『DNAシフトセラピスト養成講座』
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著名な心理セラピストとして知られる、西澤裕倖(にしざわひろゆき)先生プロデュース。
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※本気で人生を変える方専用。
「ちょっと、まるで男梅みたいな顔してるよ」
「え、レジの近くに置いてあるあの渋いやつ?どこがだよーもう」
甚だ疲れたこのやり取り。
「なんだよ男梅ってしょうもない例え、いじってくるなよ」という内心。
いじられるのが嫌いになります。
「嫌だ」と思う場合、いじられる状態に不調和が起きている可能性があります。
それはいじる人の欠陥であり、いじられる側の受け取り方。
ここでは、「いじられるのが嫌な時にどうすればいいか?」の考え方をお伝えします。
- どうしていじられるのが嫌なのか?
- いじる人の目線とは?
- いじられるのが嫌な時の対処法は?
いじり・いじられの経験から、両者の関係性における考え方がありますので、お役立ちできるものであれば幸いです。
Contents
いじられるのが嫌い
いじられるのが嫌いな原因は二つ
いじる行為は、何かしら人を際立たせます。
顔や肉体造形である外観を始め、心理や性格の内面、過去の出来事や失敗談など、あらゆるその人自身を際立たせ、笑いにしたり馬鹿にしたり。
いじる人といじられる人、両者の組み合わせにて行為の価値を作ります。
価値を両者が共に作っているのが、いじる・いじられる関係性。しかし、共通認識がないとどちらかがどちらかを利用する一方通行が起きます。
いじられるのが嫌なのは、利用されて不納得であるため
両者が結託して作る価値がバランスを崩すと、いじる側のみが利益を得る形になり、いじられる側は使われることが起きます。
自分という材料を基に価値を作っているのに自分には利益がなく、いじる人にだけ利益があればたまったものじゃない。
いじられておいて何もない、「同情するなら金をくれ!」と言いたくなるものです。
利益だけかっさらって行くなんてのはご法度。人の家で育てている山芋を勝手に持っていって、家の前で勝手に売っているみたいなものです。
利用されて自らが損をする状態なので、嫌なのは当然です。
嫌なのはいじる側の違反orいじられる側の解釈
「馬鹿にされている」と思う場合です。
[いじられる=下・劣・負]という上下区分けのルール認知があると、「ねぇ、チョコボールみたいな顔してるけど、なんか塗ってんの?」と悪意なく言われた時に、ブチっと反発を抱くことになります。
相手の発言や行為の真意を捉えずに、自らのルールに適合するか否かのみにフォーカスすると、嫌だと思いやすくなります。
[いじられる=悪]と設定し、自らの価値や意義を守る自己防衛心理にて、不安や恐怖を嫌がる状態と考えられます。
いじられるのが嫌なわけではなく、自らの価値がなくなると思える状態への抵抗感として嫌になります。
いじられるのが「嫌い」「疲れる」の違い
「私はあなたをいじるよ」
「わかった、私はあなたにいじられるよ」
と両者の合致がなければ、相手のいじりに不納得、自らのプライドが出てくる状態です。
これとは一変して、「疲れる」という状態は、両者の合意の上にいじる・いじられる関係性があります。
しかし、実際にいじられキャラになってみたらダメだこれはと、納得いける状態にはならなかった時に疲れます。
お笑い芸人としてコンビを組んでボケになったのに、ボケは合わないと気づいたイメージです。
嫌と疲れるは事前の合意がないかあるかで全く関係性が異なりますので、明確に線引きをしておきたいと思います。
我慢し続けると嫌な気持ちに進展する
初めはそんなに嫌ではないとしても、もし我慢している場合は嫌な気持ちに変化していきます。
ボケが合わない、なんか違うと違和感を感じながらもツッコまれ続けると疲れます。
それでも我慢して耐え続けると、「疲れさせられる、こいつがツッコむせいだ」となり、ストレスが溜まります。
それでも我慢し続けると、「ふざけんな、なんでいじってくるんだ!」となり、キレます。
合意して関係性を作った前提が吹っ飛び、「嫌な気持ちにさせられている」という気分になります。
我慢は「嫌だ」という拒否感を強める際たる行為です。
※いじられキャラに疲れる時は、キャラ作りに疲れたら合図と機会。自分を演じるキャラスキル向上意識 をご覧ください。
いじられるのが嫌になるいじる側の問題・心理
いじる側の一方的な利用は誰でも嫌になる
いじるのが下手な場合、嫌になる原因はいじる側が主になります。
私達人間は自分に興味があるので、誰かと関わる際には喜びなどの利益があるから関わります。
いじる側はいじれる人を見つけて、自分の利益を得るために一方的にいじることがあります。
コミュニケーションの取り方がわからない人であり、「自分」という存在に何もないために、他者をいじって利益を得ようと喜びや納得を作ります。
自己認識がないために他者の立場や目線で物事を捉えることができず、テレビの真似をしたり、コンビ芸人さんのやり取りを真似て、自分という存在の型取りに勤しみます。
自分に他者を投影し、「私もあの人のようになれる」と疑似現実を自己満足するという、一種のVR体験です。
いじる対象の相手に承諾もなく、相手のことも考えず、相手の認識を理解しようともせず、一方的に使おうとしますので誰でも嫌になります。
いじる人の心理:優越と劣等を求めて止まない
自分の利益のために人をいじりますが、利益は喜びや納得ではなく、恐怖を味わわないことです。
ネガティブがない、自分にとって嫌な状態や状況がないさまを求め、恐怖や不安をなくすために人をいじります。
恐怖とは知りたくない、認めたくない、味わいたくないと拒否したくなるものを意味し、自らが否定される、批判される、肯定されないなど、認められないさまをなくそうとします。
恐怖や不安を自己対処できないので他者を使い、人をいじってなんとかしようとし、相手を下にして自らを上にするための優劣作りのいじりとなります。
中身のないどうしようもないいじりとなり、相手を馬鹿にする、蔑む、下世話にし、自らを高め、勝たせ、優れていると思い込める材料とします。
恐怖回避を求めた他者利用のいじりは上下関係を作る明確な目的です。
もし周囲にいる場合には、いじられるのが嫌なのは当然です。
※嫌いな人に抑制がなくなる場合は、嫌いな人にあからさまな態度が出る人、出てしまう人の心理と改善 をご覧ください。
いじられるのが嫌だった経験談
私は学生の時からいじられたり、いじったりの両方。
いじられることは個人的に好きでして、相手の反応や楽しそうなさまが嬉しいために、いじられやすいようにして反応をどうするか考えるほどいじり待ちの時もあります。
そんな私が社会人一年目、新卒にて就職した会社で早速いじられました。
人を利用して自らの利益をかっさらっていこうとする恐怖優位の人々が多くいました。
私の上司であるリーダーが腐ったいじりをする人で、馬鹿にしたり、軽く蹴ってきます。
初めに軽くお尻を蹴られた時に、とっさに振り返ってグーパンチを食らわそうとしてしまい、顔面すれすれで「はっ」と気づいて止めました。
「…え、は、おいおい、こ、こいつ殴ってこようとしたぜ!」と驚きながら周囲のいじらー仲間達に周知しており、恐怖優位の心理がよくわかりました。
別の日にもう一度蹴ってきたので、「このリーダーは私がいじられても我慢するタイプだと思ったのかな?」と考えながら、思いっきり振りかぶって蹴り飛ばしてやりました。
「ぐうの音も出ないとはこのことか」と思える泣きそうな顔をしてどこかへ行ってしまいました。
恐怖優位でしたので恐怖を植え付けるとパタッと止まりますが、このような人は陰湿な陰口や集団にて排他、さらにリーダーで権限があったので私を評価しないようにしてきました。
私は会社の重役に報告し、直接指導してもらい、綺麗に距離感をとる関係性をはっきりさせた体験談でした。
※嫌いな人の職場での対応については、職場の嫌いな人には話さない?対応は無視以上に距離感創作 をどうぞ。
いじられるのが嫌な時の対処法
いじられるのが嫌な時は関係性を確認
体験談のいじる人は恐怖優位で自分の利益のために人を利用する類です。
嫌だと思う場合にはこのような人が多いと思います。
明確な上下関係を作るように関わろうとして、コミュニケーションとしていじります。
ただいじり方がわからず、自らに余裕がないので他者の認識まで目が届かないと考えられます。
性格としては、いじる・いじられるの関係性にて価値を作ろうとするので、楽しみや喜びが好きだったり、人と関わるのが好き、人といないと無理な人だったりします。
相手を理解するのが大切であると同時に、いじられるのが嫌な時に特に重要なのは、いじる人と自分自身の関係性の明確化です。
関係性をはっきりさせると相手がよく見える
「お、出たね、いつものマズそうな弁当食べてるねぇ」とニタニタ言ってきた時に、なんの反応もしてあげなければスーンと時が過ぎ、「おいおい無視かよぉ」とまるで自らの存在意義が消えるのを誤魔化そうとし、それでも無視すると何も言わずに去るしかありません。
必ずいじったらいじられて成立する関係性です。
「なんだか知らないけどいじられたから、いじられキャラとして反応しといた」と曖昧にせず、自分の中で関係性を明確にします。
発信側が主導権を握るようになります。
関係性が曖昧になると、いじる人は発信側、いじられる人は受信側ですので、利用される可能性が高まり、相手は利用するつもりがなくても恐怖回避のために、自分の発言が否定されないように、無視されないように頑張ってしまい、余計に嫌なことを言ったりと悪循環に入ります。
一方通行でいじる人は怖いんです。
コミュニケーションの取り方がわからないんです。
関係性を明確にすると、「私はこの人にはいじられたくない」「この人なら構わない」という認識が生まれます。
これによって対処のための行動へ向かえます。
「いじられるのが嫌、やめて」と言わない
相手は自らを優・上・勝にしたい人ですので、この発言はイジラーの価値を高めてあげる結果発表になりかねませんのでお気を付けください。
「自分が傷ついている、被害者である」と思わせるニュアンスは控え、被害者ではない目線で指摘すると効果的です。
指摘は、「つまらない、意味がわからない、何も上手くない、誰も笑えない、ストレスになる」ではなく、
「私のエリンギ炒めみたいな顔をいじりたいなら、そこに何が面白いかの意味を含めた方がいい」「何のためにいじっているかの目的を自分の中で明確にした方がいい」などと意思を伝えます。
嫌だと主張するのではなく、何が嫌な要因になっているかの指摘です。
嫌な要因は自分が被害を受けているからではなく、相手の発言やいじり方にフォーカスです。
自分のことしか考えられない恐怖優位ですので、被害を受けていることを言われても相手にはピンと来ません。
やめるべき理由を、相手のいじり方やいじる目的を見据えて伝えてあげます。
嫌だから悪意を持ってやめさせるのではなく、相手のしていることが一方通行にしかなっていないと理解させてあげるためにです。
恐怖優位の人を否定したり蔑むと、逆恨みや裏で手をまわした嫌がらせなど、めんどくさいことをし始める可能性があるので、いじり・いじられるの関係性がないいじりをしており、いじり効果が表れていないさまを指摘するのが対処法です。
いじられ疲れて嫌になる場合は、「やめて」と伝える
事前の結託とは、「では私はこれからいじられます」と正式に契約する訳ではなく、自然とお互いの共通認識によって成立しているので、気づけば合意しているわかりにくいものです。
共通認識となるのは執着です。
「私はあなたに執着する、それでは私もあなたに執着する」という無意識の承諾によって、いつの間にかいじる・いじられるの関係性が作られ、いじる側は違和感なくいじるようになります。
嫌であるにもかかわらず耐えるのは相手のためではなく自分のためですので、耐えることに何かしら利益があり、相手と関わり続けられる、独りにならずに済む、排他されずに済む、新たに人間関係を作らずに済むなど、人それぞれに利益があります。
どの利益を優先するかの選択、嫌な場合には嫌だと相手に伝えます。
「いじられるのは嫌だ」と言語を発する言うではなく、自らの意思を持って止めて欲しいと伝えます。
相手は良かれと思っていじっているため、相手の落ち度でもなく、自らが被害を受けてるからでもなく、「いじられるのが合わず、疲れ、嫌で、苦しみになってしまうからやめて」と伝えることが大切です。
※いじられが馴れ合いになる場合には、馴れ合いが嫌いで気持ち悪い理由と心理【生きやすい馴れ合わない道】をご覧ください。
いじられるのが嫌いな人、心理 まとめ
いじる・いじられるの相互交流が起きると、お互いに楽しく利益のあるものとなり、人の才能が見出され、プロデュース力が表れ、弓と矢が合わさることで機能するように人間の組み合わせ力が発揮されます。
いじられるのが嫌な場合には、いじられることの意味や真意を知られてみてください。
大阪ではいじられると喜ぶ人が多く、[いじられる=悪]ではなく、[いじられる=機会]という価値観に思えます。
お互いがお互いに全く違う方向を向いていると協調することはありませんので、自らを知り、相手をも知れる機会に溢れるのがいじられという考え方はいいものかもしれません。
お互いの関係性をはっきりさせると、両者の間にあるものは協力なのか執着なのか、喜び作りなのか恐怖回避なのかがわかります。
その際の理解をご自身のために吸収し、嫌なものは嫌と認識され、自らの意思を持っていじるかいじられるか、はたまたいじらない関係性を作るかの行動をしていきましょう。
いじられることに潜む人間理解が、自らの意思を際立たせる一助となれば幸いです。
最後までご覧いただきまして、ありがとうございました。
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