します。
一人一人の自由を重んじ、個々の努力や成長、失敗による学びや気づきの機会を奪い取らない。
他者のために失敗や学びの材料を疎かにさせない、そんな厳しさを兼ね備えた優しさです。
※期待しないメリットは、【着ぐるみ執着とお別れ】期待しない方がうまくいく仕組み をご覧ください。
7,はっきりと切る
切り刻みはせず、スパッと一太刀で切り落とすのが特徴的です。
期待せず切り落とす。
「ダメなものはダメ、嫌なものは嫌」
執着と依存はNG、自らも戒めており、他人に自分を利用させることはせず、一線を越えたら切り落とします。
決意と決断が早く、言う時ははっきり言い、言ってもわからない人には気持ちで理解させ、いつまでもすがらせません。
冷たく思われることもありますが、執着・依存心を増長させない相手のためでもあるため、包括的に言動の意味がわかる人は優しさだと受け取ります。
8,愚痴や泣き言を言わない
期待しない人は愚痴や泣き言など不安メンタルをあやす、または他人を利用して不平不満を誤魔化す言動に意味を持ちません。
自立している人に我を満たす利益は必要なく、グチグチと留まる以上に自分のために行動することを選びます。
ただ、周囲を喜ばせるための毒舌エンターテインメントは時と場合に応じて披露する人もいます。
邪気や邪念を垂れ流さないことは周囲への配慮でもあり、他に迷惑をかけない律し。
9,甘えるのは許し、無責任は許さない
誰もやらない嫌なことがあっても、誰かやってくれるだろうと期待しません。
「トイレ掃除は誰もやりたがらない、しょうがない、私がやるか」
嫌なことをすると誰しも不平等や不満を抱きますが、優しい人は、「嫌々ではなく自分のためにやっているんだ」と自らを納得させる自律心と自己承認があります。
自分のためだと認識できるため、「やりたくないならやらなければいい」と、やらない他人の気持ちと選択を汲み取ります。
それによって甘えたり、楽な道を選び怠けて退化しても、「やらなかったのは本人が選択したんだから、甘えて怠惰な人間になったところで自業自得だよ」と厳しくなります。
自らの意思で甘えたいなら甘えればいい、ただ他人によって甘えさせられたんだと無責任にはさせない。
個々の選択を排他せず、かつ、無責任にさせないために結果が悪くても自業自得を思い知らせ、責任逃れさせてこれ以上ダメな人間にさせない優しさです。
10,干渉せずに見守る
他人に期待しない人は不干渉です。
他人を変えようとしないので、押し付けや決め付けをしません。
強制や強要、相手を縛って思うままに支配するなどのエゴがありません。
他者承認欲求や自己顕示欲、物欲など、他に執着や依存して自らを喜ばせようとしないので人を利用しません。
例えば、子を心配することで大切にしていると思い込める脳内世界で、対処できない己の不安をあやし、実際には子に興味などない無視という過干渉があります。
そんな心配と名をうった利用、思い込み、無視ではなく、相手を見守り信じて待つ、そんな不干渉。
一見冷たいですが、真に個の可能性と現実の敬いであり、思いやりと優しさを持つ人ができる所業です。
※他人に期待する真意は、【気づけばしている】人に期待しない方法の精神理解『期待の正体とは?』をご覧ください。
11,厳しい
他人に期待しない人は相手への思い入れや距離感が近い対象ほど、厳しくすることが起きます。
「ジャングルジムで好きなように遊んでみな、失敗も成功も自分で起こし、現実を捉えることが大切だから」と言う親は、痛みや失敗した時は大いに噛み締めさせます。
長い目で見る視野があり、「今は辛くてもいずれ自分の力になり、肥しになり、ためになる」
他者の成長を真に重んじ、厳しさを与えます。
厳しくするのは期待しているからではなく、信じているから。
相手が屈折しても、逃げても、一度信じた以上は呆れず落胆せず、絶対に見捨てません。
人によっては突き放しますが、遠くで想い続け、温かく迎え入れる気持ちを持っています。
12,影人
影の暗躍者であり、功労者であり、縁の下の力持ち。
他者から承認を求めない以上、自発的に人前で目立とうとしたり価値の称賛を求める言動がなくなり、「陰ながら」の働きが主となります。
陰ながら動き、サポートし、協力し、手助けし、実質的に重要な部分を担っている。
陰ながらチームを統括し、みんなの相談役になる、一人一人の特性や能力を誰よりも把握して助言を与えるなど、目立たずとも真のリーダーであり最終的に頼られる人です。
例えば、トイレの清掃員。
見えにくくても実質的な核を担っており、表立たない苦労を買って出る人は本当の優しさを持ちます。
13,辛い過去を乗り越えた
他人に期待しない人は大切な経験をしています。
厳しい過去を味わい、生き抜き、自らを成長させる道を歩み続けました。
自分に勝つのではなく負けず、恐怖を乗り越え、辛さを受け入れ、心の余裕と自尊心を手にしました。
強さは優しさの根本材料となり、精神的な余裕が幅広く個々をしっかり捉え、本質に着目する力を持ちます。
一時凌ぎではなく長期的に欠かせない部分と関わろうとする、そして事実や真意をしっかり捉えて現実を生きていく力を持つ、そんな強さを表立たせず内包するのが他人に期待しない人であり、言動が優しさとして表れています。
14,見返りを求めない
他人に利益を与えても見返りを求めません。
「与えたい、してあげたい」と行動する際は常に、「私がそうしたいから」と明確な主観があります。
「この子をお世話したいから」
「この人が強くなるように助けたいから」
「あそこにいたら寒くて辛いだろうから」
想いや感情を理解しているからこそ、「この人のために力になりたい」は自分がしたいことであり、返報がないとしても呆れたり落胆はしません。
見返りがないと繋がりを感じにくいので悲しい気持ちになることはありますが、自分の思考と行動に責任を持っている人ほど他の言動に飲み込まれないので、相手を批判や否定しません。
例えば、お医者さん。
見返りを求めない人はサポート役に回ることが多く、自分のできること、与えられることを相手のためにして終わり。
奉仕や慈悲の精神に繋がっていきます。
以上が、他人に期待しない優しい人の特徴でした。
※優しい人の強さは、本当に優しい人に強い秘密がある|好かれも嫌われもするサポート役 をご覧ください。
【中身の深掘り】他人に期待しない人の優しさ

他人に興味がない人の優しさは一方的
他人に興味がない人の優しさは社会的なルールありき、かつ一方通行。
興味がないのでノータッチ。
失敗されても相手を咎める意味を持たない。
相手に謝られても許すも許さないもない。
一定の距離感を保ち、当たり障りなく、問題を大きくせず、余計を省くことに優先度を高めます。
暗黙の了解や常識やルールに則り、責任を曖昧にして追及しないことに、「優しさ」が見出されます。
例えば仕事で、「できないならやらなくていいんだよ(面倒を起こされるくらいなら何もせずに座っていてくれ)」とニコニコすることで、実際に何もしない状態に誘導する。
他人に興味がないことで無作為に生まれる利益を周囲が見出す、本人の意思が関与しない優しさ。
この結果、「先輩は優しいな」と本人の意図を無視(理解せず)して優しさだと思い込んだり、反対に都合よく利用したりと、一方的な人間関係に発展する可能性があります。
※社会的な優しさについては、【優しさのスキル】他人の内側に興味がない人は優しいと思われる をご覧ください。
他人に期待しない人の優しさは『見守り』
干渉されない、してほしくてもしてくれない、執着と依存させません。
利用関係はこの時点でなくなるため、我の満たしに調和や協調があると思っている人にとって冷たい印象しか残りません。
一方的に「これは優しさだ」とは見出せない関わり方をする意味です。
例えば、膝の上でお昼寝。
一方的に優しさだと思えるのは、どれだけ辛くても膝の上で寝かせてくれること。
他人に期待しない人は膝に乗せて静かに微笑む、が、膝が疲れれば、起こさないようにスーッと膝を抜いて自分のしたいことをしたり。
「どこか行ってもいいけど、布団かけてくれたら優しいと思えるのにな」と落胆するかもしれません。
そんなことは知ったことではないのが他人に期待しない人です。
寝ているのであれば、「本人が寝たいから寝ている」とその人の自己愛による大前提があり、かつ一方的に我慢する自己犠牲もしないため、「私が離れたいから離れる」の自分側も忘れません。
相手の個、そして自分の個、両方の個が合わさる前提があり、両方の感情と欲を大切にして、両方に結果も末路も起きることを敬います。
相互の認識、お互いの個の敬い、そして干渉しない厳しさには、共通した優しさの原料が見られます。
見守っていること。
見守る不干渉。
見守りは相手を信じることであり、信じているからこそ結果がどうであれ呆れも落胆もしません。
失敗しても既に次を、先を見ています。
しかし、その「次・先」に向かいたいかどうかの本人の意思を尊重するため、いついかなる時も“本人次第”を優先するスタンスがあります。
「行くなら着いて行くよ」
「来る時が来るまで待つ」
「まだ諦めるのは早いよ」
「頑張れる時は本気で頑張るんだ」
「ダメでも本気ならそれでいいんだ」
「あなたができることを信じている」ではなく、本当にできると知っているから信じられる。
それだけ相手を認識できるからこその賜物が優しさになります。
※他人に期待しない人の冷たさは、他人に期待しない人の冷たい言動11選【真意はいかに?】をご覧ください。
厳しい優しさ
・不干渉
・無責任を許さない
・執着と依存をさせない
・干渉せずに見守る
・信じて待つ気持ち
これらを優しさだと受け取るには、自分で考え行動する自力や自律など、責任を持つ在り方が必須です。
自分のことを自分で見つめ、正す姿勢。
これがない場合は非情な冷たさ以外の何物でもありません。
関わると疑問が多く、嫌な気持ちになり、なんで助けてくれないのか、どうして干渉してくれないのか対象を掴めなくなり、イライラや怖さを感じる人もいます。
一方通行や思い込みが通用しないため、お互いがお互いを見れる間柄でなければ優しさだと思うことすらないかもしれません。
しかし、不干渉とは相手そのもの、個々人を尊重するからこそ。
「私は私、あなたはあなたの人生があり、あなたに起きる出来事はあなたのためのものだよね」のさま。
シチュエーションを変えると、「あなたが怒るのはあなたが怒りたいからであり、その怒りは全てあなたに戻っていく、よかったね」
この「よかったね」を見下しや揶揄ではなく、本当に相手のためとしてよかったと思っている。
期待しない人の優しさは、執着しないで生きるための自立を促す成長の見守りがあり、厳しさもあります。
本当の意味で他を想う心配りであり、とても難しい優しさだと思います。
冷酷な目も必要で、手を差し伸べたくても差し伸べない強い気持ちも必要。
本当に優しい人かどうかの見分け方があります。
この優しさにはとっても顕著な特徴があり、見分け方は、自分の方法を押し付けないかどうか。
自分のやり方、考え方、ルールを押し付けず、見守る人は、相手側の認識を理解しようとする人であり、その力を育むための努力をします。
厳しさが自己の押し付けであればそれは冷たいだけになる可能性があり、そこに優しさがあるとは考えにくいです。
しかし、相手を理解する気がある人は自己を押し付けず、見守れるように相手を理解する気持ち、言動、努力が見られます。
本当に優しい人だと思います。
「期待してないから勝手にやれ」ではなく、本人が考える機会を与えたり、聞かれるまで言わないで見守ったり、提案して本人に合うかどうかを決めてもらいます。
その人にはその人の価値観、観念、歴史、生き方、考え方があることをしっかり尊重し、自他の境界線を持ちます。
期待しないからこそ自己都合、自己ルール、自己認識、自己世界を押し付けません。
親子関係など押し付けないといけない、このように自覚が難しい立場の人もいますが、押し付けだと気づいた時に認めてやめられるのが期待しない優しい人。
期待しないで他を他のまま捉える不干渉は、「いつでもどこでも喜びや幸せを自分自身で作る力」を高める恩恵となります。
これは人生において最も大きな恩恵、それほど壮大なものかもしれません。
※本当に優しい人の詳細は、本物は『知る』│本当に優しい人は傷つけ方を知っている をご覧ください。
最後に:他人に期待しない人は優しい
「押し付けずに見守ることは、本物の優しさになる」というお話でした。
期待するからこそ厳しくなりますが、厳しくする目的は自分の満たされない気持ちを満たすためではなく、相手の成長を真にもたらすため。
見たいのは中身、本質です。
他人に期待しない人は時に何でも一人で頑張り、自分に厳しすぎる人になり、他人に厳しくもなります。
すると、「見守り方が望遠鏡じゃないと理解できないくらい遠い、到底優しさに思えない」なんてことも。実際にそう捉える方は多いと思います。
しかし、本質的な優しさがあり、遠くてもしっかり見てくれているのが、他人に期待しない人。
期待されないからこそ自堕落に陥ることもありますが、いつの日か人それぞれに気づいて明るみになると思います。
結果的に人間性や精神を育み高めさせてくれる恩恵は、不干渉にある。
期待しない大切さを知る一つの考え方となれば幸いです。
最後までご覧いただきまして、ありがとうございました。
【カタカムナ診断で自分を知る】
当ブログの運営をしている北斗です。「ピン!」と来た方はぜひお試しください。

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