生き方

【強さと勘違い】一人で生きていける『自立人』ほど、人と深く関われる

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一人で生きていく時代。

昭和の面影なし、子供一人で夕方の電車に乗り、帰宅時間に合わせてスマホでウーバーを注文し、工場直搬ドーナツを夕食に。

そんな目が飛び出る光景も、自動的に背景と同化していく世、独身と自立の時代。

こういう世では、一人で生きていけることは強さにも勘違いにもなり、『自立』の意味が歪む可能性もあります。

精神を高めるために修行している人が、「私の方が本質を知っている」と己と他を比べなければ自己を認識できない、そんな本末転倒が起こりかねません。

そんな“実情”を露呈させるものとして、男性でも女性でも自立している人には“ある力”が見られます。

ここでは、一人で生きていける強さと勘違いを深掘りしていきます。

  • 一人で生きていける強さとは何か知りたい
  • 自立に欠かせないものを知りたい

精神に重きを置いた『自立』の中身。

自らの考えをより見つめる機会として、一つのご参考になれば幸いです。

Youtubeもありますのでぜひご覧ください。

一人で生きていける人の共通点

一人で生きていける人の特徴

なんでも
なんでも
自立している人にはこのような特徴が目立ちます。
一人で生きていける人の特徴
  1. 一人で社会生活ができる
  2. 自己完結できる、問題解決できる
  3. 人様に迷惑をかけない心掛けができる
  4. 自分の考え、意見を持つことができる
  5. 感情を殺さずに、コントロールできる
  6. コミュニケーションを図る能力がある
  7. 他者と繋がる、他者を遮断することができる
  8. 孤独と向き合える、ネガティブをないがしろにしない

この中で特に着目したいのは、『自己完結』

自己完結できる人は責任を持てます、リスクを負えます。

起きた物事を誤魔化さず、良い悪い関係なく自分にとっての完結ができます。

自己完結できないと問題解決できないだけでなく思考は止まり、感情はカオス、不機嫌が直らない、他人のせいにする、欲望が自分の首を絞めていきます。

自己完結の中枢となる行為があります。

『認める』

詳細に入っていきます。

 

一人で生きていける人は:『認める力』がある

なんでも
なんでも
生きていればさまざまに認めたくないことが起こりますが、ここで自立有無は際立ちます。

例えば、突然銀行データ抹消、「今日からあなたの貯金額は0」

「嫌だ!こんなの嘘だ!銀行ふざけんなよ、ウワーン」と泣いたり怒ったり忙しい人。

例えば、恋愛依存で人に執着する。

弱さ、劣等感を認めず、優れた人に嫉妬したくなる、「キー、許せない!」

誰かがいないと自己保持できない、他人のせいにして怒り、泣き、事実を誤魔化し、被害者面。

一人で生きられないのに、「私は一人で生きられる!」と妄信や固執を全うするのも同じ、認めないことは認知や認識を歪め、幻想世界に突き進みます。

一人で生きられる人は性格が良いも悪いも関係なく、事実を認めていきます。

「私は金持ちでも自立者でもなく、演技者だった」

「嫉妬する人間なんだ、これが私なんだ」

良い悪いどちらでも、どんな未熟な自分でも、どれだけ性格がひん曲がっていても、他人利用しても、自己中でナルシシズムでも、

事実を事実として認める人は、一人で生きられない状態から抜け出ています。

さらに次のステップへ向かっていきます。

 

一人で生きていける人は:『受け入れる力』がある

なんでも
なんでも
認めることで事実を歪めず、現実を生きるための邪魔がなくなります。

ここから、『受け入れる』にシフトしていくと自立が高まります。

絶望崖の淵に立たされた際、「私は何者でもないんだ」と気づく人は認められる人。

「ヒャッホー!」と崖からジャンプできる人は受け入れられる人。

受け入れる力があると、一人を、孤独を謳歌し楽しみます。

[認める→受け入れる]

・認めることは事実を歪めない前置き
・受け入れることは事実を喜んで迎え入れる現実作り

自分を認め、「さぁ、それじゃあどうしようか?」に進めるのが受け入れる力です。

例えば、一人だと虚しくて逃げたくなる自分が見つかった。

「うむ、私は人がいないと寂しくてダメだから執着するんだ、それじゃあ人を思う存分好きになろう!」

受け入れると能動的な動きに進み、自信にも自己肯定にも自己受容にもなり、楽しんで飛びます。

「一人で生きる」というと、「完全に一人でなきゃダメだ!」と思う人もいるかもしれません。

「だれもいない無人島にいなければダメ」ということではありません。

他者や隣人が自然と存在するこの世の中、周囲にたくさん人がいれば、たくさん執着すればいい。

それで嫌われて誰も関わってくれなくなる、その事実を受け入れて別の場所で執着すればいい。

また嫌われて排他されたなら、「自分がいけないんだ、もっと優しくなればいいんだ」などと学べます。

受け入れる力があることは心に許容があるさま。

許容があると変化できます。

紆余曲折、試し、失敗し、挑戦し、育んでいく。

生きる上での自然な関りやプロセスを経ることで、『自立の礎』を構築します。

心の許容があるほど、一人で生きられる証明。

※許容がないと不安や恐怖、危険や無知など嫌なことを認める余白がないため、一人で生きていくのは難しくなる、という考え方です。

 

一人で生きられる人の強さと勘違い

大前提:物理か精神かで自立の意味は変わる

なんでも
なんでも
そもそも自立とは何なのか?

社会的・経済的・精神的などさまざまに捉え方がありますので、前提を見ていきます。

「一人でできるもん!」

自我が芽生えてくると、洋服の着替えは自らでするようになります。

生育と共に肉体が大きくなり、一人でできることは増えていく。

一方、一人で生きていくには資金が要り、意思決定が要り、環境に適応する力も要ります。

自立を考える際、捉え方を物理的にするか精神的にするかで意味が変わります。

物理的な場合、縛りと客観視がある。

この自立は、『強い、勝ち、成功、理知、正当』のイメージが付きやすいです。

強さとは攻めの凸、オラオラと突き進める、迫ってくればオリャーとやり返す。

強さとは守りの凹、冷静に見つめ、迅速に問題対処し、攻められてもカキーンと守りを固めて崩れ無し。

女性であればキャリアウーマン、モリモリ仕事をこなして、男性を押しのけていくさまはわかりやすそうです。

一人で事業を初め、個人店を持ち、店舗拡大となれば、“一人で生きていける感”はより際立ちます。

物理的自立の主たる目的は、『困らない』『楽になる』こと。

[自と他]の間接的アプローチとアクションであり、社会生活、経済的に困らず、一人寂しくてもペットを飼えば万事オッケーというイメージ。

社会性やルール従順が条件となる社会的スキップができるみたいなもので、テクノロジーがなければそもそも自立できなくなるなんて具合に、外的要因に支えられている縛りがあります。

精神的な場合、自立は自由の象徴であり、主観が絶対的。

孤独で寂しくても困っても、その先の「だから何?」の答えを出すことに自立があります。

常識やルールに縛られず、自らで考え、自らに従う自律の重んじ、ブレない自分軸があります。

強さ以上に自由のイメージが付きやすく、気にしない、独自性がある、個性や個々人の尊重があります。

相手を変えようとせず、「私は正しい」と押し付けはしない。

他に干渉せずとも自己保持し、貫くことができ、一人で生きられるさまが際立ちます。

一方、偏ると客観的視点がなくなりやすく、外からの見られ方や振る舞いを気にしないことでの特異性、己しか信じないさまが際立ちます。

精神的自立の主たる目的は、『自由である』『自由の基盤を持つ』こと。

[自と他]の直接的アプローチとアクションであり、直接繋がり、直接遮断することを主観的に執り行う特徴があります。

好んでホームレスになり、かつ幸せだと感じるように、縛りがなく、自由に現実を創っていくさまがあります。

物理的自立は他との比較を要する観念縛りがあります。

他者、社会通念、概念なくして自立なく、ジャングルであれば自立という概念すら生まれません。

精神的には他との比較があればそもそも自立できません。

例えば、物理的自立は一人で生きるために洋服を上手に着る、なければ買う、買うために稼ぐスキルを要します。

精神的自立は洋服を着なくてもいいので外に出たら周囲が困っちゃう、きゃー。

または、洋服を着るスキル以上に作る、作れないなら貰う、貰うためにお金ではなく頼るという直接的なアクションスキルが必要です。

 

自立にある『責任』

なんでも
なんでも
自立が物理的か精神的かの違いは、一人で生きていけることの意味を大きく変えます。

例えば、投資で不労所得を安定して得るほどになる。

そこに至るまでの帳簿や決算書の見方、過去の事例やチャートパターンなど教科書的に勉強することを初め、一喜一憂する過程や失敗も含めた経験側が物理的自立へと促します。

精神的自立は、「私はこの会社を信じて投資する」で終わり。

不労所得が増えようが減ろうが、「私は信じている」ということそのものが重要であり、迷うことなく継続投資。

自立している人ほど確固たる軸があり、冷静で動じず焦りませんが、一方で損失が増えながらも笑っているので周囲は引いちゃう。

両者は「責任」の持ち方が大きく違います。

物理的に自立している人の責任は、自らを社会の『正解』に近付ける行為です。

我慢や頑張り、努力や義務果たし、他者のサポートや世話、勉学にレベルアップ、感情コントロールなど、良悪で言う良に照合させます。

一人で問題なく、むしろ良い生活、良い評価、良い人間という世界を生きていきます。

「精神的自立は運まかせな無責任だ」と思う人もおり、正否で縛るのが特徴的です。

一方、精神的自立は真逆、全てをブッ捨てます。

見栄えがどうであれ、お金持ちだろうが貧乏だろうが、成功しようが失敗しようが、それが正解だろうが間違いだろうが、自分のことにどれだけ責任を持てるか。

「恐ろしい経験が嫌だからもうしないように」ではなく、「恐ろしい経験をまざまざと感じ、体感できるようにする」ことが責任。

他者に迷惑をかければその責任を持ち、自分がどれだけ嫌な人間だろうがその責任を持つ。

[恐怖=ダメ?]
[安心=花丸?]

ルールや他人が決めた概念に従うのではなく、自らの思考・感情・行動を自らで認めて、受け入れる主観に従います。

社会的に見れば矛盾にもなりえます、ルールといった縛りや決め付けのない真っ新な前提で見れば自由そのものです。

どちらも大切な自立ですが、両方をお伝えしたのには訳があります。

強さ(優しさ)は物理と精神の組み合わせ(縛りと自由、客観と主観の調和)にあるためです。

 

一人で生きていける人の強さ:『恥、傷』

なんでも
なんでも

石の上で三年間正座でいられる、そんな見方には『強さ』がありそうです。

しかし本質は別です。

三年間正座でいられ、次はコンビニで三年間働ける、これが一人で生きていける強さです。

自分の強みに限定して環境を縛る、これは物理的自立。

「石の上に座り続けても困らない状態を成功させた」という類のものでして、本質は石そのものを受け入れたり、座る行為や目的、自分そのものを受け入れることに強さがあります。

そんな受け入れる力を際立たせる特徴があります。

一人で生きていける強さがある人は、恥をかける、恥をかくことを大切にします。

恥という嫌な気持ちを軽減するために、我慢や頑張りは通用しません。

恥をかきたくないから我慢や頑張りはできますが、恥そのものを避けて通ろうとすると自動的に誤魔化しが起きます。

認め難いこと、頑張ってもどうにも緩和できないものをも受け入れられる人ほど強さがあります。

もう一つは、傷を負えること。

傷を負える人ほど一人で生きていける強さがあります。

誰だって痛いのは嫌。

心の傷は特に痛いのでなんとか傷つかないように防衛し、損害回避し、エゴを強め、仮面を分厚くし、事前に避けようと損得も計算もしたい、誤魔化して嘘をつきたくなります。

それでも心を開ける人は強く、よく泣き、よく笑い、よく感動します。

感情を一切抑圧せず、制限もかけず、誰からも管理されない自由な情景を作り続けます。

バカボンのパパみたいです。

見かけは強そうで、気が強く、認め難い辛いことや痛みに耐えて物事を認めているように見えても、中身が脆いと見栄が出ます。

正当化が出る、強がり、他者否定、支配。

何より見下しが出ます。

見下しは現実のまやかし法、弱さ以外の何ものでもありません。

恥をかける、恥ずかしい自分を受け入れられる、傷を負える、傷に恐れて自分を抑圧しない人は本当に強い人。

自信がなくて、「私なんかに一人で生き抜く力はない」と思っていても、いざ現実になればできます。

なぜならば、受け入れる力がある人は物事に固執しません。

「これが正しい、これが間違い」という決め付けに執着せず、自己都合の縛りで苦しみません。

そんな人は誰かに頼れます。

お願いできる、他力本願できる。

そして誰かを助けることもできる。

他者と協力しながら、共存しながら、助け合いながら生きられます。

心の許容があるからこそ恥も傷も負える。

そんなさまには素直さがあり、弱さを受け入れ、自分にできることを理解して一生懸命にできることをする。

今日も何が起こるかワクワク楽しく生きていたりします。

 

勘違い

勘違いが起こると、明確な兆候がいくつか表れます。

自立と強さを勘違いした特徴
  1. 正解、間違いを決め付ける
  2. 対話ができない、人の話を聞かない
  3. 自分の思うようにしたがる、支配的
  4. 受け入れられない、柔軟性、許容がない
  5. 自分を正当化して、相手を否定したがる
  6. 我慢・頑張り・努力を強く正解にしたがる
  7. 無知の知がない、思い込みが激しい
  8. 勝負、優劣の比較をやめられない
  9. 負けん気の強さをあえて主張する
  10. 自分の弱さを隠して安堵している
  11. 覚悟の意味が強い固執や頑固

これらは全て強さと真逆に位置するもの。

なんでも
なんでも
物理的自立はいわゆる[成功、正解]であるため、大きな勘違いを生む可能性があります。

その自立は既存のルールや常識、環境といった先人たちの汗と涙と血と贈り物の上で成り立ちます。

極端に言うと自分で作ったものは何もありません。

客観視が薄いと、過去の皆様のおかげで立てていること、誰かが辛い思いをしてくれたおかげで平和に住めているなど真に大切なことが見えなくなります。

カフェを経営するにしても、店舗だけでなく椅子も机も作ってもらい、決済ツールもレジも誰かのものを使わせてもらい…。

その上で成り立つ正解という何かは、外的要因なくして、他者の助けなくして、誰かの我慢や犠牲なくして形にすらなりません。

客観視できていないのに成功という外枠につられて思い込むと、[自立と強さ]は[正当性による立場]という勘違いが起きえます。

それは強さではなく社会の恩恵です。

なんでも
なんでも

精神的自立も然り。

主観が絶対的であるため、一度思い込めば固執、執着になります。

せっかくのブレない自分軸は、「これが正しい」と思い込むことで乾いた泥団子になります。

「人生とは…我唯我独尊なり」と何かの演技に入る。

[完全孤立できる人間=すごい]と決め込むことも。

何より勘違いが起きやすいのは自分を絶対的主観にすると、エネルギーが強くなることです。

強い気を持てるため、「まるで自分は強くなった」と思えます。

本当は一人は辛くて寂しいけれど、「この辛さに耐えてこそ強さだ」と決め込んでいる場合、強い気で耐え忍び、その自分を演じることで強さを得た気分になりえます。

例えば、サバイバル生活をして生き抜いた自負が強さだと思うように。

精神的自立は強さであり、ネガティブを克服する精神基盤の育みであるため、内面基盤ができており、本質理解を体得しているのは事実。

ただ、それのみを貫く執着はこの世を一人に限定した世界のお話、いわゆる物理世界を無視しなければならない誓約の上で成り立ちます。

エネルギーは強い、一人で生きていくと年々顔が険しく、否定ばかりになっていく傾向があり、内面の強さとは似て非なるものです。

「悟っている」と自負する人ほど最も悟りから離れているように、思い込みと勘違いは自己都合の異世界に誘います。

 

一人で生きられる人ほど人と深く繋がれる

なんでも
なんでも
物理的自立は縛りになりながら客観にもなるため、ある重大事項が含まれます。

[他の上で成り立つ自]の理解です。

調和にも本質にも繋がります。

物理的自立自体に調和と本質はなく、あるのはルール従順や自己の諦め、縛りによる決め付けです。

精神的自立だけでは[他の上で成り立つ自]ではなく、あるのは[自と他]というシンプルな理解であるために、「私が神だ」なんてことにもなります。

両方を併せ持つことで調和が生まれます。

調和すると、人様に優しくすることが周り回って自分のためになる。

人様に喜んでもらうために事業を始める、そんな利他の心を生み、結果的に循環が生まれて相手・自分・社会・地球・未来のためになる大きなものが創造される。

本質に繋がります。

物理・精神の両方が自立している人ほど、一人を楽しく生きていきます。

一人で生きられる人には責任があり、責任を持てる人は覚悟できる人。

覚悟できる人は現状を認め、受け入れ自らを変化させられる人。

自らを変化させられる人は自らを手放し、柔軟に改善できる人。

改善できる人は物事を許容でき、適応できる人。

適応できる人は人の話を聞く人。

人に意見を押し付けず、他者の意見も尊重する人。

正否に囚われず、個々人の感情と思考を重んじ、干渉せずに見守る人。

わからないことはわからないと認め、知りたいことは学び、そのために経験する人。

物事の外面だけでなく内面を大切にし、恥をかき、傷を負い、認め難いことも経験する人。

そんな人は自らと向き合うことができる、『まとも(真面)な人』

苦労を大切な経験として吸収できる人です。

一人で生きられる人は客観的に自らを見つめる物理視点があり、自由を能動的に作っていく精神視点があります。

『一人』を好みながらも、『他者との関わり』が目の前にあるなら大切にします。

あえて関わりを作ろうとはしないかもしれませんが、関わりがあるなら大切にするため、実際には深く繋がれます。

 

最後に:一人で生きていける人

強さとはわかりにくいものですが、明確なこともあります。

現実を歪めた以上、そこには強さも弱さも幻想と妄信しかないこと。

現実を歪めないまともさは、この世を真に認識する上で欠かせない大大大前提です。

強さは頑張って認められないものを認めようとすることではなく、認められないことをまずは認め、どうしたら認められるかを考え、試し、工夫し、改善していく実行動にあります。

教科書の内容が毎年変わっていくように、この世に正解がない以上、自分を変えていく意思と柔軟性、その実践に自分のみが体感できる答えを見つけます。

我慢して頑張る以上に、「どうして我慢して頑張るのか?」を知り、内面と向き合うことに本意があります。

一人一人に考えがあり、自分の考えを誰かに押し付けることはできません。

ただ、その考えがそもそも他人のものであれば、「これが正解だ」と言いたくなります。

見つめたいのは自分の思考・感情・行動、いわゆる責任です。

責任なくして一人で生きていくことは誰かのおんぶにだっこ、他の支えが条件になります。

責任なくして認識なし。

認識なくして現実なし。

現実なくして一人も己もそもそもなし。

一人で生きていける人は現実を見れるまともな人、そんな人は受け入れる力があるという考え方。

一つのご参考になれば幸いです。

ありがとうございました。

POSTED COMMENT

  1. なるほど、自立とは「受け入れる力」が鍵なんだ。自己受容して前向きに進むってのは理にかなってるんだけど、ちょっとした恥ずかしいことや傷も平気に乗り越えられるってことか? まあ、バカボンのパパみたいに見えなくても、内面が脆いってのは見下しの裏返しだから、結局は受け入れられる強さが一番だな。ただ、精神的自立して「人生我唯我独尊」って思ってる奴、あんたの周りはどうなってるのよ? 自分だけの世界で勝ち組演説してるってのは、実は勘違いの極みかもしれんな。調和と本質を両立させたって、結局は誰かの助けやルールがあるんだから、完璧すぎるんじゃないかって。

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