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『ジェラシー事情』嫉妬しない人とする人の違い【心理・精神・スピリチュアル的洞察】

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嫉妬、それは嘘の発明と共に生まれし未解決案件。

心理学では感情に捉えられることもありますが、私の理解では心の履歴書をビリビリに破った反応です。

世の中には嫉妬を正当化する人、好きな人もおり、「あなたのことが好きだからこそ嫉妬するんだよ」ともはやプラスに捉える人もいます。

その反面、嫉妬しない人もいます。

人面魚ほどの希少種かと思いきや、私の関わりから見ると意外にたくさんいらっしゃると思います。

そんな嫉妬しない人の存在にてわかるのは、中身。

ここでは、嫉妬する・しないの違いから、嫉妬の中身を紐解いていきます。

  • 嫉妬したいのにできない理由を知りたい
  • 嫉妬とは何なのか、今一度考えたい

する・しないには精神性だけでなく人それぞれの意思があると思いますので、自己理解を深める一つの考え方としてご参考になれば幸いです。

それでは、ジェラシー事情に入りましょう。

嫉妬しない人の共通点

嫉妬しない人は何者?

なんでも
なんでも
嫉妬は主に自分、恋愛(好きな人)、競争ライバルなんかが対象になりやすいと思います。

心理学では、怒り、悲しみ、不安、恐れ、不快感、劣等感を混ぜ混ぜした複合的な情動として知られています。

仏教では心の三毒である貪瞋痴(とんじんち)、無知や愚かさであり、執着する心を意味します。

好きな人が他の誰かと仲良くしていたら、愕然として涙が落ちる。

競争相手が先に成果を挙げたら、クソーと血が昇って倒れた。

誰しもが嫉妬をこれまでたくさんしてきたと思います、私もたくさんしてきました。

一般的に嫉妬するのは自然なさまです。

しかし、嫉妬しない人がいます。

冷酷無慈悲、心ない鬼なのか、はたまた聖人君子なのか?

ここでお伝えしたいのは、「代償を払ってきた人」であること。

共通点がありますので順番に見ていきます。

 

嫉妬しない人の共通点9選

1,自己受容、自己肯定

自分を認め、受け入れている人は嫉妬心が少ないです。

自らを愛し、自己価値を認め、自己評価が高い、または高いも低いもない領域で承認している特徴。

自分に対する責任を持っている人です。

 

2,比較しない、人を物差しで見ない

競争しません。

人を物差しという他(社会や常識やルール)の基準で見ないため、養った眼を持って自分の認識で物事を見つめます。

意思、それは意思があると思いたい願望や妄想ではなく、現実として意思を見出し、作れる人です。

 

3,怒りと悲しみの扱いが上手

嫉妬しない人は感情のマネジメントができています、特にアンガーとサッドネス。

怒りが生まれても怒らないようにするのではなく、ブチギレる、しっかり発散する、ちゃんと夕陽に吠える。

悲しくなれば目を見開いて口をムムムとこらえるのではなく、涙を流し、自己治癒し、ちゃんと夕陽に吠える。

または、表出さずとも芸術の力に変換するなど、抑圧せずにエネルギー昇華して活かします。

感情を手の平コロコロできちゃいます。

 

4,許す気持ちが大きい

許容が広く、とっても寛大。

大きな懐、心を持っている人ほど嫉妬しません。

愛とは何かを知っており、現実をしっかり見つめて生きる特徴があります。

ポジティブだけ好き、ではなく、ネガティブもしっかり自分のものにしています

妄想や空想、疑似的な思い込みや決め付けが少なく、起きたことをそのまま感じ、抗わない強さがあります。

 

5,自慢しない

苦労人です。

しかし、辛さも痛みも表立たさず、それでいて周囲から評価を得られるだけの成果を出します。

自慢しないので凄みを知る人は少ないかもしれませんが、シンプルに『能力も才能も高く、努力も継続もしてきたスゴイ人』であり、知っている人は知っています。

 

6,他人に期待しない

他人に期待しないことができる人は嫉妬心が少ないです。

“期待しない”ことはそのまま精神性の高さを物語ります。

期待しない素振りや無関心、諦めや妥協のことではなく、心配せずに厳しさを持つなど干渉せずに個の尊重があるさま。

線引きを始め、主観が明確で自分軸がある。

何より自律、意思があり、自分の頭で考えることができる人です。

 

7,自分との向き合いから逃げない

嫉妬しない人は徹底的なまでに自分と向き合っています。

逃げません。

なので冷たい一面を持ちます。

ネガティブや恐怖心が身近であり、人の精神をソーセージのようにグネングネンすることもできる怖い人でもあります。

自分に負けない人であり、他者に負けてあげられる人

自分用の心の教科書を持っており、たくさん傷ついてきた人でもあります。

 

8,達観

人それぞれに期待しないのか諦めか受け入れか違いますが、

「ま、そんなもんよ」と言わんばかりに物事を流す人ほど嫉妬しません。

一つに固執せず、客観的に見通す力があり、全体像が見える立ち位置を好みます。

長期的に物事を捉えて評価、判断するため、突発的な出来事に驚きません。

「出来事はプロセスの一つでしかない」と、株価が暴落しても5年後のことを考えて落ち着いている人のように達観。

「現実とはこういうもんよ」と諦める人もいれば、「起きること全てに意味がある」と受け入れる人もおり、後者は精神性の高さを物語ります。

 

9,自己秩序

自分の内側を秩序正しく管理できる人。

焦らず、動揺せず、飲み込まれず、冷静に物事を対処できます

問題解決能力も高く、普段はのほほんと穏やかにしている人もいますが、やる時は人が変わります。

以上が、嫉妬しない人の共通点でした。

 

嫉妬する人としない人の違い4選

なんでも
なんでも
する・しないの違いと共に、嫉妬とは何かを掘り下げていきます。

嫉妬する人としない人の違い:➀怒りの制御有無

なんでも
なんでも
一つ目は、怒りの制御(コントロール)があるかどうかで、感情そのものの認知も順序も違うこと。

嫉妬する人は納得いかない何かを目撃した際、グワッと怒りが生まれます。

その後に怒りを放置(抑圧)し、許せない念を生み、嫉妬心を作ります。

そこで怒りや悲しみを感じます。

[アンガー発生→放置・抑圧→許せない念→嫉妬→アンガー感受]
※怒りや悲しみを感じることはできるが、原型ではないので発散も昇華もできない

嫉妬しない人はこれがシンプルです。

[アンガー発生→制御→発散or昇華→プリンの時間]

「怒ったらスッキリした、さぁご褒美、ル~ルル~」

「怒る必要ってある?」

なんて人です。

着目ポイントは怒りの制御(コントロール)有無。

嫉妬する人は怒りの制御がなく、怒りを怒りとして感受できない認知システム。

嫉妬しない人は怒りの制御があり、怒りを怒りとして感受できる認知システム。

※怒りは生きるエネルギーであるため、怒っているのに怒っていない素振り、道徳的な抑圧、我慢して誤魔化すなどは全て制御なしに該当。

 

嫉妬する人としない人の違い:➁許せない念

なんでも
なんでも
二つ目は、許せない念があるかないかの違いです。

嫉妬しない人は怒りの感情に対する向き合いが特徴的です。

とっても素直。

怒る時は怒り、悲しむ時は悲しむ

発散したら終わり、「だってもうその感情ないんだもん」と嫉妬に化けない。
※発散しない場合、絵を描く、音楽を作る、文章を書く、UFOキャッターするなど人それぞれに昇華して終わり

これが生まれながらにできる人がいるのかはわかりませんが、苦労を苦労と思わないくらいの人です。

一方、嫉妬する人は少し違います

怒りが生まれた時、まず自己内部に持ち帰ります。

感情を内部でジロジロ見定め、評価し、ポンっと新しく何かが生まれます。

許せない念です。

怒りを発散するのではなく、「不快だ、嫌なものを見せられた、なんでそんなことするんだ、許せない」

怒りや悲しみを味わった他からの影響を含めた思念が生まれ、嫉妬心完成。

どうして“許せなさ”が生まれるのか。

怒りを発散せずに放置・抑圧することが原因だと考えられます。

嫉妬とは、怒りが制御されないことで生まれる念(許せなさ)。

怒りのエネルギーは内に残り、かつ許せない念を生み出し、嫉妬という形で相手を睨む行為(因果)を作ります。

 

嫉妬する人としない人の違い:③比較と競争意識

なんでも
なんでも
顕著な違いとなるのが“比較するかしないか”です。

比較や競争は正しさを社会的に見出す表向きの理解がありますが、本質的には我(エゴ)による自己防衛行動です。

「上か下か」を見ることで自分の居場所や立ち位置を得て安堵する目的があり、人によってはそれだけでは安堵できないので優越や劣等感を直に感じて、自己が存在している確証を味わいます。

自分をどこに置けばいいか探している人ほど比較や競争を意図的に好んでします

嫉妬しない人はこれを必要としません。

嫉妬する人は必要としているからしますが、ここでお伝えするのはさらに内面です。

比較や競争といったエゴ意識を使うことで生みやすくなる許せない念、それによる痛みを緩和するため。

嫉妬とは怒りの制御ができないことによる許せない念であり、さらに深掘りするとこうなります。

・怒りの制御ができないために内に未浄化のエネルギーを溜め続ける

・怒りを放置したことを認められない罪悪や低い自己評価でさらなる抑圧を追加し、感情コントロールがより困難を極める

・不安や恐れを抱きやすくなり、防衛意識が強まり自己の存在認知のために比較優劣が強まる

・それら一連を自覚できる人ほど自分を許せない念も生まれ、嫉妬心が膨らむ

相手を許せない念だけでなく、自分を許せない念を作るとさらに嫉妬しやすくなります。

比較は不安と恐れを誤魔化す防衛対処でもあるため、“許せなさを抱く痛みの緩和”を目的にすると比較はやめたくてもやめられません。

これも因果です。

嫉妬する人としない人の違いは、比較を好むか必要としないかです。

 

嫉妬する人としない人の違い:④自己否定の代償

なんでも
なんでも
四つ目は、潜在的自己否定があるかないかです。

嫉妬しない人は自己否定がありません。

嫉妬する人は自己否定があります。

嫉妬心が強い人ほど自己否定も強く、これが「劣等感による嫉妬」と言われる要因になります。

自分がしたいけれどもできなかったことを、痛みも辛さも表立たせずにこなしていたら許せなくなります。

自己否定になる要因がわかっていながら、改善せずに自己否定を自覚して続ける場合、他人の幸せが許せなくなります。

許せないのダブルコンボは他人と自分に対して、責任感がある人ほど自己否定が強まります。

責任感がある人ほど、嫉妬した際に相手が持っているものを自分は持っていない、相手がやってのけていることを自分にはできないと理解しています。

気づいているからこそ、それらを見せられたくなかった気持ちになり、痛みを感じます

自己否定の代償は痛み。

内部に抑圧して、隠し通してきたものが、他人によって暴かれる痛みであり、実際には自らが自らを痛めているものの露呈です。

嫉妬は、自己否定の痛みの代償反応

※心理学的には、抑圧されたシャドーが統合されていないことによる反応

過去に自己否定があっても、自分のしてきた代償としてしっかり痛みを味わい認めてきた人ほど嫉妬心は少ないです。

 

最重点:嫉妬する人としない人、そして嫉妬しなくなっていく人

なんでも
なんでも
嫉妬は感情の未処理、特に怒りにて内在化された許せない念にて作り出す心の反応です。

その念による心の悲痛は比較や競争にて仮に緩和されますが、本質的には解消されません。

これを無視し続けてきた人ほど、内在化された罪悪や自らで下げた自己評価から事実を認められず、認知も認識も歪んでいきます。

過剰化すると人の幸せが許せなくなり、人の不幸が蜜の味になり、嫉妬は刺激と情動をくれるパチパチキャンディーとなり、チョコレート工場が内蔵されて依存。

癒しと許しを求めて嫉妬できる対象を求めて甘えだす。

「こんな私を受け止めてくれるでしょ?あなたはきっとそうでしょ?」と思える相手にだけ嫉妬し、攻撃や辛辣なことを言ってくる相手には嫉妬してても隠す。

「好きだから嫉妬する」ではない、

「許しを求められる(求められそうな)相手だから嫉妬する」かもしれません。

嫉妬は精神的に善しにはなりえませんが、社会的には良しになりえます

モチベーションにして、競争意識と許せない念、そして怒りを活かして能力を高める励みにする。

人によっては強い決意をする本物もいます、「自分をもう許さない、だから嫉妬を使わせてくれ」と向上の糧にし、とてつもない力を手にします。

悪魔との契約、強い愛の行為でもあり、当然代償があります。

ここでは嫉妬しない人にフォーカスしたいので、着目したいのは原型です。

嫉妬とは自分の心の歴史そのものの捻出であり、怒りを放置・抑圧してきた代償。

心の歴史そのものから見出される結果です。

未解決な自己との関係が外に映ったものであり、嫉妬する対象である他人はそれを映すスクリーンでしかありません。

シャドーとの統合を果たした人は、自分の見たくない面も見つめ、向き合ってきた人であり、因果の解消、痛みの代償を払ってきた証。

借金完済した、そんなイメージです。

一方で統合がなく、見たくないものは見つめず、向き合わずにきた、そんな自分との付き合い方が嫉妬という形で表れます。

洞察すると、怒りの放置・抑圧、そこにあるトラウマやコンプレックスなどスルーしてきたものが散見します。

しかし、誰しも嫉妬するものです。

嫉妬しても自覚し、自己否定した時の痛みをジーとしっかり味わう人は因果を既に一つ解消しています。

これ以上の淀みを作らず、既に自分との向き合いが始まっています。

そんな人は嫉妬する執着心があっても手放せます、嫉妬しなくなっていきます。

あとは怒りの放置、抑圧に目を向けて、許せない念を如何に許せる気持ちにできるか。

許せる気持ちがあれば嫉妬しなくなります。

これもまた自分との向き合いであり、怒りとの向き合い、物事は常に一歩一歩です。

 

要約:嫉妬とは一体?

なんでも
なんでも
これまでの洞察内容から、嫉妬についてまとめます。

嫉妬とは、

あらゆる過去の蓄積、心の歴史、自分のしてきた怒りに対する因果であり、情動を処理できないことによる反応。

by ようはなんでもいい教科書

未解決なままである自分との関係性が外に映ったもの、という考え方。

ご参考になればと思います。

嫉妬しなくするために、自己否定の痛みの代償反応である理解が大切です。

自分が原因の痛みを作ったからこそ、痛みを大切に味わうと因果の解消となり、怒りの放置・抑圧との向き合いになります。
※なんか出産する人みたいですね

 

最後に:嫉妬しない人

世の中には嫉妬を好む人もいます。

嫉妬心には常に他との比較意識があり、優越して喜ぶ、劣等して悲しむ要因にもなります。

勝った時には自己価値が高いと思うことができ、負けた時には自己評価が低いと思うことができ、感情と現実を照らし合わせたゲーム性が生まれます。

情動的で刺激的、だけでなく、生きている意味、理由を潜在的に実感でき、存在意義を喪失する(ゲームオーバー)懸念を抹消できたりもします、心理的に。

さらに、「許せない念」を自己能力の育みに使える、ブースト作用があります。

競争社会、比較やめない!と決意した環境で生きる場合、嫉妬は自分の能力と才能を高める起爆剤になります。

物事は使い様、ですが、全くおすすめしません、賛同しません、同調もしません。

重要なのは事実であり本質。

嫉妬しない人の存在によって“嫉妬とは何か”、中身を探求できます。

嫉妬は複合的な情動と同時に、過去の蓄積による反応であり因果(カルマ)だと考えます。

過去の私がそうですが、自己愛への執着が許せない念を作り、怒りを制御せずに放置する、いわゆる自分と向き合う以外の道を選ぶことができます。

それは痛みの緩和という楽な道、逃げ。

比較や競争にて我を強める楽な道であり、自分のしてきた代償を払わずして、「許せない念」をも放置する己のみの都合世界。

嫉妬を今生まれた感情と見るか、過去の蓄積によって作られた因果であり心の歴史と見るかで世界は異なります。

嫉妬しない人は本質の世界を生きており、明確なまでの精神性の高さが伺えます。

そんな人との違いによって見出される嫉妬の中身。

人間は今を生きていますが、この“今”を構成するのは過去これまでのあらゆる事実である、そんな構造のお話。

ご自身がどの道にいるかを考える、一つの考え方になれば幸いです。

それでは、ありがとうございました。

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