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【弱さでも優しすぎでもない】なめられる人の目立つ特徴&なめてくる人の理解

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矛盾に見えてもそこには明確な心理があります。

なめられるのは下に見られたからだと思えますが、実は対象を強い弱いで判断した結果ではなく。

自分そのものが消えていなくなる恐れ、自分の弱さの露呈が『なめた』行為。

なめられる人とは、その人の弱さを露呈させる人。

ここでは、なめられる人となめてくる人の間で一体何が起きているのか、詳細を深掘りしていきます。

  • なめられる人の内情を知りたい
  • どうしてなめられるのか考えたい

なめてくる側の紐解きも大切になるのが、なめられる理由です。

上下勝負の概念にて人を見る目、それを引き出すのは何なのか?

関係性の見えにくい事実を把握するための、一つの考え方になれば幸いです。

なめられる人の特徴

なめられる人の目立つ特徴9選

なんでも
なんでも
初めに、目立つ特徴を9つ見ていきます。

1,我慢強い

抑圧と痛みに堪える我慢力があります。

なんでも我慢できてしまうほどで、「私が耐えればいいや」で物事を終わらせる傾向があります

何を言っても言い返して来ない、嫌なことをされてもやり返さない、「何を考えているかわからない」と思われやすくなります。

動じても動じないふり、辛いのに辛くないふりができ、演技や取り繕い上手なのも特徴的です。

 

2,諦め、妥協が多い

「あ、大丈夫大丈夫」「別にいいよいいよ」と諦めが癖になっている特徴です。

自分を理解してもらえない、理解してくれる人がいないことへの諦めや妥協でもあり、我慢癖にも繋がります。

他人に期待しない、自分のことは自分でやる、独立独歩、自立が際立ちます。

我慢癖から諦めが多くなる人もいながら、人に興味がないために諦め癖になる人もいます。

[諦め]が[呆れ]になるほどなめられやすく、嫌われやすくもなります。

 

3,仮面を被る

損害回避のために[いい人]を演じる、愛想笑い、本心を隠すなど仮面を被る特徴です。

面倒を嫌がり、話し合って決めることに煩わしさがあり、戦いで決める勝ち負けを好まず、なあなあで流れる、なかったことになるのを求めます。

本心を伝えないでそつなくそれなりに流す、問題や嫌なことは翌日には忘れるスキルがあります。

あることもないこともあるように伝えるスキルがあり、口達者になる、または八方美人をする傾向があります。

 

4,断言を避ける

自分の意思をなかなか伝えない特徴です。

「他の情報に基づくと、世間的には、一般的には、普通に考えて」など、発言の所在は自分ではない前提を用います。

断言せず、「それは〇〇がこう言ってたからこうだと思うよ、知らんけど」と発言の責任を持たないほどなめられます。

 

5,認識力が高い

周囲をよく見ており、よく聞いています。

物事に対する自分なりの理解があり、自己認識力が高い特徴です。

一方、他者側の思考や気持ちになって理解する“他者認識力”が低く、相手側にとっての相手そのものを鑑みる認識が乏しくなる傾向。

結果、『正解、正当、普通は』という一般論的な正しさを持ちかつ我流スタイルが構築されています。

自我の強さ、「これが私、他とは違う」という雰囲気や言動が増え、目立ちます。

 

6,知っているけど言わない(または知ったかぶり)

知っていても言わない、言わないが「知っている」感をあえて出すほどなめられます。

コミュニケーションの輪では周囲の出方を探る傾向があり、基本スタンスは引き気味で目立つのを避けながら隙を狙っている様相。

一方、知らないけれども他の情報に基づいた“知ったつもり”で誇示、正当化、またはまるで自分の意見のように発する人もいます。

 

7,見下し癖

見下しが癖になっている特徴です。

知っているけど言わない、相手が知らないことに「え、知らないの?」とわざわざ反応する、「自分は正しい、私はみんなとは違う」と思っている、「可哀想」をよく使う、呆れるなど。

どこか雰囲気に、『上から、偉そう、自分だけ特別だと思っている、興味ないのに関わってくる』といった不穏さを周囲は感じ取ります。

 

8,怠け癖

めんどくさがりで怠け癖があります。

本当は何もしないでぼーっとしていたい。

しかし、自給自足やサバイバルなどの自力ではなく社会の恩恵を得たい気持ちがあり、「得たいものだけ得ようとする、やるべきことをやっていない」と思われてしまうことも

頑張り屋さんほど怠け癖を我慢でカバーし、人一倍頑張っていますが、それを理解されることは稀です。

 

9,目立つ失敗、目立たない特技

目立つ事柄に対するわかりやすいマイナスがあり、目立たない事柄に対するプラスがある特徴です。

運動神経はよくない、けれども、本を読解力が高い。

声は大きくない、けれども、細かい変化によく気づく、なんてイメージです。

例えば、職場のAさんは声が大きく周囲は特定しやすい。

一方、なめられやすいGさんの特技は消しゴムで上手に修正できる、誰しもが手間を取る会議室の予約取りが完璧など、わかる人はわかりますが、多くの人にとって気づきにくいものを持っています。

以上、なめられる人の特徴でした。

 

なめられる要因2選

なんでも
なんでも
最も大きな特徴であり、なめられる要因としてお伝えしたいものが2つあります。

一つ目、肯定しにくい(認めにくい、評価しにくい、認知しにくい)

弱いと見なされたからなめられる訳ではありません。

「この人がどういう人か肯定しにくい」と思われる。

肯定しにくい、認めにくい、評価しにくい、認知しにくいが同義です。

・何ができるかわからない
・何者なのか特定できない
・否定はできるけど肯定できない
・どう肯定すればいいかわからない

認めるためのプラスの意味付けが難しいと思われることで、なめられる要因になります。

 

二つ目、意思表示がない(少ない)

もう一つ、意思表示がないとなめられます。

世間的、一般的な意見を出しても、“自分の”意見を出さないと意思表示がないと同義になります。

 

肯定しにくい + 意思表示がない = なめられる

例えば、挨拶をたくさんするAさんがいます。

Aさんの挨拶が聴き取りやすい声量で、周囲に適度な笑顔を振りまき、人々の心をホッと朗らかにしていたら。

肯定しやすく、プラスの意味付けもしやすく、なめられにくくなります。

もしAさんの挨拶がただ声が大きいだけであれば、「声が大きい人」として認めやすいですが、それが迷惑であれば肯定はできず、否定しやすい対象になります。

認める上でのプラスの意味付けがより難しくなります

ただ、これだけでなめられる訳ではなく、意思表示がないことを加えて成り立ちます。

典型的なのが、「何をしたいのかわからない」

「なんで挨拶をあんなにするんだ?」
「どうしてそんなに声が大きいんだ?」
「一体何のためにしているんだ?」

肯定しにくい、意思表示はない、けれども目立つとなればよりなめられる可能性が高まります。

 

なめられる原因

なんでも
なんでも
上述の要因二つが組み合わさると、対人関係で“あること”がなされます。

“あること”とは、

肯定しにくい + 意思表示がない = 相手は不安を抱く

不安を抱かせることがなめられる原因。

「何をしてくるかわからない」という潜在下での恐怖が生まれる。

表面化では、「どう関わればいいんだろう?何を話せばいいんだろう?どのようにこの人を見ればいいんだろう?」と疑問だらけで心地悪くなる。

※ただ、不安になるだけで人をなめるかどうかは人それぞれです。

ポイントになるのが、[不安→なめる]に発展する人がいること。

「不安にさせられた、この人のせいだ」となる他責者です。

他責者は、「相手が変、間違い、おかしい」と決め付けることで相手を下とみなし、自分を上にする比較シーソーに囚われた世界を生きています。

自分より下の人間がおかしいことをしている、してきたと思い込み、なめた言動が出始める構造です。

この内情には、弱さの露呈があります。

 

なめられる人となめてくる人

なめてくる人の弱さ

なんでも
なんでも
なめてかかる行為は[弱さ]だと考えます。

相手をシーソーで[下]、自分を[上]と区分ける。

区分けは社会的に“他”が決めた概念に従うため、前提として自分の思考や意見がありません

意思なく比較で物事を捉え、優劣勝負の上下差別で物事を評価判断する目には尊敬がありません

想像力が乏しく認識力が低い、自分の五感と脳で物事を認識できず、「右手と左足を一緒に前に出すんですよ」と言われたからただ従っている

そして決定的に創造性がないさまの表れ。

意思、尊敬、認識力、創造性がないと相手の中身を見ることができず、見れるのは外面とルール、外枠形成の情報。

容姿など物理的に見えるもの、IQや評価など数値で見えるもの、肩書や言動など正否で比較できるもの。

張りぼてです。

自分や個性はなく、社会的に認められる人が右だと言えば右を向き、タレントがこのバッグと言えばそのバッグを買い、インフルエンサーが日本滅亡と言えばそれに反応したメンタルになる。

嫉妬心があり、執着し、依存もする、羨ましい気持ちが怒りにも悲しみにもなり、他人を攻撃する気持ちを作り、寂しくて一人でいられなくなり、否定や悪口が日常に安泰をもたらす餌になります。

「人を利用するお返しは自分を利用させてあげる」になり、自分が利用されたら誰かを利用し返すことで心の欠損を埋めようとします。

これら張りぼての虚像を糧にした中身のない従順と、他に反応したメンタル、概念でプログラミングされた思考停止の頭を主体にしていると、不安の解消法が上下比較による安息ゲット。

自分を上にする、相手を下にする、人を利用する、利用できる人を利用することで日頃の不満を誤魔化そうとする。

『なめる』行為になります。

意思があれば、尊敬があれば、認識力があれば、創造性があれば、その人はその人でしかなく肯定もなにも存在していること自体が認めえる全ての材料であるため、不安にすらなりません。

 

いい人、優しい人がなめられやすい訳

なんでも
なんでも

肯定しにくく、意思表示がないとなめられる考え方。

優しいからなめられる訳ではありませんが、いい人、優しい人は対象になりやすいです。

これに該当する場合、優しさは利用されやすく、依存や執着される人です。

言い方を変えると、強く言えない、断れない、嫌われる(否定される)ことを強く恐れる人が該当します。

例えば、優しいマルシェさんは近所の人々のためにパンを焼いて渡した所、なんと美味しい。

お隣のヴァイスおばさんはもう一度食べたい、「またあのパンを焼く機会があればくださいな」と言ってきた。

喜んでいるようで嬉しいマルシェさんはただ笑顔で、「それはよかった、わかりました」とだけ伝えてまたパンを焼いて渡しました。

ヴァイスさんは喜び、また食べたいと言ってきました。

マルシェさんは、「わかりました」とだけ伝えてまた渡す。

次にヴァイスさんは味の好みを伝えてきた、「わかりました」と渡し、次は焼き加減を、次は粉の種類を、次はデリバリーの時間指定を…と続きます。

「美味しいパンを焼ける凄腕マルシェさん」として認められます。

しかし人によって、「タダでパンをくれて、要望にも応えてくれる不思議な人、使える人」という肯定にはならない捉え方になります。

「マルシェさんが作りたいんでしょ?」と思っていれば、「食べてあげる」にすらなる。

意思表示のなさは一方的で勝手な解釈をされる原因となり、教養と返報性と尊重を知らない人間は低次元の歪んだ解釈をし始めます。

ここで着目したいのは、なめてきた人は下に見た訳でも利用したかった訳でもなく、優しい人側を如何に存在認知するかを委ねられた状態。

委ねられても困ってしまう特定の人々は、委ねられた時点で不安を抱き、どう認知すればいいかわからず、結局表れるのは何もできない弱さ。

なめる行為が勃発します。

 

なめられないために

なんでも
なんでも
なめられないために自力でできるのは、意思表示です。

なめられる要因の一つである[肯定しにくい]というのは、あくまでなめてくる人にとって肯定しにくい、特定しにくい、認知しにくい意味です。

社会的な概念やルールなど大衆認識として認める方法を知らないと言い換えられるかもしれません。

いわゆる、「私がこの人をこの人だと認める」ではなく、「一般的にこの人はどういう人なの?教えて」

誰も教えてくれない、「これはこういうことなんだよ」と脳にプログラミングしてくれないと不安になる、かつ他責。

本人が教えてくれなくても、名前の売れている人がおすすめしたら賛同できるように、誰か認めている人が教えてくれれば不安は解消されます。

本人単体では肯定する意思も認識力もないため、誰かが教えなければわかりません

教えるために[意思表示]が必要になります。

意思表示は[自分]を明示する方法になりながら、他責者にとっての[不安]を和らげる方法になります。

「私はこう思った」「こう感じている」「だからこうする」「こうしたい」

「パンは焼きたいけれども材料が今はないので、また購入した時に作ります」ではなく。

「今はパンを焼く気分ではないから焼かない、私が焼きたい時に焼く」が意思、自らの意思です。

見えにくいこと、わかりにくいことを見る眼を持つ人は少数であるため、受動的ではなく能動的に意思を表示するとなめられにくくなります。

はっきりノーと言うことでもありますが、それが必要な訳ではありません。

断らずとも、「私はこう思うからこうする」

「こうする」と能動的な明示によって、「あ、この人は自分がある人だ」「普段は大人しいけど中身がしっかりしている」など認めやすくなります。

意思表示のポイントはイエス・ノーの思いを伝え、さらに、「だから私はこうしたい、こうするんだ」という行動意思の明示。

「私は右手を前に出して右足も同時に前に出したい気分だ、だからカクカク歩くのだ」という自発的行動の一歩目を踏める明示。

なめられなくなります。

 

注意点:意思表示は他者否定ではない

「私はこう思う」+「だからこうしたい、こうする」

「私はこう思う」+「だからあなたは間違っている」

なんでも
なんでも
あくまで狙いは自分の意思であり、能動的に自分の行動を明示すること。

他者否定はなめられるだけでなく嫌われる要因にもなるので要注意、逆効果になってしまいます。

「私はこう思う」と伝えるだけで、それが意にそぐわないとまるで否定されていると思い込む人もいます、それがなめてくる人。

面倒をなくすためにも、意思表示はあくまで自分の意思であり、他者に干渉していない前提が大切です。

尊重も欠かせません

尊重は相手の意思や行動を敬うだけでなく、干渉しないことも同義です。

「私は私の思い」「あなたにはあなたの思いがある」を踏まえる、または伝えることで両方を大事にした表示になります。

 

勘違い:[強さの誇示=なめられない]ではない

なんでも
なんでも
もう一つ注意したいこととして、勘違いがあります。

[強さ=誇示するもの]だと捉えると、なめる人と同じ状態になってしまうので本末転倒です。

強さは誇示主張した時点でメンタルや精神の弱さが露呈します。

外観を固め装い、周囲を怖がらせる様相を見せびらかせる、気を張って強く言い返すなどは、なめられないための根本的解決ではなく、相手に何も言わせないための縛り付けです。

気に食わないことを言われたら正当化を図り、相手を否定して口答えできないようにする。

気を強めて口調荒く、声高々に、辛辣な毒舌で相手を威圧するといった行為。

これらは外面上なめられないための対処になりますが、本質的には自分の不安と恐怖心に向き合えないが故の防衛反応と誤魔化しであり、自分に対する嘘と逃避行為です。

着目を相手にすると自分ではなく相手を変えようとする強要、またはなめてくる側に問題があるとする他責。

まさになめてくる人と同じ状態になってしまいます。

これを打破するためには自らを変え、向上し、相手と同じ領域から飛び抜けるのがおすすめです。

「なめてくる相手に眼中無し」と思えるくらいになれば自分のためになっており、その時は既になめられなくなっています。

同じ次元にいると対処や一時凌ぎのイタチごっこになるため、根本的に居る領域を変えて二度と関わらない。

そのためのメンタルや精神(意識)状態になることが得策という考え方です。

 

最後に:なめられないために

なめられる原因は不安を与えているため。

ですが、ただ不安を与えるだけでなめてくるのが仕組みではなく。

不安や心の欠損を解消できないために、他人を下にしたり利用したりとなめちらかさないと自己保持できないのが理解ポイントです。

そういう人たちは、わからないためになめることで不安を回避しています。

わからないことを認められないためになめることで自己保持を図ります。

「わからない、認められない」がポイントになるため、意思表示がなめられないための方法になるという考え方です。

肯定しにくいが故、さらに認める力がない人であるが故、意思表示にて認めやすい状態になると物事はスムーズに流れます。

意思表示は相手の不安を解消するだけでなく、自らの能動性を高め、意思力を上げます。

さらに表現が増えることで周囲に認められやすく、人間関係の相互理解が促進されやすく、人間はお互いの認め合いで円滑になりやすい、そんな体感も得られることと思います。

表に出さず内で語る内省や内観は大切ですが、表に出して語る外向性や人間付き合いも社会では欠かせません。

関わりたくないとしても、どうしても関わっておかなければならない状況は多々あると思います。

そつなくそこはかとなくコミュニケートし、人と話し自らを伝えることは、なめられ嫌われ邪魔されるなどの弊害をなくすための間接的防衛にもなり、とにもかくにも自分のためになります。

そのためにも意思表示。

なめられるのは弱さでも優しすぎるからでもなく、認め難いと思われる表示・明示・提示のなさという考え方でした。

ありがとうございました。

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