育ち

「一体どんな育ち方してきたの?」自己中心的な人の大きな課題

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自己中心性バイアスによる自己都合の妄想世界を生きる在り方。

それは日本で最も目立つ在り方であり、セルフィッシャーと名が付きます。

一体何者なのか、自己勝手な人。

一体どうすれば自己中になるのか、他に干渉して自分を中心にする。

それでは、一体どういう育ち方をしたのか?

この紐解きには、自己中心的な人の核となる『大きな課題』が見出されます。

ここでは、「育ち」にフォーカスするとわかる、自己中の問題の核に迫ります。

  • 自己中な人の育ちを理解したい
  • どうして自己中心的になるか知りたい

誰しもに存在する自己中心性。

使い方を間違えると自ら不平不満を作る沼となる、不思議な性質。

一つの考え方としてご参考になれば幸いです。

自己中心的な人の育ち

自己中心的な人の特徴と性格

自分勝手、わがまま、自分のことしか考えない、周りが見えない、常識がない、思いやりがない…。

さまざまに悪徳を重ねる在り方、自己中心的。

一体どんな人物なのか。

初めに、特徴と性格を一覧でご覧ください。

自己中心的な人の特徴と性格
  1. 自己愛が強いナルシシスト
  2. 他者承認欲求、執着が強い
  3. 我が強く、自己主張が激しい
  4. 不平不満が多く、余裕がない
  5. 認識力が低く、自分の見方一辺倒
  6. 支配欲、独占欲が強く、他を利用する
  7. 万能感、特別感、プライドが強い
  8. 親からの影響を強く受けている
  9. 被害者意識が強く、責任感がない
  10. 強迫観念と固定観念の思い込みが多い
  11. 感情に牛耳られ、喜怒哀楽を抑制しない
  12. 現実逃避、嘘、誤魔化しが癖
  13. 自制がなく、我慢できない

 

自己中心的な人の捉え方は二つ

タイプが分かれます。

自己中心的な人のタイプ
  1. 我が強く、自分を正当化するために他に干渉する
  2. 自我が強く、正当化もなにもなく、我が道を行く

我が強いと自分のことを自分自身で認められず、他によって認めようとします。

周囲に自分を主張し、押し付け、投影し、思い込み、自己都合の世界を正当化することに忙しい状態です。

自分のことを認識するために、「自分自分自分」とあえて強めなければなりません。

一方、自我が強いと、自分と他の区分けがはっきりしており、自分のことは自分で認めます。

「私は私、あなたはあなた」と自他の区分けがあり、他に干渉することも正当化にて自分を見出そうとすることもありません。

他者に興味がなく、興味の対象は絶対的に己、ドンッ。

自分のやりたいように我が道を進む、まるでブルドーザーで公道を走るようなもので、自転車が近くにあっても気づかずバリバリ踏みつぶす、この時に自己中心的だと思われます。

タイプの違いからわかるのは、あえて自己中心的になりたいか、無意識に自己中心性なのか。

両者は全く別物です。

我が強い人は自己中心、自我が強い人は自己中心。言葉は一文字ですが、中身は天と地の違いが潜みます。

 

①我が強い人は、自分を中心にする矛盾に忙しい

タイプ①の大きな特徴となるのが、自分を中心にする認識が他によって成り立つこと。

自らを主体に、中点にする認識を自己中心性と言います。

誰しもに重要な認識基盤であり、自分軸や意志や信念の礎となります。

自己中な人は自らを主体や中点にできず、他(自分以外)を巻き込むことで、「私は中心である」と認識を強引に作ろうとします。

自己中心とは全く違う、自己中心

自己中心の認識ができないからこそ、他に干渉して利用して巻き込み、「私が中心で、大切で、必要とされ、愛され、認められる人物だ」と欲します。

自意識と中身がないからこそ、自意識を強め、強引に中身を入れようと他に執着し、結果的に自分を中心だと思うために他を利用するさま

他への思いやりや尊重、そんな認識に向かう余裕はないほど忙しくなります。

 

②自我が強い人は、自分が中心であるのがデフォルト(標準)

我ではなく自我が強い人は、根っからの自己中心があります。

自分軸があり、意志や信念があり、他を含める必要などないほどに自分を主体で中心にします。

自己中心の認識ができるため、他に干渉して利用する意味がなく、「私が中心、そりゃそう。大切な存在、当然。必要とされる、そりゃそうだ。愛される、まぁね。認められる人物、認めたければ認めれば」となります。

自我が過剰状態であるため、調和や協調など他者に寄り添う性質が乏しく、思いやりがなく、融通が利かず、我が道固執のデメリットがちょっと痛手。

悪意はないのですが、気づいたらブンブン振り回して雑巾みたいに人を使っていた、なんてことが起こります。

が、周囲が見えない訳ではないので、「あなたって自己中だね」と言われれば自覚します(受け入れるかどうかは別ですが)。

個人能力や才能を伸ばしやすく、大きな利点がたくさんあるのが自己中心性であり、私達人間にとって欠かせない基盤でもあります。

 

自己中心的な人の育ちにある特異性

タイプごとの特徴で浮き彫りになるのがこちらです。

  1. 我が強い人は、自我が育まれていない
  2. 自我が強い人は、自我の育て方が個人特化

「自我をどうやって育ててきたの?」が育ちのポイントと考えます。

育ちを深堀りする前にお伝えしたいのが、タイプ②はいたって自然な状態であることです。

②自我が強い人は、自我の育て方が個人に際立っている状態でして、周囲に迷惑をかけることはありますが、自我があるからこそ失敗をたくさんして成長し、他との調和や尊重など認識を広めることができます。

タイプ②の育ちは自我を強める個人特化であり、「私は私、あなたはあなた」と自他を区分ける個人主義が焦点であり、これからの人生を進める一つのプロセスであり、若いからこそ欲に満ちていると同じように自然なさま。

自己中心性という誰しもが持っているものであり、持っているべき重要な認識性質です。

問題はここに我が強まった場合でして、自我と我が共に強まると個人主義でありながら自己主張する、そんな異様な在り方になり、年齢を重ねるごとの成長や変化がなくなってしまいます。

こうなると自分が見えなくなり、見ようともしなくなり、自己中に他を巻き込む在り方が激化して大変です。

この内容で注目したいのはタイプ①我が強い自己中心的な人

個人主義ではなく自己主張であり、そこにはそもそも“個人”という存在そのものがない状態です。

 

我が強い自己中心的な人の育ち

血、家系、遺伝子、躾、教育、文化、歴史など、さまざまに過去の継承にて構成されている私達。

母体から出てこのかた、周囲の人々によって育てられ、さまざまに影響を受けながら自我意識が構成され、「私、自分」と認識しました。

自己中心的に自己を他によって認めて見出そうとする状態は、自我が育まれていない、または何かのきっかけで壊れた可能性があります

自我が未熟だと、自分のことを他の人や反応、他の情報や知識、他の文化やルールなどにて認めようとします。

他によって認めるために、賞賛、承認、肯定が欲しい、必要とされたい。

誰も肯定してくれないなら、正当化を貫き、自己主張して、利用すればいい。

それができないなら、自ら思い込み、妄想を広げて、自己世界にこもればいい。

それもできないなら、嫉妬して、恨み、許せない怨念を持ち、呪えばいい。

全ての在り方は進んで不満を作る悪循環になります。

自分を中心にすることに忙しくなり、常に不平不満が溜まり、怒りなどの感情を抑制する余裕がなくなり、自ら首を絞めてしまいます。

自我が脆いと基盤が弱いため、自立できなくなります。

責任を持てず、自力がなく、自律が作れず、自分軸がなく、起こった現実を自覚できず、あらゆることが脳思考を用いた空想や思い込み(他からインプットされた情報)になり、執着と依存が主体になり、嫌なことが起こった時に他者のせいにするのが癖になります。

「どうしてこうなったのか?」が育ちの紐解き。

親に答えがあると考えます。

 

親が自己中心的

「狼の子は狼」

「人の子は人」

「自己中心的な人の子(親)は自己中心的」

自己中心的な人が親と同じ理由は、自我意識の未発達にあります。

自我が脆いと、自覚できず、羞恥や後悔できず、失敗や反省できず、俯瞰できず、他者の意見を尊重できず、成長が困難になります。

親と似るのは誰しも当然かもしれませんが、成長できないと変化がないため、育てられたまま、育った環境と影響のまま、肉体サイズが大きくなります。

自己中心的な人は成長する基盤がないため、親と同じになる縛りが課される、という考え方です。

※すぐ怒る人の育ちは、【すぐ怒る人の育ちに秘密あり】関わるのがめんどくさい時の対処法 をご覧ください。

 

自己中を作る四パターンの育て方

自己中心的な人は、自分を他によって中心だと思い込む行為を常にする忙しい状態です。

これを自覚しては元も子もありませんので、自己中である自覚がなく、自覚する懸念があれば誤魔化し、怒り、他者のせいにし、被害者になり、現実から逃げます。

自覚がない自己中心的な人は、子供を育てる際に大きな特徴があります。

「自分のやりたいように育てる(これも自覚なし)」
※育て方を失敗しても認めず、反省したり謝ったりと現実に向き合わず、自分の願望や欲求のみと向き合う意味でもあります。

このさまは、次の育て方を極端にする特徴があると考えられます。

自己中心的な人の育ち方
  1. 厳しく私物化や支配
    …許せない怨念を生む
  2. 甘やかす自由奔放
    …認識力のない狭い世界を生む
  3. 放っておく無関心
    …冷たさを生む
  4. 意志のない無責任
    …誤魔化しによる隠れる自己中を生む

①支配によって育てられると、後々反発を生み、親を恨み、許せない怨念に縛られ、他者を支配していないと思い込んで支配し、ぬいぐるみを扱うように人間を利用します。

②甘やかしにて育てられると、後々自我意識の未発達が顕著になり、家・金・モノなどの経済や物質的余裕が絶対条件の人生になり、それらが欠ければ…というまるで子供の国があればどうなるか物語ります。

③放任にて育てられると、親子間の興味関心が抹消し、自己主張と頑固と執着が激化し、無慈悲な諦めや落胆を抱えて人と関わるようになり、強く依存したり急に無関心になったりと、他者を揺さぶり翻弄させます。

④意志と責任なく育てられると、褒めたような関わり方をされる、肯定したような接し方をされるなど、上っ面の偽装によって誤魔化しが増え、被害者意識を強めて責任を持てず、他責で他力の依存が強まり、攻撃的な人を寄せ付けて自己愛をひた隠すナルシシストになり、年齢を重ねるごとに自己中が隠せなくなって顕著になっていきます。

自我意識が芽生える幼児期から幼少期に、①~④の育て方を極端にされる過剰さが、自己中心的な人の育ちのポイントと考えられます。

私達人間は基本的に誰しも自己中(自己中心性)ですので、自覚のなさが自我意識の未熟性を物語ります

自覚があってもわがままで他に迷惑をかけるなどの場合、問題はメンタルや、自我意識が強すぎる状態ですので、自己中心的とは別物です。

親の呪縛は自己愛を強める要因にもなりますが、ナルシシズムだけでは自己中心的にはなりませんので、極端な育て方によって自我意識が育まれなかったことが自己中心的の着目です。

 

自己中心的な人の育ちに潜む『大きな課題』

親の呪縛で育つ人の特徴

自己中心的な人はマザコンorファザコンである人が多いと考えられます。

両親、またはどちらかへのコンプレックスが強く、常に親の意識が影響することで自己中心的になる(自我意識が育まれない)、という考え方です。

これに該当する場合、親の呪縛から解かれていない特徴が顕著です。

親の呪縛がある人の特徴
  1. 親を許せない執着
  2. 親が大好きすぎる執着
  3. 親を利用する(援助や資金繰りなど)
  4. 親への反発(または賛同)にて価値観が構成
  5. 親への反発(または賛同)にて人生を生きる
  6. 親が言うことに従うか反発するかどちらか極端
  7. 好き勝手しても最終的に親に頼ればいいと思っている
  8. 親と同じことを子供にしている(この自覚がない)

「大好き」だけでなく、「絶対許さない」も同様なのがマザコンであり、父親に対する強い対抗心などもコンプレックスになります。

親の意識を引き継いで自分が構成されるのは自然ですが、意識の継承があまりに強く、賛同と反発が極端になるのが特徴的です。

心理学の三大巨匠と言われるフロイトは、この意識を超自我と言いました。

超自我(スーパー・エゴ)とは、

ルール・道徳観・倫理観・良心・禁止・理想などを自我とエスに伝える機能を持つ。

文化的な内在化された規範を反映したものであり、主に、両親が子供に案内したり子供に影響を与えるために、子供に教え与えたものである。

基本的にはあまり意識されていないものなので、一般的には無意識的であるとよく説明される。

父親の理想的なイメージや倫理的な態度を内在化して形成されるので、それ故に「幼少期における親の置き土産」とよく表現される。

※Wikipedia 引用

超自我は自己利益を主体に、他からインプットされたルールに従う“我”です。

社会的に大切なものである一方、超自我が強まって自我が弱いと、ルール従順と本能(欲望)の調整やコントロールができなくなります

極端に我慢するか、我慢せずに欲望を無作為に発散させるかの選択になり、欲望に向かうと我慢できなくなり、自己中なさまは激化します。

幼い頃の親からの影響が強く、子供時代の無力感があるとコンプレックスは強くなると言われています。

良い悪いは抜きにしてある種の親との繋がりが強いと、親の意識によって自分のことだけを考えようとする、そんな自我意識が発達しにくい矛盾が発生します。

 

自己中心的な状態に潜む意味

この内容でお伝えしたい本丸がこちら。

『自己中は継承されていく』

アル中や菌みたいなもの、と考えていただければわかりやすいと思います。

成長しないことは、外的に環境変化を加えることで、変わったと思い込んで現実逃避する術と同義です。

「可哀そう」と憐れんだ時に、その人に対する感情などなく、自らを投影して自らを憐れんで被害者意識の肯定に利用。これと同じ逃避術です。

そんな自己中は根強い意識の継承であり、引き継ぐことによって成り立つ在り方だと考えます。

 

大きな課題:カルマ解消

引継ぎは表現を変えると、カルマです。

カルマとは行為の報いをうたう因果応報、良いも悪いも自らの行いは自らに返る法則。

個人のカルマもありますが、家系のカルマもあり、スピリチュアルも含めるとグループソウルのカルマなど、個と集のカルマが存在します。

自己中心的な在り方は、家系のカルマに該当します

集のカルマは誰かが断絶する必要があり、放っておくと無自覚の内に子に継承。

親との繋がりの強さは、良いも悪いもなくあらゆる形として引き継がれ、血や遺伝子だけでなくカルマになります。

自己中心的な状態とはカルマを引き継いだ状態であり、ある課題を提示します

自己中心的という成長困難な状態は、自己中という継承を断絶し、カルマを解消することで成長が始まる。

解消されなければ行為の終わりがない未完状態、そのために引継ぎが終わりません。

自己中心的な人の家は、「~しなければならない」という縛りと制約が多く、無自覚に代々引き継いで強固になります。

伝統や価値ある継承であれば、自らを誇り高く敬う自我や自尊が育まれ、殿様家系のように大いに親からの継承を受け入れ、周囲の他者にも恩恵をもたらします。

しかし、継承が息苦しい義務や強制であれば、強い者に従う意志のない縮図ができ、負の呪縛にて成長しない不変が増長、退化となり、負のカルマとなります。

あらゆる呪縛の結晶が自己中心的になる育て方となり、個人の自我の育みを邪魔します。

解消のためには外部ではなく自己内部と向き合い、家族や家系そのものと向き合う必要があり、一人だけの問題ではない大きな役割です。

解消のために、少しずつ家系の縛りを解く流れも家族事にあります。

例えば、生真面目な家系であるにもかかわらず、海外移住で好きなことをしている異端児が親族にいる、など。

いきなり解消は困難なため、家族の理解を深めたり、自らの基盤を整える活動、例えば社会生活、一人暮らし、自立と自責を育むための失敗や自覚の増やしが重要になります。

自己中心的な人自身が、如何に自己中心的だと認め、何が理由か、原因はどうしてかを追究し、親との関わり、コンプレックスとの関わりをプラスに変換していくかが問われます。

本人と親の問題であるため、周囲の他者が関わるものではなく、関りがある場合は距離を取る大切さがあります。

 

最後に:自己中心的な人の育ち

苦しみや辛さを一人で作れないことと同様に、自己中心的になることは一人だけでなく親、その親、家族も含めた家系の継承です。

良いか悪いかは家系によって考え方がありますが、今の時代は共通認識による社会的な良い悪いが顕著になってきました。

そういった閉鎖的な価値観も混ざる複合体であり、集合意識の継承における一つの形として、自己中心的という空虚な自己投影と自我を育まない結果が起こり、継承の見直しが示唆されます。

問題の核に他者は関与できず、真に大切なのはそれを作り上げた本人と家族の向き合い。

如何に自己中心的な人が親と向き合い、家系を理解するか、そんな育ちを知る大切さがあります。

周囲は関わらずに距離を取ることが、自分や相手のためになりますので、そんな理解の一助にもなれば幸いです。

それでは最後までご覧いただき、ありがとうございました。

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誰しもに人生を変える機会と選択があると信じています。

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