意識、次元

【植物や石と話す方法】この世は不思議に満ちたスピリチュアル

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この世には、ファンタジーに満ちたスピリチュアルな世界が実在するかもしれません。

全てのことには意味があり、不思議なことにも仕組みがあります。

私は海外を旅していました。

経験の中で植物や石と話すようになりわかったのは、世の中には私のような人がたくさんいることでした。

ここでは、私の体験談から植物や石と話すための理解と仕組み、そして植物や石と話す方法をお伝えします。

通りすがりの変人の言うことですので、気楽にゆるーく、じっくりとご覧ください。

植物や石と話す仕組み

植物や石のエネルギー世界

植物や石(鉱物)は言語を持たないようです。なんせ会話をしても言語能力がない。しかし、伝えたいことは明確にストレートに伝えてきます。

仕組みは、“波動”を使用するのが植物や石です。

波動とは
  • 万物が有する振動エネルギー
  • 不可視で目には見えない
  • あらゆる意識体が持つ、自分の存在を認識するための基
  • 感情、心情、意図、精神状態、健康状態など、自分の状態を表すエネルギー(オーラとも)
  • 自分として存在する以上、常に発されるIDとしての振動波
  • 量子力学の理解では、物質の最小単位を紐解くと見える波
  • 波をさらに細かく見るとエネルギー

波動とは自分を表現するためのエネルギー、この世の意識体は常に発しています。

植物や石とのコミュニケーションは波動を使用します。

植物や石と話す際には、“波動”を理解することが前提となり、私達人間の場合は“心”が波動を認知します。

※波動の詳細は、自分の波動を知る方法│波動とはエネルギーであり存在の源であり自己表現 をどうぞ。

 

植物や石のコミュニケーション形態

草や花や木など植物には植物の世界があり、石には石の世界があり、私達には人間の世界があります。

どれも地球環境の下で生活しているので、基板となる波動エネルギーの理解は共通のものですが、それぞれの認識に世界ごとのルールや考え方があります。

 

植物や石の世界はあるがままに自然体

植物や石には脳がないために思考がありません。

それぞれの世界の認識は波動エネルギーを基にして、あるがままに自然体。

無用な作為をしない、そのままです。

「受け入れない、拒否、嫌だ」といった概念がなく、起きることはそのままに、コンクリートを上から塗りだくられても、あるがままにぶち破り、海に覆われても虫や動物に食べられても、人に蹴られても潰されても、起きるままにそのままです。

 

あるがままに気持ちを発し、気持ちを受け取るコミュニケーション

植物や石のコミュニケーション形態は波動エネルギーを利用して、自分の気持ちをあるがままに発し、相手の気持ちをあるがままに受け取ります。

人のように会話のキャッチボールが頻繁に行われるわけではなく、波動を認識して・発してのシンプルなやり取りです。

生物学の研究で、木は根によってコミュニケーションをお互いに図っていると知られており、地球の海は全てが繋がっているとわかったように、地球全体で自然は繋がっているという考え方もあります。

その際にも波動によるエネルギー送受信のコミュニケーションがあり、脳の思考がないことから、自己満足や承認欲求の行為や悩み相談などはありません。

植物界の認識を持っていないことから、「気持ちがいい」「苦しい」「楽しい」というお互いが理解できる“気持ち”の交換にて、単調でシンプルなコミュニケーションになります。

 

植物は愛とエゴにて気持ちを発する

植物や石が気持ちを発する際には、愛を全ての主体にします。

全ての意識体は私達人間と同様に“心”を持っていますが、植物や石には脳がないためにエゴを生み出さず、あるのは心の認知にある愛のみです。

私達には脳の思考があるため、愛以外にもエゴを作り、エゴによって不安や恐怖といった拒否、現実をそのままにしない抵抗も生み出します。

植物のようにシンプルはコミュニケーションになると、物事の認識は、「心地良い」「心地悪い」の二種類です。

私達人間が関わることで、「心地悪い」と感じる波動を与える場合があります。
※植物自ら生み出すことはできず、こちらから与えることで心地悪いと思わせる状態
※心地悪いからといって、「止めてー」「嫌だー助けて」「なんとかして、死にたくない」みたいな思考はない

実際、「心地良い」とも感じてはいません。あらゆることを受け入れるのが当たり前であり、とにかく自然体に起きるままです。

受け入れるも受け入れないもなく、受け入れると認識すらしない一択、起きたことはそのままです。

心地悪いと思える波動を人が与えたとしても、自然ではない状態を波動から認識しますが、「これは心地悪いからちょっと何とかしてもらいましょう」「あの人間、せいばいでお仕置きですな」ということはありません。

心を基にすることで心地良いか悪いかを認識しますが、植物や石にとっては、「エネルギー循環がなされるか」「エネルギー循環がスムースにはいかないか」の違いとして認識されます。

  • エネルギー循環がされれば、抵抗なく本来の状態であるがまま
  • エネルギー循環がされなければ、抵抗の波動を感じるが、起きたことと認識してあるがまま

植物や石と会話をする際には、“波動エネルギー”と、“エネルギー循環”がキーポイントとなります。

※植物の持つエネルギーは、植物の不思議な力はこの世の仕組みを紐解く|自然エネルギーに癒しと真理 をどうぞ。

 

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植物や石と話す体験談

植物や石と会話する方法をお伝えする前に、私が植物と会話をするきっかけとなった体験がありますので、先にご覧ください。

①南米アマゾンの植物と話す

南米にいた時、私はシャーマンを探す旅をしていました。

ある儀式をしてもらうために何人ものシャーマンに会い続け、ペルーのアマゾンにてついに会うべきシャーマンに辿り着きました。

儀式はアマゾンの奥地にある小屋で行い、儀式を行うと、体が寝ている状態にもかかわらず意識を残せる状態になります。

目を開けて寝ている状態です。

意識を残せるので身体を動かし、歩けるので寝ている時の状態で現実世界を味わえます。

シャーマンと出会ってからは毎晩儀式を執り行っていたのですが、儀式を始めてから1週間ほどした日でした。

いつものように儀式をアマゾンの奥地で行い、正常に歩けませんがフラフラと私の寝る別の小屋まで帰っている道中でした。

コンクリートなど一切ない場所でしたので、道沿いはアマゾンの木や植物だらけ。

歩いていると突然、「イエーイ!」と楽しそうにパーティをしている声がします。

「はえぇ?!」と辺りを見回すと、植物がなんだかマンブリング、ゴニョゴニョという感じです。

彼らに目と口がついたわけではなく、波動にて植物達の気持ちが私の内側に伝わります

植物に何を言われているかわからないのですが、大きな植物の葉が何枚も、何かを伝えています。

わかったことは、「全く驚いていない私自身」と、「すっごく楽しそうな植物達」でした。

私は、「ははっ、楽しそうじゃん」と薄ら目で反応する程度で、そのまま小屋へ帰り、会話はしませんでした。

 

儀式で毎日植物と戯れる日々

その後も数日間儀式を繰り返し、毎日のように植物達と戯れました。

一向に何を言っているかわかりませんでしたが、とにかく楽しそうで、私も一緒に楽しく戯れます。

首が滴り落ちそうなフラフラ千鳥足の私は、ゆっくりダンスをするのがやっとですが、ヘラヘラと楽しく時間を過ごし、そのまま小屋へ帰ります。

儀式によって思考概念のない意識状態だった私は、「植物と会話をするのが当たり前」だと理解しており、「いつも通りみんな元気だ、良かった!」と謎に当たり前のこととして微笑んでいました。

これが私の植物へのファーストコンタクトでした。

その場を離れると、植物達と会話する感覚はなくなります。

そして、その時にある感覚を思い出します。

誰かに話し掛けられた気がして、キョロキョロと後ろを振り返っていた過去の自分の感覚。あれは小学校低学年時の学校の帰り道。

 

②ボリビアの石と話す

ペルーのアマゾンにて、自分が小学生の時に感じていた、「誰かに話し掛けられた感覚」を思い出します。

しかし、アマゾンを離れた後も、それが何なのか理由がわかりませんでした。

アマゾンで味わった、“植物と会話をするのが当たり前”という感覚も儀式中のみの賜物で、「今植物に話しかけられたら驚くだろうな」という認識になっていました。

私はアマゾンを離れ、南米のボリビアへ向かいました。

そこで二つ目の体験、石と話します。

 

石からの願い事

ボリビアの山奥の村へ向かっていた時でした。

村までは最寄の町からヒッチハイクで山をいくつも超えていき、3時間ほど車で進んで降ろしてもらった場所からは全く車が通りません。

私はその日から断食を始めており、車が通らずヒッチハイクができないので、山道を30km歩いて進みました。

太陽の日差しの下をひたすら歩き続け、お腹も空き、ヘロヘロしながら歩いていると起きました。

突然、「んっ、何?!」と何かの感覚を感じ、瞬間的に思い出します。

「この感覚は小学校の帰り道のと同じだ!」
それは、誰かに話し掛けられた感覚。

辺りをキョロキョロします。
当然、誰も通らない山道には誰もいません。

私は深呼吸をして意識を落ち着かせ、風を感じ、体の呼吸に集中します……。

しかし何もありません。

「やっぱ気のせいか」と思い、再び歩き始めた次の瞬間。

「……落として……」

「んっ、誰!!」

また深呼吸をします。目を閉じ、何も考えないように集中し、意識を落ち着かせます。

「…落として。」

聞こえてくる声は脳裏から聞こえてくるような、音としての言語認識ではありません。

辺りを見渡すと、山道の崖沿いには大小形を変えた石がたくさんあり、不思議なものですが、迷わず一つの石に目が行きます。

横10㎝×縦10㎝程の石に声を掛けます。

「何て言ったの?」

・・・「落として」

次は確実に解りました、その石が話していると。

「うん、いいよ。ここからでいいのかな?」と言いながら、崖沿いの石をポロっと崖から落とします。

石は砂煙と伴にコロコロと10m程下の段差まで落ちていき、留まりました。

私は、「これで良かったのかな?」と頭の中で想うと、「ありがとう」と伝わってきます。

どうしてか、落ちた石からだと解ります。

とてもほっこりして、「どういたしまして、テヘへ」と言い残して去りました。

ここで私の中で、これまでの疑問が1本の線として答えに繋がりました。

小学校の学校の帰り道に感じていた感覚の正体。

誰かに話し掛けられていると思ったけど誰もいないのは、話し掛けているのが人ではなく、その場にいた植物や石だったからなのかもしれません。

 

③ボリビアのサボテンと話す

最後はサボテンです。

石と話した後、歩き続けてついに目的の村に到着します。

人の少ない小さな集落。歩いていると一人のおじさんに出会います。

おじさんは娘さんと一緒にゲストハウスのような宿を手作りで作っており、木や土やわらや動物の糞を使い、昔ながらの丈夫で心地良い自然の匂いがする場所に、泊めさせてもらうことになりました。

私はその場に滞在し、断食を続けました。

おじさんや娘さんとも仲良くなり、普段するのは彼らと話しながら平和な時間を過ごすこと。

他にお客さんもおらず、「人など来るのか?」と思える村には外灯もなく、電気もないその場所は夜になると月明かりが照らされます。

断食4日目だった日の夜、私はトイレに行こうと部屋から出ました。

月明かりで地面は照らされ、普段は真っ暗な光景も、藍色に色付けられて空間が目の前に広がる。

「おー、月のおかげで周りが見える」と言いながら外を歩くと、誰かに話し掛けられたあの感覚を感じます。

「ん、次は誰だ?」と思い周囲を見渡し、私の目が一直線にある場所に止まります。

中庭に置かれた1本の長いサボテンです

私はもうワクワクしています。なぜならばその感覚をもう知っているからです。

「サボテンさん、何と言ったのですか?」と聞くと、
「私を食べて」と言われました。

「何言ってんの、ハハハ」と私は笑うと、パタッと何も聞こえなくなりました。

翌朝、私はサボテンの前にあぐらをかいて座り、ジーっとサボテンを見つめます。

「んー、もう何も聞こえないな…昨日のは何だったんだろう?」と呟く私の後ろを、宿のおじさんが通ります、「おはよう」

私は、「おはよう、おじいさん。昨日サボテンに話し掛けられたんですよ、変な話ですよね」

おじいさんは、「ほー、何と言っていた?」

「私を食べて、だって笑」と伝えると、おじいさんの目つきがこれまで以上に柔らかくなり、私に言います。

「ちょっとついて来なさい」

「なんだろう?」と思いながらついていくと、鍵のかかったある部屋に連れてかれます。

その部屋は常に鍵がかかっており、なんの部屋なのかが気になっている部屋でした。

部屋を開けると、鍋やシャーマニックな絵が飾られており、「なんの部屋なの?」とたずねると、「ここは儀式の部屋だ」と言いました。

儀式はサンペドロというサボテンを食べる

私は衝撃でした。

昨夜サボテンが言っていた、「私を食べて」とはこのこと。植物との会話は成立しており、気のせいではありませんでした。

おじいさんは説明してくれました。

「あなたに声を掛けた庭にあるサンペドロというサボテンを飲んで儀式をする。ただ、私が認めた人しか儀式のことは教えていない。これまで儀式に招いた人間はほとんどいないが、あなたが良ければ参加してもいい、お金などいらん、好きなだけ参加していい」

おじいさんにも、アマゾンの植物と話したことや石と話したことを伝えると、おじいさんも植物や自然と話す人で、普通のことだと教えられました。

娘さんも植物や自然と話す人で、その後もたくさんのことを2人とは話せました。

以上が、私が植物や石と話した体験談で、ここから植物達との交流の時間が始まりました。

※植物に好かれる人の詳細は、植物がよく育つ人と枯らす人にある意識の違い|魂が伝わるスピリチュアル をどうぞ。

 

植物と話す方法

植物や石と話すためのポイント

植物と話すことは、気持ちを波動に交換する意味だと考えます。

人と人の社会的な交流の仕組みはなく、ルールや常識などの制限を設けず、言語を記憶する脳と心を分離させる認識がありません。

言葉と気持ちの差を作らず、物事を真意として伝えることが重要ポイントです。

自分と植物の間に、現実を現実にしない抵抗があると、会話はできなくなります。

心の気持ちと真意、いわゆる現実を現実として認識する必要があります。

嘘や誤魔化し、不安や恐怖を嫌がり、事実や現実を自己都合で捉えるフィルター、制限、固定観念を撤廃し、矛盾を作る認識をなくします。

例えば、「ありがとう」と言葉では伝えても実際は、「まぁ、一応感謝しとかないと」などの気持ちがある会話ができなくなる、という具合です。

 

実践:植物や石と話す方法

植物や石と話すためには、意識状態をエゴのないありのままの自分にする必要があります。

ありのままの自分は、心から楽しいことや、好きなことをしている時の意識状態である“自然体”を意味し、現実を現実にする力を要します。

イメージは子供が遊んでいる時と同じ状態でして、一つの事に集中している感覚です。

幼少期の子供は遊んでいる時は遊びという自己行為に100%集中しているので、「けがをするかも」「あの子はかやの外だ」「なんとかしよう」などの心配やルールを気にした別のことを考えていません。

この状態であればあるほど、植物や石と話すコミュニケーションができます。

 

思考なく、心の愛を主体にする

ありのままにするために、思考概念が大きな抵抗となります。

思考はこれまで生きてきた中で、さまざまに他の情報であるルールや常識や価値観や観念をインプットしており、目の前の現実を捉える際に全てフィルターになり、現実を現実にするのではなく、自分の世界の見方になります。

これが会話の抵抗になってしまうので、植物や石と話す際には感覚や感性を主体にして、「考える」ではなく、「感じる」認識にシフトします。

言い方を変えると、今この瞬間を認識して今起きていることにフォーカスする状態です。

体が感じる感覚を捉え、自分の気持ちを感じることが心を認知させ、愛を基に物事を認識する基盤を作ります。

あとは対象の植物や石に対する愛として、敬いを持ちます。

関わる際には相手側の立場や気持ちを配慮して思いやり、一方的ではなく相互交流となる共有、調和、親和、平等性を持つと、会話ができます。

 

何も考えていない意識状態を作る

私が石と話した体験は、何も考えていない状態で起きました。

断食中に山道を歩き続けたことで、何も考えられない状態を作り出しており、疲れ果て、歩きながら瞑想している意識状態でした。

サボテンと話す際も同様に、断食4日目で体内に物はなくなり体全体が休まり、肉体も心も整理され、邪念なく綺麗になった状態でした。

子供の頃に感じていた、「誰かに話し掛けられた感覚」は小学校低学年時の記憶で、常に学校からの一人での帰り道でした。

何も考えずに、「フンフフン~」と葉っぱを触りながら、枝をブンブンしている時の、思考がないありのままの自分であったことを思い出します。

そのような意識下で、植物や石と話せると考えられ、フラットで何にも縛られない状態を如何に作るかの自然体が方法となります。

※植物が好きな人の人間性は、【愛のある地球人説】植物が好きな人の心理とスピリチュアル をご覧ください。

 

植物と話す、石と話すスピリチュアル まとめ

不思議なお話ですが、植物や石には心があり、波動認知ができます。

シンプルに心地良い、心地悪い認識があり、私達人間と関わることで低い波動を初めて捉えます。

植物や石そのものは、あるものをあるままに、起きることを起きるままに、現実を現実にします。

あらゆることは受け入れるも受け入れないもない、受け入れるのが当たり前の在り方をします。

自然体の在り方一択であるため、会話をする際には私達人間側が自然体に合わせる調整を要し、如何にありのままになり、コミュニケーションの抵抗となる事柄をなくせるかがポイントです。

植物や石との会話では相手の気持ちを波動として受信します。

植物側の心の想いが自分の内側から聞こえるようになります。

植物には思考概念がありませんが、波動受信した後に、植物の気持ちを人間側が言語変換することも可能です。

その際には自己主観の認識になりますが、必要なのは気持ちと気持ちの行き来です。

植物の気持ちにはポジティブもネガティブもなく、あるのはエネルギー循環に抵抗があるかないか。

抵抗がある場合には愛の反発と同じ意味があり、私達人間のように思考があると、「心地悪い」と認識します。

それを人それぞれに言語解釈して、「苦しい」「辛い」と理解したりします。

植物や石からすると苦しいことにネガティブはなく、「苦しいから助けて」「辛いのは嫌だ」ということはありません。

起きることをただそのままにする植物達は、朽ちても育っても生きていれば生きる、枯れれば枯れる、エネルギーが減退すれば朽ちていくと、悟り人のように堂々と生き続けます。

悟り草、悟り石。

楽しいコミュニケーションを広げ、物事の認識を広げ、生きる上での楽しみを増やす一助となれば幸いです。

それでは、植物や石と話す内容と終了します。

最後までご覧いただきまして、ありがとうございました。

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※これは長期的に本気で変わりたい方専用です。

POSTED COMMENT

  1. おすず理恵 より:

    このコメントを読んでくれるのかもわかりませんが

    こんにちは。
    おすず理恵と申します。

    石や植物とお話ができる
    説明が書いてあったので
    読ませてもらいました。

    私も小5から
    一般的には不思議な体験をしました。
    その中に草が話しているもあります
    それを説明できるなんて
    凄いなぁと思いました!

    なかなか信じてはくれない不思議体験を説明できることに
    凄い!と思いますし、なるほど私もそんな感じで植物と対話してたんだぁと
    思いました。
    説明しろと言われても
    人が話すのように聞こえてくることを
    どう説明したらいいかわからなかったか
    困ってましたから。

    石も植物も自然も
    大人になると会話が出来ることが少なくなってきましたが

    今までできていたんだから
    このやり方で
    また風たちと話してみたいと思います

    ありがとう!

    • 北斗 より:

      こんにちは。
      お役立ちできて良かったです。
      植物や石との会話、それが一般的である人もいれば、そうでない人もいますよね。
      経験している以上、また子供の時のように楽しめると思いますよ♪

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