悩み

【自分との戦いに終止符を】ずっと我慢して生きてきたからこそ

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著名な心理セラピストとして知られる、西澤裕倖(にしざわひろゆき)先生プロデュース。
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※本気で人生を変える方専用。

私たち日本人には切っても切れない“我慢”があります。

いつの時代にも私たちには授けるものと搾取するものがいます。

我慢する人がいて、我慢しない人がいる。

我慢の紐解きには長い歴史の足跡、DNAがあり、だからこそ大きな変革が必要です。

ずっと我慢してきた人こそ、蓄積し続けたものは爆発するため、我慢を手放して生きる変革が必要です。

ここでは、我慢をやめるために自己内部に変革を起こす、そんな探求を進めてまいります。

  • 我慢にて味わった苦しみを活かしたい
  • 自分勝手ではなく向上のために我慢しないようになりたい

我慢の苦しみを味わい続けてきた方へ向けた内容となっております。

私の理解している少しばかしのことですが、お役立ちとなることを祈ります。

Youtubeもありますのでぜひご覧ください。

ずっと我慢して生きてきた

ずっと我慢してきた人

誰にも頼れず、甘えられず、執着も依存もできる環境がない。

なんでも
なんでも
一人で生き抜かなければならない場合、我慢を多用するのは生存戦略として必須行為です。

我慢する時に必ずあるのは、不安と恐怖

親が怖いから、従わなければ危険だから。

友達に嫌われるから、みんなに否定されたくないから。

こらえるように言われたから、その通りにできないと見限られるから。

そしてもう一つあるのは、優しさ

弟が既に利益を得たから、私もねだるのは迷惑だから。

親は働いて疲れているから、私が我慢すれば誰も困らないから。

この場の空気を壊したくないから、みんなが嫌な気持ちになって欲しくないから。

不安と恐怖があればあるほど、優しい心があればあるほど、ずっと我慢します。

気を使い、周りを配慮し、迷惑をかけまいと労力をはたき、心配し、ケアし、助け、サポートする。

我慢をたくさんし続けてきた人ほど、自分の不利益を緩和させながらも、周囲の不利益をなくすために頭を使い、身体を使い、エネルギーを消費します。

自分の利益が全くありません。

利点があればまだ我慢にプラスがありますが、なければやる意味が見出せないので我慢することに憤りとストレスを作り、辛さと苦しみが増えてしまいます。

 

我慢には種類がある

なんでも
なんでも
我慢の捉え方は大きく二つに分けることができると考えます。
  1. 自分のための我慢
  2. 他のための我慢

※本質的にはどちらも“自分のため”なのですが、他のための我慢は主観を自分に置かない特徴がある

我慢とはグッとこらえ、自らを抑圧する状態ですので、利益取得や創出ではなく徹底的な自己防衛特化、損害を減らすための行為です。

自分のためでも他のためでも我慢の目的は損害回避、不安と恐怖の対処、不納得と不満足の対処。

いわゆる、嫌な現実を受け止めず、そつなく流し、傷つかず自分を護るため

そこにプラスして、“自分のため”に我慢する場合は自己都合の損害回避が入ります。

 

自分のための我慢は攻撃性がある

なんでも
なんでも
自分のための損害回避は、自分の弱さを徹底的に隠すためだと考えられます。

こんな特徴があります。

  • 復讐心が強い
  • 強い刺激や快楽を求める
  • 身近な人にだけ当たる(ハラスメント)
  • 特定の人にだけ排他的(無視や敵意を示す)
  • 他者承認欲求が強く、特別感を欲する
  • 自己否定や自己への攻撃性を持つ

攻撃性が内外どちらにも向くのは目立つ特徴です。
※外に向ける時は対象を見極める

表では我慢し尽くし、家に帰って身近な人にだけきつく当たったりします。

弱さを隠す我慢は怒りや悲しみを心に抑圧するため、必ずはけ口を要します。

快楽や強い刺激によって日頃の抑圧から逃避したくなり、人によっては悪事を働いて特別感を得ます。

他責で攻撃性を持つのが大きな特徴でして、他に対して自分を隠していますが、自分に対しては弱さを隠しています。

 

他のための我慢は自分に負けないため

なんでも
なんでも
“他のため”に我慢する場合、大きく内情が変わります。
※この内容の主旨

この我慢の本丸は、自分に負けないためです。

こういう人は強いです。

しかし、普段から我慢にて抑圧しているため、自己評価や自己肯定感が低く、自信がなくなってしまうので強くは見えにくいかもしれません。

強さとは本当の意味での強さ、負けない強さです。
※勝つ強さではない

上述したように、全体のバランスを保つ目的があり、全体を見る視野や認識が広いために俯瞰的我慢をします。

こんな特徴があります。

  • 自責が強い
  • 認識力が高い
  • 全体のためを想う
  • 苦しくても吐き出さない
  • 他に甘えない、人を利用しない
  • 自意識が強く、頑固一徹なところあり
  • 他に嘘をついても自分には嘘をつかない

吐き出さないので病気や精神疾患になりやすく、我慢力がありすぎます。

なにより見たもの、感じたもの、考えたこと、 自分の認識を誤魔化さないため、認識に対する誠実さは一貫しています。

だからこそ事実を有耶無耶にできず、より我慢や苦しみが増えてしまいます。

ルール従順が目的ではないために、個が強く、変わり者だと思われる人もいます。

このような方は、自分に負けない強い意思があります。

事実をひん曲げない、認識を歪めない、楽な方に逃げない真っ直ぐなさまがあります。

「課長の〇〇さんってカッコイイし性格もいいよねぇ」
「え、そ、そうだよねぇ(よく裏で悪口言ってる、でもイメージ壊すのは悪いし、こう言うしかないか)」

必要ないこと、どうでもいいことも我慢しなければならず、損することが増えて、遅かれ早かれ我慢の限界が来てしまう在り方にもなります。

あらゆる根底にあるのは、自分に負けない自責の貫き。

自責が強いが故の我慢です。

“他のため”の我慢であっても、実際には自己内部で戦い、負けないために我慢しています。

そのため、“他のため”でもなく、“自分のため”でもない我慢になっています。

 

我慢をやめられなくなる危険

なんでも
なんでも
誰しも“自分のため”であり、“他のため”にも我慢します。

しかし、“他のため”の割合が増えるとあることが起きます

自分を好きになれない。

自分を受け入れられない、肯定できない、認められない。

我慢は自分を受動状態にするため、「なんのために我慢しているのか?」と目的がわからなくなり、気付けば自動的に我慢しています。

明確に自分のためだけに我慢する方が、どこかではけ口を探して鬱憤を晴らしたり、誰かに当たって難を逃れるので、苦しみにはなりずらい。

イライラして終わり、なんて具合です。

ただ、他責になり、自分勝手な我慢になってしまうので、“自分のため”に偏るのは注意が要ります。

“他のため”の我慢は、ずっと我慢して生きることをマストにする縛り。

“自分のため”の度が過ぎない程度の追加が望まれます。

そのために最も重要な理解があります。

 

我慢をやめる方法

我慢とは無知・うぬぼれ

我慢には仏教の意味があります、知識として知っておくと役立つと思います。

我慢とは、
仏語。七慢の一つ。我(が)をよりどころとして心が高慢であること。自分をたのんで、自ら高しとすること。自分自身に固執して他人をあなどること。うぬぼれ。

我意を張ること。強情であること。弱さを見せまいとすること。また、そのさま。
※コトバンク 引用

我慢は仏教が語源と言われ、心が高慢で他人をあなどるうぬぼれ、我を張り、弱さを隠すさまを意味します。

「辛抱、忍耐」とは意味も使い方も異なり、一緒にはできないほど内部事情が異なる言葉です。

我慢とは認識力があって周囲を把握する能力がありながら、自分自身や他者をしっかり認識していないさま、無知であり、うぬぼれを意味します。

 

[我慢をやめる=自分との戦いをやめる]

実際にやめるためには、我慢する行為の目的を明確にする必要があります。

なんでも
なんでも
我慢とは無知とうぬぼれを表しますが、問題になるのはこれら以上に、我慢の矛先が無知とうぬぼれに向かってしまうこと。

我慢する目的や矛先を変えれば、無知でもうぬぼれでもなくなります。

そこでお伝えしたいのは、「自分と戦うための我慢はもうやめる」

自分と戦うのをやめるのが、我慢をやめることを意味します。

 

どうして自分と戦うの?

これは過去の私に聞き続けた質問です。

「なんで自分となの?」
「嫌いなの?潰したいの?」

「自分を許せないの?」

「自分の意にそぐわない自分がいることを受け入れられない」

「言うことを聞かせて自分の心の声を無視し続けたから、自分と向き合うのが怖い」と思っている人もいると思います。

「もっと強くならなければいけない」と思っているかもしれません。

私はこれでした。

「もっともっと強くならなければ!」

いわゆる、「このままではダメだ!」という不納得の念。

自己否定もありますが、それ以上にこれでは納得いかない、これではやられる恐れ

何に恐れているか、自分にです。

自分自身に恐れていると、自分に負けないために戦おうとします。

このメンタル状態で考えたいのは、所属欲求が満たされていないこと。

アブラハム・マズローの欲求五段階説で言う、所属と愛の欲求。

社会的欲求と愛の欲求 (Social needs / Love and belonging)

自分が社会に必要とされている、果たせる社会的役割があるという感覚。情緒的な人間関係についてや、他者に受け入れられている、どこかに所属しているという感覚。

愛を求め、今や孤独・追放・拒否・無縁状態であることの痛恨をひどく感じるようになる。不適応や重度の病理、孤独感や社会的不安、鬱状態になる原因の最たるものである。

※Wikipedia 一部引用

所属に関して不安と恐怖が多い場合、一人で生きていかなければならないために我慢を多用せざるを得なくなります。

幼い頃から周りに頼れず、一人で、自力でなんとかやってこなければならなかった環境であるほど、所属と愛の欲求を求める自分をなんとか我慢で抑えなければなりませんでした。

しかし、その自分は怒り、悲しみ、拒否、拒絶を蓄積し続け、抑え込まなければ何をするかわからないほどの脅威になります。

潜在的に自分を恐れ、「負けてはいけない」という念は自己保持するために欠かせなくなります。

「自分を壊さないためにも負けてはいけない」

自分のために自分に負けてはいけないという矛盾ができます。

 

我慢をやめる方法①:抑圧の解放

なんでも
なんでも
我慢をやめる主軸は抑圧の解放です。

我慢し続けてきた以上、心身に抑圧された思念、想念、エネルギーが溜まっています。

まずはこれを流すのが重要です。

しかし、どんな抑圧をしてきたかは人それぞれ。

主にどんな感情があるか、怒りなのか悲しみなのか種類も違うので、どう解放していくかも変わります。

とにもかくにも、自分を主観にして自らを見つめ、理解する。

そして抑圧を解放するために行動することが大切です。

 

我慢をやめる方法②:敵ではなく味方になる

抑圧を解放するための方法となるのが、敵ではなく味方になることです。

自分と戦うのは敵になっている状態ですので、合意して同じサイドになるのが得策です。

なんでも
なんでも
何をするかイメージを掴むためにも、私がしてきたことがご自身を見つめるご参考になればと思います。

私がしたのは、恐れる自分に人生をあげました。

もう全部あげちゃいました。

「人生あげるよ、好きにしていいよ」

「じゃあやったことないことする!」ということで海外へ、そのまま五年間旅を続けました。

好きなことをしているのではなく自分を許している状態であり、自分に許してもらっている状態、外面は“旅”という奇怪なものです。

会社員の時でして、退職して海外の旅を始め、人生が一変する始まりとなりました。

 

我慢をやめる方法③:やりたいことがあればやる

これ以上抑圧を増やさず、かつ解放するために、やりたいことには迷いなく邁進する

なんでも
なんでも
この時に気付くのが、そこで後悔や嫌な思いをしないためにも我慢を使っていることかもしれません。

我慢をやめるのは難しいですが、内部の自分を味方にすると、「やってみよう!」と決意できるので、自分を味方にしてからやってみてください。

やりたいことがない場合には、自分を味方にするために自己受容を増やすのが大切です。

その過程で見つかっていくことと思います。

 

我慢をやめる方法④:コミュニティに所属する

「ここに所属したい」と思えるコミュニティを見つけるのも、我慢をやめる方法になります。

なんでも
なんでも
所属欲求が満たされるため、自然に我慢は緩和していきます。

我慢しないためには人と関わることがとても大切です。

その際に、我慢する人間関係を増やすと本末転倒なので、安心と気楽を感じる対象かどうかは要見極めです。

 

我慢をやめる方法⑤:忍耐力にする

最後にお伝えしたいのは、「負けてもいい」ことです。

なんでも
なんでも
もはや負けちゃえばいい。

自分との戦いを認め、責任感を緩めることを意味します。

他のために我慢する人はとても優しい人だと思います。

認識を誤魔化さず、自責があるからこそ、全体のバランスを保とうと、統一性を壊しまいと周囲に合わせてできることを努力します。

「自分のために生きる」のも大切ですが、他のために努力できるのはそれだけ許容があり、我慢する力があるさまなので他者貢献する在り方を極める道があります。

「他のために、他が喜ぶために、この人に心豊かになってもらいたい」

と他にしっかり着目すると、我慢は忍耐力になります。

忍耐力は誰かのための力になる美しいものです。

我慢を忍耐力にする、そのために負けていい気持ちを持ち、他のためという目的を明確にしてみてください。

「私はこの人のために我慢する」と思えた時、それは既に忍耐力です。

・我慢とは、我を通す“心の在り方”
※自分のためだけになると“頭の在り方”にもなる

・忍耐とは、目的達成のために継続努力する“力”
※育んできたからこその経験値、能力

忍耐こそが人間だからできる努力、育み、行動の結晶であり、才能を能力にする力、組み合わせる力です。

忍耐は優しい人誰しもが持っている力。

その原石は我慢であり、これまで我慢してきたからこその賜物です。

 

最後に:ずっと我慢して生きてきた

我慢は本当に大切な行為です。

自分を護り、損害を回避でき、嫌なことを対処します。

しかし、“他のため”、“自分のため”のバランスが大切でして、バランスを崩すとやめられなくなり、他責で自分勝手になるなど歪みの現象が生じます。

自他両方のための我慢を知ることで、使いどころを見極めた自制ができます。

「ここでは我慢し、ここでは我慢しない」

都度都度使い分けるのが我慢です。

我慢の種類や違いを把握し、自らのしていること、我慢する意味や目的を明確にすると、自然と自制は高まります。

抑圧ではなく制御になった時、我慢してきたからこそ自己コントロールできます。

無用な発言を言わないのは何のためか、誰のためか、そして誰が喜ぶためか、そんな見極めながらの使い方ができます。

その領域は自己防衛だけでなく他者のことを考えた配慮、心遣い。

自他共のための我慢(忍耐)になり、精神の美しさがもたらされます。

広がるのは気楽で豊か、安心も強さもある、幸せな世界。

そのためのご参考になれば幸いです。

ありがとうございました。

『心理とスピリチュアルの学び場』

誰しもに人生を変える機会と選択があると信じています。

著名な心理セラピストとして知られる、西澤裕倖(にしざわひろゆき)先生プロデュース。
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※これは長期的に本気で変わりたい方専用です。

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